トム ヨシダブログ


第496回 クルマを曲げる

YRSオーバルスクールFSWは広大な駐車場にパイロンを並べて作った楕円形のコースを走る。現在使っているオーバルコースは3種類。半径はどれも22mで直線の長さだけ60m、130m、160mと異なる。コース幅は全て14mで、イン側もアウト側もコーナーの始まり、頂点、終わりの3ヶ所に緑色のパイロンを置き、その間に15度間隔で5本の赤いパイロンを並べている。

YRSオーバルスクールFSWでインベタで走る練習をしていると、進入の緑のパイロンを過ぎて2本目の赤いパイロンを蹴とばす人がいる。ユイレーシングスクールが使っているパイロンは輸入品なので傷付けてほしくはないのだけど、ターンイン後に極端なアンダーステアを出す人が後輪でパイロンをはねてしまう。
アンダーステアを出さなければパイロンタッチはしないものだ。通常は前輪に舵角が与えられてまず前輪が円運動を始め、ホールベース分遅れて後輪の円運動が始まる。この時、直進運動から旋回運動に移るのが苦手なクルマのことを考えて、ターンインの位置を手前にしてターンインから少しずつ舵角を連続して増やしていけば問題はないのだけど、ペースを上げるとついエイヤッとステアリングをバキ切りする癖がある人がいる。

急に大きな舵角を与えられた前輪には即、大きなスリップアングルが生まれるのでタイヤのグリップが急激に増加する。グリップの増加した前輪は運転手が思う以上に内側に切れ込む。しかしその次の瞬間、クルマを直進させようとする大きな運動エネルギーを受け止めることができずスリップアングルが過大になり、タイヤの向いている方向と実際にタイヤが進む方向に大きなズレが生じる。前輪は回転方向に進むのではなく、舵角がついているのにも関わらず横滑りを始める。アンダーステアが発生する仕組みだ。

バキッとステアリングを切ったまま手が止まっているだろう運転手は、なんとかインにへばりつくために切り足そうとするけど、切り足しても前輪はコーナーの外側に向かって滑りながら円弧を描く。前輪についていかざるを得ない後輪には、前輪に比べて小さなスリップアングルしかついていないから横滑りは起きない。必然的に前輪より小さな円弧を描く。そこに、いわゆる内輪差が生じる。ステアリング操作が荒い人が後輪でパイロンを弾き飛ばす理由だ。

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アンダーステア状態のイメージ
バキッとステアリングを切ると4輪に運動エネルギーが働いているから
前輪のスリップアングル>後輪のスリップアングル
前輪の働き>>後輪の働き
前輪の負担>>>後輪の負担
結果として前輪が悲鳴を上げることになる

バキ切りをするから内輪差が大きくなって後輪がパイロンを蹴とばす。パイロンを蹴とばすということは、バキ切りをしていますよ、と証明しているみたいなものだ。

前輪に操舵装置がついているクルマの宿命として、ターンイン直後には多かれ少なかれ必ずアンダーステアが生じる。前輪と離れたところにある後輪は、それがFRだろうとFFだろうとホイールベース分遅れて前輪の後を追いかけて前に進むことになるから、必然的に内輪差が生じるのを避けることはできない。だから、内輪差を少なくする≒アンダーステアを軽微なものにするためには、微舵角のターンインから始まって前輪のグリップの限界を越えないようにステアリングを必要なだけ長く切り足し続けなければならない。

2020Steer2w
前輪操舵車の旋回イメージ
※旋回中心の位置とタイヤの軌跡に注目

 

だから、前輪操舵のクルマに乗っていても、内輪差がほとんど生じないコーナリングをすることが理想だし可能だ。つまり、それには前輪に生じるスリップアングルと同等のスリップアングルを後輪にも与えられるような操作が必要で、YRSオーバルスクールFSWではそのあたりのアドバイスを聴いてもらいながら練習する。ぜひ一度アンダーステアを出さない運転に挑戦してみてほしい。その前に、ご自身の操作がアンダーステアを出していないかどうか確認に来てみてはいかがだろう。

ちなみに、4輪操舵のクルマがアンダーステアを出しにくいのは、前輪操舵車の旋回中心が後車軸の延長線上にあるのに対して、4輪操舵車では旋回中心がホイールベースのほぼ中心を通り旋回中心に向かう線上にあるように躾けられているからだ。4輪操舵車のメカニズムは本来、理想のコーナリングを目指そうとする運転手の意思と操作を補完することを目的としている。

端的に言えば、ユイレーシングスクールが目指しているのは、前輪操舵車に乗っていても4輪操舵車のようなコーナリングができるようになることだ。

2020Steer4w
4輪操舵車の旋回イメージ
※旋回中心の位置とタイヤの軌跡に注目

 

現代の4輪操舵メカニズムが運転手に与える恩恵は大きい。同じコーナーを回るにしても逆位相の範囲なら前輪操舵車に比べて舵角が少なくてすむとかステアリングを切っている時間が短くてすむとか、同位相の速度領域ならターンイン直後に後輪にも前輪と同じようにスリップアングルが生じてグリップが高まるから4輪で安定したコーナリングができるとか。4輪操舵の恩恵を受けられる人は、コーナリング中に前後のタイヤのスリップアングルの変化を想像しながら運転するのが楽しいと思う。横Gを受けても上体がシートバックとズレないドライビングポジションを探し、ステアリングを思いっきり軽く握って。

 

と言うことで ユイレーシングスクールでは7月11日(土)と12日(日)の両日、富士スピードウエイでYRSオーバルスクールロンガーを開催します。YRSオーバルスクールFSWロンガーの直線は160m。YRSオーバルFSWロングに比べて30m長く到達速度が高まるので、ターンイン時の姿勢を作るためにブレーキもシビアになります。半径22mのコーナーと高速道路の3車線より広い14mの幅員があるオーバルコースでご自身のクルマを存分に走らせてみませんか。どなたでもどんなクルマでも参加できます。詳しくは YRSオーバルスクールFSWロンガー開催案内 をご覧下さい。

 


第485回 交通安全

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大津北交通安全協会から送られてきた
「大津北の交通」と
令和2年度大津北交通安全協会通常総会議案書


地元自治会で交通安全指導員を担当しているので、毎年この時期になると大津北交通安全協会総会のお呼びがかかるのだけど、緊急事態宣言は解除されたものの、安全と安心のために総会は開催せずに書面評決となった。

その議案書と一緒に送られてきた「大津北の交通」の内容は、ユイレーシングスクールが単独事故の実態を把握するために活用している公益財団法人交通事故総合分析センター発行の「交通統計」からの引用のようだけど、滋賀県と大津市に関するデータを抽出してあるから現状を認識する手間が省ける。

それによると、令和元年の滋賀県における交通事故発生件数は前年比13.4%の減少で、全国のそれのマイナス11.5%を上回る結果を残している。負傷者数も滋賀県内では前年比マイナス14.3%と全国のマイナス12.2%を上回るものの、死者数になると39人から57人に増加しプラス46.2%。どうしたのだろ。全国の死者数が3,532人から3,215人へと9.0%減少しているのと好対照だ。
極論になるけど、滋賀県ではいったん事故が起きると悲惨な結果に結びつく可能性が高いということになる。それは、第408回 交通統計 で触れた『避けようと思えば避けられるはずの単独事故』と同じ傾向にある、と言える。時間がある時にでも目を通していただければと思う。

今年も今までより交通事故死のニュースが多いように思うし、交通が少しざわついているようにも感じる。
日常的にクルマを運転しているわけではないけれど、30分ほど離れた堅田付近に行くと、反対車線を逆走して駐車場に入ったり交差点の角にあるコンビニの駐車場をつかってショートカットしたり、右折車線から信号が青に変わると同時に強引に右折したり大きな駐車場の区画を無視して無視しないクルマとこんにちはをする場面に出くわす。もちろん、クルマを運転している人全員がそうではないけれど、大津市内では少なくない人が行儀の悪い運転をしているのも事実。それが交通事故死の多さにつながるかどうかわからないが。


ここ数年、クルマを運転する人の意識が低くなったと感じるのはボクだけではないはずだ。
このブログに目を通してくれている人はそうでないと思うけど、自分の都合に合わせて運転したり、交通法規を自分なりに解釈してしまう人が増えているのは間違いない。ホント、この人は偶然何事も起こさずに走っているけど、クルマに助けられていたり他人の配慮があるから何事も起きないでいるのに気が付かないのかね、という人が多い。クルマが危険をはらんだ乗り物であることを意識していない人、クルマの運転をなめている人が多いのが残念だ。

安全運転しましょうね、とブログで呼びかけるのは虚しいけれど、それは現実だし、みなさんが注意深く運転していても危険な状況に巻き込まれないとも限らないから、クルマを運転する時にはこれまで以上に周囲のクルマがどんな動きをするかに目を配ってほしいと思う。注意して見ているうちに、クルマの動きを通して運転している人の人となりも見えてくる。もちろん、ご自身の運転の仕方にも目を光らせるのも忘れずに。



第483回 続 = 空気の流れが変わる

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第482回 最近の目から鱗 = 空気の流れが変わる をアップしたら、ユイレーシングスクールの常連でYRSオーバルレースにも参加しているKさんから風の流れが変わる理由について以下のようなメールが届いた。

『 ルノーのブログのエアコンの風の件を読ませていただいたのですが、もしコーナーの回り始めであればロールやヨーの加速度で気流が振られている要素も有るのではないかという気がしました 』。

そう言われるとそんな気もする。あなたはどう思われますか。ご意見お聞かせ下さい。 ユイレーシングスクールメールアドレス



第482回 最近の目から鱗 = 空気の流れが変わる

自動車雑誌の原稿を書き始めたころからだから、かれこれ45年あまり。ずっと気になっていたことがある。

夏の暑い日にエアコンを入れてダッシュボードのベントからそよぐ風を身体に感じながら運転していて、コーナーを回り始めると風が身体にあたる位置がコーナーに対して内側に、つまり左コーナーの場合は身体に風があたる位置が左側に移動するのを感じた。「え~っ、右じゃないの? 遠心力を受けているはずなのになぁ。おかしいなぁ」と思ったことが始まり。

それ以来、風の向きが変わるのを感じるたびに、なぜだろ? おかしいよな? と一瞬思うものの、クルマを動かす上で支障になるわけではないし、そのうち調べればいいやになったり、理由を知りたいという気持ちもクルマを動かすことへの興味ほど強くなく、ついぞ自分が持ち合わせている知識に逆行する風の流れの正体を知るには至らなかった。早い話、ほっておいたのだけど。

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ルーテシアⅢRSのセンターベントとサイドベント

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フィットRSのセンターベントとサイドベント

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ルーテシアⅣRSのセンターベントとサイドベント


4月、5月のスクールを立て続けに中止にしたし外出を控えていることもあってふだんできないことをやっているのだけれど、ある日、週1回にしている買い物に行くためにクルマに乗った時にエアコンの風のことを思い出した。

しかし、どう考えても自分の知識と経験だと「風は遠心力を受けて外側にそよぐ」という結論以外には思いあたらず、このままだとまた未解決のままになってしまうという意識も頭の片隅にあって、ここは他力本願だけどネットの質問箱に投書してみようと決めた。

そして、質問を書き込んでから2日目には回答が書き込まれた。恥をさらすようだけど、自分では思いつかない発想だったし、十分納得のいく内容の回答だった。慣性力の話はスクールでも頻繁に話しているというのにだ。

質問: エアコンをかけた車に乗っていてダッシュボードのベントからの風を身体で感じている時ですが、コーナーを曲がるとベントから出る風の向きがコーナーのイン側に変化するのを感じます。コーナーを回っているのですから、本来なら遠心力でコーナーの外側に向かうのではないかと思います。理由がわかる方の回答をお待ちしています。

回答: 空気と人間の体の質量は圧倒的に人間の方が大きい事はあたりまえですよね。遠心力は質量に比例します。と言う事は質量の大きい人間の体の方が圧倒的に強い遠心力を受けます。人間の体のほうが空気より大きな遠心力を受けてアウト側に傾きます。其の時、相対的に動きの遅い空気がイン側に動いたように感じるのです。しかも空気は室内に密閉されている為動きがさらに窮屈になります。結論として人間の体がアウトに流れる為空気がインに流れるように感じるでした。


自分ではそういう自覚はなかったのだけど、いかに人間本位に物事を見ているか、今さらながらに感じた。
風の流れが内側に変わったと感じたのはあくまでも主観であって、状況を客観的に見れば、あるいは俯瞰して見れば、そして相対的な目で見ればその理由にたどり着けたかも知れない。まだまだ精進が必要だと痛感。回答を寄せてくれた Hi-dessan さん に感謝です。



第479回 人間の操作 vs 自動車の制御

17年ほど前のこと。ある特定のモデルに乗る人たちのグループがあった。ほとんどの人が車高調を組みSタイヤを履いた、いわゆる走り屋仕様に仕上げていた。グループのうちの数名がユイレーシングスクールを受講したことがあったので、スクールレースを開催する時に、グループのメンバーだけでレースがしたいという申し出を、スピンやコースアウトは絶対にしないことをメンバー全員に徹底するという条件で受けることにした。。

レース当日。噂には聞いていたが、彼らの走りを見て申し出を受けたことを後悔した。

サーキットを走りレースに参加するには速さがひとつの指標となる。それはそれで間違いではないのだけれど、速さを手に入れる方法には節度がなければならない、というのがユイレーシングスクールの思想だ。クルマはあくまでも道具であって、その対極に人間がいる。無機質の物体を知識と意思と感情を持ち合わせた人間が操る。運転というものはそんな営みだと思っている。だから、速さを追い求める行為は、ある意味で人間が自身の能力を引き上げることにつながらなければならないはずだ。

しかし彼らは不快な音を残しながら、FSWショートコースの1コーナーのクリッピングポイントまでABSを効かせたまま突っ込んでいた。

コーナーに対してブレーキングを遅らせればストレートエンドの到達速度がわずかだけど上昇するだろう。ラップタイムの向上に少しは影響する可能性がないわけではない。けれど、ブレーキングを遅らせた分ストレートでブレーキングを終えることができないからと言って、ABSを効かせていればステアリングが効くからと言って、ABSを効かせることを前提とした走りは人間が本来求めるべき速さとは異質なものだ。実際、ABSを効かせている間は機械任せなので姿勢を制御することができないからコーナーの最下点速度が遅く、ABSが介入しないように走ってもラップタイムは変わらない。緊急時の衝突回避のために開発されたABSを、安易に速さを求める手段に使うシーンを見るのはつらかった。クルマさんがかわいそうだった。


閑話休題。一時、F1GPのニュースで「ドライバーズエイドが禁止」というフレーズを頻繁に目にした。ドライバーがオートマチックトランスミッション、トラクションコントロール、ローンチコントロールなどのデバイスに頼って速く走るのは、ドライバーが自身の技量でマシンを速く走らせて競い合うというレースの精神に反するという理由で、また開発予算が潤沢なチームだけが優位に立つことを防ぐために、ドライバーを助けるこれらのデバイスの使用や無線を通じてドライバーを有利な状況に持って行こうとするコミュニケーションが禁止された。なんと言っても、F1GPはレーシングドライバー世界選手権なのだから。

一方で、ドライバーズエイドを運転手の負担を軽減する装置、また運転手の操作を積極的に補助する装置と定義をするならば、我々が運転するクルマにも様々なデバイスが装着されている。
運転手が最初に恩恵を被ったデバイスはブレーキアシストとパワーステアリングだろう。ブレーキアシストがついていなかったクルマは大きな踏力をかけないと制動力が立ち上がらなかった。踏力の調整が難しかった。ノンパワーのステアリングは重いだけではなく、運転手の負担を軽減するためにステアリングギア比が大きくなっているからステアリング操作が忙しかった。
次に登場したのが初期のABS(アンチロックブレーキシステム)か。まだクルマの制御がアナログ的だった頃は、ABSの作動が荒々しくて驚いたものだけど、踏力の強さを意識しないですむ点と、思いっきりブレーキペダルを蹴とばしてもタイヤがロックしないのは純粋に人間を補佐してくれていた実感があった。その次が電子制御に頼らないLSD(リミテッドスリップデファレンシャル)か。他にも自動車技術の発達がもたらした列挙できないほどのデバイスが運転の質を変えてきたことによって、現代の自動車が存在していることは間違いない。

ところが自動車技術とコンピュータ技術が発達してクルマの制御がデジタル化されブラックボックス化されると、人間の操作がダイレクトにクルマの挙動につながっていないのではないかという疑問が生じる。なにしろ、今やスポーティモデルならトラクションコントロールやトルクベクタリングが当たり前。

しかし、中には運転支援システムという名の元に、そこまでやらなくてもいいんじゃない、ドライバーの代わりをするようなデバイスは運転に対する人間の能力と集中力を損なうことになるんじゃない、と言いたくなるようなデバイスが登場したり、運転はクルマ任せでいいんですよ、ってイメージしそうになりそうなCMが流れたり。


ま、運転が手軽になったのを誤解して気軽に運転してしまう人は後を絶たないし。もはや運転という行動に畏怖の念を感じないのか、自分のやりたいように走る人が増えているような気がするし。こういうのを時代の流れと言うのだろうか。それでも、個人的にはそんな風潮に抵抗したいので、デバイスを次の3つに分けて溜飲を下げている。

クルマの性能を向上させると言うよりも人間のクルマに対する理解度を上げてくれるモノ。
人間に楽をさせて本来の運転の厳しさをオブラートで包むようなモノ。
人間がミスをしてもなんとかしてくれると思わせるモノ。

は歓迎するが、は個人的にだけど必要だとは思わないし興味がない。は運転教育と対になっていない場合は意義を感じない。

自動車技術の進化がクルマを操る人間に与えてきた影響は大きい。様々なデバイスは人間がクルマを操る上で大きな恩恵を与えてくれた。しかし一方では、本来は慎重の上にも慎重を重ねて運転しなければ大きくて重くて速く走るクルマを操ることなどできないはずなのに、デバイスがその意識を殺ぐことにつながる場合がなくはない。

だから、ユイレーシングスクールを受講してくれた人にはおせっかいを承知で、「この際、これからクルマとどうかかわっていくのか1度考えてみてはどうですか」と言うことにしている。例えば、ドライバーズエイドがついていないクルマに乗っている人には、運転に対して自立性を保つためにもそのクルマを大切に長く乗られたほうがいいと思いますよ、と。ドライバーズエイド満載のクルマに乗っている人には、どんな場面でもデバイスが介入する寸前を察知しデバイスのお世話にならない運転を目指して下さい、やればできます、と。

昨年12月に開催したアルピーヌA110体験試乗の感想文(439回440回441回442回445回447回448回449回)の中にも、走行中にデバイスの介入を経験したという記述があるけど、デバイスが介入したということはその寸前の操作がその場面にふさわしくないとクルマが判断したことになる。
問題はその後で、デバイスが介入した時に「だからデバイス付きのクルマに乗っているのだよ」と思うか、あるいはデバイスが介入していても気づかないほどクルマの動きに無頓着なのか、もしくはあらゆる場面でデバイスが介入しないような操作ができることを目指すか。そのあたりが道具であるクルマと人間がどうかかわっていくかの別れ道になる。せっかく人間能力拡大器であるクルマを所有しているのだから、クルマとのかかわり方に思いめぐらすのも悪くないと思うのだけど。

さらに、クルマにも性格がある。人間が受け身のままでは、そしてクルマとの付き合い方を軽んじると、クルマの本質に触れる機会を逸しているかも知れない。例えば、

474-1
ドライバーズエイドに勝るもの
それはA110をここまで軽量化した自動車技術
慣性力に大いに影響されるクルマの運動性能
質量を小さくして影響力を最小限に押さえつつ
タイヤのコンタクトパッチの変形も最小限に抑える
原理原則を忠実に具現化した
四輪自動車の理想

474-2
本来ならドライバーが精進して身につけなければならないものを
先行してこうすればいいのだよと教えてくれる教育的なメガーヌRSの4コントロール
どう関わるかで価値が決まる
意識しないのか
ゆだねてしまうのか
原理を解き明かし物理学を自分のものにするか
近代自動車技術の手本

747-3
YRSオーバルスクールに来てくれた
Kさんのランチア フルヴィア 1.3に乗せてもらったけど
いつもの5倍ぐらいの力をいれないと効かないし
急に踏力を立ち上げると前輪がロックするノンパワーブレーキに
切り始めても動きにタイムラグがあってノターって感じの重たいノンパワーステアリング
人間が先を読んで先を読んで先手をうつ必要があって
あ~運転しているという気分に目を見開く
人間の四輪自動車との対峙

474-4
YRSツーデースクールに来てくれた
Nさんのマクラーレン600LT
乗せてもらったけどとにかく速い
動きが破綻せずに速い
常に安定しているから自分の上手さかどうか自信が持てない
デバイスが介入していたとしても不自然さはない
F1の技術を拡大解釈するとこうなる


あなたはこれから、クルマさんとどうかかわっていきますか?



第475回 ひと区切り (後)

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2019年5月3日のルノークラブ走行会
右目は快方に向かっている時期
今年は残念ながら中止
来年を楽しみに


5月11日夕刻。スタッフのKから、無事終わりました、とメッセージ。参加したみなさん喜んでました、とも。エンジンドライビングレッスンが初めての方が多かったのが気にかかっていたけど、何事もなく終わったようだ。

1日4回の点眼の時に看護師さんが眼帯を外してくれる。右目が露出しないようにガーゼでおおいテープでしっかり止めてあるから。すると、右目にさ~っと光が差し込む。左目をつむって右目だけで見ようとするけど、明るいだけでなんの像も結ばない。白く半透明な世界。

毎日規則正しい生活を送って2週間も経つのに、森先生と看護師さんの目の届くところにいなければならないほど右目の状態は繊細で微妙だったのだろう。それでも、毎日4種類の目薬を忘れずに1日3回さすこと、寝る時は必ず、支障のない時もできるだけ眼帯して目を保護することと念を押され退院の日がきた。17日間の入院だった。

1人で運転してきていたからクルマは病院の駐車場に置いてあった。病院から自宅まで久しぶりに運転した。眼帯で右目を覆っていると、なんとなく視野が狭くなったような感じで、左右のものを確認する時は頭を振るほうがいいように感じた。

退院して初めてのスクールは5月27日のYRSオーバルスクールFSW。眼帯をしたまま高速道路で東に向かったけど運転に支障はなかった。片目であっても必要な情報を得ることができれば、あとは身体が反応してクルマを動かしているようだ。強いてあげれば少し遠近感が希薄か。

6月に筑波サーキットで開催したエンジンドライビングレッスンに行く時、眼帯を外して高速道路に乗ってみた。右目は相変わらず光を感じるものの一切像は結ばない。流れをリードするぐらいの速さで走りながら、ふと思いついて、右目を手でおおってみた。すると遠くに視線を投げながら運転しているのだけど、突然画面が右にわずかにずれることに気が付いた。えっ、である。右目は何も見ていないはずなのに、右目を開いているのとふさいでいるのでは目に入ってくる絵が動く。何度やっても同じ。もちろん左目だけでも運転はできるけど、右目で光を感じているのといないのでは見えるモノが違う。
あくまでも想像だけど、光を受けた右目の視神経が、像は結ばないものの、左目とバランスをとって視界を創っているのではないかと。右目が光を受けているほうが、モノが見えているのは左目だけだけど、断然見やすい。え~っ、すごいな人間は、と必要ないのに何度も右目をおおったことを覚えている。

この年は退院してから6回の診察をはさんで23回のスクールを片目で開校。次いで、2018年最初の診察で細菌がいたずらしている兆候がなくなったからと、具体的に眼内レンズを入れる話になった。3月に術前検査をして問題がなければ4月に手術の予定。

結局、年明けからスクールとスクールレースを14回片目でこなした後、4月16日に入院。17日手術となった。また目に器具が挿入されると思うと気が重い。痛みを想像しただけでも逃げたくなるけど、2011年に両目の白内障手術をして人工無水晶体眼を入れたら視力が劇的に改善したという成功体験があるから、どこかで手術を待ち望む気持ちもあった。

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入院計画書を状況説明とともにフェイスブックに


1年前と同じように手術台に横になって同じように目を閉じないように器具を装着され、もう2度と体験したくないという痛みに耐え、それでも手術は無事に終わり、数日術後の検査のために入院。21日に退院した。

滋賀医科大学病院の駐車場に向かって歩きながら、なぜか視界が湾曲しているような感じを受ける。両目で見ているせいなのか。左目だけでの生活よりも遠近感が明確に増し、モノの詳細がつぶさにわかるようになった。おもしろいものだから、首を左右に振って目に入るモノを楽しみながら歩いていたから、はたから見たらおかしな人と思われたかも知れない。

4月27日のエンジンドライビングレッスン。久しぶりに両目で見えることに感謝しながら新東名を東に向かった。5月2日。ルノークラブ走行会を控え四国に向かう。去年はこの道を逆方向ではあるけど片目で走ったんだよな、と懐かしくもあった。結局、2018年は両目が見えるようになってから27回のスクールとスクールレースを開催した。


その後、ふた月とおかず澤田先生に右目の状態を確認してもらったのだけど、4月15日の検査で先生が「次に診るのは来年でいいかな」と。それで大丈夫ですか、と聞くと、「目薬を続けていればいいでしょう」。

あ、ということは右目の状態をもう心配しなくてもいいのだな、目に関してはようやくこれでひと区切りだな、と思っていると、先生が「まぁ、ほんとうに良かったよ。いち時はどうなるかと思っていたからなぁ」と笑いながら。    ギクッ! である。    それほど切羽詰まった状況だったということか。自分でもどうなるかと不安でしかたなかったけれど、それほどだったとは。背筋がゾクッとした。

ともあれ、この日の検査で両目とも視力は1.0。矯正視力1.5。改めて右目に視力が戻ったことを素直に喜びたいし、スクールを続けられることが嬉しい。澤田先生と森先生には感謝してもしきれない。


2017年の入院中に片目でアップしたブログは、
第236回 鬼神は実在する 5月12日
第237回 中里さんはチャンピオン その1 5月18日 のふたつ。
2018年に入院した時に右目も使ってアップしたブログが、
第294回 Yさんの場合 4月19日。

右目が見えないことを言い訳にはしたくないけど、2017年のルノークラブ走行会でドタバタしながら撮影した動画を紹介したブログが 第239回 アルプスならぬ四国の山あいを。ホント。吸盤を押さえるために貼ったテープが映り込んだのが悔やまれる。



第474回 ひと区切り (中)

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2018年5月3日の阿讃サーキットでのルノークラブ走行会
2017年5月3日にここで右目の視力を失い
2018年4月に眼内レンズの手術
右目に視力が戻ってから四国の山並みを走ることができた


手術前に森先生から右眼内レンズの摘出と右眼硝子体の切除を行うと説明があった。角膜の周囲を切開して眼内レンズを切除し、強膜に3つの穴をあけ器具を挿入して硝子体を切除するという。初めてのことばかりで診察から手術台に乗るまであれよあれよという感じで、けれど、消毒液を絶えずかけられているからはっきりとモノが見えない右目に激痛は走った。

当たり前のことだけど、自分の右目に何が行われているか全くわからず、次にどんな痛みが襲ってくるのか身構え身体が硬直する。息が止まる。それがわかるのか看護師さんが身体をさすってくれる。右目の黄土色の膜の向こうで何かが動いている。突如として、もちろん経験したことはないけど、死ぬほうがましの痛み。
痛みには強弱があって、時に突き刺すような痛みがきてつぎにむしられるような痛みが襲う。少ししてグヮングヮンという音が聞こえてくる。「あ、硝子体を吸引しているのかな」と痛みを感じながらも冷静さはあった。

とにかく最初から最後まで痛かった。手術がどんな風に行われていたかなんてわかるはずもなく、看護師さんの「もう少しですからね」という声を聴いくと身体の力が抜けた。
まぶたを開きっぱなしにする器具が外される、黄土色の膜はなくなって光がまぶしかった。ブランケット様のものも取り除かれる。点眼薬が落とされたあとでガーゼがあてられ眼帯。まだズキズキと痛む。

「ゆっくり起きて下さい」とうながされ車椅子に乗せられる。どのくらいの時間が経ったのだろうか。長いようで短く感じたが、左目で確認すると1時間近く手術室にいたようだ。

病室に戻りベッドに横になるように促される。左目は見えるから何かをするのに不自由はない。夕方術後の検査があるからそれまで安静にしているように言われる。検査の時に森先生にどのくらいの入院になるのかを聞いた。返事は驚きの「2週間ぐらいになるかな」。
こうして人生で初めての入院生活が始まった。1日4回の看護師さんによる点眼と、朝夕2回の森先生の診察。相変わらずズキズキと痛みはあるものの、痛みにも慣れ始め術後3日でシャワーにも入れるようになり、少しずつ生活のペースが戻ってきた。味気ない病院食は少し不満だったけど。

となると慌てなくてはいけないのは、5月11日(木)にFSWで開催するYRSxエンジンドライビングレッスンの段取り。入院は2週間だから自分は行くことができない。病室に持ち込んだパソコンでユイレーシングスクールの活動をサポートしてくれている卒業生で作っているメーリングリストに現状を報告し協力をお願いする。同時にスタッフのメーリングリストにも。エンジン編集部の塩沢副編集長にもメールを送り開催に向けての準備を始める。
スタッフと卒業生から当日手伝ってくれるという申し出が相次ぎ、開催を心配する必要はなくなった。急ぎFSWのジムカーナ場にオーバルコースを作る手順を書いて送り、午後のショートコース走行での注意事項を送る。編集部から届いた参加者名簿を元に当日のグループ分けをして送り返し、FSWにも計測用に送る。そうそう、ジムカーナ場にはホワイトボードがないので座学で使うイラストもpdfファイルで送って印刷してもらうことにした。ま、スタッフのYとKとYが行きますよ、といっているからあまり心配はないけど。

1人っきりの病室で思った。あの日、突然右目の視力を失ったのによく片目で運転ができたものだと。確かに不安はあったけど、いつもスクールで言っているように遠くを見てモノに焦点を合わせないようにしたけれど、四国の暗い道や不慣れな関西圏の入り乱れた高速道路を遅くない速度で走ったのだから、人間の適応力はたいしたものだと。

術後の検査を続けているとある日、右目が細菌におかされていないことを1年ぐらい観察してから眼内レンズを入れる予定だと聞かされた。そうか、1年ぐらいは片目で生活することになるのかと思ったものの、焦りはなかった。片目で合法的に運転できるわけだしスクールも開催できるのだから、ここは先生方に任せるしかないなと。

入院病棟の3階から本館の1階にあるコンビニへの往復は階段にした。シャワーを利用する時に洗濯をした。いつも後回しにしていた画像ファイルの整理もした。できるだけそれまでの生活と変わらないように心掛けた。唯一、手の届くところにウィスキーがないのが違いと言えば違い。

で、病室からアップしたのが第235回四国でルノークラブ走行会のブログ。

<続>


474-2
2017年5月4日の硝子体手術の説明及び同意書

743-2
滋賀医大の正式名称は滋賀医科大学医学部附属病院
3階にある眼科

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4月15日の診察の時に見つけた
換気のためかドアが少し開いていた

743-5
ウレタン様の柔らかい素材
ドアに挟むだけのすぐれもの



第473回 ひと区切り (前)

間もなく3年。長いと言えばほんとうに長かった。

743-0
2017年のルノーネクストワン徳島主催のルノークラブ走行会
ここから全ては始まった


2017年5月1日。多少違和感があったので近くの眼科で診察してもらう。眼圧が高いとのことで内服薬と点眼薬を処方してもらう。

同5月2日。午前中に徳島に向けて移動。ルノーネクストワン徳島で一宮さんに挨拶してから三次市へ。午後ホテルに逗留するも右目にもやがかかったよう。前日から薬を飲み点眼薬をさそてきたが効果なし。

同5月3日。早朝から阿讃サーキットに向かう。一番乗り。右目はかんばしくなく視野全体が黄色がかっている。参加者が集まり座学を行い走行が始まる。運転には支障がないからリードフォローと同乗走行。ところが昼前になって右目でモノが見えなくなる。不透明の黄土色の円が視野のほとんどを覆っていて、目を上下左右に動かすと円の周囲の像がかすかにわかる程度。走行会の進行を妨げるといけないのでそのまま夕刻まで。走行会が終わるころには右目の視界を完全に喪失。いつもは最後まで残って参加者を見送るのだけど、一宮さんに事情を説明して早めに山を下りる。

どうしたものかと三次町の眼科医に電話をしてみるが休日で応答なし。その後何をしていたかの記憶が途絶えている。どうしたらよいのか何かをしていただろうことは間違いないのだけど。吉野川SAで暗くなりかけてから三次救急病院に電話したところから覚えがある。もちろん眼科はあるのだけどこの日は担当医が不在。どうしてもだめかと食い下がるも不発。右目が見えないのでなんとか状況だけでも知りたいと訴え続けると、運転できるのならと徳島大学病院に行くことを勧められる。
自分でも片目でそれまでと同じ運転ができることに驚きつつも70キロを走って徳島大学病院へ。休日のこの日だから担当医がいるわけがなく、救急外来受付でなんとか現状を把握したいとお願いすると眼科の先生に連絡をとってくれた。事情を説明すると、自宅にいらした先生が病院に来てくれるとのこと。

先生に診てもらえばなにがしかの結論が出るだろうと、ならば先生を待つ間にできることをしようと片目で合法的に運転できるのかを検索。見えるほうの目の視野が150度以上あって視力が0.7以上ならば運転できるとあった。悪くころんでもスクールは続けられる。身体の力が抜けたのを覚えている。

夜9時半ごろ始まった検査はいろいろな機械を使って行われた。ひとつの検査が終わるとどの結果が出るのを待ってから次の検査。眼科病棟には担当してくれる仁木先生と自分だけ。診てくれるだけでほんとうにありがたかった。検査に1時間ぐらいかかったと記憶している。全ての検査が終わり先生に診察室に呼ばれる。

そこで、右目が見えない原因が細菌性眼内炎だと教えられ、状況としてすぐに手術をしなければ失明する可能性が高いと告げられた。1週間は入院する必要があるとも。そんなたいそうなことだなんてにわかには信じがたく、自分のことではないようなおかしな感覚。失明はむろんのこと避けたいが、不慣れな土地で何の用意もない状況で手術をすることにも展望が開けなかった。滋賀県の大津に住んでいる旨を伝え、手術が必要ならば自宅の近くでやりたいと訴えると、「ほんとは今やるべきなんですよ」と念を押されながらも滋賀医大病院宛の紹介状を書いてくれることになった。そんな事態の推移をどこか他人事のように眺めている自分がいた。

徳島大学病院を出たのが11時。方向性は決まった。滋賀医大病院に行く前に自宅へ、再び暗い高速道路を片目で走り230キロ先の我が家を目指した。

同5月4日。3時間ぐらいは仮眠できたと思う。とにかく朝一番で診察してもらうために早めに家を出る。
それまで入院したこともなければほとんど病気もしたことがないので勝手がわからなかったのだけど、紹介状があるからといってすぐに見てもらえるわけではなかった。ずいぶん待たされ、病人をほっておいていいのかと焦りも感じ、それでも遅い午前中に森先生が検査をしてくれた。ベッドに横になって何かの機械が顔の上に乗っている。そこへもうひとりの先生が入ってきて森先生と話している声が聞こえた。「やっぱり切るか」とか、そんな会話だった。
待合室で待っていると森先生に呼ばれ、「これから手術をしますから入院の手続きをして下さい」と言われる。予想はしていたものの、今日やるんだと自分に言い聞かせなければならなかったのを覚えている。

せっかく入院するのだからと個室に変更してもらい自分の時間と空間を確保して強がる。いよいよ手術。全身麻酔は使わないと告げられ、痛いのはいやだなぁと思いながらも段取りは進み、手術室へ。「私が執刀します」と入ってきたのが森先生と会話していた澤田先生。看護師に促されベッドに寝かされ頭を固定され。その上に重たくて分厚い感じのブランケット様のものが置かれた。右目の部分だけが開いているようで左目は何も見えない。頭は動かない。その間にもおびただしい量の消毒薬をかけられ、最後に目を閉じないようにまぶたを広げる器具が装着された。右目はまばたきができない。手術灯が点灯すると、視野全体を覆う黄土色の膜がパッと明るくなった。

これから何が起きるか全く想像できない。どんな痛みが襲ってくるのかもわからない。深呼吸してこれから起こるだろうことに備えているうちに、ある瞬間右目に痛みを感じた。小刀で指を切った時に感じる痛みのようではなく、頭の中まで到達しそうな勢いのある痛みだった。口を結び痛みに耐えながら、忘れていた2011年にやってもらった白内障の手術と同じ痛みを思い出していた。

<続く>

743-1
昨日の診察で澤田先生が
次は来年の1月で問題ないだろうと
目薬は続けるけどそこまで先延ばしできるということは
とりあえずの心配事はないとの判断だろう
細菌性眼内炎も終息に向かっているのだろう
もうすぐ3年
ひと区切りというところか

743-3
昨日眼科の受付に行くと
問診表を書くように言われた
コロナウイルス対策の一環のようだ
県外に行ったことを丸で囲んだら
何県に行ってどこを訪ねてどんな人とどんな形で会ったかを
かなり詳しく聞かれた



第443回 人間と自動車技術の進化

今から54年前。バイアスタイヤしかなかった時代。10インチタイヤを履いた全長3,000㎜、排気量360㏄の小さな軽自動車で運転の楽しさに目覚めてからというもの、クルマが自分の能力を拡大してくれるモノだと確信してからというもの、自動車技術の進化には常に心が躍ったものだ。自分自身が成長できるような気になったと表現したら、言い過ぎか。

運転を始めて数年経ったころだと思う。初めてラジアルタイヤを履いたクルマに乗った。ミシュランXASを履いた初代カローラだった。まだ国産のラジアルタイヤはない。
これは衝撃だった。ステアリングを切ると間髪を入れずにクルマが反応し、しかも路面のわだちにも影響を受けない。外乱も少ない。バイアスタイヤでは細かな修正を続けるのが当たり前であったけど、ラジアルタイヤはクルマを前に進めることだけに集中することを可能にした。進歩ではなくクルマの進化。

半世紀の間、クルマの進化を目の当たりにしてきて、その過程で少しずつ、自分がクルマに求めるものが明確になっていった。こういうクルマが欲しいという明確な指標を持てるようになった。ところがそのようなクルマが存在するわけもなく、手足のように自由に操れるクルマ、思いのままに動かせるクルマがあるといいな と。

それは、まず軽いこと。全長は4mぐらい。後輪駆動。前後の重量配分が50対50に近いこと。前後のオーバーハングが短く、かつオーバーハングマスができるだけ小さいこと。NAエンジンで200馬力は欲しい。そんなイメージ。現実的ではない性能は必要ではない。交通の流れを余裕を持ってリードできる。けれど、できるだけ人間の重さとのクルマの重さの差が少ないほうがいい。クルマの運転というものは運動エネルギーを転換する作業だし、運動エネルギーは車重X速度の二乗の半分だから、車重が軽ければ加速減速旋回のどの場面にも有利だ。それが持論。

第347回で紹介したYRS Eプロダクションロードスターを作りたいと思った動機もそこにある。

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2010年に終の愛車として衝動買いしたルーテシアⅢRSは前輪駆動。他の要素は満たしているけど、操舵輪と駆動輪が同じでフロントヘビーなクルマ。それでもいいと思ったのは、広いトレッドやボディの作りこみ、疑似ダブルウィッシュボーン的なダブルアクスルストラット、リッター当たり100馬力を超え7,500rpmまで回るNAエンジンなどの魅力が、前輪駆動という不利点を上回ったから。フロントが重いのと前輪駆動の特性は乗り手の腕で補う自信があったから。

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そして今年5月。四国の山の中でアルピーヌA110に乗る機会があった。ルノーネクストワン徳島の一宮さんを助手席に乗せて走り出した瞬間、背筋に緊張が走った。車高が低いツーシーターではあるけれど、それ以外は全て自分が育んできた理想のクルマのイメージとぴったり重なった。そこには、利点を生かすために運転手が不利点を補わなければならない、という計算は必要でなく、あくまでも個人的にだけれど、利点ばかりのクルマだった。半世紀にわたって温めてきた自分の理想のクルマ像、手足のように自由に扱えて思いのままに動かせるクルマに初めて出会った現実。顔がほころぶほど嬉しかったのを覚えている。

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具体的な利点を挙げだすときりがないので省くけど、今のところアルピーヌA110の不利点は見いだせない。だから、独善かも知れないけれど、利点だらけのクルマをできるだけたくさんの人に味わってほしいと思って、YRSオーバルレースとYRSオーバルスクールの参加者に乗ってもらったというわけだ。

あとは、味わった人が自分のクルマでもアルピーヌA110のように安定した走りができるようなイメージを育ててくれれば、ユイレーシングスクールの20周年にふさわしかったのではないかと。

よどみのないA110の走り

12月1日のYRSオーバルスクールに参加された方のアルピーヌA110試乗記は来年初めに紹介する予定です。



第420回 交通弱所

最寄りの郵便局に行った時のこと。追加で貼る値上げ分の切手を買ったので帰ろうとすると、ドアの前に杖をついたひとりのお年寄りが。ちょうど入ってくる人がいて、そのお年寄りが脇によって道を譲った。ホホウと思った。ボクも道を譲ってから後に続いたのだけど、前を行くお年寄りの歩幅は本当に小さく、杖を頼りにつま先でつっかえつっかえ、ものすごくゆっくりとしたペースで歩を進めていた。

間合いを取りながら様子を見ているとそのお年寄りは駐車場に停めた軽トラックに向かうではないか。失礼ながら、頭の中ではそのお年寄りはクルマの運転はしない、誰かが運転するクルマに乗るのだろうと無意識にふんでいたので、その光景は実に意外というかある種の驚きだった。

自分のクルマに乗り込んで先に駐車場を出ることもできたけれど、お年寄りが気になって軽トラックに先に出てもらおうと決めた。

お年寄りはひとりだった。何もしていなのではないかと思うほど時間をかけてドアを開け、何回かやり直しながら杖をダッシュボードの上に置き、実に長い時間をかけて運転席に座り、かなり間をおいてからエンジンをかけ、何事もなかったように軽トラックを発進させた。時間がすぎるのを長いと感じたのは、間違いなく自分の行動と知らず知らずのうちに比較していたからなのだけど、お年寄りにとってはそれが時間の刻み方だったのだろう。

軽トラックの後に続いて様子をうかがうと、道路に出る前にきちんと一旦停止してちゃんとウインカーを出して左右を確認し(頭がわずかに左右に振れたのでそう想像する)、ボクとは反対の方向に右折していった。

白状すると、足に不自由を感じるようになると操作に支障が出るものだと想像していた。目の前のお年寄りもそうなのではないかと思っていた。でも、お年寄りは足の不自由さを感じさせることなく、ギクシャクもさせずにクルマを走らせていった。
誰もが、少なくとも若い時と同じような操作はできなくなるのだろうな、と漠然とだけど思っていた。ボクはまだ、若いもんに負けない速さで走れるが、いつかは今のように手足が動かなくなる日が来て若い人の後ろを走る日が来るのだろうな、とも。

でもこの日。かのお年寄りが軽トラックに乗り込んでふつうにクルマを動かしているのを見て、どんな状況になっても運転せざるを得ないこともあるのではないかとはっきり想像するようになった。クルマという足がなければ生活できない環境にあれば、身体に不自由があってもクルマを運転するのだろうな、と。それまでと同様の生活の質を保つために、ひょっとすると最低限の生活を維持するために、クルマがもたらしてくれていた便利さを手放すことができるだろうか、と。

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同時に、市民権を持つ奥さんとアメリカ国籍の双子の息子が住むアメリカで老後を過ごすという選択肢もあるし、まだ先のことは決めてないけど、将来、現在の大津市北部に住み続けることを選んだ場合にはクルマを手放せないことも再認識することになった。

最寄りの駅は湖西線の志賀駅なのだけど自宅から速足で40分かかる。一番近い商店、実はコンビニなのだけど、とっとと歩いて30分。郵便局は35分。その上、和邇駅から北はバス路線もない(志賀駅と琵琶湖バレーを結ぶ路線はあるけど交通手段にはならない)。和邇駅のそばにあるスーパーマーケットにはクルマでも20分はかかる。湖西道路は自動車専用道路だし、並行して走る558号線は道幅が狭い上に歩道がない。クルマ以外の手段で買い物に行くのは現実的ではない。

高齢者が運転を続けることに対する批判があるのは承知しているし、高齢者が事故を起こす比率が高いのも知っている。身体に不自由があればクルマの運転は控えたほうがいいのだろう。けれど、クルマを運転しないと生活が成り立たなくなるかも知れない、クルマの運転が生活の質の維持するのに不可欠かも知れないと、少しだけ現実的に想像するようになった気がする。なによりも、クルマを運転しなくなることで自立心がそがれるのを心配している自分がいる。