トム ヨシダブログ


第224回 Yui Racing School

226-1

ユイレーシングスクールが主催するYRSオーバルスクールがWEB|CARTOPの取材を受けました。既に掲載されています。ご覧下さい。


第116回 ジムラッセルレーシングスクール


早朝ガレージから運びだされるスクールカー

当時レース禁止令が出ていて自分で走ることがかなわなかったので、代わりに日本語クラスを作ってもらい日本からの受講者を受け入れる体制を作った。
とここまでは2013年3月のブログに書いた。


マークによる座学があって

1987年。当時ジムラッセルレーシングスクールカリフォルニア校はラグナセカレースウエイとリバーサイドレースウエイを拠点としていた。その後ラグナセカをメインに活動するようになったのだが、日本語クラスはロサンゼルスに近いウィロースプリングスレースウエイでも開催した。
ラリアートにジムラッセルレーシングスクールのスポンサーになってもらっていたこともあり、毎年暮れにはミラージュカップシリーズに参加したドライバーが忘年会を兼ねて受講してくれた。
結局、記録を見てみると243名の日本人がジムラッセルレーシングスクールを受講してくれたことになる。


スクールカーの説明があって

3日間。フォーミュラカーで走り回る魅力的なカリキュラムは昔から憧れだった。そんな環境があれば、もっと直線的にレースデビューを果たせたかも知れない。そんな思いを抱きながら、期間中は日本からのお客さんに一生懸命アドバイスをしたものだ。


注意点が伝えられ

ところが、校長のジャック・クチュアもチーフインストラクターのマーク・ウォロカチャックもしゃべりすぎだと言う。
こちらは、はるばる日本から来てくれたのだから、そしてめったにない機会なのだからと正解をまじえながら操作の方法を伝えることが誠意だと思っていたのだが、自分で考える癖をつけてもらうためにしゃべりすぎは良くないと言う。


「これに乗るんだ」の横でバンライドの準備をして

マークを初めジムラッセルレーシングスクールのインストラクターが淡白とも言えるアドバイスをしていたのは前々から知っていた。それは本当にそっけない。
「ターントゥーレイト」とか「ターントゥークイック」だとか「ブレーキトゥーレイト」とか「スロットルトゥースーン」だとか。とにかく彼らが見た事実を伝えるだけだった。


遅くはない速度でやることをバンライドで実際に体験して

これには悩んだ。大いに悩んだ。自分で考え工夫して運転する癖をつけてもらうことが最も望ましいことはわかる。アメリカ人の受講生が簡単すぎるアドバイスだけで、ゆっくりではあるが上達していく様も目の当たりにした。
一方、日本人と言えば突っ込みすぎるのを抑えることが多かった。質問の内容も、どうすれば速く走れるかに集約された。


2班に分かれて乗車組と手伝い組に分かれて

できる限りためになると思うアドバイスをしてあげたい、けれどしゃべりすぎは駄目だと釘を刺される。ったく、どうすればいいんだ、と思いつつある仮説にたどり着いた。
ジムラッセルレーシングスクールの教え方は『過程』を重視していて、受講生に過程評価の仕方まで教えているのではないかと。日本では結果評価が優先される風潮にあるから、過程を飛ばして『結果』にだけ目がいってしまうのではないだろうかと。


とにかく「スムース&イージー」だよと


まずはシアーズポイントのドラッグストリップを使ってブレーキング

だから、ユイレーシングスクールを始めるにあたってひとつの方針を立てた。『過程』と『結果』の両方を目指すアドバイスをしようと。
それが難しいことだとはわかっているが、運転に限らずふたつの国の教え方の違いに接してきた身としては唯一の解決策だった。


休む間もなく走るのはユイレーシングスクールと同じ

だから、ユイレーシングスクールでは褒めない。受講者がひとつのテーマをクリアしても褒めない。たまたまうまくいった時にも褒めない。
言うことを聞かない人には、質問が来るまでアドバイスしないこともある。質問ばかりする人には、「何も考えないで走って走ってみて下さい」と言う。

その代わりに、「目指すのは理にかなった操作です。まだ先がありますよ、頑張って」と言うことにしている。
そして、「ボク自身まだまだ発展途上です。運転に関してはみなさんの先輩です。信用して大丈夫ですから後についてきて下さい。」と付け加えることにしている。

ですから、ユイレーシングスクールを受講して褒められなくても落胆しないで下さい。みなさんが上達していく様子はちゃんと心に刻んでいますから。


ラッピングに移ればコースのあちこちでインストラクターの目が光る

※掲載した写真は2007年8月にシアーズポイントで開催されたジムラッセルレーシングスクールの模様です。本文との関連はありません。


第109回 SCCA Club Racing


リバーサイドレースウエイのターン7は面白かった

というわけで、FIAルールとその延長であるASNに縛られないアメリカのレースは実にバラエティに富む。その上スポーツ好きな国民性がなせるのか、頂点のレースから底辺のレースまでレースの仕組みがよく考えられている。要するに、トップカテゴリーはこれでもか、これでもかと見せることに最大限の努力が払われ、グラスルーツモータースポーツはどうすれば参加者が楽しめるかを最優先にレース規則や車両規則が工夫されている。
ストックカーレースやドラッグレースやダートトラックレース等、日本ではなじみのないアメリカのモータースポーツだが知れば知るほど面白い。スポーツとして確立しているのがすばらしい。けど、面白さを語りだすとそれだけで今年のブログを独占してししまいそうなので(笑)、SCCA Club Racingに限って(も長くなりそうだけれど)話を進めるのでお付き合いいただきたい。


ウイロースプリングスレースウエイ

CSCCリージョンには今はなきリバーサイド(西海岸のモータースポーツの聖地でF1が開催されたこともある)を初め、縦のブラインドコーナーがあるウイロースプリングスやドラッグストリップとそのリターンロードを使ったカールスバッド、大回りするとラップタイムが落ちるぐらい広い飛行場の跡地を利用したホルタビルがあった。
ランオフに招待されるには南太平洋デビジョンシリーズで上位にランクされる必要があったから、年間3レースまで参加が許されるよそのリージョンのナショナルレースにも参加した。今はネーミングライツで呼ばれているサンフランシスコリージョンのシアーズポイントやコークスクリューで有名なラグナセカ。アリゾナリージョンに属しNASCARストックカーレースが行なわれる1周1マイルのトライオーバルとインフィールドを組み合わせたフェニックスや、砂漠の真ん中で砂だらけのラスベガスにも行った。ランオフではロードアトランタも走ったから、いろいろなコースを体験した。


シアーズポイントレースウエイ

どこも特徴のあるコースで走るのが楽しかった。なにしろコーナーのアウト側に沿ってガードレールがあったり、コースを外れると30センチ近い段差があったり、5速全開からターンインするコーナーがあったり、5速全開のダブルS字コーナーがあったり、とにかくドライバーに「できるならやってみな!」というコースばかり。これは日本にいては経験できない。


ウイロースプリングスレースウエイのプリグリッド

あるレースのドライバーズミーティングで、その日デビューするドライバーが「コースとエスケープゾーンの段差が危険だ」と訴えた。するとチーフスチュワードが「危なくないように走ればすむことだ。そもそもモータースポーツ自体が危険をはらんでいるのだから、自分で判断すればすむことだ」と返した。こういうのが好きだ。


GT5クラスのミニ


GT4クラスのセントラ(サニー)

昔、トヨタと日産がしのぎをけずっていたTS1300レース(特殊ツーリングカーレース)のつばぜり合いを見て、自分もあの中に混ざりたいと思っていたから迷わずにGTカテゴリーを選んだのだが、SCCAのメンバーになってみると他にも面白そうなカテゴリーがたくさんあった。
ショールームストックという文字通りディーラーのショールームにおいてあるクルマで参加するカテゴリーがある。サーキットを走るからと言ってブレーキパッドを交換してもいけない。しかし安全のために6点式ロールケージと運転席のサイドウインドにつけるセーフティネットと6点式のシートベルトに消火器の装着が義務付け。ボクも参加したことがあるが、ノーマルのサスペンションとブレーキパッドで5速全開のコーナーを抜ける。ボクが走っていた頃はシートの交換さえできなかったのに、だ。あれは楽しかった。なにしろ頼れるのは自分の判断だけ。行くか行かないかも自分で決める。こういうのが好きだ。
サイドバー付きのロールケージだから乗り降りが大変といえば大変だが、それさえ我慢すれば日常の足に使えるし1台のクルマの価値が大いに上がる。


ミアータ(ロードスター)が増殖して始まったSM(スペックミアータ)クラス

そのショールームストック。当事は販売年から5年しかレースに出ることができなかった。古いクルマを追い出そうというのではなく代替を促すための措置だ。
SCCAのレースに賞金はなく、ドライバーが手にすることのできるごほうびはクルマやタイヤ、プラグやオイルメーカーが用意しているコンティンジェンシーマネーだけ。そのメーカーの商品を使い指定のデカールを貼り入賞すれば、公式結果のコピーを送ると小切手が送られてくる。トヨタや日産も1位300ドルなんて額だったから、勝てばタイヤ代ぐらいになった。メーカーとしても自社製品が入賞しなければ懐が痛まないわけで(その代わりプライドが痛いかな?)、まさにウィンウィンシチュエーション。
そんなこともあり、ショールームストックは現行販売車である必要があった。

ショールームストックとGTカテゴリーの間にITカテゴリーがあった。インプルーブドツーリングと呼ぶこのカテゴリーはエンジンにこそ手を入れてはいけないが、サスペンションの交換や改造、そして何よりマフラーを改造することができた。タイヤノイズしか聞こえないショールームストックのレースを見て、「音がうるさいほうがいいな」と思った人や「やっぱり足は硬いほうがいいね」という人が主に参加していた。
安全規定を満たしていながら認定期間の過ぎたショールームストックを購入すれば、サスペンションにお金をかけるだけでITカテゴリーの車両になる。期限切れのショールームストックを手放したら新しいショールームストックを手にすればいいから、ガレージが1台分しかない人は助かるし、レースに使ったクルマのライフも伸びるし、レースを続ける人の数も増える。これまたウィンウィン。こういうのが好きだ。


ITクラスのシビックとCRX

KP61で参加していたGTカテゴリーの改造範囲は日本のTSの比ではない。どちらかと言うと昔のFIAグループ5に近くチューブフレームが許されているしオリジナルの形式であればサスペンションの改造も無制限。だから運転席がBピラーより後ろというオバケも走る。
実際、83年のランオフでは自分より上位の5台と後ろの2台はチューブフレームカーだった。最低地上高が『タイヤが2本パンクした時に車体のどこも地面に接しないこと』と決められているだけだから、みんな地べたに張り付いているようにコーナリングしていた。金銭的な理由でチューブフレームカーを手にすることはできなかったが、そういうのが好きだ。

上の3つがいわゆる『箱』をベースとしたカテゴリーだが、それぞれがパフォーマンスポテンシャルでクラス分けされているから、それだけで12のクラスがあった。


1万ドルで買えるレーシングカーとして始まったスペックレーサー。ルノーのエンジンを積んでいた。

その他にツーシーターがベースになるプロダクションカテゴリーが7クラス。2座席スポーツレーシングが4クラス。フォーミュラカーが4クラスあったから、どのレースに出るか迷うほど参加者側に選択権がある。


手前がフォーミュラアトランティックで向こうがCスポーツレーシング

プロダクションカテゴリーの一番下のGPクラスには1960年製のヒーレースプライトなんかが走っていた。どうしてもこのクルマで参加したいと思ったらSCCAに認定してもらうようにユーザーが働きかければいい。FIA-ASNルールのように自動車メーカーがホモロゲーションを申請した車両でなければレースに出られないことはない。意思と情熱さえあれば個人がレース主催者を動かせる。こういうのが好きだ。


GPのヒーレースプライトがヘアピンを立ち上がる

EPのミアータ(ロードスター)


EPのMGB

SCCAの逸話はまだまだ終わらないが、長くなるので最後にひとつ。
オーバルレースは初めて開催された1896年からローリングスタートを採用しているが、FIA-ASN傘下のロードレースはスタンディングスタートが一般的。しかしSCCAのクラブレースはローリングスタートだ。
ある日その理由を聞くと、「スタンディングスタートでは誰かがエンストする可能性がある。安全に配慮すると同時に駆動系に負担をかけないためにローリングスタートを採用している」と言う。つまり、スタートの良し悪しが結果につながらないように、そして高価な強化クラッチをおごってスタートで出し抜こうとする人とノーマルのクラッチでレースを続けている人とで差がつかないようにするためだ。こういうのが好きだ。


ウイロースプリングスのSCCAナショナルでトップを走った


CSCCのニュースレターはずいぶん褒めてくれたものだ

話は飛ぶが、だから、ユイレーシングスクールで卒業生を対象にスクールレースを始めた時、スプリントレースには迷わずローリングスタートを採用した。(耐久レースはドライバー自身がクルマに駆け寄るオリジナルのルマン式スタートにした)

そのスクールレース。筑波サーキットのコース1000とか富士スピードウエイのショートコースで開催した。なぜそうしたかと言うと、参加者の金銭的負担を減らす目的もあったが、なにより短いコースで周回数が多ければそれだけドライビングミスの可能性が高くなるからだ。ドライバーがクルマに頼らずに自分との戦いに負けないコツを学ぶことができる。

そのスクールレース。参加資格はユイレーシングスクールを受講することだけ。ライセンスもいらなければ組織の会員になる必要もない、日本のASNであるJAFに公認されたレースではない。だから、どうしても開催したかった。なにしろ、90年代終わり頃まで日本のASNは非公認レースの開催を認めてなかったのだから。

自動車産業の発展とクルマ社会の成熟がモータースポーツと密接に関係していることは歴史が証明している。日本のクルマ文化を芳醇なものにするためにはその当事者たる『モータースポーツを経験したことのある人』の数を増やすことだ。その分母が大きければ大きいほどクルマがクルマとして使われる環境が整う。

それが可能かどうかは問題ではない。ユイレーシングスクールはその一翼を担いたい、そう思っている。

※ SCCAランオフに参加した時の私的小説

アメリカから届いた雑誌

1982年12月。KP61でGT5のレースを始めた。そのKP61はふたりのオーナーの手を経てGreg Hotzの手に渡ったのが2004年。GregはフェイスブックにKP61のことを書いたのを見つけ、KP61が紹介されたアメリカの雑誌、グラスルーツモータースポーツを送ってくれた。今は2014年。GregはまだそのKP61でレースを続けている。あれから32年。ホモロゲーションが切れるとレースに参加できないFIA-ASNのレースでは考えられないライフスパンだ。

SCCA Club Racing 終わり


第62回 これはいい

ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール走る。

新たにYRSフリートに加わったトゥィンゴ ゴルディーニRS。
まだその持てる実力を全て引き出したわけではないが、この工業製品はクルマ好きにとって『買い』だと直感した。もちろん個人的な感想ではあるのだが。そして悔しいことに、生涯の伴侶として選んだルノー ルーテシア RSを上回るほど官能的。

クルマを意のままに操りたいと思う、あるいは思ったことがある方は、すぐにでも手に入れる算段をしたほうがいい。そしてユイレーシングスクールのオーバルスクールに参加してほしい。間違いなく『人車一体』を味わえるから。


第60回 相棒

2010秋。

2010秋。 トゥインゴGTと初対面。

2010秋。 町に連れ出したら色づいた銀杏がお出迎え、

2010冬。 アクアラインを渡ると真っ青な空が広がって、

2011冬。 年が明けてずいぶんたってから雪が・・・、

2011春。 トゥインゴGTがみんなを笑顔にして、

2011春。 一緒に記念撮影して、

2011春。 一緒に桜を愛でて、

2011夏。 ともに富士山を仰ぎ、

2011夏。 琵琶湖を望み、

2011夏。 先導車をつとめたことも、

2011秋。 運搬係りをつとめたことも、

2011秋。 湖西の秋を出迎え、

2011秋。 同じ鮮やかさに感動し、

2011冬。 富士山に見入り、

2011冬。 鈴鹿サーキットを体験し、

2012冬。 F1GPが行われたコースを走り、

2012春。 桜吹雪とたわむれ、

2012春。 旧友と出会ったり、

2012春。 オシャレなカフェにたちよったり、

2012春。 こんな格好をしてみたり、

2012夏。 みんなが走るのを見守り、

2012夏。 強い日差しを満喫し、

2012夏。 時には身体を労わり、

2012夏。 兄と写真におさまったり、

2012秋。 親戚と記念撮影したり、

2012秋。 卒業生を送ったり、

2012秋。 湖西線を見送ったり、

2012冬。 日の出の富士山に出会ったり、

2013冬。 突然の雪に凍えたり、

2013春。 ビデオの撮影に励んだり、

2013春。

そして、旅立ちの時。

See you sometime and A・RI・GA・TO !


第59回 YRSツーデースクール

風が強く富士山もかすむ

その昔。子供が生まれたのを機にレース禁止令が出た。出産の1週間前まで大きなお腹を抱えてクルーキャブに乗り込み一緒にレースに行っていたぐらいだから、奥さんもモータースポーツが嫌いというわけではない。我が二人だけのチームには欠かせないクルーチーフでもあった。しかし、異国の地で初めて授かるのが双子ということもあって、なかば自発的に禁止令を受諾(!)した。

ところが、サーキットに行かなくなるとどこか落ちつかない。なんとか合法的に(家庭内の話だが)サーキットの空気を吸うことはできないかと策略をめぐらし、それまでのコネを駆使して始めたのがジムラッセルレーシングスクール日本語クラス。自分で走るのではなくみんなに走ってもらうのだから、と強引な理由で奥さんの承諾を得、ジャック・クチュア校長に日本語クラスの重要性を説き、ワープロ(!)で日本語の教科書を作り、受講生がカリフォルニアにくれば15人乗りのバンを運転して空港に出迎えに行き、レストランでは全員の注文を通訳し、できることは全て自分でやってコストを抑え、なんとか日本では経験できない3日間、初日からフォーミュラカーで練習するカリキュラムを受けてみてほしいと奔走した。

そのかいあって、最終的には延べ230人あまりの人が受講してくれた。中にはふだん乗っているクルマを売って資金にあててくれたた方もいたし、中には日本のレースで好成績をおさめていた方もいた。様々な方に参加してもらったが、3日間クルマのこと以外考えない空間というものはいい経験になり、いい思い出になったはず。

AT車しか乗ったことのない方が緊張の面持ちで挑戦した1日目のスレッシュホールドブレーキング。3日目には立派なレーシングマシン使いになっていた。日本で自動車メーカーのサポートを受けてレースに参加していたドライバーが、アメリカを発つ前に手を差し伸べながら「トム、最高だった。まさに目から鱗」と言ってくれた一言。この他にも、ボクにとってはとてもとても貴重なたくさんの思い出が、ウィロースプリングスレースウエイやラグナセカの光景とともに思い出される。

1日目は快晴 午前の部終了で記念撮影

1999年暮れにユイレーシングスクールを初めた時からジムラッセルレーシングスクールに倣って数日間のドライビングスクールをやりたかったのだが、当時の日本はサーキット走行がブーム。専有時間をとるのもひと苦労。それに、何日もクルマ漬けというのは日本の風習に馴染まないのか、ようやく開催にこぎつけたのが2002年春。筑波サーキットのコース1000とジムカーナ場で、クルマだけに集中してもらう2日間を演出することができた。

2006年からは場所を富士スピードウエイに変更。それ以降、毎年YRSツーデースクールを開催してきた。中にはサーキットを走るのはこのツーデースクールだけと決めている方もいる。年配の方がYRSツーデースクールでサーキットデビューを果たした例も多い。

そして今回。14回目のYRSツーデースクールを開催。28歳から65歳までの青年が2日間いっしょうけんめい無心に走った !!!

ツーデースクールの朝はコース歩行から始まります

クルマという機械を操る運転は頭を使わないと上手くならないけれど、走りながら考えるのは逆効果。走り出したら雑念を捨て、無意識行動で運転することが望ましい。そのためにも、短期間に集中して身体に理屈を叩き込めば、運転はもっと楽しくなるし安全率は飛躍的に向上する。人間、一度身体が感じたことは、おいそれとは忘れない。

今年はあと1回。9月の28、29日の土日にYRSツーデースクールを開催する。ルノーオーナーの方はそれまでに少しだけ出費を抑え、ぜひ自分に投資してみてほしい。

※ 今回はルノー車が2台参加

ピットにならぶ兄弟

ヒラリとコーナーを

ウナリをあげてストレートを

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※ ルノー トゥインゴGTはというと、
デモランで目指すとこをイメージしてもらいます

イメージは無意識行動への近道です

そしてカメラを搭載して活躍。

太いトルクを生かして

ノーズをもたげ

粘る足で地面をとらえます

その時の動画がこれ。

○ ルノー トゥインゴGT 富士スピードウエイショートコースを走る

あくまでも個人的な思いではあるのだけれど、クルマにはサーキットが似合う。サーキットを走るクルマはイキイキしている。

機会があれば、あなたもサーキットを走ってみませんか? 速く走ることが目的ではありません。クルマがのびのびと動く様を感じるためです。


第58回 YRSメディアアップデート

いつも富士山といっしょ

YRSのメインステージから富士山を仰ぐ

日本でユイレーシングスクールを始めた頃には想像もできなかったことだが、この10数年で世の中は劇的に変わった。
ユイレーシングスクールの活動をビデオに撮影して、それをユーチューブというツールを使いインターネットで全世界に配信できる。配信すれば直ちに反応が返ってくる。ユイレーシングスクールの動画は決してエンターテイメント性の高いものではないけれども、アップロードするたびに視聴してくれるファンもいる。再生されている国も日本だけではない。再生履歴には北米、アジア、ヨーロッパの国々の名前が並ぶ。

このブログにしても、寄せられるコメントの全ては英語。はたしてどのくらいの国の人がアクセスしてくれているのかはわからないが、情報を発信する機会を与えてくれたルノー・ジャポンには大いに感謝したい。

ということで、最近アップロードした動画を紹介したい。

○ YRSスキッドスクール その1

○ YRSスキッドスクール その2

○ トゥィンゴGT YRSオーバルロンガーを走る

○ 2013YRSオーバルレース第1戦 Bグループ ヒート1

↓ その他の動画
□ YRSオリジナルビデオプレイリスト

クルマは動かすのはもちろん楽しいけれど、クルマが動く様を見るのも楽しくないわけがない!


第57回 疎通知遠 ユイレーシングスクール始動

大事な大事な大事な宝物

新しいパソコンを追加したのでファイルを整理していたら、懐かしいテキストファイルを見つけた。
当時、5年勤めたツインリンクもてぎ北米代表の委託契約を更新をしないことに決めてからというもの、なんとかして日本のモータースポーツを活性化できないかと考える毎日を送っていた。キーボードアレルギーではあるけれど、我慢しながらモニターに向かっていたある日、クルマ好きが集うメーリングリストを見つけた。
クルマの運転について、あるいはサーキットの走り方、あるいは改造について意見が飛び交うメーリングリストだった。

以下の文章はそのメンバーだった久我さんが投稿したものだ。時は1999年。その後、久我さんはユイレーシングスクールの発起人にもなってくれ、スタッフとしてもユイレーシングスクールの活動を支えてくれた
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□ 山梨のミニサーキットで 久我昌文

20世紀も終わりに近づいた年の春、ボクは「クルマの楽しみ推進委員会」というメーリングリストに参加した。名前からしてわかるように、「クルマをもっと楽しもう」というテーマで集まったコミュニティだった。主催者の中村竜志氏は、「人とクルマの関わりあい方」について常に問題提起して、「今のクルマ社会って、不自由じゃない?一人一人の意識を行動に移して変えていこうよ」と呼びかけていた。

メーリングリストに参加してから数ヵ月後、中村氏からアメリカで暮らすモータージャーナリストのトム・ヨシダなる人物が新たに参加すると紹介があった。たしかその名前は何度かクルマ雑誌で目にしたことがあった。インターネットはたしかに人と人の「距離」をないものにする。日本の片田舎に居ながら、海の向こうのプロのジャーナリストと「会話」するなどということが現実に起こるのだった。
実際、そのトム・ヨシダ氏は「ホンモノ」で、ボクが思っていたよりも、もっと日本やアメリカのモータースポーツに深く関わっている人だった。トム氏の展開する豊富なレース経験や知識、日本ではほとんど紹介されたことのないアメリカのモータースポーツの話題は、すぐにメーリングリストのメンバーを魅了していった。

そして、その年の夏。走行会で知り合った友人からメールで、「山梨のミニサーキットに行ってみないか」、と誘いを受けた。このコースは、クルマ雑誌でよく紹介されていていたが、未だ走ったことのないサーキットだったので、すぐにOKの返事を出した。このことを「クルマの楽しみ...」で話すと、何とアメリカ在住のトム氏がスケジュールを合わせて山梨までやってくる、というではないか。しかも、コースを走るわけではなく「キミたちが走っているのを見たいから」という理由だった。そう言えば、トム氏の経歴の中にジムラッセルレーシングスクールのインストラクターを務めていたとあった。レーシングスクールがどういうものか知らなかったが、きっと速く走るためのコツを教えてくれるのだ、と思った。誘ってくれた友人にこのことを話すと、学生時代にダート走行をやっていた彼は喜んだ。

中村氏もこのことを歓迎してくれ、「オフミーティングをしませんか?」とメーリングリストで呼びかけてくれた。
「山梨のミニサーキットに集合っ!」。コンピュータネットワーク上での会話だけのつきあいは、一気に現実の出逢いへと移行して行った。
あっ、という間に夏は過ぎ、初秋の山梨。朝早い時間からボクらは山間のミニサーキットへと集まった。アップダウンに富んだそのコースは、幅も狭く、峠道そのものといった印象だった。山の朝のひんやりとした空気を吸いながら、ボクらは挨拶を交わした。トム氏とはもちろん、中村氏とも初めて顔を会わせたのだった。

ボクらの中で、コースを走るクルマは5台だった。FRターボ車、4WDターボ、FFライトウェイトスポーツ、AT車と車種もバラバラだった。走行時間は1つのセションが30分、セション毎にチケットを買って走るのだった。
トム氏はボクらが走るのをコース脇から見ていてくれる、という。「何周か走ったらピットに入ってきて下さい」と言われた。自分が走っているのを見てもらって、その都度アドバイスを受ける、とういうのは初めてのことだった。最初に、「テーマを持って走ったほうがいいですよ」といわれても、「そんなの速く走ることに決まっているじゃん」と思った。ホントにバカである。でも、アドバイスしてくれるトム氏はそんなことはもちろん言わず、笑顔を絶やさず、易しく丁寧に教えてくれた。他のメンバーに対しても同様だった。
その当時のボクは「ブレーキはコーナーに入るギリギリまでガマンするもの」と思っていた。今でもユイレーシングスクールの教科書に書かれている勘違いの例は、そのままボクの走り方に当て嵌まった。ガソリンをいくら使っても、頭を使わなければ速く走れない。
結局、30分の走行セションを2回行って走行を終えた。「クルマさんともっとなかよしになったほうがいいよ」。トム氏の言っていることは一見簡単なようでいて、実践するのはとても難しかった。メーリングリストで繰り返し言われていたこの言葉の中に、たくさんのメッセージが込められていたことに、ようやく気がついたのだった。

中村氏はメーリングリストメンバーのオフミーティングというレポートで、アドバイスを受けたボクらの姿を、すぐさまWebサイトにアップしてくれた。ご丁寧に最終コーナーの動画つきである。走りはじめてすぐの映像だろう、下りストレートからのターンインで外側のフロントタイヤにだけ負担がかかっているのが写っていた。「自分は未だクルマの性能を出し切っていない」「どうすればもっとクルマとなかよしになれるのだろう」「何とかもう一度アドバイスを受けられないだろうか」という思いは、日に日に大きくなるのだった。

山梨での走行会から2ヶ月ほど後、ボクは一通のダイレクトメールを受け取った。そこには、ユイレーシングスクールの日本で最初のドライビングワークショップが、桶川スポーツランドで開催されることが記されていた。チーフインストラクターにはトム・ヨシダの名前が記されていた。わざわざ山梨までトム氏が来たのも、日本でレーシングスクール開校の可能性を探しに来ていたのだった。開催場所は違ったが、それでもこのメールはボクにとって待ち望んでいたものだった。師走の平日が開催日だったが、すぐさま受講を申し込んだ。

そして、12月の寒い朝。眠い目を擦りながら、桶川のコースに辿り着くと、山梨で出会った優しい笑顔が、集まったもっと多くの生徒たちに向けられていた。
「クルマをもっと楽しもうよ」。この日から、ネット上でのバーチャルな呼びかけは、現実化へと向かったのだった。<了>

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日本で最初のドライビングスクールを終えてメーリングリストに掲載したのが以下の文。

◇ 第一回ドライビングワークショップを終えて トムヨシダ

9月のスポーツランド山梨に始まり、11月の桶川、そして12月のドライビングワークショップと皆さんの走りを見させてもらった感想です。

結論を先に言うと、次の3点が気になりました。
1)クルマの高性能化が運転技術をかなりスポイルしていること
2)情報の取りこみが不足していること
3)クルマさんとの対話が十分ではないこと

1)に関しては、特にサスペンションを固めてあるクルマに慣れている人に見られたのですが、一言で言うと「クルマの性能に頼った運転」をしています。逆の言い方をすれば、もしクルマの性能が低ければ間違いなく危ない状態に陥るような運転です。おそらく、ふだんの運転でもクルマが自分の思う通りに動くものだと確信しているのだと思いますが、これは極めて危険な考えです。クルマは人間からの入力がなければ動きもしないただの機械ですが、入力次第によっては人間の想像をはるかに超えた動きを見せます。

クルマを安全に走らせるのにはスムーズにクルマを走らせることが必要です。速く走らせるのにもスムースに運転することが必要です。目的は違っても、クルマと言う「人間能力拡大器」を扱う最低限のルールはスムースな操作です。速く走りたいとか、前のクルマに追いつきたいといった、人間の感情が入り込んだ情緒的な操作ではクルマは正確に走りません。

もし今まで事故もなく、そこそこ満足できる走りができていたとしたら、その方達は幸いにもクルマさんの性能に助けられて無事だったので、運転が理にかなっていたからだとは思えません。

2)に関しては、走行会でアドバイスした時もワークショップでブレーキングやコーナリングの繰り返し練習をした時にも感じたのですが、ブレーキングやターンインのポイントを指摘してもそこにクルマを持っていけない人が多く見られたのがひとつの例です。

コース際には何かしら目印になるものがあるはずですし、ワークショップでは要所にコーンを立てています。しかし多くの方が、基本となるラインをトレースできません。といっても、見ていないわけではなく、顔の動きから想像するに見てはいるのです。

ところが、実際にはポイントを逃す結果になっている。

おそらく、目から情報は入っているのでしょうが、その扱い方(重要な情報を選択し、どうでもいい情報は瞬時に捨てる)がチグハグなのかも知れません。あるいはトンネルビジョンになっていて、物が近づくほどに前後関係が曖昧になるのかも知れません。

速く走ればそれだけ多くの情報の中を通過することになります。必用な情報の取りこみが重要なことは言うまでもありませんが、多くの情報の取捨選択も必要です。

3)どの場合でも、一人の例外を除いてはふだん使っている自分の車を運転されていました。ところが、サーキットで走るとクルマさんとの関係がギクシャクしているように映るのです。

サーキットという特殊な場所で走るというのも関係しているのでしょうが、走っている速度域は高速道路で体験済みの範囲に過ぎません。
サーキットを走るという非日常の昂揚感が慣れ親しんだクルマの操作にすら影響を与えている、と思えなくもありませんが、実際のところは本人にもわからないでしょう。

ただ、基本的にはどんな情況であろうとクルマの運転は普遍であると思いますし、クルマの動きに対応して走らなければならないという決まり、「Do not anticipate, Do react!」は同じはずです。

皆さんの走行を見せていただくたびに、私自身が多くのことを学ぶことができます。この点は感謝してもしきれないものです。

まだ始まったばかりのユイレーシングスクール日本ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

ルーテシアRSの足は最高

3月9、10日に開催するYRSツーデースクールにまだ余裕があります。時間の許す方はぜひご参加下さい。
・YRSツーデースクール開催案内&申込みフォーム


第56回 滑って 滑って 滑って 滑る ♪♪♪

原則的に、ユイレーシングスクールはクルマの機能を発揮させることを運転技術習得の最終目標にしている。
従って、いかなる時でも、駆動形式が異なるクルマでも、常に前後輪のスリップアングルが均一であることを理想としている。

しかしある夜。水割りをなめながらあれこれ考えているうちに、バランスを崩した時にユイレーシングスクールの卒業生がどんな対応をするか見てみたくなった。今までの路線と違ったテーマに直面した時、どうクルマを操るかを知りたくなった。それで開催したのが第1回YRSスキッドスクール。

富士スピードウエイの駐車場に水を撒き、人工的に路面の摩擦係数を低くした真円コースとオーバルコースを作って走ってもらったのが以下の画像。

散水車が出動

ふだんはテールを流すのはご法度、ましてスピンなどしようものなら○○○のユイレーシングスクールで、今度はテールブレイク距離を競います、なんて言われたものだから、参加者も面食らってはいた。

とにかく、なんとかしてオーバーステアの状態を作り出すのだが、テールが少しでも流れるものならたちまち修正してしまう。本人達は意識していないのだが、身体が反応してしまう。瞬時にテールスライドは収まり、何事もなかったかのようにクルマが安定する。それはそれで褒められるべきことなのだ…。

「今日は無礼講だから、なんとしてでもテールを流して!!!」と叫んでも、日ごろカウンターステアが好きな人以外は悪戦苦闘。いつになく真剣な表情で走る参加者を見て、スキッドスクールも悪くない、と思ったものだ。

BRZで元気だった○代さん

絵になるものだ

4駆でもこの通り

4駆はアンダーが強い、のではない

ミッドシップでも

振幅は小さいが蟹走りはできる

軽いロードスターはうってつけ

ヨーモーメント中心を見つけやすい

ただ非力なのが…

新しいクルマは何かが介入するのか…

クルマは超安定方向

RRのポルシェも

ドッカンターボのポルシェも

1.6リッターのエンジンだと

推進力の確保が難しく

おいしいところの幅が狭い

う~ん、いいもんだ

コース設定もバッチリ

コースを外れればクルマは即停止する

顔が引きつっているのは氷点下だったから、です

水を撒けばスキール音はでないしタイヤも減らない。こんな運転の楽しみ方もありなんだ、なと。

当日の動画はこちら

【独白】初めてのYRSスキッドスクールを終えて、改めてクルマの動きを理解することの大切さを感じた。この日、テールスライドを誘発するのに苦労していた参加者は、みな同じような公式に則って反応していた。その公式には、クルマがバランスを崩した時に何をなすべきかが書いてあるはずだ。その公式が確立しているからこそ、「テールが出ない!」と悩んでいたわけだ。もし、公式にたどり着いていない人ならばもっと簡単にクルマを振り回せたかも知れないが、逆に、公式が確立しているからこそ『お尻を振る』のが難しかったのだ、と理解すべきだと思った。クルマを運転する人がみんな公式を備えていれば、クルマ社会はもっともっと楽しくなると思う次第。

Phto:Takasi Nakazawa


第55回 手癖 足癖

その昔。アメリカに住んでいた時に歯医者さんに言われたことがある。

歯医者さん:一生懸命歯を磨いているのはわかりますが、力が入りすぎているのか歯が削れていますね
心の声:何っ?硬い歯が削れるわけないじゃん
歯医者さん:歯のためにはソフトに歯間に歯ブラシの毛先が届くようにしたほうが効果的です
心の声:歯磨きの時間がもったいない。ゴシゴシやってどこが悪い!

テレビコマーシャルで歯ブラシをお箸のように持って優雅に磨いているシーンを見たことはあった。しかし、どう見てもコマーシャル用の演技に思え、自分ではかたくなにゴシゴシの道を歩んできた。

しかし数年前に日本で歯医者さんにかかった時、歯科衛生士さんが磨き方のお手本を示してくれた。たまにとても柔らかな手を唇に感じながら、持たされた鏡で磨き方を観察すると、やはりコマーシャルのように優雅にやさしく、お箸のように持った歯ブラシを小刻みに動かしていた。

その動きに合わせたように、『こうするほうが効果はありますよ』なんてやさしく言われるとその気になって、その日の夕食後さっそく試してみた。お箸のように持っていては力が入らないはずだけど…、と自説を曲げたくない気持ちと戦いながらやってみた。
するとどうだろう。歯ブラシをストロークさせるのがとても楽。こぶしで歯ブラシを握りしめていた時より速く往復させることができる。

で、突如として気が付いた。「ステアリングホイールの握り方と同じかぁ。力を入れてはダメなのね」。

蹴飛ばすか

トランジッションを意識するか

気付くのに何十年かかってんだ、と自分を呪いながらも、クルマの運転に通じるものがあるな、と妙に感心したものだ。

そんなことを考えながら編集したビデオがこれ。

「いくら急いでいても過重が移動しないうちに制動力を立ち上げてはクルマは減速しませんよ」と言うのだけれど、クルマを速く走らせようとするとスロットルを長く開けていたいのか、ブレーキをかける段になるとペダルを蹴飛ばしてしまう人がいる。まるで、早く磨き終えたいからと力任せに歯ブラシを握りしめていた誰かさんのように。

もちろん、今のクルマとタイヤならどんなふうにブレーキをかけても速度は落ちる。ことさらブレーキングテクニックを云々する時代ではないのかも知れないが、サーキットを走らないまでも、クルマを思い通りに動かしたいと思うのならばウエイトトランスファーを制御するためのトランジッションは欠かせない。

くだんの歯科衛生士に、『よく磨いていますね』と言われるのが嬉しい今日この頃。

※動画の中に一部見苦しい部分があります。靴の動きを注視しながらご覧下さい。