トム ヨシダブログ


第659回 想像力

ある日。テレビをつけたままキーボードをたたいていたら、「 人の限界は能力で決まるのではなく想像力で決まると思った 」という声が聞こえてきた。思わず振り返って画面に見入ってしまった。一瞬、運転の話かと思ったものだ。

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「人の限界は能力で決まるのではなく想像力で決まる」と思った

 

遠い昔から運転が上手くなるために必要なものは何だろうかとか、不可欠なものは何だろうと考えるのが常だった。けれどあれこれ考えても、運転という行為が人間の営みの広範囲に及ぶものだからこれといった答えは出ずじまいだった。時間が経ち、クルマを動かす操作そのものが重要なのはもちろんだけど、どのようにクルマを動かすか、どう動かしたいかという思想のほうが大切なのではないかと考えることに比重が移ってきた。
けれど、確かに思想があってもそれに見合った操作ができなければ、クルマの性能を引き出し、目的に沿ってクルマを動かすことは難しいことも認識してはいた。 ある時。はたと気が付いた。人間が抱く概念である思想と、人間の行動の結果である操作の溝を埋めることができるのは想像力ではないかと。想像力を働かせれば運転手の思いをクルマに伝えやすいのではないかと。それがいつ頃だったか覚えてはいないけれど、想像力が豊富なほど運転が上手くなると思い始めた。だからテレビから流れる「 人の限界は想像力で決まる 」というフレーズに思わず反応したのかも知れない。

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「想像できることは実現できる」

 

自分の運動神経が標準より劣るであろうことはたびたび触れてきた。隠す必要もない。だけど自分の運転が下手だとは少しも思ってはいない。想像力を比較する術があるのなら話は別だけれど。
スクールで「 遠くを見て 」、「 物を点で見ないで 」、「 景色の中に入っていくようなつもりで 」 とアドバイスするのは、動くモノを操るには1秒後、2秒後、3秒後、10秒後にクルマがどうなっているかを想像する必要があるからだ。「 はい、何も考えないで走ってみましょう 」、「 ちょっといいかげんに走ってみましょう 」 と言うのは、何かに固執していると全体の絵が見えにくくなるからだ。「 透明な気持ちになって運転してみて下さい 」 と助言するのはかって自分がそうした時にクルマを動かしやすかったからだ。そう、全ては想像力を高めるのための試み。
逆に「 行き当たりばったりの運転はダメです 」、「 直前の路面を見て運転するのはやめましょう 」 と口を酸っぱくして言うのは、それでは想像力が働く暇がないし、先行き想像力を豊かにすることにつながらないからだ。

オーバルコースを走る延べ15,000人以上の運転をこの目で見て来て、誰しもが想像力を豊かにするほど無意識行動でクルマを動かせるようになり、やがてクルマを手足のように操る領域に近づいていったのを目撃してきた。

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「想像できるようになったらいりいろなことを変えられる」

 

ワタクシの思想? それは実現できるかどうかの問題は置いておいて、駆動方式に関わらずクルマが動き出してから止まるまで、前後輪それぞれについたスリップアングルの合計が限りなく等しくなるような運転を絶え間なく目指すことだ。それがクルマさんが望むことだと長年の経験が教えてくれた。だから、今でも運転中の自分の頭の中を覗くことができれば、想像力がワンワンと飛び交っているのが見えるはずだ。