トム ヨシダブログ


第812回 視線と視野

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昔から
どんな場合で
最右車線を走り続けることはない
その必要も感じない

 

高齢者の逆走が頻繁に起きているからか、ドライブレコーダーが普及したからか、ニュースで逆走しているクルマの映像が流れることを目にする機会が増えた。

逆走は交通体系を根本から覆すものだから、してはいけないし防ぐための対策も必要だ。しかし個人的にニュースを見て暗澹たる思いになるのは、高速道路で逆走車を避けたクルマの動きだ。幸いにして事故にはいたらなかったようなのだが、手放しで喜んでいいものでもない。

まず走行車線にクルマがいないのに追い越し車線を走り続けているクルマが多い。逆走車の運転手は自分にとっての走行車線を走っていると勘違いしている可能性が高いのだから、逆走車が向かってくるのは順送車の追越車線。追い越し車線の走行は必要最低限にするべきだ。

次に追越車線(逆走車にとっての走行車線)を向かってくるクルマを認識して回避するタイミングだ。定点カメラは焦点距離が長いからよせ効果で一概に距離感を断定することが難しいけれど、いくつか見たニュースでは追い越し車線を走るクルマが直前まで回避行動をしていないように見える。どこを見て、何を視界に入れて運転しているのか疑いたくなる。自分に置き換えた場合もそうだけれど、もっと早い時点で逆走車を認識してもよさそうにと思う。

ニュースではわざと逆走する人もいると言っていた。言語道断だけど逆走するクルマが現実にいることには変わりがない。それでもクルマを運転するのだから、クルマの動かし方を再考して、どう運転すべきなのか熟慮する必要があるのではないだろうか。

ある意味クルマの運転がどんどん楽になったから、そして運転する側の認識が薄っぺらくなってもクルマを動かすことができるから、逆走が起きるべき事象として起きているのならば、これほどやるせないことはない。

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どこを見て運転しているか
 
正確に表現しようとするならば
どこも見ないで運転している自分がいる
 
あなたは
どこを見て何を見て
運転していますか

視線:眼球の中心点と見る対象とを結ぶ線で目で見る方向
視野:一点を凝視したときに見える外界の範囲

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先週末開催した
ポルシェクラブ東京銀座から委託されて開催している
ドライビングレッスン
今回で12回目
次回は12月
FSWショートコースで開催します

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掛け値なしに言って
会員のみなさん
すごく上手くなりました
クルマさんも間違いなく喜んでいるはずです。

 

※ 走行中の画像はウェアラブルカメラで撮影したものです



第677回 視界

1979年にアメリカに渡り、日本にいてはできないような仕事を広範囲に渡ってさせてもらってきた。例えば日系メーカーのモータースポーツ部門を立ち上げたのが2社。公共放送で6年間デトロイトモーターショーのコメンテーターもやった。アルミホイールメーカーの商品開発もやった。インディカーレースを日本に招聘する交渉役もやった。コマーシャルフィルムのドライバーをやったのは1度や2度ではない。ジムラッセルレーシングスクールで日本語クラスを創設しインストラクターもやった。でもこれらはごく一部。まだまだあるけどとてもここでは全てを書ききれない。
2017年に永住権を返納するまで40年あまり、日米をちょうど100往復した記録がある。今思えばアメリカでの経験は本当に得難いものだった。その経験を活かして自分のクルマ人生を集約しようと1999年暮れに始めたユイレーシングスクールも24年目を迎えている。これだけ長く同じことを続けたことはなく、スクールの合間にアメリカ時代に経験した類い稀な思い出がよみがえる。歳のせいか。 (笑) ほとんどが楽しかったことや嬉しかったことなのだけど、実はあの時ほど悔しくて情けなかったことはないという 『1日』 もある。我が人生で最大の汚点、と言っても過言ではない。

アメリカに仕事を求めたのには他にも理由があった。中学生のころに貪り読んでいた自動車雑誌に載っていたアメリカのモータースポーツに直に触れてみたいというのもあったし、クルマが好きというより運転するのが大好きだったから、日本人では誰も乗ったことのない速いクルマに乗りたいと思っていた。
ある日フロリダにあるフランク・ホウリ―・ドラッグレーシングスクールのスーパーコンプ・コースに申し込んだ。ゼロヨンを9秒台で走るいわゆるレールというマシンのクラス。座学に始まって反射神経の計測とかコクピットドリルが終わりスタートの練習になったのだけど、リアタイヤをホイールスピンをあまりさせないようにスタートの練習をするうちはまだよかった。ところが純ドラッグレース用のマシンはリアタイヤを派手にホイールスピンさせないと速くは走れない。ATトランスミッションがエンゲージした瞬間、リアタイヤが倍ぐらいの直径になったシーンを見たことがあるだろう。間近で見るとタイヤのサイドウォールに皺がよっているのがわかるほど。ロケットスタートの秘密。
しかし、しかし。ボクはスロットルを瞬時に全開にすることができなかった。おそるおそる開けようとすると、開け方が中途半端なのでリアタイヤがホイールスピンしない。しないから後輪が路面を捕まえて前輪が浮いてしまう。コンクリートウォールに挟まれたドラッグストリップ。どっちの方向に飛んでいくのかわからない。NASCARストックカーでもIMSAのGTPマシンでもそれなりに乗りこなしてきた自負はあるものの、次に何が起きるのか想像できない。生まれて初めて運転で身体がすくんだ。これはやってはいけない、と理性が語りかける。大げさではなく、クルマの運転で初めて自分にできないことがあることを自覚した。同時に受講していた人達はドラッグレースの経験者ばかり。できて当たり前。はでなスモークを上げてタイムを競っていた。乗りたいというだけで申し込んだ自分の判断が無謀だったことを痛感した。フランクにリタイヤする旨を告げ、傷心のうちに西海岸行きの飛行機に乗った。飛行機の中でもう1度自分の運転を見直そうとしみじみ思ったものだ。

けれど負け惜しみではなく、収穫がなかったわけではない。

座学でフランクの言った「運転は芸術だ」という言葉。運転の極意は無意識行動で操作ができるようになることだとも。それでなければドラッグスターは乗りこなせないと。ジムラッセ・レーシングスクール・カリフォルニアのジャック・カチュア校長も同じようなことを言っていたけど、目指すのはそこなのだろう。ただ運転するのではなく、どこへ向かおうとしているか、より深く考えるようになった。どうすればその域に到達できるかずっと考え続けてきた。身の回りにその域に達するためのヒントがないか、ずっと探し続けてきた。むろん今もだ。

ある日のこと。公道をかっ飛ぶラリーにはあまり興味がないのだけどWRCの動画を見ることがあって、目が釘付けになったことがある。現在はトヨタのドライバーで今年ランキング3位につけているエルフィン・エバンスの車載映像だった。これを芸術と言うのだろうか。 目からの情報がどうやって、どんな経路をたどってあのような速さで手足を動かしているのか想像できない。あの狭いダート路を思い通りにクルマを動かせるのかも、自分の経験からは推し量れない。あの日と同じ。口は開いたままだから身体は緊張していないはず。無意識行動だからこうしたいと思う通りに自然と身体が動くのか。

  果たして、彼の視界には何が映っているのだろう。
  どこにも焦点を合わせず、口を開けて脱力して無心に走ってみれば想像できるのかも知れない。

 

運転しているWRCドライバーの映像をYoutubeで探してみてはどうですか。現在ポイント1位のカッレ・ロバンペラ21歳のドライビングも運転という枠に収まらないほど刺激的です。

動画はWRCオフィシャルサイトから