自宅のあるファンテンバレー市からクルマで20分ぐらいのサンタアナにAARがあった。All American Racers。日本ではあまり知られていないが、1966年から1969年までイーグルの名前でF1GPに参戦していた。当時のドライバーがダン・ガーニー。AARの総帥。
その後インディ500で2度優勝。インディカーシリーズ用のマシンを購入したカスタマーチームの優勝も数知れず。トヨタワークスチームとして参加していたIMSAスポーツカーレースでは1987年にせりカでGTOクラスのシリーズチャンピオンを獲得。1989年にはスポーツプロトタイプGTPクラスに参戦。デイトナ24時間レース、セブリング12時間といったヒストリック耐久レースを制しながら1992、1993年のGTPシリーズチャンピオンに輝いている。
しかしながら、トヨタ以外のチームがGTPクラスからの撤退を始めたことで統括団体のIMSAはGTPクラスを1993年をもって廃止することを決定。GTPチャンピオンマシンのイーグルMkⅢは走る場所を失おうとしていた。
1982年に米国トヨタワークスチームの設立に携わった者として、F1ほど日本での露出が多くなかったIMSAスポーツカーレースだからこそ、どうしても記事にして残したいとダンに頼み込み、アリゾナ州のフェニックスインターナショナルスピードウエイでチャンピオンマシン、イーグルMkⅢの試乗が実現した。
カーグラフィック1993年12月号
IMSA(InternationalMotorSportAssociation)はアメリカのレース統括団体の一つ
デイトナ24時間レースやセブリング12時間レースが有名
デイトナや試乗したフェニックスはもともとオーバルコースだけれど
インフィールドの部分を合わせて使う
とにかく爆発的な加速に思わず歓声を上げたことを覚えている
それと3速に入るころ身体全体が下に押し付けられるようだったのを覚えている
ダウンフォースがそれだけ強烈なのだ
あれは得がたい体験だった
それとロックツーロックが2回転もないステアリングには驚いた
その上パワーステアリングなのに重かった
イーグルMkⅢの心臓部は排気量2140cc直4ターボエンジン
730psを7500回転で絞り出し
5200回転で97.2kgmのとてつもないトルクを発生した
イーグルMkⅢの車重は912Kg
200Km/h時に1680Kgものダウンフォーズで押さえつけられるから
天井を裏返しになって走れることになる
インタビューの中でGTPが終焉を迎え安価なWSCクラスに移行することを聞いた
F1,インディカー、GTO、GTPといった技術の粋を尽くしたマシンを作ってきたダンは
コスト低減のために始まる参加者主導型のツーシーターのWSCには
AARとして興味がないと明言した
根っからのレース屋
残念ながらダン・ガーニー氏は今年1月14日に亡くなりました
いろいろと無理を聞いてくれたダンに感謝しました
この時の体験はその後の
クルマの動きの理解と
情報収集 → 解析 → 行動(操作)の習熟
に大いに役立っている
※ 誌面の写真は幸田サーキットドライビングスクールに参加してくれたFさんの蔵書を撮らせていただいた。
初めてアメリカのモータースポーツを取材したのは遠い昔の1976年6月。カリフォルニア半島の先端付近で開催されたバハインターナショナルオフロードレース。現代のパリダカの起源のようなオフロードレース。池沼純一さんが日本人として初めて挑戦した。
見ること聞くこと全てがダイナミックでスケールが大きくて眩しくて、アメリカのモータースポーツをもっともっと味わいたい、日本に伝えたいと思った。
オートスポーツ96年4月15日号
日本にもスーパースピードウエイができると聞いて
ストックカーレースの総本山であるフロリダのNASCARに押しかけ
NASCAR創設者ビル・フランスJr.の息子で
当時マーケティングマネージャーをやっていたブライアン・フランスにインタビューした
「トム、我々はストックカーレーシングをモータースポーツだとは思っていない
MLBやNFLなどと同じメジャースポーツとして位置づけているからね」
の言葉が印象に残る
ブライアンは現在のNASCR会長
カーグラフィック1994年3月号
1998年調べで全米に1,029ヵ所のオーバルコースが存在し
ローカルのオーバルコースでは毎週のように行われているストックカーレース
その頂点ではなく底辺でもなく
明日のデイトナウィナーを目指すドライバーが集うクラスに乗ってやろうという企画
とにかく手っ取り早くストックカーを味わうためNASCARの総本山に近い
フロリダ州エッヂウォーターにあるフィニッシュラインレーシングスクールを受講
ストックカーレースにまつわる情報を吸収しながらNASCARの人気カテゴリーである
・モディファイ
・レイトモデル
・スポーツマン
に一気乗り
ボルシアレースウエイはターンのバンクが10度でストレートが5度
1周800mのいわゆるハーフマイルトラック
オーバルレースの魅力は人間が主役であること
マシンはローテクの塊りだけど調整幅があるから
クルマを知っている人なら工夫して速く走らせられる
NASCRのトップカテゴリーを除いてお金があるから速いという図式はない
タイヤだって何レースも持つカチカチがレギュレーションで決められているし
破損するといけないといまだ鉄チンホイールしか許されない
速く走らせるテクニック以上にクルマを速く走らせる努力が求められる
ローカルのクォーターマイルオーバルに行くと
昔走っていたというお年寄りが若者のセッティングを手伝ってやっている
スタンドでは親父が小さな息子と観戦している
つたない文章では伝わらなかったかも知れないが
NASCARストックカーを通じて
グラスルーツモータースポーツから
取材した当時ですらMLBより視聴率の高かったウィンストンカップまで
日本からは想像もできな広大で広大な裾野を広げ
意思のある者はどこかに開いている門戸が見るかるアメリカンモータースポーツの世界を伝えたかった
そこには太さの異なる金太郎飴が何十種類もあるだけでなく
桃太郎飴や浦島太郎飴や片目をつむった金太郎飴が並んでいる
※カーグラフィックの写真はFさんの蔵書を撮ったものです。Fさんありがとです。
昨年YRS幸田サーキットに参加してくれたFさんが、ご自身が保存している自動車雑誌の中からボクが昔書いた記事を見つけてくれた。
アメリカに行く前も行ってからもあちこちの雑誌に書いたけれど、手元には残ってないので懐かしいやら嬉しいやら。感謝です、Fさん。
カーグラフィックの1993年9月号
当時西海岸で大人気だったスタジアムオフロードレース
街中にあるスタジアムに大量の土を運び込んでジャンピングスポットが連続するコースを作る
砂漠まで行かなくてもオフロードレースの醍醐味を味わえる
それに参加していた米国トヨタのファクトリーチームPPIのマシンの試乗記がこれ
1979年にアメリカオフロードレースの大御所ミッキー・トンプソンが砂漠を街中に再現
ピックアップが稼ぎ頭のメーカーはこぞってスタジアムオフロードレースに参戦
2台のモンスターを走らせたPPIは9回ものマニュファクチャラー選手権を獲得
「ガワ」はトヨタのピックアップだけど中身は別物
パイプで組んだチューブラスペースフレームにV6の2,850cc300馬力のエンジンを搭載
前進1段後進1段のATでデフをもたないソリッドアクスルを介して後輪を駆動
1,260Kgの車重を支えるのは前後とも483mmのストロークをもつサスペンション
コイルスプリングは3種類が同列にならびショックはストロークスピード感応式
フェンダーを手で押すと沈むほどにイニシャルスプリングは柔らかい
ベンチュラにあるPPIのテストコースで乗ったのだけど
クルマは人間の能力拡大器だと信じているボクにとって
横G縦Gに加えて浮揚感まで感じられるクルマはたいそう楽しかった
ずいぶん時間は経ったけど
あの時の経験は今でも役に立っている
◎