トム ヨシダブログ


第74回 人の振り見て

ある事情で30分ほど時間をつぶすことになった。次の用事を先に片付けてしまうには時間が足りないし、その日はノートパソコンを持って出なかったのでデータの整理もできず、そこで待つしかなかった。

そこは4階と5階が駐車場になっているスーパーマーケット。駐車場にはひっきりなしにクルマが入ってきては出ていく。日影なのだがクルマが発する熱のせいだろう、どんよりとした暑い空気があふれている。
買い物をする予定はなかったのだがせめて涼しいところで待とうと歩き出したのだが、脇をかなりの速度で通り過ぎる1台のクルマを見ているうちに考えが変わった。ここはひとつ、暑いけれど駐車場を走るクルマを観察する時間にしようと。

今から40年以上前のことなのだが、鈴鹿サーキットの1コーナーのポスト長として旗を振っていた時。30m先を時速270キロからターンインするレーシングカーの走りを見ながら「速いクルマの動き」を観察することができた。

4番ポストは1コーナーに向けてターンインする場所にあり、2コーナーに続く半径のより小さい3コーナーまでが守備範囲。その先は3コーナーにある5番ポストの受け持ちだった。
当時、改修前の鈴鹿サーキットの1コーナーと2コーナーの間には短いけれど明確な直線があった。3コーナーまでをひとつのコーナーと考えることもできるが、ほとんどのドライバーは1コーナーのターンイン後に加速していた。で、2コーナー手前で再度ブレーキングする。
速いドライバーは1~3コーナーも速かった。しかし走り方は同じでもクルマの動きはドライバー毎に異なっていた。1コーナーにとんでもない速度で飛び込むドライバーがいると思えば、2コーナー手前のブレーキングが誰よりも早いドライバーもいた。
マシンはあっと言う間に3コーナー先のガードレールの影に消えていくから、ほんの数秒の間に走り方の違いを見つけることは簡単ではなかった。それでも耳と目でイメージを造ることができるようになってからは、わずかな差を見つけることができるようになった。クルマが高速で移動する時に理想とする動きを、連続的に捉えることに慣れることができるようになった。

今から30年以上前のことなのだが、同じクラスのレースに参加するドライバーが「有料の練習」をしているのを目を皿のようにして見ていた。タイヤ代にも事欠く我がチームは事前の練習に使う予算がなかった。

しかし、それが良かった。練習する時間はなくても、同じような性能のクルマが速く走ろうとする時にどうあるべきか理解が進んだ。
あるドライバーは4速全開のコーナーにノーブレーキとも思えるほどの速度で進入していた。しかし、彼はその登っているコーナーの脱出は速くなかった。サーキットのコーナーの数は限られている。全てのコーナーで観察することも不可能ではないが、速く走る時にキモとなるコーナーに重きをおいた。
あるドライバーは下りきったところにあるヘアピンコーナーで、自分の想像を超えるほどの減速をしていた。減速は速さに逆行するといぶかしがった記憶があるのだが、実際にはそのドライバーが続くストレートでの到達速度が速かったことでブレーキングのもつ意味がわかった。
どうするとどうなる、ああするとああなる、こうするとこうだ、という因果関係がわかってくると、自分で走り出した時にやるべきことが見えるようになった。

自分にとって観察は先生を探す手段だった。何度も何度も見ているうちに、もちろん先生足りえる場合とそうでない場合があったのだが、徐々にそこであるべき姿が見えるようになる。あるべき姿がわかっていれば、それに足りないか足りているかが瞬時に判断できるようになる。同時に自分がすることを俯瞰できるようになる。観察することは、それが人の運転であれ自分の運転であれ、実際に練習をするのに等しく重要だと思ってきた。

さてさて。その駐車場ではさまざまな運転が繰り広げられていのだが、残念なことに「先生足りえる例」にはお目にかからなかった。
※絶対に真似したくない例
・進路を逆走するクルマ
・後続車が待っているのに通路の真ん中に止めて家族を待つクルマ
・一旦停止の標識があるのに止まらずに速度さえ落とさないクルマ
・携帯電話をしながら片手運転で坂を登ってきたクルマ
※もう少し運転に興味を持ったらもっと安全に走れるのに、と思った例
・ステアリングの初期にいっぱい切るから内輪差が大きく柱にこすりそうなクルマ
・同乗者と会話している時に相手の顔をみてしゃべっている人
・遠くを見ていないから先の状況を把握するのが遅れる人 等々

十人十色と言うし、みんな運転免許は持っているはずだから、いろいろなスタイルがあってもいいのかも知れないが、安全に対する配慮だけは欠かしてほしくないものだ。

ユイレーシングスクールでは全てのカリキュラムにリードフォローを組み込んでいる。インストラクターが運転するクルマに車間距離5mでついていくというものだ。
参加者には事前にこう説明する。『とにかく習うより倣えです。自分であれこれ考えないで、とにかく前のクルマの真似をすることだけに集中して下さい』と。

もうひとつ。スクールの最初に『自分の番ではない時は人の走りを見て下さい。初めはわからないかも知れませんが、慣れれば中の人が何を考えどう操作しているか想像できるようになります』と、観察眼を養うことの大切さを説くことにしている。


第73回 人かクルマか

まったくもって個人的な意見ではあるのだが、昔から「クルマより速く走れるようになりたい」と思ってきた。

正確に表現するのは難しいが、要は、『クルマの性能を余すところなく発揮できる運転技術を身につけたい』といつも思っていた、ということになろうか。
アメリカでレースをやっていた時も、勝敗を度外視して走っていたわけではないが、常にクルマの性能を十分に引き出すことをテーマにしていた。

そんな、思想と言ったら大げさだけれど、そんな考え方は米国ジムラッセルレーシングスクールの創始者であるジャック・カチュアの説くドライビング理論と通じるものがあった。ジャックは3日間のスクールの冒頭で、「クルマの性能より速くは走れません。クルマの性能より速く走った人もいません。まずクルマも性能をどうすれば引き出せるかを考えて下さい」といつも言っていた。
だから、日本語クラスを作ってほしいともちかけたのは、スキップバーバーレーシングスクールではなしにジムラッセルレーシングスクールだった。

時は移り1990年代後半。日本ではクルマが速ければ速く走れるという考え方がサーキットに蔓延していた。ジャックが知ったら眉をしかめる状況だった。

だからユイレーシングスクールが誕生したといっても過言ではない。
だから、端的に言えば、ユイレーシングスクールが掲げたテーマは『道具に頼らず自分の速さを追及しましょう』だったし、14年目の今も同じ。
だから、速く走るための必須アイテムだと誰もが思っているSタイヤは、当時からご法度だった。禁止とは言ったことがないけど、雰囲気をさとってくれたのだろうか、今までSタイヤで参加した人は10人もいない。

『クルマの性能を高めれば速く走れて当たり前。クルマにつぎ込む余裕があるのなら自分に投資してクルマととことん付き合って下さい。運転は一生モノです』なんて面倒くさいドライビングスクールだからか、参加者の4割近くは全くのノーマル。極端に改造したクルマで参加した人はいない。

7月のある日。そんなSタイヤに縁のなかったユイレーシングスクールがついにSタイヤがテーマのプログラムを実施したのだから、常連から「宗旨変えしたのですか?」と問われる始末。そうではなく、ある卒業生がタダでSタイヤを手に入れたことがことの発端。
とにかく、YRSオーバルレースでブイブイ言わせている常連にしてもSタイヤ経験者はいない。ならばみんなで味見するのが良かろうと、有志に協力してもらい1台のロードスターにラジアルタイヤとSタイヤの両方を履かせ、乗り比べをすることになった。

その時の車載映像がこれ。

味見をした後の感想はというと、「転がり抵抗が大きいから無条件に速いということはないね」、「Sタイヤは美味しいところがどこにあるのかわかりづらいな」、「速く走るためにどうしても必要ってことはないよね」、「割高でライフの短いSタイヤの費用対効果って疑問だな」等々。ジャックが聞いたら喜びそうだな、と思ったものだ。


第72回 トゥィンゴ ゴルディーニ RS 舞う

ちょっと残念なことがふたつある。

ひとつは、「このアングルから撮ればトゥィンゴRSの粘っこい足の動きがわかるよね」と期待していたのだが、撮影当日が昼間だというのに雲に覆われて暗かったせいか、タイヤの踏ん張りもあまりわからず終い。編集時に画面を明るくしてみたのだけど、確かに足の動きはわかるようになるものの、他の部分が飛んでしまって断念。結局「照明が必要かな?」と再挑戦を決意したこと。

もひとつは、レヴ トゥー ザ リミットの時にインテークマニホールドから音を拾ったのだが、少しばかり機械音がやかましかった。それで、マイクに防音を施し「今度こそ」と期待していたのだが、アメリカ製の古いICレコーダーが機嫌を損ねてオーディオファイルはなし。しかたがないので有料の音楽でごまかしたこと。

そんな少しばかり欲求不満なビデオがこれ。

それでも、絵的には面白い迫力のある動画が撮れたと思うのだが。

※ 吸気音も排気音もないので想像しがたいですが、コーナリングスピードに勝るツーシーターのカメラカーに追い立てられていたので、実は、かなり全開で走っています。