トム ヨシダブログ


第812回 視線と視野

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昔から
どんな場合で
最右車線を走り続けることはない
その必要も感じない

 

高齢者の逆走が頻繁に起きているからか、ドライブレコーダーが普及したからか、ニュースで逆走しているクルマの映像が流れることを目にする機会が増えた。

逆走は交通体系を根本から覆すものだから、してはいけないし防ぐための対策も必要だ。しかし個人的にニュースを見て暗澹たる思いになるのは、高速道路で逆走車を避けたクルマの動きだ。幸いにして事故にはいたらなかったようなのだが、手放しで喜んでいいものでもない。

まず走行車線にクルマがいないのに追い越し車線を走り続けているクルマが多い。逆走車の運転手は自分にとっての走行車線を走っていると勘違いしている可能性が高いのだから、逆走車が向かってくるのは順送車の追越車線。追い越し車線の走行は必要最低限にするべきだ。

次に追越車線(逆走車にとっての走行車線)を向かってくるクルマを認識して回避するタイミングだ。定点カメラは焦点距離が長いからよせ効果で一概に距離感を断定することが難しいけれど、いくつか見たニュースでは追い越し車線を走るクルマが直前まで回避行動をしていないように見える。どこを見て、何を視界に入れて運転しているのか疑いたくなる。自分に置き換えた場合もそうだけれど、もっと早い時点で逆走車を認識してもよさそうにと思う。

ニュースではわざと逆走する人もいると言っていた。言語道断だけど逆走するクルマが現実にいることには変わりがない。それでもクルマを運転するのだから、クルマの動かし方を再考して、どう運転すべきなのか熟慮する必要があるのではないだろうか。

ある意味クルマの運転がどんどん楽になったから、そして運転する側の認識が薄っぺらくなってもクルマを動かすことができるから、逆走が起きるべき事象として起きているのならば、これほどやるせないことはない。

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どこを見て運転しているか
 
正確に表現しようとするならば
どこも見ないで運転している自分がいる
 
あなたは
どこを見て何を見て
運転していますか

視線:眼球の中心点と見る対象とを結ぶ線で目で見る方向
視野:一点を凝視したときに見える外界の範囲

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先週末開催した
ポルシェクラブ東京銀座から委託されて開催している
ドライビングレッスン
今回で12回目
次回は12月
FSWショートコースで開催します

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掛け値なしに言って
会員のみなさん
すごく上手くなりました
クルマさんも間違いなく喜んでいるはずです。

 

※ 走行中の画像はウェアラブルカメラで撮影したものです



第755回 人の振り見て我が振り正す

あくまでも私事ですが。   交通事故が減らないなぁ。

市街地にしろ高速道路にしろクルマを走らせていると、実に様々な人の運転を目にすることになる。目に止まったクルマの動きを見れば、経験的に『 はぁ~ん、運転しているのはこういう人だな 』と想像がつくというものだ。そしてクルマの動きを追えば、それがほぼ間違いないと確信できる。

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写真は本文と関係ありません

 

よどみなく運転している人。この人は周囲が見えているな、とわかる運転をしている人。交通の流れに乗れている人。状況を俯瞰しているなとわかる人。交通社会の一員であることを認識しているであろう人。

他方。横着な運転をする人。独りよがりの人。乱暴な運転をする人。自分の事しか考えていないような人。鈍い人。せこい運転をする人。状況がわかっていない人。何も考えずに運転している人。運転に集中していない人。自分本位の運転をする人。自分さえ良ければ他のことは知らないと言わんばかりの人。

千差万別。8千万人余りの免許保有者がいるのだからいろいろな人がいて当たり前ではあるけれど、残念ながら前者は少数派。後者は50年余り前から一定数存在したけれど、残念なことにその比率が加速度的に年々増加しているのは間違いないところ。   では自分はどうなんだ、という話。

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写真は本文と関係ありません

 

自分の運転が模範的だと言い切る自信はもちろんないけれど、少なくとも安全かつ円滑な交通の流れの実現という道交法の精神を尊重した運転はしているとの自負はある。

そのためにも自分の運転に対して、大げさと言えば大げさかも知れないけど、基本となる方針を立てている。まず絶対に事故を起こさない運転をすることを大前提にしている。そのためにも自分の運転するクルマが交通を阻害したり他人の走行の邪魔にならないようにすること。次に交通という流れの中にあって、いかに自分の=運転しているクルマの存在を消すことができるか、換言すれば、いかに他人が自分のクルマの動きを無視できるような運転をすること。このふたつ。
これを元に自分なりのルールを作り、さらにルールを練り上げ、いつもそれに沿ってクルマを走らせている。だから、公道でもサーキットでも行き当たりばったりの運転をすることはない。

と、ここまでは数年前に書いて下書きフォルダに入ったままだった。具体的にどんなルールを自分に課しているか書き留めておこうと思っても、運転している間は条件反射的に身体が動いているから、どんな操作をしたかほとんど覚えていない。ただ気が付いた時にどんな意識で運転しているかを記したメモのほんの一部を紹介すると、

・自分のクルマの動きが原因で他人にブレーキをかけさせたり減速を強いる運転はしないことが鉄則。
・信号機が黄色に変わった瞬間、前を走るクルマのストップランプが点いた瞬間にスパッとスロットルを閉じ瞬時にブレーキペダルに足を乗せる。踏みこむかどうかは別にして。
・前方でクルマが左折のために減速を始めた場合、そのクルマに近づく前に大幅に速度を落とし車間を空け、進路を変えずそのクルマが視界から消えた瞬間に加速できる準備をする。
・対向車線にはみ出したほうが曲がりやすいコーナーで追越が可能な区間でも、速度を落とし気味にして中央線を割らないように走る。
・進路を変える場合はかならずウィンカーを長めに点ける。高速道路では最低9回の点滅が目安。
・広いコンビニの駐車場やスーパーマーケットの駐車場で進路を変える場合にはウインカーを使って進む方向を示す。
・駐車場に駐車マスが描いてある場合、クルマが止まっていなくてショートカットできる場合でも駐車マスの白線を踏まないように迂回する。
・交差道路に右折車線がある交差点を右折する場合、当該の右折車線にクルマが止まっていなくてもその右折車線をカットしたり白線を踏むことはしない。
・交差点で右左折する先が複数車線である場合、右左折後はまず第一車線を走行する。
・右折車線がある交差点で右折車線を利用する場合、手前のゼブラゾーンには入らず後方を確認しながら右折車線に進入する。
・一般道でも高速道路でも複数の車線がある場合、他のクルマと並走する時間をできるだけ短くする。
・一般道でも高速道路でも複数の車線がある場合、続いて追い越しをかける必要があっても追い越し終了と同時にいったん走行車線に戻る。
・一般道でも高速道路でも複数の車線がある場合、原則的にキープレフトで走る。
・高速道路や自動車専用道で合流する場合、合流車線で本線の流れより速い速度まで加速して、リアビューミラーを見ながら速度を落としつつ合流する。
・一旦停止の標識がある場合、他の交通がなくても誰かに見られていなくても原則的に一時停止をする。

等々。全てそうする理由がある。そうすることで自らを危険な状況に置かずにすむと経験から割り出したルールだ。

日々の運転で操作についてもルールのようなものを決めている。いつも同じように運転していれば、同じようにしているのに違和感を感じたら、何かがおかしいと気づきやすいからだ。運転操作にどんなルールを自分に課しているかについては別の機会に。

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写真は本文と関係ありません

 

それにしても、先に触れた話ではないけれど、年々自分の都合で運転する人が増えているような気がする。町を走っていると、こちらがブレーキを踏むのを見越した距離で駐車場から飛び出してきたり、コンビニの駐車場に停めようとしているのに進路を横切ったり、スマホを見ながら運転しているのか中央線をまたいでこちらに向かってくるトラックに出くわしたり、外出するたびに「 えっ、そんなことやるの 」、「 それはやめたほうがいいのに 」というような運転をする人に出くわす。事故が減らない訳だ。

お年寄りの場合は「 しかたないね 」と言ってはいけないけど次に何が起きるかおおむね想像できる。ところが一見ふつうに見える人がやるのだから面食らう。よっぽど運転に自信があるのか躊躇しないでクルマを動かしている。はたまたクルマを運転することを家電のオンオフスイッチを入れることと同じだと思っていて、常に自分の思い通りに動くものだと思っているのか。『 あなたが何事もなくクルマを走らせているのは、たまたま偶然が重なって事故しないだけですよ 』、『 もう少し他人の目を意識して運転したほうがいいのではないですか 』 と、おせっかいをしたくなる。     あくまでも私見ではあるけれど。

運転に限らず生活自体が主観的になってきていて、一人称で全てのものを考え、感じ、行動するようになってきているのだろうか。

ボクは小心者だから確信が持てないことをしようとは思わない。それでも十二分にクルマを運転することで得られる恩恵にあずかることはできるのだから。

 

※ 写真の一部は車載カメラ、もしくはウェアラブルカメラで撮影したものです



第676回 交通統計令和3年版から

免許人口の増加や車両保有台数の多さを考慮すると、発生した交通事故件数から見た我が国の道路交通はずいぶんと安全な方向に向かっていることが資料8-01の数字から読み取れる。
しかしながら交通事故総件数に対する単独事故件数が4%未満なのに、死亡事故件数からみると実に4分の1、つまり25%以上が単独事故によるものだというのは悲惨と言う以外にない。繰り返しになるが、単独事故とはすなわちひとり相撲をとったわけで第3者の関与はないのだから、事故原因がどうであれ運転していた人が避けようと思えば避けることが可能だった事故であることに間違いはない。
資料8-02には類型別の単独事故件数とその割合、資料8-03には類型別単独死亡事故の件数とその割合をまとめてある。車両の安全性が高まったことや、交通環境が整備されつつあることも要因なのだろう。時とともに単独事故の形態も変わってきてはいる。しかし原因がうっかり運転なのか操作ミスなのか、あるいは技量不足なのかは不明だが、事故を起こす前にできることはなかったのかと他人事ながらに悔やまれる。このブログに目を通していただいている方は単独事故とは無縁だと思うけれど。

自分は事故を起こさないと思っていても、事故を起こさないように運転していても、クルマを運転している限り人対車両、車両相互の事故の当事者になる可能性がゼロになるわけではない。交通法規を守っていれば安全なのではなく、ゆっくり走れば安全というわけでもない。クルマという便利な道具の恩恵を被るためにも、運転そのものを楽しむためにも自身の運転を俯瞰する習慣をつけ、また運転技術の向上を怠らないようにしたいと思う。

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資料8-01
全ての交通事故に占める単独事故の割り合い
および総死亡事故件数に対する単独死亡事故件数の割り合い
<資料8-01 pdfファイル>
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676b
資料8-02
単独事故件数の推移および類型別単独事故の割り合い
<資料8-02 pdfファイル>
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676c
資料8-03
単独死亡事故件数の推移
および類型別単独死亡事故の割り合い
<資料8-03 pdfファイル>
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第673回 数字から見えてくるモノ

公益財団法人交通事故総合分析センター発行の交通統計に載っている交通事故件数で最も古いのは昭和23年、1948年の21,341件。その年の交通事故死者数は3,848人とある。この年の死亡事故件数の記載はまだない。

交通事故件数、死亡交通事故件数、交通事故死者数、車両保有台数、人口、運転免許保有者数の数字がそろったのは昭和41年、1966年。今から56年前。この年、日本の道路には原付1種を含む2輪車から大型特殊自動車までありとあらゆる車両が1千8百万台走っていた。道路の総延長は98万9千キロ。乱暴な計算ではあるが全ての車両を1列に並べると549m間隔になる。
この年、42万6千件の交通事故が発生しうち13,257件が死亡事故。13,904人が亡くなっている。免許人口は2千3百万人弱。

車両保有台数が9千万台の大台に乗ったのは平成14年。今から20年前。道路の総延長は118万キロになったが、1列に並べた車両の間隔はおよそ13mに縮まる結果に。
この年、93万7千件の交通事故が発生し(過去最多は平成16年西暦2004年の95万3千件)、死亡事故は8,062件で8,396人の方が亡くなっている。免許人口は大幅に増加し7千6百万人強。

交通統計令和3年版に載っている最新の車両保有台数は91,253,654台。令和3年度の数字が掲載されていないので令和2年度の数字を借りると、道路の総延長は1,227,422キロ。全ての車両が日本全国の道路を13.5m間隔で走ることになる。
令和3年になると交通事故は大幅に減少し305,196件。死亡事故件数が2,583件。2,636人の方が亡くなっている。運転免許保有者は81,895,559人。

交通事故も交通死亡事故もひところに比べれば大幅に減少している。1966年より免許人口は3.6倍に増え車両の保有台数にいたっては5倍になったのだから、道路交通は間違いなく安全になっていると言ってもさしつかえないだろう。しかし死者数に関しては日本は24時間死者をカウントしているので救急医療が進み救急医療体制が整った現在、正確なところはわからない。もちろん死者数が減少傾向にあるのは歓迎すべきことだけど。
いずれにしろ交通事故そのものが減っているのは、クルマの運転を教えている者としては大いに喜ぶべきことではある。

しかしながら、事故を起こした人も起こそうとして起こしたわけではないのは百も承知だけれど、それでも事故は防げたのではないかと考えてしまう。

ここでは令和3年度にクルマと2輪車の交通事故がどのような状況で起きたかを知る手がかりとして、交通統計から引用した数字をまとめてみた。参考になるかどうかわからないがご覧いただければと思う。

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令和3年度事故類型別交通事故件数
 
pdfファイルでもご覧になれます
別ウインドウに展開します



第670回 交通統計令和3年版を見て ヤ・ハ・リ

今年7月に発行された公益財団法人 交通事故総合分析センター刊行の交通統計令和3年版からひも解く。
・日本の人口は平成22年の128,057,000人がピークで11年後の令和3年は125,502,000人に減少
・免許保有者数は平成30年の82,310,000人がピークで3年後の令和3年は81,900,000人に減少
・車両保有台数は平成30年に最多の91,460,000台を記録したがその後横ばいで令和3年は91,250,000台に
・交通事故件数は平成16年の952,720件が過去最多で17年後の令和3年は305,196件にまで減少
・交通事故死は昭和45年の16,765人をピークに減少を続け51年後の令和3年には2,636人にまで減少

自動車の安全性の向上、交通環境の整備の推進、交通違反取り締まりの強化、安全運転の啓発活動、ドライバーの運転意識の向上等々の相乗効果なのだろう、数字的には我々が共有する交通の安全性は高まっているように見える。その昔メディアを賑わした交通戦争という言葉はもはや死語のようだ。しかし、その一方である傾向が気になる。

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警察庁は交通事故を人対車両、車両相互、車両単独の3つに分類している。ユイレーシングスクールではここ10年余り運転の仕方に起因する交通事故、要するに運転の仕方次第では避けられたであろう車両単独の事故に注視してきた。車両が単独で起こすの事故とは、つまりひとり相撲だ。人であるか車両であるかは別にして、相手がある事故ならば避けられない場合もあるだろう。しかし単独での事故は運転の仕方次第では間違いなく起こさなくてすむと考える。統計的な数字は改めて集計するつもりだが、ここ数年の傾向として令和2年と3年の数字を比較してみたい。そこから見えてくるものは・・・。

交通事故の総件数は309,178件から305,196件に減少。そのうち人対車両の事故は37,811件から36,801件に、車両相互の事故は261,209件から257,481件にどちらも減少しているが、車両単独の事故だけは10,099件から10,848件に増加している

増加していると言っても、もちろん公道を走っている台数から見ればごくわずかな数字ではある。しかし交通事故総数が減っていて人対車両や車両相互も事故件数がどちらも減少傾向にあることを考えると、そして毎日見聞きする単独事故のニュースの多さやここ数年頻繁に遭遇するようになった傍若無人の運転と合わせて想像するに、交通を共有する人々の運転の質が年々下がってきているのではないかと危惧している。以前にも書いたことがあるが、『 たまたま偶然が重なって事故を起こしていないだけで、潜在的に極めて危険な運転をしている人 』が増えているように思う。

クルマを運転する者として、運転を教えている者として、改めて運転というものについて考えるいい機会になった。



第635回 魔の交差点 ?

自宅から滋賀医大病院までクルマで急ぐと1時間10分強。朝のラッシュに重なるともう10~15分ほどかかることがある。その元凶がこの交差点。

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交差するのが大動脈の国道1号線だから信号機のサイクルはそちらのほうが長いのはいたしかたないとしても(計ってはいないけど3倍はゆうに長い)、信号待ちの列に左折車が2台もいればまず1回や2回で交差点を渡ることはできない。

原因は他人のことと交通の流れを考えられないドライバーとクルマの流れをとんと意識できない歩行者が多いこと、信号機のシステムがあいまいだから。

写真のように南進では左折するとすぐに横断歩道がある。それでも横断歩道近くまで進んで歩行者が渡るのを待ってくれればいいのだけど、私は安全運転をしていますよ、とばかりに横断歩道から離れたところ、停止線のはるか手前で停止する人があとを絶たない。その後ろも左折車で、そのドライバーが後続車のことなど考えない人だともうだめ。最初のクルマとの車間をとりすぎるから進路をふさがれる格好になって直進車は身動きがとれない。
自分がこういう状況に遭遇したら、横断歩道手前の停止線ギリギリまで躊躇なく進んでクルマを止める。歩行者に近くなるからにらまれることもあるけど、横断歩道の幅は広いし歩行者を妨げているわけではないし停止線を越えることはしない。2台目や3台目に止まることになったら、前のクルマのドライバーにルームミラーを通してにらまれようと前のクルマにピッタリとつけて止める。何を言われようと、人よりも単位時間あたりの移動量が格段に大きいクルマの流れを促進することのに寄与するならばそのほうが合理的だ。

日本は歩行者優先がいわゆる常識でお題目なのだろうけど、クルマと人の共存を考えた場合、クルマの犠牲の上に立って歩行者が過剰に優先されている。歩行者はそれが当たり前だと思っているから始末が悪い。
かの信号でも、歩行者用信号が赤の点滅を初めてからならまだしも、赤になってから横断歩道に飛び出す人がいてクルマ側がその人を待つことになり、結局横断歩道の手前で待っていたクルマ1台しか左折できないこともある。その上、歩行者用信号が赤になると同時くらいに車両用信号が黄色点滅を始める。歩行者用信号が青である間は歩行者が気ままに渡ることができるから、まばらではあっても歩行者の横断が途切れない。今までの経験だと歩行者用信号が赤にならないと左折車が進めなかったことがほとんどだ。結局、左折車がいると1号線を横切れるクルマが数台という悲惨な事態になる。信号が青になってもなかなか発信しないご仁もいるし。

アメリカの歩行者信号は青になった次の瞬間に赤の点滅が始まる。つまり、原則的に信号待ちをしていた歩行者しか道路を横断できない仕組みだ。歩行者が多いであろうニューヨークではどうかわからないけど、すごく理にかなっている。歩行者用信号が青になれば信号待ちをしていた人に横断の優先権があるけど、その人、その人達が渡り終えればクルマに通行の優先権が移る。人とクルマ、どっちかはっきりしている。人とクルマが共存できる好例だ。

それに、アイドリング時のCO²排出量は走行中のそれよりも多いから、車両のCO²排出量を減らすにはエンジンをかけたままでクルマを止めている時間を短くすることが理にかなっている。前のクルマにつまって交差点を渡れないなんて回数が減れば、ガソリンの消費量も減らせるしCO²排出量も減らすことができる。今さら言うのもなんだけれど、アイドリングストップとかのデバイスの開発と並行してクルマの流れが滞るのを防ぐ手立てを始めるべきだったのではないか。
これは私見だし歩行者からブーイングがくるかも知れないけど、横断歩道の位置を左折したクルマが2台くらい止まれるくらい交差点から離れたところに移動するのもありだと思う。交差点の渡り方によっては歩行者が歩く距離が増えるかもしれないけど、歩行者優先と刷り込まれているからか、歩行者が歩いていると横断歩道との距離を開けてクルマを止め、後続のクルマが直進できずに次のサイクルまで待たなければならない例は枚挙にいとまがない。

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信号機の点灯サイクルは変更できるはずだから日本もやればいいのにとは思うのだけど、どんな場合でもグレイエリアが好き、と言うより、グレイエリアの住み心地が快適だと思っている日本人と日本の行政はやらないだろうな、と毒づきながら毎回、次の青信号で渡れるかなと悩ましい時間を送っている。自分自身も日本人だけど。(笑)



第609回 運転意識

第608回で通学路に触れた。それを読まれた方からメールをいただいた。
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通学路への配慮が決定的に不足していると思います。添付した写真は近所の通学路です。環七から分岐した1車線(白いキャラバンが見える道)を小学生が歩きます。制限速度30km/hですが、勿論歩道はなく白線のみです。この先が赤堤通の起点なので、朝晩は相当な交通量です。この道を通らなくても小学校には行けるのですが、この道が通学路に指定なっています。

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メールありがとうございます、Tさん。この道も中央線のない道のようですね。なぜそんな道を通学路に指定するのでしょうね。

30年余り合理的かつ階層的に作られたアメリカの道を走ってきた身としては、日本の道路事情は百歩譲っても褒めることはできない。通学路に限らず一般道から高速道路まで、道路交通法の理念である『安全かつ円滑な交通』を実現するのには心もとない。自分の経験からすると日本の行政は予備的な、あるいは予防的な対応をするのが苦手なようだ。ここはこうしたほうがいいのにな、と思うことも少なくない。そうすれば走りやすくなるのになと。しかしながら、いつも予算が…、時間が…で終わってしまう。どうやら我々はこれから先も褒められない交通環境の中でクルマを運転することは間違いなさそうだ。

だから道路事情のせいにするのではなく、自分だけでも事故を起こさないという覚悟で運転する必要がある。運転に真剣になる必要がある、と思う。

第597回令和2年版交通統計から見えてくるもの で触れたように年々交通事故件数は減少しているし、交通事故死者数も減ってはいる。けれど、昨年の運転免許人口の半分の4千百万人が日常的に運転しているとするとして交通事故件数が30万9千件だから、数字上200人が運転しているとその中の1.5人が交通事故にあう計算になる。200人の知人がいたら、そのうちの誰か1人は1年間に1回は事故にあっている、という数字だ。現実に交通事故は減ってはいるけど。我々自身からはるか遠い出来事では決してない。

ボクの場合。  毎年通う人間ドックで、「そのうち酸素吸入器が必要になるかも」と言われてタバコをやめたのが6年前。それまではかなりのヘビースモーカーだった。それでも運転中にタバコを吸ったことはなかった。吸いたい時はクルマを止めて喫煙可能な場所で吸った。自分が運転に一生懸命だということを証明するためにも、運転中に吸うことは考えられなかった。さらに言えば、そこまでやらなくてもと思われるだろうけど、運転中にラジオや音楽を聴いたことはない。純粋に運転を楽しみたいから。
ま、どちらかと言うとおっちょこちょいのほうだから、残念ながらホイールをこすったりの悔しい自損事故の経験はあるけれど、相手のある事故は絶対に起こしてはならないという前提で運転したいと考えている。



第608回 エ~ッ !

スクールで留守にしていた間に録画しておいた番組を見ていて思わず声が出た。

今年6月に八街市で抜け道が常態化していた道路で起きたいたましい事故。番組ではその道路に施された様々な安全策が紹介されていた。

事故のことはニュースで知っていたが、驚いたのがこの画面とナレーション。安全のためにそれまでの制限速度60キロを30キロに変更したとの報道。
エ~ッである。今まで制限速度が60キロ、つまり速度規制の標識さえない道が通学路だったなんて信じられない。文字ニュースによるとその道の道幅は7mあるらしけど、当時ニュースで見た事故現場には中央線がなかった。正確なことはわからないけれど、中央線がないということはその区間の幅員が5.5m未満の道である可能性もなくはない。そんな道を子供たちだけで通っていたなんて、誰も危ないと思わなかったのだろうか。誰も子供たちを守る手立てを講じようとはしなかったのか。

当該の道路では安全対策としてガードレールで部分的に車線を1台分に規制したりハンプを設けたりしているが、番組の後半ではそれでもスピードを上げて走るクルマの映像を流していた。物理的な対策も必要だろうけど、最後はやはり運転する人の意識に頼らざるを得ないのが現実だ。番組のサブタイトルも、”仕掛け”で事故は防げるか、だった。
歩行者にとって危険と隣り合わせの道は日本中にあるに違いない。大津市にもクルマの往来が激しいのに中央線のない道がある。我が家の周りは4m道路だ。しかし道路のせいにばかりはしていられない。結局のところ安全はクルマを動かす者次第な部分がのほうが大きい。番組を見終わって、今さらながらに交通弱者に対してこれまで以上の配慮をしたいと強く思った。ステアリングホイールを握る者の責任として。

 


第605回 リジェンドクラブカップレース生中継

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YouTube「Inter Proto Series x KYOJO CUP CHANNEL」で
9月26日(日) 15時30分~15時55分の間
『AIM Legend’s Club Cup 2021』レース
がライブ配信されます

 

リジェンドクラブカップレースはモータースポーツ界で活躍してきた名ドライバー達がVITAというマシンで戦うワンメイクレース。今回は最高齢87歳の多賀さんを初めとする17名が参加予定。お遊びではなく本当の本当の真剣勝負に参加するドライバーの平均年齢は72.7才です。みなさん競技ライセンスもお持ちです。驚いて下さい。

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AIM Legend’s Club Cup 2021 エントリーリスト
お名前を耳にされた方もいると思います
ぜひご覧下さい

 

いささかこじつけがましいのはわかっているけれど、レースともなれば危険が伴うというのが定説。なのに、なぜリジェンドドライバーたちは丁々発止のレースをしても事故を起こさないのか。
ひとつだけ答えを探すとするなら、それはクルマの動かし方を体と頭で理解しているから、になるだろう。この方達がその昔クルマを動かすことに一生懸命だったのは想像に難くない。どうすれば人より速くクルマを動かせるか頭を使い仮説を立ててそれを検証し、その結果として、運転していて次に起きることがあらゆる場面で連続的に読めるようになり、間違いのない対応をとることができるようになったからだと思う。

そして、加齢だけが高齢者交通事故多発の要因ではないとも思っている。確かに若者より年寄りのほうが事故を起こす可能性は高いだろうけれど、若者が無事故なわけでもない。高齢者でも事故とは無縁の人もいる。筆者が高齢者マークだからいきおい年寄りの話題が登場することにもなるけれど、今若い人もいずれは歳を取る。歳をとっても安全に思うようにクルマを操る人達がいる。運転というものは一生ものだ。早いほうがいいに決まっているけど、だからと言って遅すぎるということはない。今や高齢ドライバーの仲間入りをした名運転手同士のつばぜり合いを見ながら、これから自分が運転とどう向き合っていくかに思いを巡らすのも悪くはないと思う。

#リンク #ブログ #高齢者 #運転 #安全運転 #事故
・第556回 高齢者安全運転診断サービス その後
・第566回 高齢者と運転
・第579回 レーサーだって歳をとる!
・第597回 令和2年版交通統計から見えてくるもの

 

※ レジェンドクラブカップレース広報資料



第592回 交通統計

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令和2年版の交通統計が届いた
 
COVID-19に翻弄された2020年
交通事情もそれなりに変化が
数字にも表れているのだろうか