
クルマはますます大きくなり続け
どんどん豪華になり速くなり
おせっかいを焼きたがるようになった
しかしクルマはいつの時代も人間の良き相棒だ
相棒だから一生懸命付き合わなければならないと思う
ユイレーシングスクールの主宰者として、個人的にはクルマはかけがえのない相棒だと思っている。何よりも高校1年の春に軽免許をとって全長3m、排気量360ccの自動車を公道で運転した時だった。間違いなく世界が変わったことを気づかされ、さらにクルマは人間に自由と時間を与えてくれる『人間能力拡大器』だ、一生付き合っていくべき対象なんだと確信した。

以来60年。クルマを相棒として尊敬の念を抱き、相棒とどうやってうまく付き合うかを考え続け、サーキットを走ればまだまだ速くなり、76歳になっても運転を楽しんでいる自分に気づき、改めてクルマの存在をいとおしく思っている。
だから、もっともっとクルマを上手に動かしてあげたい、クルマの性能をキッチリと使ってあげたいという思いが強い。
だから、ユイレーシングスクールに来る人達にももっとクルマを好きになってほしいと思う。
だから、クルマさんと付き合ううえで大切なことを話しておきたいと思っています。

世の中には様々な道具がある。包丁のような単純な道具から、高度で複雑な技術で作られたクルマまで、基本的に人間の営みを豊かにするために道具は生まれてきた。ただ、どんな道具にも使い方がある。使い方を間違えれば道具はその機能を発揮することができないばかりか、人間に牙をむくことさえある。
みなさんは包丁でモノを切る時に引いてきりますよね。なぜ引いて切るほうがよく切れるか想像したことがありますか。
刃物の刃は薄いほうがよく切れるのは広く知られています。しかし包丁の耐久性を考えるとある程度の刃の厚さは必要です。そこで薄くはない刃のついた包丁を引くことで、『人為的に』包丁の刃の厚さを薄くしているのです。包丁の刃の厚みが薄くなるわけがないと思う方は、2011年1月にアップした ルノー・ジャポンの公式ブログ「第6回 道具を使う」 を読んでみて下さい。

みなさんは小学校の手洗い場に並んでいる蛇口から水が滴り落ちているのを見たことはありませんか。おおかたは水が落ちてないのに、中には滴り落ちている蛇口がある。そんな光景です。
たくさんの子供が開け閉めする蛇口ですが、子供が蛇口の使い方を知るよしもありません。今はカートリッジタイプの蛇口が増えたので水漏れは少なくなりましたが、パッキンを使っている蛇口は漏水と背中合わせです。ではどうすればパッキン式の蛇口を長持ちさせることができるのでしょうか。これも道具の使い方の一つです。
水を止めるために蛇口を思いっきり閉めるのは間違いです。いったん蛇口を閉めて水を止めるのはかまわないのですが、その時に力が入りすぎてパッキンを必要以上につぶしている可能性があります。パッキンはつぶれることを繰り返しているうちに厚みがなくなり水を完全に止めることができなくなり、結果として水が滴り落ちることになります。正解は、いったん水が止まったら水が蛇口から漏れる寸前までハンドルを戻す、ことです。
意識してハンドルを戻そうとすると手間はかかるかも知れません。ですが、パッキンがつぶれないように閉めるのが正解だと理解していれば、そのうちに必要以上の力で閉めることはしなくなります。

クルマも運転も同じです。道具としての包丁や蛇口とクルマには大きな開きがありますが、使い方を間違わなければきちんと機能してくれる道具です。ユイレーシングスクールは道具の使い方としての操作を理論的かつ合理的に理解してもらい、それらをたたき台に反復練習できる機会を設けています。全ては道具としての相棒であるクルマさんに気持ち良く走ってもらうためです。
みなさんもぜひユイレーシングスクールに遊びに来て下さい。真剣に遊ぶ方法をお教えします。
なかなか減らないどころか、増えそうな勢いのペダルの踏み間違いによる事故。最近驚くのは踏み間違いをするのが、いわゆる後期高齢者とは限らないこと。何が起きているのか。運転という行為が軽んじられる風潮がなければいいと思うのだけど。
そこで、2019年8月10日にブレーキペダルの踏み方について、提言というわけではないけれど、以前ユイレーシングスクールのサイト内にあるYRS PAGESに書き込んだものを改めて転載したいと思います。

先日来、ルノー・ジャパンのブログで「ブレーキペダルとかかと」というテーマで数回アップしました。スロットルペダルとブレーキペダルの踏み間違いによる事故が続発していたのを受け、ユイレーシングスクールで教えているように、かかとをつけたままペダルを踏みかえれば防止できるのではと提案したのがきっかけです。
最初に第385回 右足の動かし方 について提案。
それを読んだ卒業生とスタッフ数名から、「教習所ではかかとを浮かせてブレーキペダルを踏め」と教えていますよとの情報。 ボクは軽免許も普通免許も教習所には行ってないので何を教えているかも知らない。だから『 エッ ! 』 だった。
それで、いくらなんでもそれはおかしいだろと、 第398回 衝撃の事実 をアップ。
でも待てよ、ひょっとするとかかとを浮かすのに肯定派の人もいるかもわからないから意見を聞かせてほしいとこのブログで呼びかけた。
すると数名のYRS卒業生からメールが届いたので、
Aさんからのメールは、 第400回 ブレーキペダルとかかと 1 で。
Mさんからのメールは、 第401回 ブレーキペダルとかかと 2 で。
Fさんからのメールは、 第402回 ブレーキペダルとかかと 3 で紹介。3名ともYRS卒業生だとは言え、全員かかとをつけたままの踏み換えに賛成。

すると今度はスタッフのYから、「かかとをつけてペダルを踏み換えることを勧めているサイトがありますよ」との情報。URLを送ってもらったら、あのGAZOOのサイトの中にあるドライビングスクールの頁にイラストつきで 『ペダルの踏み換え方』 の説明があった。
ことの顛末は 第407回 ブレーキペダルとかかと にまとめてあるけど、ユイレーシングスクールは1999年に日本で開校してから一貫して、ジムラッセルレーシングスクールがそうであったように『 かかとを同じ位置に固定したままスロットルペダルとブレーキペダルを踏み換える 』ようにアドバイスしてきた。
かかとを固定するのはペダルの踏み換えを的確にするだけでなく、かかとを支点につま先を動かすことで繊細なペダル操作を可能にする。両足のかかとを支点にすれば上半身の安定にもつながるから、ユイレーシングスクールとしては公安委員会指定の教習所ではかかとを浮かせてブレーキペダルを踏むことを教えているとしても、かかとを固定することを強く勧めている。
GAZOOのサイトの方針でリンクはホームページに貼るように指定されているけど、トヨタのお客様相談室に主旨をお伝えして特別にユイレーシングスクールのサイトで当該頁を直接紹介する許可をいただきました。ぜひクルマ情報サイトGAZOOの、クルマの運転の基本 ~上手なアクセルとブレーキ操作(オートマ編)~ の頁をめくってみて下さい。そしてどうするのがペダルの踏み間違いを防ぐのか、今一度思い巡らせてもらえればと思います。そして、かかとを浮かしてペダルを踏み換えている人が近くにいたら、こんな方法もあるんだよ、と伝えてもらえればとも思います。

さて。一度染みついた運転操作を変えることは難しいかも知れない。それでも、これだけニュースになっているのだから踏み間違いが現実に起こり得るということは想像できるはずだ。クルマは便利な道具であるけれど白物家電とは違う。自分が移動しているのだから状況は刻一刻と変わる。油断して運転するのはやめたほうがいい。踏み間違いに限らず、間違った操作をしないための工夫を怠らないほうがいい。
世間一般に『自分は大丈夫だ』と思っている人が多いからなのか、踏み間違いにいたらないにしても、それ以前にサンダルやつっかけのようなかかとのない履物で運転している人が多いのに驚く。経験上、運転はなめないほうがいいと思う。

今年2回目のYRSオーバルスクールFSW
走行開始直後はドライだったものの
しばらくしたら雨がおちてきて
練習にはなったけどウエットな1日

いつも四国は高松から来てくれるIさん
ツーデーも鈴鹿もと嬉しい限り

メガーヌⅢRSトロフィーからトロフィーR
いつも間にかウルティムに

久しぶりのHさん
元気だったみたいで安心

確かメガーヌRSでスクールに来たのはHさんが最初
2013年8月のオーバルスクールFSWと記録にある

車名がいつもと違うから
朝一番で「乗換えですか」と聞くと
小さな声で「増車です」

少しばかり性格の異なるクルマと
対話というか格闘というか

ユイレーシングスクールに初参加のMさん
20年近くドイツ製の重たいダンナ車に乗っていたそう
A110は衝動買いしてしまったとか

後期高齢者のMさん
ずっとお付き合いしますから
また走りに来て下さい

スタッフFと愛車

スタッフYと愛車

ルノー・スポールとアルピーヌ
いいクルマです

今回のYRSオーバルスクールFSWには
41歳から76歳までの平均年齢58歳の少年14名が参加
次回の富士スピードウエイ駐車場で開催するユイレーシングスクールは
8月23日(土)のYRSドライビングワークショップFSWです
開催案内はこちらからご覧になれます

こんなクルマも参加していました
Sさんのランボルギーニ ウラカン
640馬力を8,000回転で生むNAエンジン
後輪駆動だから運転に油断はできない

こんなクルマも参加していました
Nさんのマクラーレン Artura Spider
Nさんの2台目のマクラーレンはハイブリッド
独特の加速を見せます
ユイレーシングスクールでは7月24日(木)に筑波サーキットコース1000を終日使うYRS筑波サーキットドライビングスクールを開催します。コーナリングの練習から始めるのでサーキットを初めて走る方も安心して参加できます。
・YRS筑波サーキットドライビングスクール開催案内はこちらから

新しい免許証が手に入った
まだまだユイレーシングスクールは続きます

講習会場に一番乗り
早起きしてしまったから(笑)

高齢者講習の実技は2回目だけど
何か物足りないなぁ
走り終わって
「何も言うことはありません」
多分褒められたのだと思う
もっと厳しい実技講習というのがあるそうだけど
交通違反や事故を起こした人が対象というから
可能性はないかな
正直、これは見たくなかったなぁ。
ある日の都内の幹線道路。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。やがて流れるクルマの列の向こうに消防車の赤色灯が見えてきた。消防車はクルマをかき分けながら歩みを早めたり遅めたり。
それでもようやく幹線道路が交わる交差点に近づいた時のこと。消防車が突然止まってしまった。赤色灯は赤く回っているけどサイレンは沈黙した。何が起きたいのかと振り返ると、停止している観光バスがじゃまになって消防車が前に進めない。まるで観光バスと消防車がにらみ合っているかのよう。
現場は2車線の交互通行。パナソニックの看板のあるあたりから中央分離帯が始まりやがて右折車線が加わる。観光バスが停まっているのは右折車線が始まる手前のところ。写真からわかるように観光バスと歩道の間が空いているから左に寄れるはずだ。前方にも前に進んで左に寄るスペースは十分にある。それなのに観光バスは微動だにしない。遠目に運転手がじっと前を見据えているのがわかる。動く気配もない。消防車に勝手に迂回していけと言わんばかりに。看板もしょっているのに観光バスの運転手は何を考えているのだ、と毒づきたくもなる。
なんとか観光バスの横をすり抜けた消防車は、次は2車線/3車線の交差点に入ってから停まっているトラックを右から大回りして左折しなければならなかった。トラックの運転手、キョロキョロあたりを見合しているけど何かできることはないかと考えないのだろうか。片側3車線の交差点内で2車線をまたいでふさいでいるというのに動く気配がなかった。
緊急車両に対して進路を譲らない人は一定数いるけど、なぜ譲らないのだろうか。自分は関係ないと思っているのだろうか。譲る必要はないと考えているのだろうか。譲る方法がわからないのか。この消防車は、ひょっとすると知人の家の消火に向かっているのではないかと想像することはできないのだろうか。



仮に、こじつけ気味だけど自動車にしろバイクにしろ運転を生業にしている人を交通人と呼ぶなら、交通人たるもの交通の安全かつ円滑な流れに積極的に関わろうとする明確な意思が必要だと思う。青臭いことを言うようだけど。
ボク自身が優れた交通人かどうかは置いておいて、クルマの運転で恩恵を被っている人間として交通の流れを乱さないように最大の努力はしているつもりだし、この点で人後に落ちることはないと思っている。
後日、大津の郊外の見通しの良い片側1車線の道を走っていると遠くから赤色灯を回転させながら救急車がやってきた。ルームミラーを見ると後続車はいない。救急車との距離があるうちにハザードランプを点けてできるだけ左に寄ってウルティムを停めた。やがてやってきた救急車が横を通過する時に、短く『プッ!』と鳴らすもんだからこちらも無条件に反応して間髪を入れずに『パッ!』。慣れとは恐ろしい。ハザードランプを消してクルマをスタートさせながら、救急車もこういうことをやってくれるのかと嬉しくなって思わずニヤリ。同時に『あれっ! 救急車だよな!』。

初めての認知症テスト
終わった
ドキドキしたけど
何点ぐらいだったのだろう
最近は点数を言わないらしい
次の実技が楽しみ
特に教官とのやりとりが

皆さんは運転していて『あれっ!』と思ったことはないだろうか。 ボクは最近、3度ほど『なんかおかしいな!』という経験をした。
1ヶ月半ほど首都圏で生活をしていた。どこに住もうと原則的にはどこに行くのもクルマに頼るのだけど、大津と違ってたいそう混雑した交通にもまれていた。走るのは都心と首都高速道路、京葉道路といったところ。
基本的にボクは、運転操作についてルールを設けている。しきたりとでも言おうか。クルマを動かしている間は常に同じような操作、再現性のある操作と言えばいいのか、行き当たりばったりではなくいつも同じ手順を守って運転するようにしている。
そのルールはそれこそ無数にあるけど、例えるならばスロットルオフ。減速する前にスロットルを閉じるのだけど、いつもスパッとやる。テレ~とはやらない。はるかかなたの信号が黄色になった時、交差点までに前を走るクルマが何台かいて彼らのストップランプが点いていなくてもまずスロットルペダルを離す。同時に踏み込みはしないけどブレーキペダルの上につま先を動かす。ブレーキラインに油圧がかかりブレーキパッドとブレーキローターが擦れているかも知れないけど、速度の落ち方はエンジンブレーキと同等かそれ以下にする。ブレーキペダルを踏みこむかどうかは次の瞬間に判断する。
ある時、高速道路の料金所を抜けて前のクルマに続いて加速をしていた。前のクルマはある程度の速度に達したら加速をやめて定速走行に移る。車間距離を十分にとって前のクルマに続いていたのだけど、前のクルマが加速を鈍らせた時、車間距離が自分のルールを超えて近づいていた。これが『あれっ!』の正体。
状況を判断するに、前のクルマが加速する率と自分で加速を調整する意識にズレがあったようだ。読み間違えていたのは確かだ。危険な場面にはならなかったし、流れに任せて走っている人なら経験することかも知れないけど、一応ルールに従い自分のペースで運転してきたと自負している自分としては驚きだった。そんなことが3度ほどあった。
で、考えた。これは加齢がなせることなのか。それとも運転に集中していない時間があったのか。危なくは全くなかったし、自分のルールから逸脱していただけだから悩む問題でもないのだろうけど、先のことを考えるととりあえず原因を探ろうと。
そして、自分の問題を棚に上げるわけではないけど、走る環境が変わったのが遠因になっているのではないかと想像した。首都圏の交通はおしなべて車間距離が短い。3車線の京葉道路なぞ多数党がいっせいにガーッって加速する。自分としてはそれに順応していると思っていたけど、あの瞬間だけはのんびりとした大津市街地や遠くまで見渡せる新東名、新名神を自分のペースで走っているいつもの意識が介入したのではないかと。
クルマは安全に走らせるべきだと思う。公道でもサーキットでもだ。そのために自分なりのルールを作ってそれを守る。その範囲で走る目的を達成する。そんな面倒臭いことをと思われるかもしれないけれど、いつも同じことをしているから結果に変化があると直感的に何かがおかしいとピンとくる。それが操作を修正するのに役立つ。ズレがあってもごくわずかなものになっているから、今までの努力が無駄だったとは思わない。その意味では今回、異なった環境での経験は有意義だった。
※写真はカメラ内臓の眼鏡、アイレコーダーを使って新東名で撮影したものです

少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが近くにPXがあったので、カーキ色に塗られたジープやトラックが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを時おり見かけるほどだった。
「第832回 記憶のかなたの1」から続く
法事で浅草のお寺にお参りした後、やっ古で鰻をいただくのが習わしだった。
何歳の時か忘れたが自動車雑誌の仕事を始めていたと思う。親戚一同が集まった席で、車が好きでその道を選んだことを知っていたいとこが「昔からホントに車が好きだったからな。将来何になりたいか聞くと必ず、毎日車に乗れるおわい屋さんだったもんな」と笑った。
別のいとこが「世話を焼かせたよな」と笑う。小学校に上がる前だったと思う。当時、品川駅を出発して原町や荏原町を回って品川駅に戻る循環バスというのがあった。まだトラクターが客車となるトレーラーを黒煙を上げて引いていた時代。少年はたまにしか来ないトレーラーバスに乗りたくていとこやおばさんの手を煩わせていた。
当時トレーラーバスに乗ることが少年にとって無上の喜びだった。トレーラーの一番前の席に座ると目の前にトラクターがあって、長いバスを操る運転手さんの一挙手一投足を見ることができた。車を操る現場を目撃することができたことが幸せだった。
ふつうは乗った距離の運賃を車掌さんに払い目的地で降りるのだけど、少年はずっと運転手さんを見ていたかった。原町から乗車し一周し原町が近づくと「もう一周したい!」と駄々をこねたことを付き添ってくれたいとこは覚えていた。いとこが車掌さんとどういう交渉をしたかは知らないけど、一周で降りたことのほうが少なかったように思うのだけど。

少年は品川区立原小学校に通っていた。小学校に上がる前から身体の弱かった少年は1年生の時に既に眼鏡をかけ、体育の時間の運動を免除されていた。
友達と野球がしたいと親にグローブを買ってもらうのだけど、ボールを上手くさばけない少年はグローブを親分肌に取り上げられ素手で外野の球拾いが持ち場になった。

運動は大の苦手で今にいたるまで跳び箱と逆上がりは成功した試しがない。それでも少年の小学生時代が俗に言う『暗かった』ということはない。
身体を動かすのが得意ではなかった少年だけど、興味のあることには没頭した。それはお絵描きであり工作であり作文だった。
小学1年生の担任だった長身で美人の大塚先生が憧れの的だった。大塚先生に褒められたくて好きなことに没頭した節もある。大塚先生にとっては当たり前のことだったのかも知れないけど、絵や工作を褒めてくれることは少年にとって前に進む原動力だった。
少年は作文で車のタイヤについて書いたことがある。『自動車のタイヤはかわいそうだな。回るたびにへこんでの繰り返しだから』といった内容だった。大塚先生はその作文を読んで、『すごく細かなところにも目を向けているのね。よほど車が好きなのね』というようなことを言ってくれた。学校の先生にも自動車が好きなことをわかってもらえた。たいそう嬉しかった記憶がある。
タイヤは平らな部分があるからこそ自動車を走らせることができる。少年はたぶん、そうイメージできていたに違いない。

少年が育った品川区大井出石町。近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープやトラックが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーをたまに見かけるほどの静かな住宅地だった。
出石町には、地面にボールを置くとちょっとの間をおいて転がりだすほどの坂道がいくつかあった。少年の家の前の細い道も大通りに向かって下っていた。家の前の八百屋さんのお兄さんや近くに住む年上のいとこの手を借りて作った『りんご箱自動車』で坂を下るのが少年の楽しみだった。
それが小学何年生の頃の話だったか記憶が怪しいけど、リンゴ箱に収まったのだから高学年ではなかったろう。それでも少年はみっつの発見をしている。
りんご箱の底に横向きに4枚の板を打ち付け、鉄製の戸車を板を下駄にして取り付けた自動車。何度も繰り返し走らせたのだろう。地上高を稼ぐために本来の使い方ではなく車軸が取り付け面より下にくるように取り付けた戸車は容易にもげてしまった。戸車を取り付ける2本の木ネジにかかる応力が大きいのが原因だった。それ以来、板を2枚重ねて戸車を本来の向きに取り付け車軸とシャーシ=リンゴ箱の距離を縮めて剛性を上げた。
ある時、鉄製の戸車が荒れたアスファルトの路面を転がる音がうるさいので、当時珍しかった樹脂製の戸車を取り付けたことがあった。確かに走行音は低くなったけど、ものの数回でタイヤがちぎれてしまった。自動車の車輪には丈夫さが必要なことを痛感した。
幾度も坂を下っているうちに、本物の自動車のように『舵』が切れるようにしたくなった。丈夫な長い板の両端に戸車を取り付け、その板を太い釘でリンゴ箱の中央に留めた。板の端を両手で持って右や左に回せばリンゴ箱の向きが変わるはずだった。しかし、転がっているリンゴ箱は手を動かしたその一瞬はリンゴ箱の前側がわずかに向きを変えるような動きをするものの、次の瞬間には失速。坂を下ることも動くこともやめてしまった。
車輪の向きを変えれば自動車の向きも変わる。そんな単純な話ではなかった。アッカーマン方式のステアリングなど知るよしもない小学生。それでも「車輪が横を向くと抵抗になる」ということは学んだ。
八百屋さんがくれたリンゴ箱が少年に「移動する楽しさと喜び」を教えてくれた日々ははるかかなたに。