トム ヨシダブログ


第71回 嬉しいメール

YRSドライビングスクールを受講された方からメールをもらうのはすごく嬉しい。ドライビングスクールを続けていて良かったと思える時でもある。
最近届いたメールを2通紹介しよう。

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写真と本文は関係ありません

『栃木の○○です。この前の日曜日はお世話になりました。

何をどう言って良いのかよく分からないのですが、この前のオーバルスクールの最後の左周りの8分間はとても不思議で独特な感覚でした。全てが「自動的」というか、運転を意識しなくても勝手に身体がクルマを操作している感じでした。

視界が、ものすごくワイドでカントがついているコーナーに向かって行く時も、ずっと遠い景色まで見えて、遠い山の裾野辺りまで見ている様な独特な視界でした。
いつもなら赤いコーンを見てそこの進入に集中してしまいステアリング操作やヒールアンドトゥなどの操作を意識してしまうのに、なんと言うかそういう事も無意識で操作している感じでした。

あの時どう走っていたかについては不思議と思い出せません。そういう意味では再現性はないと思いますし、あの走り方やラインが正しかったかも分かりません。ただあの独特の感覚をふとした時や寝る前に思いだしています。

またあの感覚が再現できるかどうかは分かりませんし、次にスクールに行った時もいつも通りトムさんに怒られると思いますが(笑)再びあの感覚を体験できる様に頑張らないで頑張ります。』

○○さんにどんなアドバイスをしたかをここで再現するのは難しいけれど。
もう6年も通って来てくれている○○さんの運転にはある傾向があった。操作自体は間違っていないし、オーバルコースを走っても遅くはないし何も問題はないように見えるのだが。
オーバルコースを走る○○さんの走りを目で追っていると、クルマの速さとエネルギーの方向が一致しないことがある。そんな場合、ほとんどの人が同じような理由で先に進むことができないでいる。そこで、操作ではなく意識の持ち方のアドバイスをしたというわけだ。
○○さんが無意識に走れたのはアドバイスのおかげばかりではもちろんないのだけど、一人で走っていると、特にそこそこ走れる段階になると、自分自身で天井を作ってしまうのが人間の性。

YRSのカリキュラムやアドバイスがきっかけで○○さんが無意識行動で操作できる領域に達したとしたら、これほど嬉しいことはない。

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『トムさん こんにちは。先日オーバルスクールに参加いたしました□□です。そのせつはありがとうございました。とても勉強になって、しかもとっても楽しかったです!思いがけず食事までご一緒させて頂いて、ごちそうにまでなってしまい……本当にありがとうございました。とても楽しい時間を過ごさせて頂きました。

今回、ヒール&トウを教えてもらったのが自分にとっては特にうれしくて……

できるようになりたくて自分で何度か練習しようとしたのですが、そのたびに、すんごいブレーキかかるし、イヤんなっちゃって、挫折してたんです。でも教えて頂いたやり方だと、ガッツンってブレーキかからない!スゴイ!!
というわけであれ以来、調子に乗って練習しております(^^)

運転ってホント我流になりやすいし、ふつうは直す機会もあまりないので、正しい、努力する方向が分かっているというのは、幸せなことですね。
スクール、行きたいと思いつつ引越しやら生活の変化などで、エンジンドライビングレッスン以来ちょっと間があいてましたが、またぜひ参加させて頂きたいと思います。

厳しい暑さの日が続いておりますが、ご自愛くださいませ。またお目にかかれるのを楽しみにしています。』

□□さんは、YRSドライビングスクールを受講される多くの方と同じで、シフトダウンの時のヒールアンドトウに苦手意識があった。
で、ヒールアンドトウはドライビングテクニックのひとつではあるけれど、それができないからと言って、クルマを走らせられないわけではないことをまず最初に理解してもらった。
次に、ヒールアンドトウを使うとどんなメリットがあるのかを説明し、その目的からさかのぼってブレーキング中のどの時点でシフトダウンすることが好ましいか確認してもらった。最後に、実際にヒールアンドトウの操作をする時のコツを「止まっているクルマのシートを一番後ろに下げ」て右足の動きを見てもらいながらイメージしてもらった。
ヒールアンドトウができる人は簡単にこなしてしまう。けれど、最初から誰もが流れるようにできるわけではない。だから、できないことが恥ずかしいことではないことも付け加える。

ヒールアンドトウに限らず運転操作というものは、理論的な理想形を具体的に説明することが必要だと思っている。クルマを運転するにはやらなければならないことがゴマンとある。個々の操作も大切ではあるけれど、最も大切なのは全ての操作をまんべんなくこなすことを最優先にしてもらい、運転する本人が自ら進化しようとする流れを作ってあげることだ。

その時のアドバイスがその人の中でずっと息づいていてくれれば、そんな嬉しいことはない。

余談になるが、そんなユイレーシングスクールの教え方の基本を形成した出来事がある。

今から四半世紀前のこと。双子の息子を幼稚園に送り迎えをする日が続いていた。ある時期、迎えにいくと親の顔を見るなりふたりしてベソをかくことが多くなった。最初のうちはその原因がわからなかったのだが、しばらくして、英語が得意でない息子たちなのに先生が頻繁にディベートの指名をするからだとわかった。
我が家は家庭内では日本語を使っていたが、将来英語圏で生活するであろう息子たちは保育園から英語漬けにした。おそらく我が芽生え始めた時に、ふたつの異なる言語に翻弄された結果の涙だったようだ。

で、息子たちを泣かすとはけしからん、とばかり幼稚園に乗り込んでいった。完全な親ばかである。自分がつたない英語しかしゃべれない負い目もあったのだろう。自分のことのように思えたのかも知れない。

しかし実際は、鼻の穴を広げているボクに向かって先生が言った言葉に打ちのめされたものだ。
その時にどういうやりとりがあったか思い出せないが、先生はこういうようなことことをよどみなく言った。

・あなたの息子は確かに英語が得意ではない
・アメリカ人の中にもしゃべるのが得意ではない人もいる
・しかしアメリカに住む限り英語をふつうに話せることが自然だ
・ここ(幼稚園)での時間は彼らにとって快適ではないかも知れない
・ここにいる時間は彼らの将来のためにある
・私は、彼らが自ら自分の能力を引き出す方法を教えるためにここにいる

まさにグーの音も出ないとはこのことだ。日本に来るたびにたくましくなる息子たちの顔を見るたび、名前は失念したが、あの先生に今でも感謝している。そして、その感謝の気持ちを表すためにユイレーシングスクールを続けている。


第70回 アイドリングストップ


掲載が遅れてしまったが、筑波サーキットで開催したエンジンドライビングレッスンに岡崎市から駆けつけてくれたTさんのウインドと

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トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールを点検に出した。お世話になったのはルノー京都。今回は代車に新車のマーチを貸してくれた。そして、これがアイドリングストップの興味津々初体験。


アイドリングストップ機構付きマーチ

と言っても、アイドリングストップ自体は何年も前から実用に供されている技術だし、町を走ればアイドリングストップバスが青信号になってエンジンをかけて(?)発進するのを目にするし、スクールに来たアルファロメオジュリエッタのStart&STOPシステムをパドックで試させてもらったこともあるから、興味の対象はもっぱら、アイドリングストップ付きのクルマを日常的に乗った時に自分がどんな反応をするか、だった。

マーチのアイドリングストップはスイッチの切り替えでで機能させないようにできること、アイドリングストップ中にステアリングを動かすとアイドリングストップが解除されることを教えてもらい、ちょっと安心して八条通りに乗り出した。

で、結論から言うと、「アイドリングストップという技術は確かにクルマの進化として認められるけど、違和感を感じることは避けられない」だった。

誤解のないように付け加えておくと、マーチのアイドリングストップのことを行っているのでは決してない。自宅から御殿場インターチェンジまでの400キロ強の間に信号機がひとつしかないユーザーにとってアイドリングストップが有益なのか、という議論をするつもりもない。
「アイドリングストップ機能がついていれば排気ガスの排出が減って環境にやさしく、燃費性能も向上するのでおさいふにもやさしい」と、あたかも排気ガスをたれ流すクルマが悪者で、アイドリングストップ装着車が善人だと言わんばかりの売り方に疑問を感じるのだ。そう。短期間ながら自分で体験して、今までもやもやしていたものが晴れた。技術そのものは拍手ものなのだが、もやもやの原因はその技術の伝達の仕方だった。

自動車技術として燃費向上を図るのでであればエンジン内部や駆動系の開発によってそれが達成されるべきであろうし、短時間エンジンを停止するという対症療法的な方法で声高に数値の改善を謳うのはいかがなものか、という話だ。使う環境によっては乗り手の利便性が大いに高まるのだから、もったいない話だと思う。
アイドリングストップ付きのクルマに乗っていてもその効能にあずかれない人もいる。アイドリングストップ自体を嫌う人もいるだろう。逆に、カタログに書かれた数値だけを比較して、個人の嗜好を抑えてアイドリングストップ装着のクルマを選んだ人がいるかも知れない。

やはり、この手のデバイスは、特にアイドリングストップに関しては「アイドリングストップという技術を搭載しています。通常の走行では特別に意識していただくことはありません。ただアイドリングストップを行うことで環境への負荷を減らすことはできます。機会があればそんな運転を試されてはいかがでしょう」というようなメッセージと『対』になるべきものだと思う。

ある日。スタッフで食事をしている時に絶対にぶつからないクルマの話になった。レーダーが人間の代わりをして障害物の手前で完全に停止させるデバイスを内蔵したクルマだ。一度試乗会に行こうかということになりあるスタッフが言った。「トムさんなら絶対にぶつけてみせるでしょ」と。「もちろん」と答えた。冗談だが、その場に居合わせたみんなが、クルマは安全な乗り物ですというイメージだけが一人歩きしなければいいがな、と願っていた。

その昔。米国日産が『Z』をアメリカ市場に投入するにあたりCMを流した。サーキットをさっそうと走るZの姿が目に焼きついたころ「You own the road]という刺激的な文字が現れる、そんなCMだった。が、そのCM、1週間もしないうちに画面から消えた。NHTSA(運輸省道路交通安全局)がユーザーに誤解を生じさせる可能性があるとして、放映の自粛を勧告したからだった。

アメリカと比べると概して日本のマスコミは、CMを含めての話だが極めて情緒的だ。クルマは乗り手の人生を増幅させる側面を持つから、メーカーもマスコミも情報の伝達方法には合理性を軸にして気を配るべきだと考える。も少し配慮があれば、喜んで技術を享受する人が増えると思うのだが。

ま、クルマが今よりもずっとプリミティブが機械であったころから運転の楽しさを追い求めてきた人間にとっては、最近のクルマの動きを制御するデバイスに馴染めないというか、おせっかいだとすら思ってしまう。
時代を考えれば最新技術に身を任せられるようにならなければならないとは思うのだが、クルマに任せたゆえに起きた悲惨な出来事をたくさん知っているし、任せたとたんに自分の運転が下手になってしまうような気がするし、運転に対する緊張感が薄らぎ老け込むような気がして、いまだにこの手のデバイスを受け入れるのが難しい。


ルノー京都CADONO

話が横道(?)にそれたけど、グランドオープニングの招待状をもらっておきながらなかなか行けなかったルノー京都CADONOにおじゃました。


ドアを開けると


ショールームにRSが3台


嬉しくなった


工場には入庫中のルーテシアRSが2台


外には納車待ちのトゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールが1台

まぎれもなくこの日のルノー京都CADONOはルノー・スポール占拠率が極めて高く、こんなディーラーがたくさんあればナ、と思わずにはいられなかった。
そんなディーラーでユイレーシングスクールの座学をやってみたい!


第69回 Rev to the limit 2

ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール 吠える

※このビデオは2名乗車で撮影しました。
協力 富士スピードウエイ