トム ヨシダブログ


第846回 記憶のかなたの4

850tom
少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが、クルマと言えば近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを見かけるほどだった。

 

「第839回 記憶のかなたの3」から続く

後になって知るのだけど、大きな模型飛行機を抱えて三澤模型に入ってきた人こそ 解良さん だった。

圭ちゃんのお店にもたくさんの模型飛行機が天井からぶら下がっていたけど、それよりも大きな飛行機だった。 ライトプレーン をまがいなりにも作れるようになり気分的に満ち足りていた上、エンジンを搭載してうなりをあげて飛ぶ模型飛行機の存在など知る由もなかった少年は、自分のすぐそばにとんでもない世界があると知って大いに衝撃を受けた。少年は解良さんに近寄りがたさを感じた。

それでも圭ちゃんが取り持ってくれたのだろう、いつしか三澤模型で解良さんと会った時には話をするようになっていた。エンジン付きの模型飛行機をUコンということも知った。となると、少年もエンジン付きの模型飛行機を作りたくなったのは自然な流れで、圭ちゃんに勧められて初心者用のUコン機のキットを買った。胴体も翼もべニア板でできているそれにフジ09のエンジンを積んだ。解良さんはパワーのあるエンヤ15というエンジンを使っていた。ボクもいつかは大きなエンジンを積んだ機体を作りたいと思った。Uコン技術という月刊誌のある時代。

模型飛行機店を営んでいる圭ちゃんが模型飛行機作りが上手いのは当然だけど、圭ちゃんに劣らずきれいにUコン機を作る解良さんは憧れの的だった。ライトプレーンと違って翼に厚みがあるUコン機はリブの上面と外面に翼紙を貼るのだけど、それが皺ひとつなくピーンと張っていてまるで1枚のぶ厚い材料から切り出した翼のようだった。

一緒にUコン機を飛ばしに行ったこともある。Uコン機は2本のワイヤーで主翼の付け根に取り付けたベルクランクを介し尾翼のエレベーターを上下させて上昇下降を行う。ただワイヤーの長さが10m以上もある。つまりUコン機は水平飛行だと直径20mの円を描いて飛ぶことになり、かなり広い場所が必要だった。ボクはというと離陸直後に失速させて墜落ばかりさせていたけど、解良さんは自慢の飛行機を宙返りさせたり飛ばすほうも上手だった。ある日。解良さんと伊藤中学校の校庭にお互いのUコン機を持ち込んで無断で飛ばしていて、用務員のオジさんにこっぴどく怒られたことも懐かしい思い出。

リンゴ箱自動車 で創作と工夫に目覚め、 ライトプレーン で物を作る楽しさを知り、Uコン機で動くものを動かす難しさを知る。模型飛行機に乗って飛ぶわけにはいかないけど、身体を動かすことが苦手の少年にとっては模型飛行機は自由への唯一の手段だったのだけど・・・。

三澤模型の圭ちゃんは足手まといだったはずのボクによくしてくれた。今にして思えば、解良さんとボクを特別に可愛がってくれていたように思う。
1960年。少年が小学校5年生の5月。圭ちゃんは米軍立川飛行場で行われた航空記念日に解良さんとボクを連れて行ってくれた。ふだんはうかがうこともできないアメリカ空軍の基地内と空軍機の実物を一般に公開するという画期的な行事だった。原町からバスに乗って大井町へ。大井町から電車で立川に向かった。
立川飛行場に足を踏み入れると、そこには模型飛行機の何百倍も大きなホンモノの飛行機が並んでいた。記録を紐解くと、今でも現役のC130も展示されていたようだ。戦闘機や輸送機にヘリコプター。実物の飛行機を間近で見るのが初めてなら、機体に描かれた横文字のカッコ良さも初めて。さぞかし有頂天だったに違いない。内部が公開されている機体もあり圭ちゃんと解良さんは次から次へと見て回っていた。基地内で昼食を摂ったはずなのだけど何を食べたか記憶にない。それほど目に入るモノが魅力的だったのだろう。

さんざん歩き回ったから休憩しようということになり、二人の後を追ってエプロンを離れ宿舎の並ぶ一角に足を踏み入れたその時、少年にとっては人生に目覚めたともいうべき乗り物に出会うことになる。

それは、その日初めて目の当たりにしてその大きさに驚いた実物の飛行機よりも、楽しさが増しつつあり希望が持てるようになった模型飛行機作りよりも、さらに強烈な衝撃を11歳の少年に与えた。

839-1
解良さんとの再会は昨年の11月初旬
何十年ぶりだろうか
最後に会ったのはアメリカに行く前だったから
45年は経っている計算になるか
それでも昔の記憶が蘇える

 

(続く)



第840回 トレーラーバス

トレーラーバスってどんなバス? って聞かれたので探してみた。

839-1
第833回 記憶のかなたの2 に
登場したトレーラーバス
全長を延ばせるだけ伸ばしたトレーラーは
転回時にトラクターとの接触を避けるため
前部が丸くなっている
トレーラーと運転席が異様に近いのがわかる
運転手が運転する様が手の届くところに
 
 
※ウィキペディア:トレーラーバスから引用

389-0
画像を探していて
戦後のトレーラーバスには100人乗り
のものがあったことを知った
大量輸送の先駆けだったようだ
 
乗降口より2段高くなっている最前部は
トレーラーバスの特等席だった
トレーラーバスの記憶がかすかに残る自慢
 
※ウィキペディア:トレーラーバスから引用



第833回 記憶のかなたの2

832tom
少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが近くにPXがあったので、カーキ色に塗られたジープやトラックが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを時おり見かけるほどだった。

 
「第832回 記憶のかなたの1」から続く

法事で浅草のお寺にお参りした後、やっ古で鰻をいただくのが習わしだった。

何歳の時か忘れたが自動車雑誌の仕事を始めていたと思う。親戚一同が集まった席で、車が好きでその道を選んだことを知っていたいとこが「昔からホントに車が好きだったからな。将来何になりたいか聞くと必ず、毎日車に乗れるおわい屋さんだったもんな」と笑った。

別のいとこが「世話を焼かせたよな」と笑う。小学校に上がる前だったと思う。当時、品川駅を出発して原町や荏原町を回って品川駅に戻る循環バスというのがあった。まだトラクターが客車となるトレーラーを黒煙を上げて引いていた時代。少年はたまにしか来ないトレーラーバスに乗りたくていとこやおばさんの手を煩わせていた。
当時トレーラーバスに乗ることが少年にとって無上の喜びだった。トレーラーの一番前の席に座ると目の前にトラクターがあって、長いバスを操る運転手さんの一挙手一投足を見ることができた。車を操る現場を目撃することができたことが幸せだった。
ふつうは乗った距離の運賃を車掌さんに払い目的地で降りるのだけど、少年はずっと運転手さんを見ていたかった。原町から乗車し一周し原町が近づくと「もう一周したい!」と駄々をこねたことを付き添ってくれたいとこは覚えていた。いとこが車掌さんとどういう交渉をしたかは知らないけど、一周で降りたことのほうが少なかったように思うのだけど。

tom2025B
少年は品川区立原小学校に通っていた。小学校に上がる前から身体の弱かった少年は1年生の時に既に眼鏡をかけ、体育の時間の運動を免除されていた。
友達と野球がしたいと親にグローブを買ってもらうのだけど、ボールを上手くさばけない少年はグローブを親分肌に取り上げられ素手で外野の球拾いが持ち場になった。

tom2025C
運動は大の苦手で今にいたるまで跳び箱と逆上がりは成功した試しがない。それでも少年の小学生時代が俗に言う『暗かった』ということはない。

 

身体を動かすのが得意ではなかった少年だけど、興味のあることには没頭した。それはお絵描きであり工作であり作文だった。

小学1年生の担任だった長身で美人の大塚先生が憧れの的だった。大塚先生に褒められたくて好きなことに没頭した節もある。大塚先生にとっては当たり前のことだったのかも知れないけど、絵や工作を褒めてくれることは少年にとって前に進む原動力だった。

少年は作文で車のタイヤについて書いたことがある。『自動車のタイヤはかわいそうだな。回るたびにへこんでの繰り返しだから』といった内容だった。大塚先生はその作文を読んで、『すごく細かなところにも目を向けているのね。よほど車が好きなのね』というようなことを言ってくれた。学校の先生にも自動車が好きなことをわかってもらえた。たいそう嬉しかった記憶がある。

タイヤは平らな部分があるからこそ自動車を走らせることができる。少年はたぶん、そうイメージできていたに違いない。



第832回 記憶のかなたの1

832tom
少年が育った品川区大井出石町。近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープやトラックが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーをたまに見かけるほどの静かな住宅地だった。

 

出石町には、地面にボールを置くとちょっとの間をおいて転がりだすほどの坂道がいくつかあった。少年の家の前の細い道も大通りに向かって下っていた。家の前の八百屋さんのお兄さんや近くに住む年上のいとこの手を借りて作った『りんご箱自動車』で坂を下るのが少年の楽しみだった。

それが小学何年生の頃の話だったか記憶が怪しいけど、リンゴ箱に収まったのだから高学年ではなかったろう。それでも少年はみっつの発見をしている。

りんご箱の底に横向きに4枚の板を打ち付け、鉄製の戸車を板を下駄にして取り付けた自動車。何度も繰り返し走らせたのだろう。地上高を稼ぐために本来の使い方ではなく車軸が取り付け面より下にくるように取り付けた戸車は容易にもげてしまった。戸車を取り付ける2本の木ネジにかかる応力が大きいのが原因だった。それ以来、板を2枚重ねて戸車を本来の向きに取り付け車軸とシャーシ=リンゴ箱の距離を縮めて剛性を上げた。

ある時、鉄製の戸車が荒れたアスファルトの路面を転がる音がうるさいので、当時珍しかった樹脂製の戸車を取り付けたことがあった。確かに走行音は低くなったけど、ものの数回でタイヤがちぎれてしまった。自動車の車輪には丈夫さが必要なことを痛感した。

幾度も坂を下っているうちに、本物の自動車のように『舵』が切れるようにしたくなった。丈夫な長い板の両端に戸車を取り付け、その板を太い釘でリンゴ箱の中央に留めた。板の端を両手で持って右や左に回せばリンゴ箱の向きが変わるはずだった。しかし、転がっているリンゴ箱は手を動かしたその一瞬はリンゴ箱の前側がわずかに向きを変えるような動きをするものの、次の瞬間には失速。坂を下ることも動くこともやめてしまった。
車輪の向きを変えれば自動車の向きも変わる。そんな単純な話ではなかった。アッカーマン方式のステアリングなど知るよしもない小学生。それでも「車輪が横を向くと抵抗になる」ということは学んだ。

八百屋さんがくれたリンゴ箱が少年に「移動する楽しさと喜び」を教えてくれた日々ははるかかなたに。



第230回 解良さんとクルマ

830
YouTubeの制作者の斎藤さんと解良さんの承諾を得て紹介します
 
解良さんのクルマ道 その一端を垣間見る
 
 
 
画像はYouTubeからキャプチャーしたものです

 



第586回 「車はちょっと悪めが素敵」

169-03
我が終の相棒
 
NAリッター100馬力エンジン
レッドゾーン7500rpm
クロスレシオ6速MT
ダブルアクシスストラット
車重1240Kg
トレッド/ホイールベース比0.588

2017年2月に 『今は昔』 と題したブログをアップした。

その中身はFB友達でクルマ雑誌界の知己とのやりとり。簡潔に言えば、純粋にクルマの運転そのものを楽しむ風潮が衰退したことへの嘆き節、になるのか。無情無常を憂いているのだけれど、でもあながち間違いではない。自動車技術の発達とともにクルマが平易な道具になり運転することへの意識が薄らいできている今、運転するということの意味、運転という人間の営みに思いをめぐらす必要は大いにある。青春時代から、そして自動車媒体の責任者としての肩の荷を下ろすまで何10年もの間クルマ一筋に走ってきたそれぞれがあの日どんな思いでいたのか、目を通してもらえると筋が見えると思う。

まして、内燃機関を動力とするクルマの先行きに展望を持てない現在においては、クルマの価値についても再考する必要があると考えている。

閑話休題。それにしても、不明にも4年前にはクルマ社会がこれほどの変貌をとげるとは思っていなかったし想像もしなかった。油断があった。それほど現代社会を取り巻く大気汚染の問題が深刻だったのにもかかわらず。いずれそんな日が来るだろうと漠然とは感じていたけど見通しが甘かった。

今年1月。EUが2020年に導入した新しい二酸化炭素(CO2)規制をわずか0.5g超過したとしてVWが200億円(‼)の罰金を受けることになったというニュースを目にした。クルマを売ると罰金? 排出ガスの規制は車種ごとの違いや排気量の違いで数値が異なり、1Kmあたり排出量50g以下のクルマは複数台に数えられるという補足があるから単純な計算では算出できないだろうけど、少なくとも二酸化炭素の排出量を減らさなければ罰金を払わなければならないのだから、EUに軸足を置くメーカーはこぞってEVやPHVの増販にやっきにならざるを得ない。
※2021年規定によるとEUでクルマを販売するメーカーは全販売台数平均で1Km走行時にCO2の排出量を95g以下に抑えなければならない。クルマに造詣の深い人に聞いた話だけど、1Kmあたり95gというのは燃費に換算すると24Km/Lになるらしいから簡単には達成できないだろうな。

その上、現状では脱炭素化がユーザーにも負担を強いている。1998年に欧州自動車工業会が欧州委員会と協議し自主規制によるCO2排出削減目標を設定し、同年フランスが自動車登録税の課税標準の算出にCO2排出量を織り込んだのを皮切りに、ヨーロッパ各国は横へ倣えで取得や所有に係る自動車税の税率にCO2排出量を加味することになった。国によっては排気量による課税を追加している例もあるようだ。聞くところによると、ヨーロッパではメガーヌRSの税金はCO2排出税が加わり500万円の車両価格に対して100万円近くになるという。取得や保有に係る税金が車両価格の5分の1ほどにもなるのだから、まだCO2排出税が現実のものではない日本に住むユーザーは幸いということか。

VWが規制未達成を発表した1週間前の1月14日。ルノーグループは2025年までのビジネス戦略を発表した。その中にはCセグメントでのシェア拡大を目指しながら、2025年までにグループで導入する25車種のうちの10車種がフルEV(‼)になると付け加えられていた。またルノーとアルピーヌの立ち位置を明確により鮮明にするとも。

4月26日:ルノーグループはルノー・サンクの再来と目するルノーR5をフルEVとして2025年に発売すると発表
5月1日:ルノーグループはルノー・スポール・カーズをアルピーヌ・カーズの名の元に再編したと発表
5月6日:ルノーグループは次世代メガーヌにフルEVを設定し近い将来発売すると発表
6月7日:ルノーグループはメガーヌE-TECHエレクトリックプロトタイプを発表

1月14日の発表には、フルEVのBセグメントハッチバックとフルEVのCセグメントクロスオーバーがアルピーヌの新型車として登場するとも明記されていた。さらにアルピーヌはロータス社との協業を進め、A110の後継車はフルEVになるとの記述もあった。大筋としては今後、RS=ルノースポールのバッヂをまとったモデルが出てくる可能性は限りなく低く、ルノーグループが新たに投入するスポーツカー、スポーティカーはアルピーヌの名を冠したフルEVになる可能性が高い、ということになる。

どうやら流れは完全にEV化に向いていると言わざるを得ない。EVはスクールの時に乗ったBMWのi8と日産リーフしか経験がないから、これからやって来るであろうクルマ社会を想像することは難しいし自分がEVにどんな印象を持つのか大いに不安がある。大気汚染の悪化を防ぐためにはEVがマストだと言われても、深夜のサービスエリアでエンジンをかけっぱなしにしている無数のトラックを見るとなんだかなぁと思うし、クルマを作るのにもエネルギーを消費するわけだし。排気ガスをきれいにする、出さないようにすることが求められていることは重々承知しているけれど。  130年余り自動車という世紀の発明を動かして続けてきた内燃機関。それを動力とした自動車が将来的には姿を消していくことは確かなようで寂しさもあり、爆発力と瞬発力が魅力のホットハッチの新型車はもう出現しないかも知れないという落胆もあり、延命策はないのかなとかあれこれ考えてしまうと頭の中のモヤが深まるばかり。

だから、ここはひとつ。ひんしゅくを買うかも知れないことを覚悟で、SさんとMさんが同意してくれることを期待しつつ、今のうちに買える人はルーテシアでもメガーヌでも構わないからルノーのRSモデルを買っておきましょう、と声を大にして訴えておきたい。

高校1年で免許をとってから56年間。内燃機関の爆発力と雄たけびに心奪われてきた身としても、ルノー・ジャポンのおかげで1台のGTとRSの全てのタイプ8台を堪能することができた身としても、ルノー・スポール・カーズが送り出すあのエンジンと足回りを今のうちにできるだけ大勢の人に味わってほしいと切実に思う。個人的には速いクルマが好きだ。かと言って圧倒的に速い必要はない。日常の現実的な等身大の速さが卓越していて手足のように動いてくれればそれでいい。走りを高い次元でまとめてあるRSはふつうのクルマよりちょっと悪めだから、自分とそして運転に向き合うにはうってつけなのだ、と言ったら誤解を生むか。

それほど遠くない将来、もうあの背筋がゾクッとくる刺激が味わえなくなる日が来そうなのだから。そして、わが国では車歴13年を超えると維持するのが重荷になってしまうけど、旧モデルのRSを含めできるだけたくさんのRSの個体がクルマ好きの手によって日本の道を走り続けてほしいと思うから。RSはただただ楽しむために走らせる価値が十分にあるクルマであることは間違いないし、スクールに来てくれれば楽しみを倍加させる方法は教えることができますから。

同時に、すでにRSを手にしている方はぜひその良さを満喫しつつ大切に乗り続けてほしいと心から思う。

 

【追記】   ブログに登場してもらったMGミジェットとアバルト595を所有していたSさん。最後のステージとしてミジェットとアバルト595を次々に処分してNDロードスターを買ったそうな。SさんはSさんらしく、人生オープン日和を貫く覚悟やよし。  ただただ楽しむために走らせるんですよね、Sさん。

 

586gt
1台目相棒

135-12
2代目相棒

305-02
3代目相棒

586-L1
4代目相棒

586-l
5代目相棒

586-m
6代目相棒

483-2
7代目相棒

550-0
8代目相棒

583-1
9代目相棒



第483回 続 = 空気の流れが変わる

484-1
484-3
484-5

第482回 最近の目から鱗 = 空気の流れが変わる をアップしたら、ユイレーシングスクールの常連でYRSオーバルレースにも参加しているKさんから風の流れが変わる理由について以下のようなメールが届いた。

『 ルノーのブログのエアコンの風の件を読ませていただいたのですが、もしコーナーの回り始めであればロールやヨーの加速度で気流が振られている要素も有るのではないかという気がしました 』。

そう言われるとそんな気もする。あなたはどう思われますか。ご意見お聞かせ下さい。 ユイレーシングスクールメールアドレス



第482回 最近の目から鱗 = 空気の流れが変わる

自動車雑誌の原稿を書き始めたころからだから、かれこれ45年あまり。ずっと気になっていたことがある。

夏の暑い日にエアコンを入れてダッシュボードのベントからそよぐ風を身体に感じながら運転していて、コーナーを回り始めると風が身体にあたる位置がコーナーに対して内側に、つまり左コーナーの場合は身体に風があたる位置が左側に移動するのを感じた。「え~っ、右じゃないの? 遠心力を受けているはずなのになぁ。おかしいなぁ」と思ったことが始まり。

それ以来、風の向きが変わるのを感じるたびに、なぜだろ? おかしいよな? と一瞬思うものの、クルマを動かす上で支障になるわけではないし、そのうち調べればいいやになったり、理由を知りたいという気持ちもクルマを動かすことへの興味ほど強くなく、ついぞ自分が持ち合わせている知識に逆行する風の流れの正体を知るには至らなかった。早い話、ほっておいたのだけど。

484a
ルーテシアⅢRSのセンターベントとサイドベント

484b
フィットRSのセンターベントとサイドベント

484c
ルーテシアⅣRSのセンターベントとサイドベント


4月、5月のスクールを立て続けに中止にしたし外出を控えていることもあってふだんできないことをやっているのだけれど、ある日、週1回にしている買い物に行くためにクルマに乗った時にエアコンの風のことを思い出した。

しかし、どう考えても自分の知識と経験だと「風は遠心力を受けて外側にそよぐ」という結論以外には思いあたらず、このままだとまた未解決のままになってしまうという意識も頭の片隅にあって、ここは他力本願だけどネットの質問箱に投書してみようと決めた。

そして、質問を書き込んでから2日目には回答が書き込まれた。恥をさらすようだけど、自分では思いつかない発想だったし、十分納得のいく内容の回答だった。慣性力の話はスクールでも頻繁に話しているというのにだ。

質問: エアコンをかけた車に乗っていてダッシュボードのベントからの風を身体で感じている時ですが、コーナーを曲がるとベントから出る風の向きがコーナーのイン側に変化するのを感じます。コーナーを回っているのですから、本来なら遠心力でコーナーの外側に向かうのではないかと思います。理由がわかる方の回答をお待ちしています。

回答: 空気と人間の体の質量は圧倒的に人間の方が大きい事はあたりまえですよね。遠心力は質量に比例します。と言う事は質量の大きい人間の体の方が圧倒的に強い遠心力を受けます。人間の体のほうが空気より大きな遠心力を受けてアウト側に傾きます。其の時、相対的に動きの遅い空気がイン側に動いたように感じるのです。しかも空気は室内に密閉されている為動きがさらに窮屈になります。結論として人間の体がアウトに流れる為空気がインに流れるように感じるでした。


自分ではそういう自覚はなかったのだけど、いかに人間本位に物事を見ているか、今さらながらに感じた。
風の流れが内側に変わったと感じたのはあくまでも主観であって、状況を客観的に見れば、あるいは俯瞰して見れば、そして相対的な目で見ればその理由にたどり着けたかも知れない。まだまだ精進が必要だと痛感。回答を寄せてくれた Hi-dessan さん に感謝です。



第443回 人間と自動車技術の進化

今から54年前。バイアスタイヤしかなかった時代。10インチタイヤを履いた全長3,000㎜、排気量360㏄の小さな軽自動車で運転の楽しさに目覚めてからというもの、クルマが自分の能力を拡大してくれるモノだと確信してからというもの、自動車技術の進化には常に心が躍ったものだ。自分自身が成長できるような気になったと表現したら、言い過ぎか。

運転を始めて数年経ったころだと思う。初めてラジアルタイヤを履いたクルマに乗った。ミシュランXASを履いた初代カローラだった。まだ国産のラジアルタイヤはない。
これは衝撃だった。ステアリングを切ると間髪を入れずにクルマが反応し、しかも路面のわだちにも影響を受けない。外乱も少ない。バイアスタイヤでは細かな修正を続けるのが当たり前であったけど、ラジアルタイヤはクルマを前に進めることだけに集中することを可能にした。進歩ではなくクルマの進化。

半世紀の間、クルマの進化を目の当たりにしてきて、その過程で少しずつ、自分がクルマに求めるものが明確になっていった。こういうクルマが欲しいという明確な指標を持てるようになった。ところがそのようなクルマが存在するわけもなく、手足のように自由に操れるクルマ、思いのままに動かせるクルマがあるといいな と。

それは、まず軽いこと。全長は4mぐらい。後輪駆動。前後の重量配分が50対50に近いこと。前後のオーバーハングが短く、かつオーバーハングマスができるだけ小さいこと。NAエンジンで200馬力は欲しい。そんなイメージ。現実的ではない性能は必要ではない。交通の流れを余裕を持ってリードできる。けれど、できるだけ人間の重さとのクルマの重さの差が少ないほうがいい。クルマの運転というものは運動エネルギーを転換する作業だし、運動エネルギーは車重X速度の二乗の半分だから、車重が軽ければ加速減速旋回のどの場面にも有利だ。それが持論。

第347回で紹介したYRS Eプロダクションロードスターを作りたいと思った動機もそこにある。

443-0

2010年に終の愛車として衝動買いしたルーテシアⅢRSは前輪駆動。他の要素は満たしているけど、操舵輪と駆動輪が同じでフロントヘビーなクルマ。それでもいいと思ったのは、広いトレッドやボディの作りこみ、疑似ダブルウィッシュボーン的なダブルアクスルストラット、リッター当たり100馬力を超え7,500rpmまで回るNAエンジンなどの魅力が、前輪駆動という不利点を上回ったから。フロントが重いのと前輪駆動の特性は乗り手の腕で補う自信があったから。

443-2

そして今年5月。四国の山の中でアルピーヌA110に乗る機会があった。ルノーネクストワン徳島の一宮さんを助手席に乗せて走り出した瞬間、背筋に緊張が走った。車高が低いツーシーターではあるけれど、それ以外は全て自分が育んできた理想のクルマのイメージとぴったり重なった。そこには、利点を生かすために運転手が不利点を補わなければならない、という計算は必要でなく、あくまでも個人的にだけれど、利点ばかりのクルマだった。半世紀にわたって温めてきた自分の理想のクルマ像、手足のように自由に扱えて思いのままに動かせるクルマに初めて出会った現実。顔がほころぶほど嬉しかったのを覚えている。

443-1

具体的な利点を挙げだすときりがないので省くけど、今のところアルピーヌA110の不利点は見いだせない。だから、独善かも知れないけれど、利点だらけのクルマをできるだけたくさんの人に味わってほしいと思って、YRSオーバルレースとYRSオーバルスクールの参加者に乗ってもらったというわけだ。

あとは、味わった人が自分のクルマでもアルピーヌA110のように安定した走りができるようなイメージを育ててくれれば、ユイレーシングスクールの20周年にふさわしかったのではないかと。

よどみのないA110の走り

12月1日のYRSオーバルスクールに参加された方のアルピーヌA110試乗記は来年初めに紹介する予定です。



第245回 物理はもののことわりです

フェイスブックで以下のような一文に出会った。書かれたのは植松電気の植松 努さん。あの『下町ロケット』のモデルになった人だという話もある。

ロケットをめぐる植松さんの広範囲な活動はそれぞれに検索していただくとして、ここでは、ロケットとクルマを結びつけるのは無理があるけれど、植松さんの考え方を、クルマの運転の上達を目指す人に伝えたくて全文を紹介させてもらうことにします。


『僕の筋肉の絶対量はたいして多くはないと思います。運動能力も低いです。でも、僕は、力仕事は、けっこう得意です。なぜなら、小さい頃から、力仕事をさせられてきたからです。

それは、つらい経験でした。でも、その過程で、力が無い僕は、体の上手な使い方を考えたのだと思います。

相手の重さと、重心と、モーメントを考えます。そして、自分の重さと、速度や力の方向を考えます。そして、相手の重さと自分の重さを、くっつけたり、離したりして、相手を動かします。

小さい頃からの力仕事をさせられた経験で、僕に身に付いたのは、根性や筋力ではなく、論理的に考える力だった気がします。
なにせ、父さん1人の会社ですから、力仕事も、まかされっぱなしです。1人です。だからこそ、ああだこうだ言われないですみました。自分で考えて試せたのがよかったのだと思います。

若い人の中には、いい体格をしていて、運動能力も高いのに、重たいものを動かすのがとても下手な人達がいます。見ていてすぐにわかりますが、俗に言う、「腰が入っていない」状態です。それは、実際には、自分の重心と質量を、相手を動かすために有効に使えていない、という状態です。これは、筋力や根性が足りないのではなく、体の使い方を知らないだけです。与えられた体の使い方しか知らないから、ちがう体の使い方ができないのです。

残念ながら、つらいことや、苦しいことに、耐えることが強さだと思い込んでる人がたくさんいます。だから、子ども達に、過度に苦しい思いをさせる教育者もいます。

「理由なんて考えなくていい!黙って指示されたとおりにやればいいんだ!」でも、こういうことをすると、つらいことに耐える力は身に付きません。自分の感情や心を押し殺してがまんするだけです。それでは限界は低いです。また、命令されないと、指示されないと、何もできない人になるだけです。

僕は、人の限界を高め、能力を発揮させるために大事なのは、つらい経験や苦しい経験ではなく、論理的に考える能力のような気がします。

だから、物理が嫌い、という人が多いのが残念です。物理は、もののことわりです。とても大事な学問だと思います。』


ドライビングスクールでも、『自分で天井を作るのは損です。オーバースピードでターンインした時に何が起きるか試してみて下さい。クルマは物理の法則に従って動きます。オーバースピードでターンインしてもクルマのバランスを崩さない方法はあります。まずそれをイメージして、その通りに操作してみて下さい。高い速度でクルマを曲げてみなければわからないこともあるのですから』と伝えます。

レベルはとんでもなく違うし遠くおよばないことは百も承知だけれど、物事を理詰めで考える機会を創り、人が物理的に考える手伝いをし、人本来の力を信じてやまない植松さんの生き方にに近づけるように、長く長くドライビングスクールを続ける覚悟を改めました。

他にも含蓄に富んだ文章に出会える植松さんのフェイスブック。興味のある方はどうぞ。


245-1
写真は植松電気のホームページから拝借しました
文章の引用も植松さんに許可をいただいています