トム ヨシダブログ


第498回 ユイレーシングスクール卒業生が織りなす作品 の2

モータースポーツほど一般的な理解が進まないスポーツはない。早い話、人気がない。

理由はいくつもあるだろう。他のスポーツに比べて使用する道具が高価であるとか、スポーツを行う施設/環境が限られているとか、他のスポーツに比べて潜在的な危険度が高いとか、他のスポーツに比べて取り上げるメディアが少ないとか、等など。思い当たる理由はいくつかあるけれど、それだけではない気がする。最たる理由は、そのスポーツになじみがないということではないかと。

ある統計によると人気のあるスポーツの上位3位は野球、サッカー、相撲らしい。うなずける。実はこの3つ、日本人の誰もが幼少の時に体験しているという共通点がある。野球なら放課後に広場でやった三角ベースボール。サッカーが大きくメディアに取り上げられるようになったのは他のふたつに比べて遅いけど、前回の高校サッカー選手権が98回目というから歴史は長い。ボクも高校時代はクラブで汗を流したことがあるし、ボールを蹴る子供たちは少なくなかったはずだ。相撲というと昔はそこらじゅうにあった土むきだしの地面に大きな円を描いてはっけよいをしていた。大人には勝てないと思ったものだ。
幼少期にスポーツの実体に触れた経験があるかどうかでそのスポーツとの接点が増し、それがそのスポーツを支える動機になり、そのスポーツの人気につながる、という循環が起きていると想像できる。

他にも人気ランキングに載っているスポーツはあるけれど、押しなべて言えば、人間が成長する過程で接する機会が多かったスポーツに人気が集まっている。そしてモータースポーツは今のところ、残念なことに、どの統計にも載っていないという事実。

人気のあるスポーツはもちろん、競技人口が多い。競技人口がアマチュアとそのスポーツを生業にしているプロで構成されているとすると、純粋にスポーツを楽しむアマチュアがいる一方でプロを目指すアマチュアがいて、彼らのお手本となるプロがいる。プロが脚光を浴びる背景にはアマチュアという支持層が欠かせない。いわゆるそのスポーツを下支えする分母だ。ところがモータースポーツにはその分母がない。

我が国のモータースポーツはレースでもジムカーナでもラリーであっても、 第487回 ユイレーシングスクール卒業生が織りなす作品 の1 で触れたようにJAFの規定に則って開催されなければならない。なので、高価な道具を使うスポーツなのにモータースポーツに参加する車両はJAFの規定に合わせなければならない、モータースポーツに参加するにはJAFが発給するライセンスを取得しなければならない、という制約がある。
サーキット走行が楽しくなり、ちょっと腕に覚えがでてきて他人とヨーイドンをしてみようかな、と思いついた人が、実際にレースに参加するまでの道のりは、最後にはあきらめたほうが賢明だと思うにいたるほど長い。分母が容易には増えない環境にある。それが日本のモータースポーツだ。

しかし、レースに参加することがドライビングポテンシャルの向上に効果的なのは明白だし、なによりも自分の経験から言って、秩序ある競争ならば参加した人がクルマとクルマの運転を大いに楽しむことができるのはレース以外にないと確信していたから、スクールレースの開催を視野に入れてドライビングスクールを始めた。モータースポーツの分母の足しに少しでもなればという思い。入り口からずっと先までと。ユイレーシングスクールの名前の由来だ。

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最初にYRSエンデューロとYRSスプリントを始めて参加者が増えたところで
次に日本ではなじみの薄いオーバルレースを始めた
 
YRSエンデューロとYRSスプリントを開催していた期間は
各クラスの上位入賞者に
写真のようなメダルを授与していた
YRSオーバルレースでも渡していたから
10個以上持っている人もいるはず(とってあればの話だけれど)

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メダルはユイレーシングスクールオリジナル
金型まで作って仕上げた
もちろん
Designed by Tom Yoshida


手元の資料によると、2001年に始めたYRSエンデューロとYRSスプリントはどちらも延べ39回開催している。YRSスプリントは5クラスが3ヒートレースを、YRSエンデューロは130分(初期は120分)耐久レースをやっていたから、参加した人が経験したスタートの回数、他人と競り合った回数が少なくないことは容易に想像できる。ユイレーシングスクール卒業生は大いに自動車競走を楽しんだに違いない。

YRSスプリントはスタートでエンストなどの混乱が起きないようにとの配慮と、強化クラッチをおごることができた人が有利にならないようにローリングスタートを採用した。YRSエンデューロではピットストップの時間をキッチンタイマーで測って全チーム公平にしする一方、スタートはオリジナルルマン式としてスタートドライバーに偉大な耐久レースの雰囲気を味わってもらった。キーを持ってクルマに駆け寄るのだけど、クルマにスペアキーが刺さっているのを発見して大目玉をくらわしたことが懐かしい。工夫したことはまだまだあるけど、レースをドライビングスクールの延長として開催したかったのと、参加者が公平に争い、何よりも運転を楽しめる環境を用意することに全神経を注いだ。

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ある日のYRSエンデューロ
オリジナルルマン式スタート
ドライバーはキーを持って整列したクルマの反対側に
グリーンフラッグでクルマに駆け寄り
ベルトをして鍵穴にキーを差し込む
もどかしい時間

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ある日のYRSスプリントのロードスタークラス
2列縦隊のローリングラップで高まる緊張
いつグリーンフラッグが振られるか
透明な気持ちになって感覚を研ぎ澄ます
グリーンフラッグ
先を争って1コーナーに
身体が自然に反応する
生命感の昂揚

ずいぶんと時間が経ち、現在開催しているスクールレースはYRSオーバルレースだけだけど、ユイレーシングスクールが先鞭をつけたライセンスの必要のないレースが各地で始まり開催されていると聞くと、少しはモータースポーツの分母の形成に貢献できたかなと。

YRSスプリントもYRSエンデューロもライセンスがいらないレースではあるけれど、公認レースに劣らないというより、それ以上にピーンと張りつめた緊張感あふれる内容にまで成長した。Sさんのロードスターに後ろ向きに搭載したカメラでユイレーシングスクール卒業生が繰り広げた作品を見てやって下さい。

動画は2012年6月21日開催のYRSスプリントFSW ロードスタークラス ヒート1
※冒頭にはローリングラップが続きます。お急ぎの方は1分10秒あたりからご覧下さい。
※後半のせめぎあいは見ものです。



第487回 ユイレーシングスクール卒業生が織りなす作品 の1

こんな時だから、 良かったらYRSオリジナルビデオをご覧になりませんか。

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ユイレーシングスクールが開催していたスクールレースは
耐久レースのYRSエンデューロと複数のヒートレースからなるYRSスプリント
周回数を稼げる筑波サーキットコース1000とFSWショートコースで開催
写真は2006年YRSスプリント第2戦FSW
ロードスタークラスのローリングラップ
ロードスター20台の競演です


ユイレーシングスクールが先鞭をつけたライセンスのいらないレース(※1)があちこちで開催されるようになった。ある意味で喜ばしいことだ(※2)。

最近ではオーバルレースしか主催していないけど、2001年からユイレーシングスクール卒業生を対象にYRSスプリントとYRSエンデューロのスクールレースも開催していた。ユイレーシングスクールは受講者に「思い通りにクルマを動かして目的を達成する」ことを目指して欲しいと考えているから、それには単に操作の仕方を教えるだけでなく、どんな場面でも置かれている状況とクルマの状態を冷静に把握分析し、五感から得た情報を元に最善の操作を導びき出す作業を、繰り返して身につける環境が必要だと考えていたからだ。それには秩序ある環境で他人と競争してみることが効果的だ。

日本でスクールを始めた当初の参加者はサーキットの走行経験がある人がほとんどだったけど、そのうちにサーキットを走ったことのない人の比率が高まる。運転というものを掘り下げたいというのが受講の理由だった。サーキットを走るつもりはなくて単に運転に磨きをかけたかっただけの人がドライビングスクールでサーキットを体験し、次に速く走ることに目覚めサーキットに通いつめ、思うように走れなかったりタイムアップに行き詰まるとまたユイレーシングスクールに参加する。そんな循環を実現できたのは幸いだった。

だから、けっこうな頻度でサーキットを走り、ユイレーシングスクールに何度も足を運んでくれる人にレースをやりませんかと水を向けたのも自然な流れだった。当初は「レースなんて危なくないんですか」とか「テレビで見たけどぶつかることもあるんですよね」といった反応だったけど、「サーキットを走ること自体危険をはらんでいるんですよ」、「サーキットをちゃんと走れれば大丈夫です」、「ぶつかるのはクルマをコントロールできていないからです」、「危ないと思ったら競うのをやめればいいんですから」としつこく迫ったせいか(笑)、最終的にはロードスターだけで2クラスできるほどの卒業生が参加してくれた。

今回のYRSオリジナルビデオは2006年3月11日にFSWショートコースで開催した2006YRSスプリント第2戦ロードスタークラスの模様。他の主催者の場合は1度にコースに入れる台数が15台と決められているけど、ドライビングスクールやスクールレースでほとんどスピンやコースアウトのないユイレーシングスクールは20台の出走が許されているのでフルグリッドの3ヒートレースが実現した(映像はヒート1)。

・2006YRSスプリント第2戦結果
参加した全クラス全車のラップタイムの記録があります。

車載映像:2006YRSスプリント第2戦 ロードスタークラス ヒート1
(数周のローリングラップが含まれます。お急ぎの方は2分15秒あたりからのフォーメーションラップからご覧下さい)

 
 

(※1) 先進国には複数のASN(国内モータースポーツ権能)があるが、日本にはJAF(日本自動車連盟)がひとつあるだけなので、国内でモータースポーツを開催する場合はJAFに申請して公認されなければならない。つまり日本で行われるモータースポーツは全てJAFの規定に則って開催しなければならず例外はない。過去にはそれに従わなかったという理由で罰則が適用されたこともあった。
いきおい日本で行われてきたモータースポーツは、その規模の大きさこそ異なれ内容は同じようなもので、言い方は適当ではないけどどこを切っても金太郎飴が太いか細いかで、桃太郎飴や長髪の金太郎飴はなく、モータースポーツにおける拡張性に乏しかった。2000年ごろ国内にひとつしかないASN(先進国には複数のASNがありアメリカは6つもある)であるJAFの規定を押し付けるのが独占禁止法に抵触するのではないかという声があがり、最終的に、この表現自体がおかしいのだけど、非公認競技が黙認されるようになった。
ユイレーシングスクールはその流れを確認して、それまでだったら参加者や主催者にペナルティが与えられていた非公認競技を開催することにした。ユイレーシングスクールが実現したかったのはプロのレーサーを目指すのではなく、プロのレーサーを真似するのでもなく、アメリカのように、クルマ好きの隣のおじさんが運転に目覚め、サーキット走行が楽しくなり、やがて好き者同士が顔を見合わせて笑いながらコーナーに並んで突っ込ん行くような光景だった。自動車レースと言っても、ふだん乗っているクルマで参加してできて、レーシングスーツを着る人もまれで、ただただヨーイドンを体験してみたいという人たちが創った社交場。だから参加者の意識を統一するために一度は座学を聴いてもらったユイレーシングスクール卒業生だけを対象に開催した。

(※2)ライセンスのいらないレースもワンメイクレースとか長時間耐久レースとか多岐に渡っている。ユイレーシングスクールの卒業生もそれらのレースに参加している。ただ気になるのが、誰でも参加できるからというのは理由にならないと思うけど、残念なことに事故が実際に起きているという事実。レースでの勝者はひとりだけだから参加者全員が先を争うのはわかるけど、競争するということに対しての共通認識を育むことが必要ではないだろうか。そうでなければ、競争であるはずのレースが闘争になってしまう可能性がある。なので、参加希望者に対して門戸を閉ざすことになったけれど、参加資格をクルマを思い通りに動かそうとする努力を怠らないユイレーシングスクール卒業生に限定した経緯がある。


第275回 富士山とFSWと食 鰻

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最後の最後でご挨拶ができた(喜)

18日の木曜日に御殿場に入ってから、金曜日のコース作り、土曜日のYRSオーバルレース、日曜日のYRSオーバルスクールと毎日富士山が見えない日が続いた。こんなことは初めて。ま、雪で大変な思いをしている地域もあるんだしと、少しだけ残念な気持ちでスクールの片付けを終えて246を走っていると右手に突如富士山現る。こりゃ見逃せないといつもの場所に急行。少しばかり日が長くなったのを感じながら撮った写真がこれ。


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オーバルコースだけでなくロードコースでも使える
ユイレーシングスクールオリジナルの計測装置

今回のYRSオーバルレースは半径22m直線160mの楕円形オーバルで開催。いつもより参加台数が少なかったけど、いつものように予選では光電管で千分の一までタイム計測。中心線ではかって1周411mのクォーターマイルトラックを速い人は22秒で周回。


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今回のYRSオーバルスクールには半数以上のユイレーシングスクール初体験の方が
しかも神戸や長野からの参加も
嬉しい限り

YRSオーバルスクールは半径22m直線60mの楕円形オーバルでイーブンスロットルとトレイルブレーキングの練習をしてから、より速度の出る半径22m直線130mのオーバルをできるだけ速く走って練習します。

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老いも若きも男性も女性も大歓迎のユイレーシングスクール
サーキット11時間以上のベテランもサーキット未経験の方もみんな笑顔
今回で2回目の高齢者マークの方もずいぶん速くなりました
メガーヌRSで来てくれるSさんの写真を撮るのを失念




FSWから自宅まで410キロほど。高速に乗る前に腹ごしらえ。

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今回は御殿場駅富士山口を出て徒歩5分の「ひろ田」さんにおじゃました

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今までに御殿場でうなぎを食したところは5軒あるけど今の好みはここ
ふっくら具合がなんとも

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地元の本わさで食べる白焼きはたまりません
わさびの量に注目


※ IE(Internet Explorer)でビデオを視聴するのが困難のようです。Chromeやsafari、Firefoxなどのブラウザをご利用下さい。



第224回 Yui Racing School

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ユイレーシングスクールが主催するYRSオーバルスクールがWEB|CARTOPの取材を受けました。既に掲載されています。ご覧下さい。


第116回 ジムラッセルレーシングスクール


早朝ガレージから運びだされるスクールカー

当時、双子を授かりレース禁止令が出ていて自分で走ることがかなわなかったので、代わりに日本語クラスを作ってもらい日本からの受講者を受け入れる体制を作った。
とここまでは2013年3月のブログに書いた。


マークによる座学があって

1987年。当時ジムラッセルレーシングスクールカリフォルニア校はラグナセカレースウエイとリバーサイドレースウエイを拠点としていた。その後ラグナセカをメインに活動するようになったのだが、日本語クラスはロサンゼルスに近いウィロースプリングスレースウエイでも開催した。
ラリアートにジムラッセルレーシングスクールのスポンサーになってもらっていたこともあり、毎年暮れにはミラージュカップシリーズに参加したドライバーが忘年会を兼ねて受講してくれた。
結局、記録を見てみると243名の日本人がジムラッセルレーシングスクールを受講してくれたことになる。


スクールカーの説明があって

3日間。フォーミュラカーで走り回る魅力的なカリキュラムは昔から憧れだった。そんな環境があれば、もっと直線的にレースデビューを果たせたかも知れない。そんな思いを抱きながら、期間中は日本からのお客さんに一生懸命アドバイスをしたものだ。


注意点が伝えられ

ところが、校長のジャック・クチュアもチーフインストラクターのマーク・ウォロカチャックもしゃべりすぎだと言う。
こちらは、はるばる日本から来てくれたのだから、そしてめったにない機会なのだからと正解をまじえながら操作の方法を伝えることが誠意だと思っていたのだが、自分で考える癖をつけてもらうためにしゃべりすぎは良くないと言う。


「これに乗るんだ」の横でバンライドの準備をして

マークを初めジムラッセルレーシングスクールのインストラクターが淡白とも言えるアドバイスをしていたのは前々から知っていた。それは本当にそっけない。
「ターントゥーレイト」とか「ターントゥークイック」だとか「ブレーキトゥーレイト」とか「スロットルトゥースーン」だとか。とにかく彼らが見た事実を伝えるだけだった。


遅くはない速度でやることをバンライドで実際に体験して

これには悩んだ。大いに悩んだ。自分で考え工夫して運転する癖をつけてもらうことが最も望ましいことはわかる。アメリカ人の受講生が簡単すぎるアドバイスだけで、ゆっくりではあるが上達していく様も目の当たりにした。
一方、日本人と言えば突っ込みすぎるのを抑えることが多かった。質問の内容も、どうすれば速く走れるかに集約された。


2班に分かれて乗車組と手伝い組に分かれて

できる限りためになると思うアドバイスをしてあげたい、けれどしゃべりすぎは駄目だと釘を刺される。ったく、どうすればいいんだ、と思いつつある仮説にたどり着いた。
ジムラッセルレーシングスクールの教え方は『過程』を重視していて、受講生に過程評価の仕方まで教えているのではないかと。日本では結果評価が優先される風潮にあるから、過程を飛ばして『結果』にだけ目がいってしまうのではないだろうかと。


とにかく「スムース&イージー」だよと


まずはシアーズポイントのドラッグストリップを使ってブレーキング

だから、ユイレーシングスクールを始めるにあたってひとつの方針を立てた。『過程』と『結果』の両方を目指すアドバイスをしようと。
それが難しいことだとはわかっているが、運転に限らずふたつの国の教え方の違いに接してきた身としては唯一の解決策だった。


休む間もなく走るのはユイレーシングスクールと同じ

だから、ユイレーシングスクールでは褒めない。受講者がひとつのテーマをクリアしても褒めない。たまたまうまくいった時にも褒めない。
言うことを聞かない人には、質問が来るまでアドバイスしないこともある。質問ばかりする人には、「何も考えないで走って走ってみて下さい」と言う。

その代わりに、「目指すのは理にかなった操作です。まだ先がありますよ、頑張って」と言うことにしている。
そして、「ボク自身まだまだ発展途上です。運転に関してはみなさんの先輩です。信用して大丈夫ですから後についてきて下さい。」と付け加えることにしている。

ですから、ユイレーシングスクールを受講して褒められなくても落胆しないで下さい。みなさんが上達していく様子はちゃんと心に刻んでいますから。


ラッピングに移ればコースのあちこちでインストラクターの目が光る



第109回 SCCA Club Racing


リバーサイドレースウエイのターン7は面白かった

というわけで、FIAルールとその延長であるASNに縛られないアメリカのレースは実にバラエティに富む。その上スポーツ好きな国民性がなせるのか、頂点のレースから底辺のレースまでレースの仕組みがよく考えられている。要するに、トップカテゴリーはこれでもか、これでもかと見せることに最大限の努力が払われ、グラスルーツモータースポーツはどうすれば参加者が楽しめるかを最優先にレース規則や車両規則が工夫されている。
ストックカーレースやドラッグレースやダートトラックレース等、日本ではなじみのないアメリカのモータースポーツだが知れば知るほど面白い。スポーツとして確立しているのがすばらしい。けど、面白さを語りだすとそれだけで今年のブログを独占してししまいそうなので(笑)、SCCA Club Racingに限って(も長くなりそうだけれど)話を進めるのでお付き合いいただきたい。


ウイロースプリングスレースウエイ

CSCCリージョンには今はなきリバーサイド(西海岸のモータースポーツの聖地でF1が開催されたこともある)を初め、縦のブラインドコーナーがあるウイロースプリングスやドラッグストリップとそのリターンロードを使ったカールスバッド、大回りするとラップタイムが落ちるぐらい広い飛行場の跡地を利用したホルタビルがあった。
ランオフに招待されるには南太平洋デビジョンシリーズで上位にランクされる必要があったから、年間3レースまで参加が許されるよそのリージョンのナショナルレースにも参加した。今はネーミングライツで呼ばれているサンフランシスコリージョンのシアーズポイントやコークスクリューで有名なラグナセカ。アリゾナリージョンに属しNASCARストックカーレースが行なわれる1周1マイルのトライオーバルとインフィールドを組み合わせたフェニックスや、砂漠の真ん中で砂だらけのラスベガスにも行った。ランオフではロードアトランタも走ったから、いろいろなコースを体験した。


シアーズポイントレースウエイ

どこも特徴のあるコースで走るのが楽しかった。なにしろコーナーのアウト側に沿ってガードレールがあったり、コースを外れると30センチ近い段差があったり、5速全開からターンインするコーナーがあったり、5速全開のダブルS字コーナーがあったり、とにかくドライバーに「できるならやってみな!」というコースばかり。これは日本にいては経験できない。


ウイロースプリングスレースウエイのプリグリッド

あるレースのドライバーズミーティングで、その日デビューするドライバーが「コースとエスケープゾーンの段差が危険だ」と訴えた。するとチーフスチュワードが「危なくないように走ればすむことだ。そもそもモータースポーツ自体が危険をはらんでいるのだから、自分で判断すればすむことだ」と返した。こういうのが好きだ。


GT5クラスのミニ


GT4クラスのセントラ(サニー)

昔、トヨタと日産がしのぎをけずっていたTS1300レース(特殊ツーリングカーレース)のつばぜり合いを見て、自分もあの中に混ざりたいと思っていたから迷わずにGTカテゴリーを選んだのだが、SCCAのメンバーになってみると他にも面白そうなカテゴリーがたくさんあった。
ショールームストックという文字通りディーラーのショールームにおいてあるクルマで参加するカテゴリーがある。サーキットを走るからと言ってブレーキパッドを交換してもいけない。しかし安全のために6点式ロールケージと運転席のサイドウインドにつけるセーフティネットと6点式のシートベルトに消火器の装着が義務付け。ボクも参加したことがあるが、ノーマルのサスペンションとブレーキパッドで5速全開のコーナーを抜ける。ボクが走っていた頃はシートの交換さえできなかったのに、だ。あれは楽しかった。なにしろ頼れるのは自分の判断だけ。行くか行かないかも自分で決める。こういうのが好きだ。
サイドバー付きのロールケージだから乗り降りが大変といえば大変だが、それさえ我慢すれば日常の足に使えるし1台のクルマの価値が大いに上がる。


ミアータ(ロードスター)が増殖して始まったSM(スペックミアータ)クラス

そのショールームストック。当事は販売年から5年しかレースに出ることができなかった。古いクルマを追い出そうというのではなく代替を促すための措置だ。
SCCAのレースに賞金はなく、ドライバーが手にすることのできるごほうびはクルマやタイヤ、プラグやオイルメーカーが用意しているコンティンジェンシーマネーだけ。そのメーカーの商品を使い指定のデカールを貼り入賞すれば、公式結果のコピーを送ると小切手が送られてくる。トヨタや日産も1位300ドルなんて額だったから、勝てばタイヤ代ぐらいになった。メーカーとしても自社製品が入賞しなければ懐が痛まないわけで(その代わりプライドが痛いかな?)、まさにウィンウィンシチュエーション。
そんなこともあり、ショールームストックは現行販売車である必要があった。

ショールームストックとGTカテゴリーの間にITカテゴリーがあった。インプルーブドツーリングと呼ぶこのカテゴリーはエンジンにこそ手を入れてはいけないが、サスペンションの交換や改造、そして何よりマフラーを改造することができた。タイヤノイズしか聞こえないショールームストックのレースを見て、「音がうるさいほうがいいな」と思った人や「やっぱり足は硬いほうがいいね」という人が主に参加していた。
安全規定を満たしていながら認定期間の過ぎたショールームストックを購入すれば、サスペンションにお金をかけるだけでITカテゴリーの車両になる。期限切れのショールームストックを手放したら新しいショールームストックを手にすればいいから、ガレージが1台分しかない人は助かるし、レースに使ったクルマのライフも伸びるし、レースを続ける人の数も増える。これまたウィンウィン。こういうのが好きだ。


ITクラスのシビックとCRX

KP61で参加していたGTカテゴリーの改造範囲は日本のTSの比ではない。どちらかと言うと昔のFIAグループ5に近くチューブフレームが許されているしオリジナルの形式であればサスペンションの改造も無制限。だから運転席がBピラーより後ろというオバケも走る。
実際、83年のランオフでは自分より上位の5台と後ろの2台はチューブフレームカーだった。最低地上高が『タイヤが2本パンクした時に車体のどこも地面に接しないこと』と決められているだけだから、みんな地べたに張り付いているようにコーナリングしていた。金銭的な理由でチューブフレームカーを手にすることはできなかったが、そういうのが好きだ。

上の3つがいわゆる『箱』をベースとしたカテゴリーだが、それぞれがパフォーマンスポテンシャルでクラス分けされているから、それだけで12のクラスがあった。


1万ドルで買えるレーシングカーとして始まったスペックレーサー。ルノーのエンジンを積んでいた。

その他にツーシーターがベースになるプロダクションカテゴリーが7クラス。2座席スポーツレーシングが4クラス。フォーミュラカーが4クラスあったから、どのレースに出るか迷うほど参加者側に選択権がある。


手前がフォーミュラアトランティックで向こうがCスポーツレーシング

プロダクションカテゴリーの一番下のGPクラスには1960年製のヒーレースプライトなんかが走っていた。どうしてもこのクルマで参加したいと思ったらSCCAに認定してもらうようにユーザーが働きかければいい。FIA-ASNルールのように自動車メーカーがホモロゲーションを申請した車両でなければレースに出られないことはない。意思と情熱さえあれば個人がレース主催者を動かせる。こういうのが好きだ。


GPのヒーレースプライトがヘアピンを立ち上がる

EPのミアータ(ロードスター)


EPのMGB

SCCAの逸話はまだまだ終わらないが、長くなるので最後にひとつ。
オーバルレースは初めて開催された1896年からローリングスタートを採用しているが、FIA-ASN傘下のロードレースはスタンディングスタートが一般的。しかしSCCAのクラブレースはローリングスタートだ。
ある日その理由を聞くと、「スタンディングスタートでは誰かがエンストする可能性がある。安全に配慮すると同時に駆動系に負担をかけないためにローリングスタートを採用している」と言う。つまり、スタートの良し悪しが結果につながらないように、そして高価な強化クラッチをおごってスタートで出し抜こうとする人とノーマルのクラッチでレースを続けている人とで差がつかないようにするためだ。こういうのが好きだ。


ウイロースプリングスのSCCAナショナルでトップを走った


CSCCのニュースレターはずいぶん褒めてくれたものだ

話は飛ぶが、だから、ユイレーシングスクールで卒業生を対象にスクールレースを始めた時、スプリントレースには迷わずローリングスタートを採用した。(耐久レースはドライバー自身がクルマに駆け寄るオリジナルのルマン式スタートにした)

そのスクールレース。筑波サーキットのコース1000とか富士スピードウエイのショートコースで開催した。なぜそうしたかと言うと、参加者の金銭的負担を減らす目的もあったが、なにより短いコースで周回数が多ければそれだけドライビングミスの可能性が高くなるからだ。ドライバーがクルマに頼らずに自分との戦いに負けないコツを学ぶことができる。

そのスクールレース。参加資格はユイレーシングスクールを受講することだけ。ライセンスもいらなければ組織の会員になる必要もない、日本のASNであるJAFに公認されたレースではない。だから、どうしても開催したかった。なにしろ、90年代終わり頃まで日本のASNは非公認レースの開催を認めてなかったのだから。

自動車産業の発展とクルマ社会の成熟がモータースポーツと密接に関係していることは歴史が証明している。日本のクルマ文化を芳醇なものにするためにはその当事者たる『モータースポーツを経験したことのある人』の数を増やすことだ。その分母が大きければ大きいほどクルマがクルマとして使われる環境が整う。

それが可能かどうかは問題ではない。ユイレーシングスクールはその一翼を担いたい、そう思っている。

※ SCCAランオフに参加した時の私的小説

アメリカから届いた雑誌

1982年12月。KP61でGT5のレースを始めた。そのKP61はふたりのオーナーの手を経てGreg Hotzの手に渡ったのが2004年。GregはフェイスブックにKP61のことを書いたのを見つけ、KP61が紹介されたアメリカの雑誌、グラスルーツモータースポーツを送ってくれた。今は2014年。GregはまだそのKP61でレースを続けている。あれから32年。ホモロゲーションが切れるとレースに参加できないFIA-ASNのレースでは考えられないライフスパンだ。

SCCA Club Racing 終わり


第62回 これはいい

ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール走る。

新たにYRSフリートに加わったトゥィンゴ ゴルディーニRS。
まだその持てる実力を全て引き出したわけではないが、この工業製品はクルマ好きにとって『買い』だと直感した。もちろん個人的な感想ではあるのだが。そして悔しいことに、生涯の伴侶として選んだルノー ルーテシア RSを上回るほど官能的。

クルマを意のままに操りたいと思う、あるいは思ったことがある方は、すぐにでも手に入れる算段をしたほうがいい。そしてユイレーシングスクールのオーバルスクールに参加してほしい。間違いなく『人車一体』を味わえるから。


第60回 相棒

2010秋。

2010秋。 トゥインゴGTと初対面。

2010秋。 町に連れ出したら色づいた銀杏がお出迎え、

2010冬。 アクアラインを渡ると真っ青な空が広がって、

2011冬。 年が明けてずいぶんたってから雪が・・・、

2011春。 トゥインゴGTがみんなを笑顔にして、

2011春。 一緒に記念撮影して、

2011春。 一緒に桜を愛でて、

2011夏。 ともに富士山を仰ぎ、

2011夏。 琵琶湖を望み、

2011夏。 先導車をつとめたことも、

2011秋。 運搬係りをつとめたことも、

2011秋。 湖西の秋を出迎え、

2011秋。 同じ鮮やかさに感動し、

2011冬。 富士山に見入り、

2011冬。 鈴鹿サーキットを体験し、

2012冬。 F1GPが行われたコースを走り、

2012春。 桜吹雪とたわむれ、

2012春。 旧友と出会ったり、

2012春。 オシャレなカフェにたちよったり、

2012春。 こんな格好をしてみたり、

2012夏。 みんなが走るのを見守り、

2012夏。 強い日差しを満喫し、

2012夏。 時には身体を労わり、

2012夏。 兄と写真におさまったり、

2012秋。 親戚と記念撮影したり、

2012秋。 卒業生を送ったり、

2012秋。 湖西線を見送ったり、

2012冬。 日の出の富士山に出会ったり、

2013冬。 突然の雪に凍えたり、

2013春。 ビデオの撮影に励んだり、

2013春。

そして、旅立ちの時。

See you sometime and A・RI・GA・TO !


第59回 YRSツーデースクール

風が強く富士山もかすむ

その昔。子供が生まれたのを機にレース禁止令が出た。出産の1週間前まで大きなお腹を抱えてクルーキャブに乗り込み一緒にレースに行っていたぐらいだから、奥さんもモータースポーツが嫌いというわけではない。我が二人だけのチームには欠かせないクルーチーフでもあった。しかし、異国の地で初めて授かるのが双子ということもあって、なかば自発的に禁止令を受諾(!)した。

ところが、サーキットに行かなくなるとどこか落ちつかない。なんとか合法的に(家庭内の話だが)サーキットの空気を吸うことはできないかと策略をめぐらし、それまでのコネを駆使して始めたのがジムラッセルレーシングスクール日本語クラス。自分で走るのではなくみんなに走ってもらうのだから、と強引な理由で奥さんの承諾を得、ジャック・クチュア校長に日本語クラスの重要性を説き、ワープロ(!)で日本語の教科書を作り、受講生がカリフォルニアにくれば15人乗りのバンを運転して空港に出迎えに行き、レストランでは全員の注文を通訳し、できることは全て自分でやってコストを抑え、なんとか日本では経験できない3日間、初日からフォーミュラカーで練習するカリキュラムを受けてみてほしいと奔走した。

そのかいあって、最終的には延べ230人あまりの人が受講してくれた。中にはふだん乗っているクルマを売って資金にあててくれたた方もいたし、中には日本のレースで好成績をおさめていた方もいた。様々な方に参加してもらったが、3日間クルマのこと以外考えない空間というものはいい経験になり、いい思い出になったはず。

AT車しか乗ったことのない方が緊張の面持ちで挑戦した1日目のスレッシュホールドブレーキング。3日目には立派なレーシングマシン使いになっていた。日本で自動車メーカーのサポートを受けてレースに参加していたドライバーが、アメリカを発つ前に手を差し伸べながら「トム、最高だった。まさに目から鱗」と言ってくれた一言。この他にも、ボクにとってはとてもとても貴重なたくさんの思い出が、ウィロースプリングスレースウエイやラグナセカの光景とともに思い出される。

1日目は快晴 午前の部終了で記念撮影

1999年暮れにユイレーシングスクールを初めた時からジムラッセルレーシングスクールに倣って数日間のドライビングスクールをやりたかったのだが、当時の日本はサーキット走行がブーム。専有時間をとるのもひと苦労。それに、何日もクルマ漬けというのは日本の風習に馴染まないのか、ようやく開催にこぎつけたのが2002年春。筑波サーキットのコース1000とジムカーナ場で、クルマだけに集中してもらう2日間を演出することができた。

2006年からは場所を富士スピードウエイに変更。それ以降、毎年YRSツーデースクールを開催してきた。中にはサーキットを走るのはこのツーデースクールだけと決めている方もいる。年配の方がYRSツーデースクールでサーキットデビューを果たした例も多い。

そして今回。14回目のYRSツーデースクールを開催。28歳から65歳までの青年が2日間いっしょうけんめい無心に走った !!!

ツーデースクールの朝はコース歩行から始まります

クルマという機械を操る運転は頭を使わないと上手くならないけれど、走りながら考えるのは逆効果。走り出したら雑念を捨て、無意識行動で運転することが望ましい。そのためにも、短期間に集中して身体に理屈を叩き込めば、運転はもっと楽しくなるし安全率は飛躍的に向上する。人間、一度身体が感じたことは、おいそれとは忘れない。

今年はあと1回。9月の28、29日の土日にYRSツーデースクールを開催する。ルノーオーナーの方はそれまでに少しだけ出費を抑え、ぜひ自分に投資してみてほしい。

※ 今回はルノー車が2台参加

ピットにならぶ兄弟

ヒラリとコーナーを

ウナリをあげてストレートを

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※ ルノー トゥインゴGTはというと、
デモランで目指すとこをイメージしてもらいます

イメージは無意識行動への近道です

そしてカメラを搭載して活躍。

太いトルクを生かして

ノーズをもたげ

粘る足で地面をとらえます

その時の動画がこれ。

○ ルノー トゥインゴGT 富士スピードウエイショートコースを走る

あくまでも個人的な思いではあるのだけれど、クルマにはサーキットが似合う。サーキットを走るクルマはイキイキしている。

機会があれば、あなたもサーキットを走ってみませんか? 速く走ることが目的ではありません。クルマがのびのびと動く様を感じるためです。


第58回 YRSメディアアップデート

いつも富士山といっしょ

YRSのメインステージから富士山を仰ぐ

日本でユイレーシングスクールを始めた頃には想像もできなかったことだが、この10数年で世の中は劇的に変わった。
ユイレーシングスクールの活動をビデオに撮影して、それをユーチューブというツールを使いインターネットで全世界に配信できる。配信すれば直ちに反応が返ってくる。ユイレーシングスクールの動画は決してエンターテイメント性の高いものではないけれども、アップロードするたびに視聴してくれるファンもいる。再生されている国も日本だけではない。再生履歴には北米、アジア、ヨーロッパの国々の名前が並ぶ。

このブログにしても、寄せられるコメントの全ては英語。はたしてどのくらいの国の人がアクセスしてくれているのかはわからないが、情報を発信する機会を与えてくれたルノー・ジャポンには大いに感謝したい。

ということで、最近アップロードした動画を紹介したい。

○ YRSスキッドスクール その1

○ YRSスキッドスクール その2

○ トゥィンゴGT YRSオーバルロンガーを走る

○ 2013YRSオーバルレース第1戦 Bグループ ヒート1

↓ その他の動画
□ YRSオリジナルビデオプレイリスト

クルマは動かすのはもちろん楽しいけれど、クルマが動く様を見るのも楽しくないわけがない!