トム ヨシダブログ


第860回 記憶のかなたの7

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第832回 記憶のかなたの1
第833回 記憶のかなたの2
第839回 記憶のかなたの3
第846回 記憶のかなたの4
第857回 記憶のかなたの5
第858回 記憶のかなたの6 からの続きです

 

渋谷にあるレーシングクォータリーに着くと、シャッターが開いたそれほど大きくないガレージの中にフォーミュラカーのシャーシらしきものがおいてあった。そばでひとり黙々と手を動かしていたのがまぎれもない解良さんだった。何年ぶりだろう。

恐る恐る声をかけた。『あの~、昔原町で模型飛行機を一緒に飛ばしたことのある吉田ですが… 』。

チラとこちらを見た解良さん。ほどなくして思いがけない言葉が返ってきた。『吉田君じゃないか』。昔と同じゆっくりとした温和な話し方。10数年ほど前のことを解良さんは覚えていてくれた。思わず涙が出そうになったことを覚えている。

手を動かし続けていた解良さんが何かを探すそぶりをした。直感的にトーミリのスパナだと思った。手に取って差し出す、解良さんが『気が利くじゃない』と。ここまではかろうじてイメージが残っているものの、実際何を話したかは覚えていない。だが、解良さんが紹介してくれたおかげでレーシングクォータリークラブ(RQC)の事務局に潜り込むことができた。

クルマが好きなのは間違いなかった。ただ、どこへ行けばいいのかわからなかったけど解良さんを通してモータースポーツという道が目の前に開き始めた。このまま進むのがいいと直感した。

当時JAF公認クラブの中で唯一自動車メーカー系ではないRQCはオートスポーツ誌とタイアップして富士スピードウエイや筑波サーキットでレースを主催するかたわら、三栄書房と組んで東京レーシングカーショウも開催していた。解良さんはRQCが主催していたミニカーチャンピオンシップレースに出場させる軽自動車のエンジンを搭載したフォーミュラカーを作っていた。RQCでは実にいろいろなことを経験させてもらった。レースの主催、ライセンス講習会の開催、メカニック(の見習い)。ただのクルマ好きでは得られないような視点を身につけることができた。

RQCの事務局はいろいろと面白かった記憶がある。富士スピードウエイのレースでコースオフィシャルにお弁当を配りに行き有名な30度バンクが歩いては登りにくいほど急だったのを知った。筑波サーキットで開催するレースの宣伝にポスターを抱えて渋谷から電車を乗り継ぎ関東鉄道の宗道駅近辺に貼りに行った。初めて単線の鉄道を経験した。

その後、RQCは政治的な理由で身売りしたものだから、前々から誘われていた雑誌の世界に目を向けた。

レースレポートを書いてみないかと誘われてドライバー誌に記事を書くようになった。後に八重洲出版の嘱託になり企画を出したり「トムヨシダのレッツカート」という連載を2年続けた。星野一義さんにも連載してもらった。競合しない婦人画報社のメンズクラブ、双葉社のMr.ダンディ、山海堂のオートテクニック、三栄書房のオートスポーツには執筆し続けたので、取材を通して見聞は広がっていった。『トムヨシダのレッツカート』というレーシングカート界では初めての4色刷りの単行本を双葉社から出版した。

日本オフロードレース協会の事務局でレースの開催にも携わった。日本テレビの木曜スペシャルの企画にも携わった。大須賀海岸でバギーのジャンプ大会をやったり、筑波サーキットで10輪ダンプのレースをやった。桑島さんや木倉さん達のレーシングドライバーと本職の運転手の競争だった。勝負は本職の勝ち。本職は10輪ダンプをカウンターステアで乗りこなしていた。

1976年。前年の日本オフロードレースシリーズのチャンピオンの池沼純一さんに本場のオフロードレースに挑戦してもらうことになった。メキシコ領カリフォルニア半島のバハカリフォルニア地区の420マイルで行われたSCORE BAJAインターナショナルレース。事務局兼広報として同行することになった。

72年にギアレースの取材にマカオへ。ヨーロッパでF2レースに挑戦していた桑島さんの応援でしばらくイギリスに滞在したことはあるけどアメリカは初めて。   その昔。自分は乗れなくて悔しい思いをしたけど、幼いアメリカ人の子供たちが楽しそうに乗っていた屋根のないエンジン付きの自動車がある国へ行く。

 

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45年ぶりの再会
最近の解良さんは1時期日本のモータースポーツの華だった
GCマシンのレストアに取り組んでいる
ボクはと言えば
クルマを動かすことへの興味がが薄れず
自分の経験と知識を伝え残す作業を続けている



第859回 YRSオーバルスクールFSWの仲間

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今年2回目のYRSオーバルスクールFSW
走行開始直後はドライだったものの
しばらくしたら雨がおちてきて
練習にはなったけどウエットな1日

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いつも四国は高松から来てくれるIさん
ツーデーも鈴鹿もと嬉しい限り

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メガーヌⅢRSトロフィーからトロフィーR
いつも間にかウルティムに

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久しぶりのHさん
元気だったみたいで安心

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確かメガーヌRSでスクールに来たのはHさんが最初
2013年8月のオーバルスクールFSWと記録にある

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車名がいつもと違うから
朝一番で「乗換えですか」と聞くと
小さな声で「増車です」

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少しばかり性格の異なるクルマと
対話というか格闘というか

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ユイレーシングスクールに初参加のMさん
20年近くドイツ製の重たいダンナ車に乗っていたそう
A110は衝動買いしてしまったとか

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後期高齢者のMさん
ずっとお付き合いしますから
また走りに来て下さい

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スタッフFと愛車

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スタッフYと愛車

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ルノー・スポールとアルピーヌ
いいクルマです

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今回のYRSオーバルスクールFSWには
41歳から76歳までの平均年齢58歳の少年14名が参加

次回の富士スピードウエイ駐車場で開催するユイレーシングスクールは
8月23日(土)のYRSドライビングワークショップFSWです
開催案内はこちらからご覧になれます

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こんなクルマも参加していました
Sさんのランボルギーニ ウラカン
640馬力を8,000回転で生むNAエンジン
後輪駆動だから運転に油断はできない

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こんなクルマも参加していました
Nさんのマクラーレン Artura Spider
Nさんの2台目のマクラーレンはハイブリッド
独特の加速を見せます

 

ユイレーシングスクールでは7月24日(木)に筑波サーキットコース1000を終日使うYRS筑波サーキットドライビングスクールを開催します。コーナリングの練習から始めるのでサーキットを初めて走る方も安心して参加できます。
・YRS筑波サーキットドライビングスクール開催案内はこちらから


第858回 記憶のかなたの6

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第832回 記憶のかなたの1
第833回 記憶のかなたの2
第839回 記憶のかなたの3
第846回 記憶のかなたの4
第857回 記憶のかなたの5からの続きです

 

子供が乗れるエンジン付きの自動車を手に入れることができないとわかってからの日々を思い出すことができない。落胆の度合いが激しすぎたのだろうか。熱中していた模型飛行機を続けていればそれなりの記憶があるのだろうけどそれもない。おぼろげながら思い浮かぶのは、父親の転勤にともなって区立富士見台中学1年の冬に名古屋市立振甫中学校に転校してからのこと。
同級生に古田康基がいた。動くものが好きという点で共通していた。確か毎月古田がモーターマガジンを買って少年がモーターファンを買って交換して読み漁った。機械加工業の息子であった古田が2年の夏休みの宿題にオートバイを作ると言い出した。小遣いを持ち寄って鉄鋼所でパイプを組んでフレームを作り、リコイルスターター付きのピジョンの200㏄エンジンを積んで、土木用の1輪車のタイヤを取り付けて走れるようにした。担任の鶴田先生は、とんでもないものを作ったなと驚いていたけど、ほこりが舞い立つ校庭で走らせてくれた。

家業を継ぐ古田は東山工業高校に、少年は千種高校に進んだ。同級生に舘 ひろしがいた。高校生活が始まると、前から示し合わせてあったように週末は庄内川の自動車練習所、と言っても無人の教習用コースがあるだけだが、に古田の親父さんが運転するマツダB360に乗って通った。当時16歳で取得が可能だった軽免許をとるのが目的。決して巧くはなかったはずだが本物の自動車を動かせるようになり平針の運転免許試験場で試験を受けた。確か学科も実技も1回でパスした。遅生まれが幸いした16歳の5月のこと。
遅れて6月に軽免許をとった古田の周りには同級生が親のクルマを借りたり、先輩が自慢のクルマで乗りつけるようになった。たまにクルマを持たない少年にも運転させてくれた。ただし名古屋弁の「吉田~ぁ、下手だでかんわ」のクリティーク付ではあったが。

再び父親の転勤に付き合わされて高校2年の夏に熊本に移り住んだ。当時熊本には県立の普通科が2校しかなくしかも進学校。勉強が得意でない少年はバンカラが風を切っていた鎮西高校に転入した。名古屋では発売日に手に入った自動車雑誌が数日、遅ければ1週間遅れでしか店頭に並ばなかった。高校に上がってからサッカーに没頭していた少年だったが、鎮西高校にはサッカー部がなく雑誌もすぐに手に入らずクルマの虫が騒ぎ出したので、松橋の運転免許試験場に普通免許の実技だけを受けに行き一発で合格。夏休みを利用して熊本にやってきた古田とホンダレンタカーでS600を借りて阿蘇山の周りを走り回ったことが思い出される。あれは開放的だった。

しかし少年の周囲にはクルマと縁がない世界が広がっていて、名城大学交通機械科に入って鈴鹿サーキットでコースオフィシャルとして旗を振るようになるまで、どこで何をした、何をどうしたというような具体的なイメージを思い出すことができない。

だからコースオフィシャルはその頃の生きがいだったと言っても過言ではない。鈴鹿サーキットのフルコースのレースには全て参加した。一生懸命旗を振りコースを掃いた。1年もたたないうちに審査員室から丸見えの4番ポストの箱長(ポスト主任)に抜擢された。F2000レースに参加していたレーシングドライバーが走り方を聞きに来た。手が届くような目の前を全開で走り抜けるレーシングカーの動きを観察できたことは、クルマが速く走るためのメカニズムを理解するのに役った。

ある日。たまたま目にしたオートスポーツ誌だったか。東京の渋谷のフォーミュラカーを作っているガレージを紹介していた。よく目を通すとあの解良さんが写っているいるではないか。目の前がパァーッと明るくなった。あの模型飛行機の解良さんがレーシングカーを作っている。その日の夜、バスに乗って東京に向かった。

将来自動車関係の道に進もうと選んだ大学だったが、時は大学紛争真っただ中。ストや閉鎖など、将来を描くために机に向かう気を殺がれる毎日を送っていた。東京へ向かうバスの中で大学を辞めることになるなと思ったのは自然な流れだった。

昨年の暮れ。FBで交流はあったものの、実際にお会いするのは45年ぶり。それでも解良さんは、その昔少年が当時渋谷にあったレーシングクォータリーを訪ね再会を果たしたことを覚えていてくれた。2度目の再会だった。

<続く>



第857回 記憶のかなたの5

第832回 記憶のかなたの1
第833回 記憶のかなたの2
第839回 記憶のかなたの3
第846回 記憶のかなたの4 からの続きです。

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少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープが頻繁に走っていた。それ以外クルマと言えば八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを見かけるほどだったが、自動車は少年の心に大きな影響を与えていた。

 

圭ちゃんと解良さんの後について居住区に向かって歩いていると、白い壁の目立つ宿舎の向こうから、ダッ、ダッ、ダッというエンジンの音が聞こえてきた。

飛行機が展示してある立川飛行場のエプロンは、たくさんの人でごった返しざわめきこそ他所ではありえないほど大きなものだったものの、発動機の音は皆無だったから低音の排気音は間違いなく居住区からのものだった。歩いて行くとかなり大きな空間が広がっていた。そこには周囲を芝生で囲まれたアスファルトのコースがあった。見た感じでは運動場のような楕円形をしたコースのようだった。
見たこともない景色を目の当たりにした少年をさらに驚かせたのは、そのコースを屋根のない小さな自動車が何台も走り回り、それらを運転しているのが少年と同じぐらいの子供たちだったこと。

「なぜ?」、「なんで?」少年には小さな自動車が走り回っているのはもちろん、それらを操っているのが自分と同じ子供だということが信じられなかった。そこが米軍基地で日本の日常とは異なるということが少年には理解できていなかった。ただただ同い年ぐらいの子供が、ふつうは大人が運転する発動機つきの自動車を操っていることが信じられなかった。

戸車をつけたリング箱で自動車という乗り物に近づいたという感覚は抱いていたものの、目の前に広がる光景は少年の意識をいっきに本物の自動車に向かわせるのに十分だった。その日、少年は家に帰るなり年上のいとこ連中にお願いして、なんとかあの子供が乗っていた小さな自動車の正体をつかもうとした。少年は猛烈に欲しいと思った。寝ても覚めてもどころの話ではなかった。もはやあれほど熱中した模型飛行機も眼中になかった。

いとこがどうやって調べてくれたのかは記憶にないけれど、立川基地で見た少年が乗り回していた発動機付き自動車がアメリカ製で、横浜にあったミゼッティ工業という会社が輸入していたことを突き止めてくれた。

買おうと思えば買えた。ただし価格が当時の父親の月給の6倍ちかく、34万円もしたことは今でも覚えている。つまり、あの自動車は立川基地内のアメリカ人向けであって、日本人が購入するということは非現実的だった。少年の夢は一瞬にしてついえた。

しかし、この日の出来事は少年にアメリカへのあこがれを植え付けた。

 

アメリカの自動車雑誌を取り寄せてアメリカ独特のモータースポーツについて少しでも知識を広めたいと思っていたある日。あの日立川飛行場で見た幼い子供が操る屋根なしのクルマの正体がクォーターミヂェットと呼ばれるれっきとしたレーシングカーであることを知った。インディアナポリス500マイルレースを走るチャンプカーを頂点としたオープンホイールレーシングの裾野であることもわかった。

【参考】
・クォーターミヂェット オブ アメリカ
・クォーターミヂェット ウィキペディア
・立川基地三軍統合記念日基地公開 1960年5月21日(土曜日)、22日(日曜日)

解良さんとの出会いがボクの人生を決定づけたと言っても言い過ぎではない



第856回 通算82回目のエンジンドライビングレッスン

今回も嬉しいことに初めてエンジンドライビングレッスンを受講される方が10名。3月も10名の新規参加者があったから、「所有欲から使用欲への転換」がテーマのエンジンドライビングレッスンの裾野が広がりつつある。
参加者が30名、編集部からの参加が3名。計33名の20歳から71歳まで平均年齢56.3歳の青年が愛車との対話を楽しみました。

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朝一番の編集長の挨拶
エンジンドライビングレッスンを開催する目的を改めて説明
 
そのさなかにおどけるKさん
Kさんが初めてエンジンドライビングレッスンを受講したのは2004年4月
以来エンジンドライビングレッスンは60回参加
ユイレーシングスクールのオーバルスクールやツーデースクールにも来てくれました

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午前中はジムカーナ場にコーンで作ったオーバルコースで
イーブンスロットルとトレイルブレーキングの練習
午後は筑波サーキットコース1000に移動してできるだけ速く走ります
 
走行が終わって記念撮影
全員が笑顔・笑顔・笑顔

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サーキットを走ったことのない方も
エンジンドライビングレッスンが初めての方も
エンジンドライビングレッスンに20年以上通っている方も
1日でみなさんそれなりにドライビングポテンシャルの向上が見られました

 

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季節は春から初夏へ
スタッフのユニフォームを作ってみました
胸に蛍光イエローの刺繍を入れたバーガンディーのポロ
 
息を止めてお腹をへこましてるのはOさん

 

今年のエンジンドライビングレッスンは残すところあと1回。10月2日(木)に開催します。スロットルペダルを床まで踏んだことのない方は、ぜひ所有欲から使用欲への転換方法を体験してみて下さい。



第855回 好物

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産地によって旬が異なると聞いてはいたけど

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好きなものは好きとばかりに
自分の誕生日祝いに

 

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ご馳走さまでした



第854回 OさんとIさん@YRSツーデースクールFSW

少しばかり?前のことなのだけれど。

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3月22日
朝6時16分
御殿場市山の尻から富士山を仰ぐ
2025年春のYRSツーデースクールFSW1日目

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メガーヌRSを駆るOさんが
スラロームの1本目に向かう

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ウルティムに乗るIさんが
4コントロールを駆使して
スラロームを駆け抜ける

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スラロームを駆け抜けるOさんのメガーヌRS

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スラロームを駆け抜けるIさんのウルティム

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Oさんと愛車のOさんスペシャルメガーヌⅢRS

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Iさんと3台目のメガーヌRS
メガーヌⅢRSシャーシカップから
メガーヌⅢRSトロフィーRへ
そしていつの間にかメガーヌRSウルティムに

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YRSツーデースクールFSWの特長はとにかくたくさん走ること
加えてミーティング=アドバイスの多さ
 
1日目午前中は広大な駐車場で
スラローム走行とブレーキング練習2種類
午後はオーバルコースを走りっぱなし

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YRSツーデースクールFSWの2日目は
ショートコースのコース歩行から
走行上の注意点を自分の足で確認
 
朝が早いので影も長く

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初めてユイレーシングスクールに参加する方と
初めてサーキットを走る方を優先に
リードフォローで1周のリズムをビルドアップ
 
リードフォローに次いで同乗走行
その後3グループに分けて短いセッションを繰り返し
午前1回午後2回の計測を

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この日はメガーヌRSウルティムの試乗会を併催
2台のウルティムを用意して
スクール参加者にウルティムの走りを味わってもらった

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ウルティムが5%下り勾配のストレートを駆け下る

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ウルティムが1コーナーをクリアし
2コーナーから8%登りのヘヤピンを抜ける

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試乗を終えたスクール参加者は
口々にウルティムに乗った感想を

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2日間のスクールが終わり帰途へ
 
3月23日
午後5時31分
FSWから富士山を仰ぐ
 
富士山の頂きにひと筋の飛行機雲が

 

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YRSツーデースクールFSW前の燃料補給
今回は御殿場ICにほど近い大和田さんへ

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今回も美味しくいただきました

 

ユイレーシングスクールはサーキットを走行するカリキュラムでは周を重ねるごとにラップタイムを短縮するような走り方の構築を勧めています。いきあたりばったりの運転やall or nothingの走り方では操作が身体に馴染まないからです。計測周の最後にベストラップが出るのが理想と伝えます。もちろんそのために途中のアドバイスも欠かしません。

今回ユイレーシングスクールに参加するのが初めてで、サーキットを走ったことのないIさんが、その教えを具現化してくれました。Iさんは午前中に計64周、午後1回目に計44周、午後2回目に計48周と計測周だけで156周、全参加者のうちで最もたくさん周回しました。しかもベストラップを午後2回目の48周目、つまりこの日走った156周目にたたき出したのです。スクールをやっていてこれほど嬉しいことはありません。Iさんが乗っているクルマの絶対的な速さから見ればあと1秒強縮めることが理想ですが、Iさんなら間違いなくできるはずです。

YRSツーデースクールFSWは運転操作が自然に身につくようにカリキュラムを組んでいます。サーキットを走ったことのない方もサーキット走行のベテランにも有効な内容です。
ユイレーシングスクールではYRSツーデースクールFSWを年2回開催していますが、今年2回目の秋の日程が決まりました。11月1、2日の土日に開催します。参加申し込み受け付けは9月初旬を予定しています。運転で次のレベルへと考えられている方は、ぜひ参加を検討してみて下さい。



第853回 Kさんの場合

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Kさんは今年2月のYRSドライビングワークショップFSWに初めて参加してくれた
当日はウルティムの試乗が並行して行われていてドタバタ
初めて参加したルノー仲間にお願いする感想文のことを失念
 
YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールにも参加してくれたので
改めて感想文をお願いした

 

昨年2時間程鈴鹿サーキットを走りましたが、闇雲に走る事に怖さを感じ始めました。その前後に何度か鈴鹿でスクールの様なものには参加しましたがどう走ったら良いかは掴めませんでした。
そこで雑誌「エンジン」で時折記事を拝読していたYRSにお邪魔しました。2月のFSWでのオーバルは楽しく無意識にコーナーの走り方が身に付く様な気がしました。当日は快晴で富士山もとても美しく最高の気分で帰路につきました。
先生の教本にある「楽しく安全に速く」が実現出来たらと思いますが、今回の鈴鹿では他の皆さんの速さにとてもついていけませんでした。
今後また漠然とサーキットを走るしかなく、どういう事に気を付けたら(練習をしたら)良いのか教えてもらえる機会がもっとあればと思います。

 

関西にお住いのKさんは簡単にはFSWや筑波には来られないかも知れないから、サーキットを走る上でのアドバイスをメールでしようと思います。

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半径22m直線60mのYRSオーバルFSWで
Kさんを横に乗せてKさんのクルマで
イーブンスロットルとトレイルブレーキングのデモラン

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YRSオーバルFSWでKさん自身がイーブンスロットルを実践します

 

Kさん 機会があればまた遊びに来て下さい。



第852回 ルノー仲間@鈴鹿サーキットレーシングコース

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2025年YRS鈴鹿サーキットドライビングスクール開幕
ピット前に整列した30台の参加車と
リードカーを担うメガーヌRSウルティム
 
ピットの作業エリアには
2週間前のF1日本GPの名残り
太い黒々としたブラックマークが

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ルーテシアⅣRS シャーシカップに乗るNさん
22年春のYRSツーデースクールFSWに初めて参加してくれて
最近では3月に開催したYRSドライビングワークショップFSWにも
 
Nさん初参加の時のユイレーシングスクール感想文はこちらから

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2.8%の下り勾配のストレートを駆け抜けるNさん

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メガーヌⅣRS トロフィーに乗るTさん
メガーヌⅢRSから乗り換えたのを機にユイレーシングスクールに
昨年8月のYRSトライオーバルスクールFSWに初めて参加してくれて
昨年9月のYRSツーデースクールFSWにも参加してくれた
満を持しての鈴鹿サーキット
 
初参加の時にユイレーシングスクールの感想文を寄せてくれました

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2.8%の下り勾配のストレートを駆け抜けるTさん

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2018年春のYRSツーデースクールFSWに初参加のIさん
メガーヌⅢRSからメガーヌⅢRS273トロフィー2へ
その後メガーヌⅢRSトロフィーRに乗り換えて自慢していたのに
今年3月のYRSツーデースクールFSWにメガーヌRSウルティムで現れた
根っからのメガーヌRS乗り
 
2018年のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールでのIさん

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2.8%の下り勾配のストレートを駆け抜けるIさん

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今年2月のYRSドライビングワークショップFSWに初めて参加してくれたKさん
YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールにも参加してくれた
 
ただうかつにも感想文をお願いするのを忘れてしまった
Kさん改めて連絡いたします

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2.8%の下り勾配のストレートを駆け抜けるKさん

 

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鈴鹿サーキットを走ってもらうのに1時間じゃ短いから
2時間は走ってもらいたいけど
煮詰まっても困るから鈴鹿サーキットに無理を聞いてもらい
間にインターバルを入れてもらい今年は1時間半
 
セッション1についてのアドバイスを兼ねたミーティングの間に
熱くなったクルマと頭を冷やします

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2台で1つの広いピットの贅沢
計測結果とコース際の外撮り映像が流れています

 

当日の様子を動画でもご覧になれます。以下、順にビデオ1(セッション1の慣熟走行でストレート通過)、ビデオ2(セッション2の慣熟走行終了でピットイン)、ビデオ3(慣熟走行1周目を2コーナー外側から)、ビデオ4(2コーナー外側からフリー走行1周目)。ビデオ3と4はポルシェGT3で参加されたIさんの奥方が足を延ばして撮影してくれました。

今回も年に1度YRS鈴鹿サーキットドライビングスクールでサーキットを走られる方が数名おられました。それだけモータースポーツの聖地を安全に速く走る努力をするということは価値のあることだと思います。クルマの動力性能の差、運転技術の差があっても一生懸命さはみな同じです。ユイレーシングスクールとしてはクルマの動かし方の成熟度を確かめるためにも鈴鹿サーキットレーシングコースを走ることをお勧めしています。

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2026年のF1カレンダーが未定なので正確な日程はわかりませんが
来年も4月に卒業生を対象としたYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを開催します
既に鈴鹿サーキットには申し入れ済みです
 
ユイレーシングスクールを未経験の方はぜひ
ユイレーシングスクールかエンジンドライビングレッスンを受講の上で
来年のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールに参加して下さい



第851回 YRS鈴鹿サーキットドライビングスクール

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ピットには黒々としたブラックマーク
F1日本GPの残り香漂う鈴鹿サーキット
恒例のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを開催
34歳から81歳まで平均年齢59歳の青年30人が
心行くまでモータースポーツの聖地を堪能しました

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