トム ヨシダブログ

第857回 記憶のかなたの5

第832回 記憶のかなたの1
第833回 記憶のかなたの2
第839回 記憶のかなたの3
第846回 記憶のかなたの4 からの続きです。

2025tom
少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープが頻繁に走っていた。それ以外クルマと言えば八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを見かけるほどだったが、自動車は少年の心に大きな影響を与えていた。

 

圭ちゃんと解良さんの後について居住区に向かって歩いていると、白い壁の目立つ宿舎の向こうから、ダッ、ダッ、ダッというエンジンの音が聞こえてきた。

飛行機が展示してある立川飛行場のエプロンは、たくさんの人でごった返しざわめきこそ他所ではありえないほど大きなものだったものの、発動機の音は皆無だったから低音の排気音は間違いなく居住区からのものだった。歩いて行くとかなり大きな空間が広がっていた。そこには周囲を芝生で囲まれたアスファルトのコースがあった。見た感じでは運動場のような楕円形をしたコースのようだった。
見たこともない景色を目の当たりにした少年をさらに驚かせたのは、そのコースを屋根のない小さな自動車が何台も走り回り、それらを運転しているのが少年と同じぐらいの子供たちだったこと。

「なぜ?」、「なんで?」少年には小さな自動車が走り回っているのはもちろん、それらを操っているのが自分と同じ子供だということが信じられなかった。そこが米軍基地で日本の日常とは異なるということが少年には理解できていなかった。ただただ同い年ぐらいの子供が、ふつうは大人が運転する発動機つきの自動車を操っていることが信じられなかった。

戸車をつけたリング箱で自動車という乗り物に近づいたという感覚は抱いていたものの、目の前に広がる光景は少年の意識をいっきに本物の自動車に向かわせるのに十分だった。その日、少年は家に帰るなり年上のいとこ連中にお願いして、なんとかあの子供が乗っていた小さな自動車の正体をつかもうとした。少年は猛烈に欲しいと思った。寝ても覚めてもどころの話ではなかった。もはやあれほど熱中した模型飛行機も眼中になかった。

いとこがどうやって調べてくれたのかは記憶にないけれど、立川基地で見た少年が乗り回していた発動機付き自動車がアメリカ製で、横浜にあったミゼッティ工業という会社が輸入していたことを突き止めてくれた。

買おうと思えば買えた。ただし価格が当時の父親の月給の6倍ちかく、34万円もしたことは今でも覚えている。つまり、あの自動車は立川基地内のアメリカ人向けであって、日本人が購入するということは非現実的だった。少年の夢は一瞬にしてついえた。

しかし、この日の出来事は少年にアメリカへのあこがれを植え付けた。

 

アメリカの自動車雑誌を取り寄せて少しでも知識を広めたいと思っていたある日。あの日立川飛行場で見た幼い子供が操る屋根なしのクルマの正体がクォーターミヂェットと呼ばれるれっきとしたレーシングカーであることを知った。インディアナポリス500マイルレースを走るチャンプカーを頂点としたオープンホイールレーシングの裾野であることもわかった。

【参考】
・クォーターミヂェット オブ アメリカ
・クォーターミヂェット ウィキペディア
・立川基地三軍統合記念日基地公開 1960年5月21日(土曜日)、22日(日曜日)

解良さんとの出会いがボクの人生を決定づけたと言っても言い過ぎではない



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