トム ヨシダブログ


第480回 YRSオリジナルビデオ ローンチコントロール

こんな時だから、 良かったらYRSオリジナルビデオをご覧になりませんか。

今回はルノー・スポールの官能的な加速感をお楽しみ下さい。

トゥインゴ ゴルディーニRS 歌う

トゥインゴ ゴルディーニRS 吠える

Launching Lutecia RS

ルーテシアRS ローンチコントロール

ルーテシアRS ローンチコントロール 筑波

メガーヌRS ローンチコントロール 外撮り

メガーヌRS ローンチコントロール 外撮り = メガーヌRSが沈む

メガーヌRS ローンチコントロール



第479回 人間の操作 vs 自動車の制御

17年ほど前のこと。ある特定のモデルに乗る人たちのグループがあった。ほとんどの人が車高調を組みSタイヤを履いた、いわゆる走り屋仕様に仕上げていた。グループのうちの数名がユイレーシングスクールを受講したことがあったので、スクールレースを開催する時に、グループのメンバーだけでレースがしたいという申し出を、スピンやコースアウトは絶対にしないことをメンバー全員に徹底するという条件で受けることにした。。

レース当日。噂には聞いていたが、彼らの走りを見て申し出を受けたことを後悔した。

サーキットを走りレースに参加するには速さがひとつの指標となる。それはそれで間違いではないのだけれど、速さを手に入れる方法には節度がなければならない、というのがユイレーシングスクールの思想だ。クルマはあくまでも道具であって、その対極に人間がいる。無機質の物体を知識と意思と感情を持ち合わせた人間が操る。運転というものはそんな営みだと思っている。だから、速さを追い求める行為は、ある意味で人間が自身の能力を引き上げることにつながらなければならないはずだ。

しかし彼らは不快な音を残しながら、FSWショートコースの1コーナーのクリッピングポイントまでABSを効かせたまま突っ込んでいた。

コーナーに対してブレーキングを遅らせればストレートエンドの到達速度がわずかだけど上昇するだろう。ラップタイムの向上に少しは影響する可能性がないわけではない。けれど、ブレーキングを遅らせた分ストレートでブレーキングを終えることができないからと言って、ABSを効かせていればステアリングが効くからと言って、ABSを効かせることを前提とした走りは人間が本来求めるべき速さとは異質なものだ。実際、ABSを効かせている間は機械任せなので姿勢を制御することができないからコーナーの最下点速度が遅く、ABSが介入しないように走ってもラップタイムは変わらない。緊急時の衝突回避のために開発されたABSを、安易に速さを求める手段に使うシーンを見るのはつらかった。クルマさんがかわいそうだった。


閑話休題。一時、F1GPのニュースで「ドライバーズエイドが禁止」というフレーズを頻繁に目にした。ドライバーがオートマチックトランスミッション、トラクションコントロール、ローンチコントロールなどのデバイスに頼って速く走るのは、ドライバーが自身の技量でマシンを速く走らせて競い合うというレースの精神に反するという理由で、また開発予算が潤沢なチームだけが優位に立つことを防ぐために、ドライバーを助けるこれらのデバイスの使用や無線を通じてドライバーを有利な状況に持って行こうとするコミュニケーションが禁止された。なんと言っても、F1GPはレーシングドライバー世界選手権なのだから。

一方で、ドライバーズエイドを運転手の負担を軽減する装置、また運転手の操作を積極的に補助する装置と定義をするならば、我々が運転するクルマにも様々なデバイスが装着されている。
運転手が最初に恩恵を被ったデバイスはブレーキアシストとパワーステアリングだろう。ブレーキアシストがついていなかったクルマは大きな踏力をかけないと制動力が立ち上がらなかった。踏力の調整が難しかった。ノンパワーのステアリングは重いだけではなく、運転手の負担を軽減するためにステアリングギア比が大きくなっているからステアリング操作が忙しかった。
次に登場したのが初期のABS(アンチロックブレーキシステム)か。まだクルマの制御がアナログ的だった頃は、ABSの作動が荒々しくて驚いたものだけど、踏力の強さを意識しないですむ点と、思いっきりブレーキペダルを蹴とばしてもタイヤがロックしないのは純粋に人間を補佐してくれていた実感があった。その次が電子制御に頼らないLSD(リミテッドスリップデファレンシャル)か。他にも自動車技術の発達がもたらした列挙できないほどのデバイスが運転の質を変えてきたことによって、現代の自動車が存在していることは間違いない。

ところが自動車技術とコンピュータ技術が発達してクルマの制御がデジタル化されブラックボックス化されると、人間の操作がダイレクトにクルマの挙動につながっていないのではないかという疑問が生じる。なにしろ、今やスポーティモデルならトラクションコントロールやトルクベクタリングが当たり前。

しかし、中には運転支援システムという名の元に、そこまでやらなくてもいいんじゃない、ドライバーの代わりをするようなデバイスは運転に対する人間の能力と集中力を損なうことになるんじゃない、と言いたくなるようなデバイスが登場したり、運転はクルマ任せでいいんですよ、ってイメージしそうになりそうなCMが流れたり。


ま、運転が手軽になったのを誤解して気軽に運転してしまう人は後を絶たないし。もはや運転という行動に畏怖の念を感じないのか、自分のやりたいように走る人が増えているような気がするし。こういうのを時代の流れと言うのだろうか。それでも、個人的にはそんな風潮に抵抗したいので、デバイスを次の3つに分けて溜飲を下げている。

クルマの性能を向上させると言うよりも人間のクルマに対する理解度を上げてくれるモノ。
人間に楽をさせて本来の運転の厳しさをオブラートで包むようなモノ。
人間がミスをしてもなんとかしてくれると思わせるモノ。

は歓迎するが、は個人的にだけど必要だとは思わないし興味がない。は運転教育と対になっていない場合は意義を感じない。

自動車技術の進化がクルマを操る人間に与えてきた影響は大きい。様々なデバイスは人間がクルマを操る上で大きな恩恵を与えてくれた。しかし一方では、本来は慎重の上にも慎重を重ねて運転しなければ大きくて重くて速く走るクルマを操ることなどできないはずなのに、デバイスがその意識を殺ぐことにつながる場合がなくはない。

だから、ユイレーシングスクールを受講してくれた人にはおせっかいを承知で、「この際、これからクルマとどうかかわっていくのか1度考えてみてはどうですか」と言うことにしている。例えば、ドライバーズエイドがついていないクルマに乗っている人には、運転に対して自立性を保つためにもそのクルマを大切に長く乗られたほうがいいと思いますよ、と。ドライバーズエイド満載のクルマに乗っている人には、どんな場面でもデバイスが介入する寸前を察知しデバイスのお世話にならない運転を目指して下さい、やればできます、と。

昨年12月に開催したアルピーヌA110体験試乗の感想文(439回440回441回442回445回447回448回449回)の中にも、走行中にデバイスの介入を経験したという記述があるけど、デバイスが介入したということはその寸前の操作がその場面にふさわしくないとクルマが判断したことになる。
問題はその後で、デバイスが介入した時に「だからデバイス付きのクルマに乗っているのだよ」と思うか、あるいはデバイスが介入していても気づかないほどクルマの動きに無頓着なのか、もしくはあらゆる場面でデバイスが介入しないような操作ができることを目指すか。そのあたりが道具であるクルマと人間がどうかかわっていくかの別れ道になる。せっかく人間能力拡大器であるクルマを所有しているのだから、クルマとのかかわり方に思いめぐらすのも悪くないと思うのだけど。

さらに、クルマにも性格がある。人間が受け身のままでは、そしてクルマとの付き合い方を軽んじると、クルマの本質に触れる機会を逸しているかも知れない。例えば、

474-1
ドライバーズエイドに勝るもの
それはA110をここまで軽量化した自動車技術
慣性力に大いに影響されるクルマの運動性能
質量を小さくして影響力を最小限に押さえつつ
タイヤのコンタクトパッチの変形も最小限に抑える
原理原則を忠実に具現化した
四輪自動車の理想

474-2
本来ならドライバーが精進して身につけなければならないものを
先行してこうすればいいのだよと教えてくれる教育的なメガーヌRSの4コントロール
どう関わるかで価値が決まる
意識しないのか
ゆだねてしまうのか
原理を解き明かし物理学を自分のものにするか
近代自動車技術の手本

747-3
YRSオーバルスクールに来てくれた
Kさんのランチア フルヴィア 1.3に乗せてもらったけど
いつもの5倍ぐらいの力をいれないと効かないし
急に踏力を立ち上げると前輪がロックするノンパワーブレーキに
切り始めても動きにタイムラグがあってノターって感じの重たいノンパワーステアリング
人間が先を読んで先を読んで先手をうつ必要があって
あ~運転しているという気分に目を見開く
人間の四輪自動車との対峙

474-4
YRSツーデースクールに来てくれた
Nさんのマクラーレン600LT
乗せてもらったけどとにかく速い
動きが破綻せずに速い
常に安定しているから自分の上手さかどうか自信が持てない
デバイスが介入していたとしても不自然さはない
F1の技術を拡大解釈するとこうなる


あなたはこれから、クルマさんとどうかかわっていきますか?



第478回 YRSオリジナルビデオ 運転操作

こんな時だから、 良かったらYRSオリジナルビデオをご覧になりませんか。

※撮影当時は機材も限られていて編集技術も稚拙です。作品としての完成度が低いことをご承知下さい。
※コメントはYouTubeのコメント欄からの引用です。

◎ YRS運転講座 ユイレーシングスクールの1日 2008/12/28
ユイレーシングスクールでは最も基本的なクルマの操作を練習するドライビングワークショップを開催しています。ブレーキングとコーナリングを反復練習することで、ベテランから免許取り立ての方まであなたのドライビングポテンシャルは間違いなく向上します。http://www.avoc.com/

◎ 運転操作入門 2008/12/28
他人がクルマを運転しているのを外から見ていると、操作している人が何を考え、どういう操作をしているかがわかります。クルマの運転にまず最初に求められるものは、クルマを前に進めることです。アンダーステアもオーバーステアも、その時間はクルマが前に進んではいません。

◎ ラインに乗せる 2008/12/28
速く走ることはできても、狙った通りのラインでそれができなくてはクルマをコントロールしたうちに入りません。速く走ることよりもクルマのエネルギーがどこに向いていてどのくらい大きくて、その方向を変えるにはどんな操作をすればいいか分かるようになるとクルマの運転はもっと楽しくなります。

◎ タイヤは働く 2008/12/28
オーバルコースを走るとクルマの動きが良くわかるようになります。操作がタイヤにつたわりクルマを動かします。タイヤがストレスを受けていると路面との摩擦力が変化します。その変化がステアリングホイールを通じてドライバーに伝わります。



第477回 FJ1600に乗ってみませんか

昨年12月。ユイレーシングスクール20周年記念にアルピーヌA110の体験試乗を行った。大好評だった。自分のクルマと比較することで、それまで見えなかった自分の運転の本質と、自分のクルマの特性が見えてくる。今回は第2弾としてFJ1600を体験してもらう機会を準備した。FJ1600は既にレースを終えているカテゴリーではあるけれど、マシン自体は多数現存するし、写真を見てもらえば入門用フォーミュラカーと言っても上級フォーミュラと変わらない手法で作られていることがわかる。そのFJ1600に乗ってもらおうという企画だ。そこでFJ1600を改めて見てみたい。
細部をよく見てほしい。ノーズダイブもせずテールスクワットもしないで平行移動するがごとく走るフォーミュラカーの作りがわかる。ノンパワーでダイレクト感に圧倒されるステアリングとブレーキ。当日晴れならば、温まるほどにグリップが増しステアリングが重くなるスリックタイヤを履いた本格的なレーシングマシンに乗ることができる(雨天の場合は溝付きレインタイヤ)。
FJ1600を安全に走らせるためと楽しんでもらうために、ご自身のクルマでブレーキングとイーブンスロットルの練習をしてから試乗していただくことになるが、6月11日(木)に開催するYRSドライビングスクール筑波を受講しながらFJ1600ライドに挑戦してみてはいかがだろう。

・ 6月11日(木)開催 YRSドライビングスクール筑波 開催案内
・ 6月11日(木)開催 YRS FJ1600ライド開催案内


東京R&Dが制作したFV95のフロントサスペンション
プッシュロッド式インボードサスペンション
コイルダンパーユニットがシャーシ側についているので
ばね下重量を低減できて路面追随性を高めている


同じくFV95のフロントサスペンション
バンプステアを避けるため
ステアリングタイロッドとアッパーアームが同じ高さにあるのがわかる


同じくFV95のフロントサスペンション
ステアリングラック、アンチロールバーが見える


同じくFV95のフロントサスペンション
ベルクランクを使ったプッシュロッド式インボードサスペンション


FV95のリアサスペンション
同じくプッシュロッド式インボードサスペンション


同じくFV95のリアサスペンション


同じくFV95のリアサスペンション
コイルユニットの下にスバル製トランスミッションが見える


FJ1600に共通のパワープラント
スバルEA71型エンジンとトランスミッション
パワーは約110馬力
ドライバー込で465Kgのマシンを走らせるには十分


FV95のドライビングポジション
シートは固定式
試乗時にはバスマットでドライビングポジションを調整する


WEST04Jのフロントサスペンション
上下Aアームのダブルウィッシュボーンサスペンション
プッシュロッド式インボードサスペンション
Aアームがワイドスパンなのに注目


WEST04Jのリアサスペンション
上下Aアームのダブルウィッシュボーンサスペンション
プッシュロッド式インボードサスペンション
ロアにトルクロッドが追加されている


同じくWEST04Jのリアサスペンション
コイルユニットが内蔵されているので空力的にも有利


WEST04Jのリアエンド
元はFF用だったエンジントランスミッションユニットをミッドシップに移植
長いが剛性のあるリンクでスバル製トランスミッションを動かす


WEST04Jのエアファンネル
奥に見える赤いのが給油口
安全燃料タンクはドライバーズシートとエンジンの間にある


WEST04Jのダッシュボード
初期にはアナログ式メーターが並んでいたが
全盛期にはマルチファンクションのデジタルメーターに


WEST04Jのドライビングポジション
FV95よりスペースがある


FJ1600指定のフロントタイヤ


フロントタイヤのサイズは
150/575R13


FJ1600指定のリアタイヤ


リアタイヤのサイズは
170/605R13

FJ1600のコクピットは狭いのでクイックリリースステアリングハブが標準装備(写真はWEST04J)

WEST04Jのエンジンをかけてみる(バーグラフ式のデジタルタコメーターは映せなかった)

◎参考資料 ウィキペディア FJ1600


第476回 YRSオリジナルビデオ ついて来れるかな

こんな時だから、 良かったらYRSオリジナルビデオをご覧になりませんか。

※撮影当時は機材も限られていて編集技術も稚拙です。作品としての完成度が低いことをご承知下さい。
※コメントはYouTubeのコメント欄からの引用です。

◎ YRSスプリント ロードスタークラスに参加したOさんとIさん 2008/12/08アップロード
コメント:ユイレーシングスクールのスクールレースのひとこま。些細なミスが速さを奪う。競争では相手に勝つことに腐心するよりも、自分がミスをしないことに集中する必要があります。
説明:ユイレーシングスクールでは卒業生を対象にスプリントレースと耐久レースを開催していました。この動画はYRSスプリントのロードスタークラスに参加したOさんとIさんのつばぜり合いを前を走るカメラカーから撮影したものです。


◎YRSオーバルスクールもてぎに参加したFさんの走り 2008/12/21アップロード
コメント:日本ではオーバルレースについてほとんど知られてませんが、アメリカではモータースポーツと言えばオーバルレースです。その醍醐味を知る手がかりがYRSオーバルスクールにあります。
説明:パイロンで設定したオーバルコースをできるだけ速く走ろうとすると、時としてクルマが意図しない動きをすることがあります。この動画の場合はアンダーステアです。どうするとアンダーステアが出るのかを理解し、どうすればアンダーステアを出さないで速く走れるかを会得し、操作した通りにクルマを動かす練習をするのがYRSオーバルスクールです。



第475回 ひと区切り (後)

475-1
2019年5月3日のルノークラブ走行会
右目は快方に向かっている時期
今年は残念ながら中止
来年を楽しみに


5月11日夕刻。スタッフのKから、無事終わりました、とメッセージ。参加したみなさん喜んでました、とも。エンジンドライビングレッスンが初めての方が多かったのが気にかかっていたけど、何事もなく終わったようだ。

1日4回の点眼の時に看護師さんが眼帯を外してくれる。右目が露出しないようにガーゼでおおいテープでしっかり止めてあるから。すると、右目にさ~っと光が差し込む。左目をつむって右目だけで見ようとするけど、明るいだけでなんの像も結ばない。白く半透明な世界。

毎日規則正しい生活を送って2週間も経つのに、森先生と看護師さんの目の届くところにいなければならないほど右目の状態は繊細で微妙だったのだろう。それでも、毎日4種類の目薬を忘れずに1日3回さすこと、寝る時は必ず、支障のない時もできるだけ眼帯して目を保護することと念を押され退院の日がきた。17日間の入院だった。

1人で運転してきていたからクルマは病院の駐車場に置いてあった。病院から自宅まで久しぶりに運転した。眼帯で右目を覆っていると、なんとなく視野が狭くなったような感じで、左右のものを確認する時は頭を振るほうがいいように感じた。

退院して初めてのスクールは5月27日のYRSオーバルスクールFSW。眼帯をしたまま高速道路で東に向かったけど運転に支障はなかった。片目であっても必要な情報を得ることができれば、あとは身体が反応してクルマを動かしているようだ。強いてあげれば少し遠近感が希薄か。

6月に筑波サーキットで開催したエンジンドライビングレッスンに行く時、眼帯を外して高速道路に乗ってみた。右目は相変わらず光を感じるものの一切像は結ばない。流れをリードするぐらいの速さで走りながら、ふと思いついて、右目を手でおおってみた。すると遠くに視線を投げながら運転しているのだけど、突然画面が右にわずかにずれることに気が付いた。えっ、である。右目は何も見ていないはずなのに、右目を開いているのとふさいでいるのでは目に入ってくる絵が動く。何度やっても同じ。もちろん左目だけでも運転はできるけど、右目で光を感じているのといないのでは見えるモノが違う。
あくまでも想像だけど、光を受けた右目の視神経が、像は結ばないものの、左目とバランスをとって視界を創っているのではないかと。右目が光を受けているほうが、モノが見えているのは左目だけだけど、断然見やすい。え~っ、すごいな人間は、と必要ないのに何度も右目をおおったことを覚えている。

この年は退院してから6回の診察をはさんで23回のスクールを片目で開校。次いで、2018年最初の診察で細菌がいたずらしている兆候がなくなったからと、具体的に眼内レンズを入れる話になった。3月に術前検査をして問題がなければ4月に手術の予定。

結局、年明けからスクールとスクールレースを14回片目でこなした後、4月16日に入院。17日手術となった。また目に器具が挿入されると思うと気が重い。痛みを想像しただけでも逃げたくなるけど、2011年に両目の白内障手術をして人工無水晶体眼を入れたら視力が劇的に改善したという成功体験があるから、どこかで手術を待ち望む気持ちもあった。

475-2
入院計画書を状況説明とともにフェイスブックに


1年前と同じように手術台に横になって同じように目を閉じないように器具を装着され、もう2度と体験したくないという痛みに耐え、それでも手術は無事に終わり、数日術後の検査のために入院。21日に退院した。

滋賀医科大学病院の駐車場に向かって歩きながら、なぜか視界が湾曲しているような感じを受ける。両目で見ているせいなのか。左目だけでの生活よりも遠近感が明確に増し、モノの詳細がつぶさにわかるようになった。おもしろいものだから、首を左右に振って目に入るモノを楽しみながら歩いていたから、はたから見たらおかしな人と思われたかも知れない。

4月27日のエンジンドライビングレッスン。久しぶりに両目で見えることに感謝しながら新東名を東に向かった。5月2日。ルノークラブ走行会を控え四国に向かう。去年はこの道を逆方向ではあるけど片目で走ったんだよな、と懐かしくもあった。結局、2018年は両目が見えるようになってから27回のスクールとスクールレースを開催した。


その後、ふた月とおかず澤田先生に右目の状態を確認してもらったのだけど、4月15日の検査で先生が「次に診るのは来年でいいかな」と。それで大丈夫ですか、と聞くと、「目薬を続けていればいいでしょう」。

あ、ということは右目の状態をもう心配しなくてもいいのだな、目に関してはようやくこれでひと区切りだな、と思っていると、先生が「まぁ、ほんとうに良かったよ。いち時はどうなるかと思っていたからなぁ」と笑いながら。    ギクッ! である。    それほど切羽詰まった状況だったということか。自分でもどうなるかと不安でしかたなかったけれど、それほどだったとは。背筋がゾクッとした。

ともあれ、この日の検査で両目とも視力は1.0。矯正視力1.5。改めて右目に視力が戻ったことを素直に喜びたいし、スクールを続けられることが嬉しい。澤田先生と森先生には感謝してもしきれない。


2017年の入院中に片目でアップしたブログは、
第236回 鬼神は実在する 5月12日
第237回 中里さんはチャンピオン その1 5月18日 のふたつ。
2018年に入院した時に右目も使ってアップしたブログが、
第294回 Yさんの場合 4月19日。

右目が見えないことを言い訳にはしたくないけど、2017年のルノークラブ走行会でドタバタしながら撮影した動画を紹介したブログが 第239回 アルプスならぬ四国の山あいを。ホント。吸盤を押さえるために貼ったテープが映り込んだのが悔やまれる。



第474回 ひと区切り (中)

474-1
2018年5月3日の阿讃サーキットでのルノークラブ走行会
2017年5月3日にここで右目の視力を失い
2018年4月に眼内レンズの手術
右目に視力が戻ってから四国の山並みを走ることができた


手術前に森先生から右眼内レンズの摘出と右眼硝子体の切除を行うと説明があった。角膜の周囲を切開して眼内レンズを切除し、強膜に3つの穴をあけ器具を挿入して硝子体を切除するという。初めてのことばかりで診察から手術台に乗るまであれよあれよという感じで、けれど、消毒液を絶えずかけられているからはっきりとモノが見えない右目に激痛は走った。

当たり前のことだけど、自分の右目に何が行われているか全くわからず、次にどんな痛みが襲ってくるのか身構え身体が硬直する。息が止まる。それがわかるのか看護師さんが身体をさすってくれる。右目の黄土色の膜の向こうで何かが動いている。突如として、もちろん経験したことはないけど、死ぬほうがましの痛み。
痛みには強弱があって、時に突き刺すような痛みがきてつぎにむしられるような痛みが襲う。少ししてグヮングヮンという音が聞こえてくる。「あ、硝子体を吸引しているのかな」と痛みを感じながらも冷静さはあった。

とにかく最初から最後まで痛かった。手術がどんな風に行われていたかなんてわかるはずもなく、看護師さんの「もう少しですからね」という声を聴いくと身体の力が抜けた。
まぶたを開きっぱなしにする器具が外される、黄土色の膜はなくなって光がまぶしかった。ブランケット様のものも取り除かれる。点眼薬が落とされたあとでガーゼがあてられ眼帯。まだズキズキと痛む。

「ゆっくり起きて下さい」とうながされ車椅子に乗せられる。どのくらいの時間が経ったのだろうか。長いようで短く感じたが、左目で確認すると1時間近く手術室にいたようだ。

病室に戻りベッドに横になるように促される。左目は見えるから何かをするのに不自由はない。夕方術後の検査があるからそれまで安静にしているように言われる。検査の時に森先生にどのくらいの入院になるのかを聞いた。返事は驚きの「2週間ぐらいになるかな」。
こうして人生で初めての入院生活が始まった。1日4回の看護師さんによる点眼と、朝夕2回の森先生の診察。相変わらずズキズキと痛みはあるものの、痛みにも慣れ始め術後3日でシャワーにも入れるようになり、少しずつ生活のペースが戻ってきた。味気ない病院食は少し不満だったけど。

となると慌てなくてはいけないのは、5月11日(木)にFSWで開催するYRSxエンジンドライビングレッスンの段取り。入院は2週間だから自分は行くことができない。病室に持ち込んだパソコンでユイレーシングスクールの活動をサポートしてくれている卒業生で作っているメーリングリストに現状を報告し協力をお願いする。同時にスタッフのメーリングリストにも。エンジン編集部の塩沢副編集長にもメールを送り開催に向けての準備を始める。
スタッフと卒業生から当日手伝ってくれるという申し出が相次ぎ、開催を心配する必要はなくなった。急ぎFSWのジムカーナ場にオーバルコースを作る手順を書いて送り、午後のショートコース走行での注意事項を送る。編集部から届いた参加者名簿を元に当日のグループ分けをして送り返し、FSWにも計測用に送る。そうそう、ジムカーナ場にはホワイトボードがないので座学で使うイラストもpdfファイルで送って印刷してもらうことにした。ま、スタッフのYとKとYが行きますよ、といっているからあまり心配はないけど。

1人っきりの病室で思った。あの日、突然右目の視力を失ったのによく片目で運転ができたものだと。確かに不安はあったけど、いつもスクールで言っているように遠くを見てモノに焦点を合わせないようにしたけれど、四国の暗い道や不慣れな関西圏の入り乱れた高速道路を遅くない速度で走ったのだから、人間の適応力はたいしたものだと。

術後の検査を続けているとある日、右目が細菌におかされていないことを1年ぐらい観察してから眼内レンズを入れる予定だと聞かされた。そうか、1年ぐらいは片目で生活することになるのかと思ったものの、焦りはなかった。片目で合法的に運転できるわけだしスクールも開催できるのだから、ここは先生方に任せるしかないなと。

入院病棟の3階から本館の1階にあるコンビニへの往復は階段にした。シャワーを利用する時に洗濯をした。いつも後回しにしていた画像ファイルの整理もした。できるだけそれまでの生活と変わらないように心掛けた。唯一、手の届くところにウィスキーがないのが違いと言えば違い。

で、病室からアップしたのが第235回四国でルノークラブ走行会のブログ。

<続>


474-2
2017年5月4日の硝子体手術の説明及び同意書

743-2
滋賀医大の正式名称は滋賀医科大学医学部附属病院
3階にある眼科

743-4
4月15日の診察の時に見つけた
換気のためかドアが少し開いていた

743-5
ウレタン様の柔らかい素材
ドアに挟むだけのすぐれもの



第473回 ひと区切り (前)

間もなく3年。長いと言えばほんとうに長かった。

743-0
2017年のルノーネクストワン徳島主催のルノークラブ走行会
ここから全ては始まった


2017年5月1日。多少違和感があったので近くの眼科で診察してもらう。眼圧が高いとのことで内服薬と点眼薬を処方してもらう。

同5月2日。午前中に徳島に向けて移動。ルノーネクストワン徳島で一宮さんに挨拶してから三次市へ。午後ホテルに逗留するも右目にもやがかかったよう。前日から薬を飲み点眼薬をさしてきたが効果なし。

同5月3日。早朝から阿讃サーキットに向かう。一番乗り。右目はかんばしくなく視野全体が黄色がかっている。参加者が集まり座学を行い走行が始まる。運転には支障がないからリードフォローと同乗走行。ところが昼前になって右目でモノが見えなくなる。不透明の黄土色の円が視野のほとんどを覆っていて、目を上下左右に動かすと円の周囲の像がかすかにわかる程度。走行会の進行を妨げるといけないのでそのまま夕刻まで。走行会が終わるころには右目の視界を完全に喪失。いつもは最後まで残って参加者を見送るのだけど、一宮さんに事情を説明して早めに山を下りる。

どうしたものかと三次町の眼科医に電話をしてみるが休日で応答なし。その後何をしていたかの記憶が途絶えている。どうしたらよいのか何かをしていただろうことは間違いないのだけど。吉野川SAで暗くなりかけてから三次救急病院に電話したところから覚えがある。もちろん眼科はあるのだけどこの日は担当医が不在。どうしてもだめかと食い下がるも不発。右目が見えないのでなんとか状況だけでも知りたいと訴え続けると、運転できるのならと徳島大学病院に行くことを勧められる。
自分でも片目でそれまでと同じ運転ができることに驚きつつも70キロを走って徳島大学病院へ。休日のこの日だから担当医がいるわけがなく、救急外来受付でなんとか現状を把握したいとお願いすると眼科の先生に連絡をとってくれた。事情を説明すると、自宅にいらした先生が病院に来てくれるとのこと。

先生に診てもらえばなにがしかの結論が出るだろうと、ならば先生を待つ間にできることをしようと片目で合法的に運転できるのかを検索。見えるほうの目の視野が150度以上あって視力が0.7以上ならば運転できるとあった。悪くころんでもスクールは続けられる。身体の力が抜けたのを覚えている。

夜9時半ごろ始まった検査はいろいろな機械を使って行われた。ひとつの検査が終わるとどの結果が出るのを待ってから次の検査。眼科病棟には担当してくれる仁木先生と自分だけ。診てくれるだけでほんとうにありがたかった。検査に1時間ぐらいかかったと記憶している。全ての検査が終わり先生に診察室に呼ばれる。

そこで、右目が見えない原因が細菌性眼内炎だと教えられ、状況としてすぐに手術をしなければ失明する可能性が高いと告げられた。1週間は入院する必要があるとも。そんなたいそうなことだなんてにわかには信じがたく、自分のことではないようなおかしな感覚。失明はむろんのこと避けたいが、不慣れな土地で何の用意もない状況で手術をすることにも展望が開けなかった。滋賀県の大津に住んでいる旨を伝え、手術が必要ならば自宅の近くでやりたいと訴えると、「ほんとは今やるべきなんですよ」と念を押されながらも滋賀医大病院宛の紹介状を書いてくれることになった。そんな事態の推移をどこか他人事のように眺めている自分がいた。

徳島大学病院を出たのが11時。方向性は決まった。滋賀医大病院に行く前に自宅へ、再び暗い高速道路を片目で走り230キロ先の我が家を目指した。

同5月4日。3時間ぐらいは仮眠できたと思う。とにかく朝一番で診察してもらうために早めに家を出る。
それまで入院したこともなければほとんど病気もしたことがないので勝手がわからなかったのだけど、紹介状があるからといってすぐに見てもらえるわけではなかった。ずいぶん待たされ、病人をほっておいていいのかと焦りも感じ、それでも遅い午前中に森先生が検査をしてくれた。ベッドに横になって何かの機械が顔の上に乗っている。そこへもうひとりの先生が入ってきて森先生と話している声が聞こえた。「やっぱり切るか」とか、そんな会話だった。
待合室で待っていると森先生に呼ばれ、「これから手術をしますから入院の手続きをして下さい」と言われる。予想はしていたものの、今日やるんだと自分に言い聞かせなければならなかったのを覚えている。

せっかく入院するのだからと個室に変更してもらい自分の時間と空間を確保して強がる。いよいよ手術。全身麻酔は使わないと告げられ、痛いのはいやだなぁと思いながらも段取りは進み、手術室へ。「私が執刀します」と入ってきたのが森先生と会話していた澤田先生。看護師に促されベッドに寝かされ頭を固定され。その上に重たくて分厚い感じのブランケット様のものが置かれた。右目の部分だけが開いているようで左目は何も見えない。頭は動かない。その間にもおびただしい量の消毒薬をかけられ、最後に目を閉じないようにまぶたを広げる器具が装着された。右目はまばたきができない。手術灯が点灯すると、視野全体を覆う黄土色の膜がパッと明るくなった。

これから何が起きるか全く想像できない。どんな痛みが襲ってくるのかもわからない。深呼吸してこれから起こるだろうことに備えているうちに、ある瞬間右目に痛みを感じた。小刀で指を切った時に感じる痛みのようではなく、頭の中まで到達しそうな勢いのある痛みだった。口を結び痛みに耐えながら、忘れていた2011年にやってもらった白内障の手術と同じ痛みを思い出していた。

<続く>

743-1
昨日の診察で澤田先生が
次は来年の1月で問題ないだろうと
目薬は続けるけどそこまで先延ばしできるということは
とりあえずの心配事はないとの判断だろう
細菌性眼内炎も終息に向かっているのだろう
もうすぐ3年
ひと区切りというところか

743-3
昨日眼科の受付に行くと
問診表を書くように言われた
コロナウイルス対策の一環のようだ
県外に行ったことを丸で囲んだら
何県に行ってどこを訪ねてどんな人とどんな形で会ったかを
かなり詳しく聞かれた



第472回 懐かしきスターレット

468-1
1984年
SCCA Run-Off が開催された
ロードアトランタのパドックで
後にこのスターレットを購入することになったGreg Hotzが
当時撮っていた写真をつい最近送ってくれた


1985年。SCCAクラブマンレースレース参戦4年目に向けて準備をしていた頃。子供を授かったことを知った。

ある日、トーランスの病院に行くと先生が言った。「トム、喜べ、ツインだ」。    一瞬絶句。
頭の中をいろいろな思いが駆け巡る。医療費の高いアメリカ。出産後に手助けしてくれる人のいない環境。展望が開けない。

わずかに、双子なら出産費用が倍にはならないなとよこしまな考えに救いを求めたものの、先生から告げられたのは「トム、お金はあるか? ツインの場合は余計に費用がかかるからな」だった。

2年連続でSCCAカリフォルニアチャンピオンを獲得していたからレース活動を続けるつもりだったけど、2年半の間毎回レースに付き合ってくれて、ラップタイムを記録してくれて、無線で叱咤激励してくれて、夏の暑い日にはトレーラーの中でそうめんを作ってくれた奥さんの一大事。男として腹をくくった。

持っていたトレーラーのロールスロイスと言われる45フィートのシャパラルトレーラーと日本のTRD綱島で作ってもらったスターレットを売却し、いったんレース活動を封印することにした。もちろん後悔はなかった。

今となっては懐かしい思い出。35歳になった息子達はアーバインで元気に暮らしている。



第471回 YRS鈴鹿サーキットドライビングスクール

sds
4月8日に開催する旨を告知したばかりですが
ここ数日の新型ウイルス感染者の1日増の数字をみると
事態が収束に向かう可能性は低いと考えられ
予定通り開催するのは難しいと判断するにいたりました
よって
5月11日(月)に開催を予定していたYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールは中止にいたします


既に、参加を申し込まれている方には別途メールで連絡いたします。