トム ヨシダブログ

第473回 ひと区切り (前)

間もなく3年。長いと言えばほんとうに長かった。

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2017年のルノーネクストワン徳島主催のルノークラブ走行会
ここから全ては始まった


2017年5月1日。多少違和感があったので近くの眼科で診察してもらう。眼圧が高いとのことで内服薬と点眼薬を処方してもらう。

同5月2日。午前中に徳島に向けて移動。ルノーネクストワン徳島で一宮さんに挨拶してから三次市へ。午後ホテルに逗留するも右目にもやがかかったよう。前日から薬を飲み点眼薬をさしてきたが効果なし。

同5月3日。早朝から阿讃サーキットに向かう。一番乗り。右目はかんばしくなく視野全体が黄色がかっている。参加者が集まり座学を行い走行が始まる。運転には支障がないからリードフォローと同乗走行。ところが昼前になって右目でモノが見えなくなる。不透明の黄土色の円が視野のほとんどを覆っていて、目を上下左右に動かすと円の周囲の像がかすかにわかる程度。走行会の進行を妨げるといけないのでそのまま夕刻まで。走行会が終わるころには右目の視界を完全に喪失。いつもは最後まで残って参加者を見送るのだけど、一宮さんに事情を説明して早めに山を下りる。

どうしたものかと三次町の眼科医に電話をしてみるが休日で応答なし。その後何をしていたかの記憶が途絶えている。どうしたらよいのか何かをしていただろうことは間違いないのだけど。吉野川SAで暗くなりかけてから三次救急病院に電話したところから覚えがある。もちろん眼科はあるのだけどこの日は担当医が不在。どうしてもだめかと食い下がるも不発。右目が見えないのでなんとか状況だけでも知りたいと訴え続けると、運転できるのならと徳島大学病院に行くことを勧められる。
自分でも片目でそれまでと同じ運転ができることに驚きつつも70キロを走って徳島大学病院へ。休日のこの日だから担当医がいるわけがなく、救急外来受付でなんとか現状を把握したいとお願いすると眼科の先生に連絡をとってくれた。事情を説明すると、自宅にいらした先生が病院に来てくれるとのこと。

先生に診てもらえばなにがしかの結論が出るだろうと、ならば先生を待つ間にできることをしようと片目で合法的に運転できるのかを検索。見えるほうの目の視野が150度以上あって視力が0.7以上ならば運転できるとあった。悪くころんでもスクールは続けられる。身体の力が抜けたのを覚えている。

夜9時半ごろ始まった検査はいろいろな機械を使って行われた。ひとつの検査が終わるとどの結果が出るのを待ってから次の検査。眼科病棟には担当してくれる仁木先生と自分だけ。診てくれるだけでほんとうにありがたかった。検査に1時間ぐらいかかったと記憶している。全ての検査が終わり先生に診察室に呼ばれる。

そこで、右目が見えない原因が細菌性眼内炎だと教えられ、状況としてすぐに手術をしなければ失明する可能性が高いと告げられた。1週間は入院する必要があるとも。そんなたいそうなことだなんてにわかには信じがたく、自分のことではないようなおかしな感覚。失明はむろんのこと避けたいが、不慣れな土地で何の用意もない状況で手術をすることにも展望が開けなかった。滋賀県の大津に住んでいる旨を伝え、手術が必要ならば自宅の近くでやりたいと訴えると、「ほんとは今やるべきなんですよ」と念を押されながらも滋賀医大病院宛の紹介状を書いてくれることになった。そんな事態の推移をどこか他人事のように眺めている自分がいた。

徳島大学病院を出たのが11時。方向性は決まった。滋賀医大病院に行く前に自宅へ、再び暗い高速道路を片目で走り230キロ先の我が家を目指した。

同5月4日。3時間ぐらいは仮眠できたと思う。とにかく朝一番で診察してもらうために早めに家を出る。
それまで入院したこともなければほとんど病気もしたことがないので勝手がわからなかったのだけど、紹介状があるからといってすぐに見てもらえるわけではなかった。ずいぶん待たされ、病人をほっておいていいのかと焦りも感じ、それでも遅い午前中に森先生が検査をしてくれた。ベッドに横になって何かの機械が顔の上に乗っている。そこへもうひとりの先生が入ってきて森先生と話している声が聞こえた。「やっぱり切るか」とか、そんな会話だった。
待合室で待っていると森先生に呼ばれ、「これから手術をしますから入院の手続きをして下さい」と言われる。予想はしていたものの、今日やるんだと自分に言い聞かせなければならなかったのを覚えている。

せっかく入院するのだからと個室に変更してもらい自分の時間と空間を確保して強がる。いよいよ手術。全身麻酔は使わないと告げられ、痛いのはいやだなぁと思いながらも段取りは進み、手術室へ。「私が執刀します」と入ってきたのが森先生と会話していた澤田先生。看護師に促されベッドに寝かされ頭を固定され。その上に重たくて分厚い感じのブランケット様のものが置かれた。右目の部分だけが開いているようで左目は何も見えない。頭は動かない。その間にもおびただしい量の消毒薬をかけられ、最後に目を閉じないようにまぶたを広げる器具が装着された。右目はまばたきができない。手術灯が点灯すると、視野全体を覆う黄土色の膜がパッと明るくなった。

これから何が起きるか全く想像できない。どんな痛みが襲ってくるのかもわからない。深呼吸してこれから起こるだろうことに備えているうちに、ある瞬間右目に痛みを感じた。小刀で指を切った時に感じる痛みのようではなく、頭の中まで到達しそうな勢いのある痛みだった。口を結び痛みに耐えながら、忘れていた2011年にやってもらった白内障の手術と同じ痛みを思い出していた。

<続く>

743-1
昨日の診察で澤田先生が
次は来年の1月で問題ないだろうと
目薬は続けるけどそこまで先延ばしできるということは
とりあえずの心配事はないとの判断だろう
細菌性眼内炎も終息に向かっているのだろう
もうすぐ3年
ひと区切りというところか

743-3
昨日眼科の受付に行くと
問診表を書くように言われた
コロナウイルス対策の一環のようだ
県外に行ったことを丸で囲んだら
何県に行ってどこを訪ねてどんな人とどんな形で会ったかを
かなり詳しく聞かれた



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