トム ヨシダブログ


第867回 記憶のかなたの8

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遠い昔の思い出7から続く

 

池沼選手が2TGエンジンを積んだチューブフレームのバギーで挑戦したBAJAインターナショナルレースは無事に終わった。
池沼選手は事務局を担当していた日本オフロードレース協会が1976年に SCORE (Southern California Offroad Racing Enterprises:現存)に派遣したものだけど、日本人ドライバーが海外のオフロードレースに挑戦した最初の例になる。

サンディエゴからさらに南下し国境を越えてメキシコ領ティワナへ。ティワナからさらにクルマで南に1時間。バハカリフォルニア西岸、太平洋に面した港町エンセナダがスタート地点。カラフルな街並みに続々とオフロードマシンが集まってくる。カブト虫と呼ばれる空冷エンジンのVWを改造したBAJA BUG。Tubeと呼ばれるパイプスペースフレームにVW空冷エンジンを搭載したバギー。全てと言っていいほどVWの空冷OHV水平対向エンジンを積んでいた。当時は改造パーツが豊富でメンテナンスも容易だった。だから車検場ではダブルオーバーヘッドカムの水冷4気筒エンジンは注目の的だった。

確か2輪を含め300台近いエントリーがあったと記憶する。クラス毎に分かれた参加者が1分間隔でエンセナダの市街地を駆け抜ける。

BAJA500と呼ばれていたこともあったようだけど、1976年はBAJA Internationalとしてカリフォルニア半島を横断してカリフォルニア湾に面した港町サンフェリペで折り返しエンセナダに戻る420マイル=670Kmのレースだった。

レース参加者は砂漠の中を走るのだが、たまにバハカリフォルニアを縦断する国道1号線の近くをコースが通っていたり横切ったりする。そのあたりにサポート部隊が設営していた。ボクもマシンの近くに寄れる場所を探して写真を撮った。コダックのKRの時代。
ところどころに民家が建っていた。人づてに家畜の糞をブロックにして積み上げたものだと知った。オフロードカーのジャンピングスポットには大勢の地元の人が集まっていた、どこから来たのかは見当がつかなかった。

LAに戻ると日本を発つ前に手配していたトヨタとマツダの広報車を試乗した。日本にはない2.6リッター直6を積んだスープラXXは確かに加速はよかったけど、フリーウエイの鋲を踏んだ時のショックとノイズが大きかった。バネ下が暴れているよだった。マツダのGLC(日本名ファミリア)も同じだった。ロードノイズも大きかった。路面がアスファルトではなくコンクリートなのが原因かなと思った。

余談になるけど、アメリカのフリーウエイの車線を分けるのは白線ではなく、一定の間隔で置かれた高さ5センチはゆうにあろうかという鋲。速度が高いから避けるまでもなく踏む確率は高く、それなりのショックとノイズがあるから車線を変更したとの自覚が生まれる。しかも鋲に埋め込まれたキャッツアイ=反射板は白色なのだけど、何車線あろうと最も右に並ぶ鋲、すまわち路肩に最も近い鋲に埋め込まれたキャッツアイ=反射板は黄色なのでその右側が路肩だとわかる。だから街路灯もない真っ暗なインターステイツをヘッドライトだけを頼りに走る時でもそれほどの不安はない。
最初にアメリカで鋲を踏んだ時には邪魔だなと思ったものだけど、近ごろ新名神から伊勢湾岸に乗る時の大きなダブルS字の白線が消えていて夜間にどの車線を走っているのか覚束なかった時、日本でも車線を分けるのは鋲にしたほうがいいと確信した。そうはならないと思うけど。

LAではチャイニーズシアター前のルーズベルトホテルに泊まった。近くにアービーズというファストフードがあった。初めてローストビーフサンドイッチなるものを食べた。衝撃だった。ハンバーガーとは違う肉々しい美味しさ。アメリカにいる間、備え付けのホースラディッシュとアービーズソースをたっぷりかけて何度食べたことか。

867-1 日本に進出したと思ったアービーズが撤退してしまったのが残念

ある日ハリウッドから南に30分ほどのところにあるガーディナに行った。当時アメホン=アメリカンホンダの本拠地があった。用事をすませ夕方アスコットパークに向かった。話に聞いていたダートのオーバルコースで行われるレースを見るためだった。

昔からモータースポーツはクルマの究極的な使い方だと思っていた。運転が上手いと胸を張れるほどの自信はなかったから、はなからレーシングドライバーになるつもりはなかったけれど、モータースポーツの全てが知りたいという欲求は強かった。

中学時代から読み始めた自動車雑誌の記事から、アメリカを代表するモータースポーツはインディ500とデイトナ500だと結論付けていた。結果的にそれは間違いではなかったけど、アメリカのモータースポーツの巨大さは日本にいて知ることはとうてい無理だった。
1979年にアメリカに居を移してアメリカにどっぷり浸かった生活を始めて、初めてインディ500のルーツがアメリカのそこかしこにあるオーバルコースだと知った。

そのオーバルコースでは有名なアスコットパークスピードウエイに足を踏み入れる。プーンとなんかの匂いがする。グワッというような暴力的な音が絶え間なく聞こえてくる。行きかう観客はみな透明のカップに入ったビールを持っている。トイレがおしっこ臭い。コースを見渡せるスタンドに登る。目の前で車輪がむき出しのマシンがカウンターステアを当てっぱなしでグルグル回っている。リアタイヤはドラム缶の輪切りに見えた。

プログラムを買った。状況がわかってきた。走っていたのは400馬力ほどにチューニングしたアメリカンV8を積んだスプリントカーだった。エキゾーストパイプは直管だった。アスコットパークスピードウエイは西海岸で有名なハーフマイルトラック=1周800mのダートトラックだった。最初に鼻をついたのはスプリントカーがメタノール燃料を燃やしていたからだった。
プログラムの終わりの方にインディ500に続くピラミッドが描かれていた。いくつものカテゴリーが載っていた。スプリントカーは登竜門の1番上にあった。そしてピラミッドの底辺に4歳から始められると謳ったクォーターミヂェット=4分の1ミヂェットが載っていた。その昔、立川飛行場のオーバルコースでアメリカ人の子供が楽しそう乗っていたのに自分は乗れなかったあ・れ・がクォーターミヂェットと呼ばれていることを知った。

ようやくアメリカンモータースポーツの全体像の端っこが見え始めた。初めてのアメリカはホントにホントにゾクゾクの連続だったのを覚えている。

792-5 スプリントカーの弟分のミヂェット


第793回 遠い昔の思い出 5
(2024/6/12)
CG1994年2月号 オーバルトラックのグラスルーツ/ミヂェットカー体験試乗記

<続く>



第793回 遠い昔の思い出 5

カリフォルニア州にあるベンチュラレースウエイをミヂェットで走ります

※試乗時はドライスリックトラックだったのでミヂェット本来の速さは実現できませんでした

当時、日本オフロードレース協会の事務局を担当してた関係で、今から48年前の1976年に初めてアメリカに取材に行った。
目的はメキシコの統治地区だったカリフォルニア半島のバハカリフォルニアで行われたBAJAインターナショナルオフロードレースに日本人として初めて出場した池沼純一選手の戦いぶりを記事にすることだったけど、滞在中の経験がその後の自分の人生を大きく変えることになる。

メーカーの広報を通じて手配し現地の日本車を何台かロサンゼルス周辺で試乗した。どのクルマも国内仕様よりパワフルだった。パワーがないとアメリカでは売れないのか、日本国内向けにはパワーがなくてもいいのかね、と思ったものだ。

土曜の夜にはガーデナにあったスコットパークにダートトラックレースを見に行った。少しばかりトイレがビール臭かったけど、ストレートでもカウンターステアを当てたまま轟音を上げてハーフマイルダートトラックを駆け抜ける30台あまりのスプリントカーに頭を強烈に小突かれた。全てが新鮮だった記憶がある。

オフロードレースにしてもダートトラックレースにしても、その実体は日本にいては推し量ることができない。その規模といい迫力といい日本のモータースポーツとは大きな開きがある。本気度と言うか伝わってくる本物度がまるで日本と違う。アメリカの、なんというか活発さというか、ダイナミックさは1974年にしばらく滞在したイギリスでは感じられなかった。使い古された表現だけど、アメリカがまぶしかった。到着した日にハリウッドで食べて虜になったアービーズのローストビーフサンドイッチもアメリカにいればいつでも食べられるのにな。そんな思いを抱いた初めてのアメリカだった。

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CG誌 1994年2月号

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オープンホイールのダートトラックレーシングは基本USACが統括しているが
同様のルールの元で派生したシリーズもある
その主なカテゴリーを列記すると以下のようになる
 
クォーターミヂェット(5歳から参加可能)
ハーフミヂェット(主にバイクのエンジン流用)
スリークォーターミヂェット(1,000㏄のバイクのエンジン流用)
ミヂェット(320馬力:CG誌面のマシン)
スプリントカー(V8の600馬力エンジン搭載)
アウトロー(V8の800馬力エンジン搭載で巨大なウイングを背負う)

 

アメリカのモータースポーツは統括団体(我が国だとJAFにあたる)だけでも7つあってレースカテゴリーに至っては星の数ほどありそうなので、少しばかり古い話になるけど、とりあえずレース場の数を当たってみようと1998年にその年にレースを開催したレース場の数を調べてみたことがある。

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レース場の総数は1,320ヶ所で内訳は多い順に
オーバルコース1,029ヶ所/ドラッグストリップ242ヶ所/ロードコースがたったの49ヶ所
オーバルコースがアメリカンモータースポーツの根幹をなすことがわかる
 
オーバルコースのうち772ヶ所がダートトラックで257ヶ所がペイブドトラック
そのうち1周1マイル(1.6キロ)以上のオーバルコースは40ヶ所しかなく
ダートにしろペイブドにしろ
クォーターナイルからハーフマイルのダートオーバルトラックが主流だ

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日本のモータースポーツはダートトラックレーシングと縁がないように見えるけど
実は日本にもクォーターマイルダートトラック(400m)と
クォーターミヂェット用の180mペイブドオーバルがあった
今の人は知らないかも知れないけれど
 
日本発アメリカングラスルーツモータースポーツの舞台として
冒頭のビデオで走っているベンチュラレースウエイを完全にコピーした
ダートオーバルトラックが確かにあった
そのインフィールドにクォーターミヂェット用のオーバルがあった

 

当初インディーカーやNASCARストックカーの招聘を見据えていたツインリンクもてぎの立ち上げに携わっていた関係で、小林初代社長に1周2.4キロのスーパースピードウエイだけではアメリカンモータースポーツを標榜するのは片手落ちなのではないか、トップカテゴリーに加えてアメリカのグラスルーツモータースポーツも導入しませんかと訴えて、日本初の本場アメリカのダートトラックのレベルに匹敵するクォーターマイルオーバルが実現した。

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ミヂェットの醍醐味をふつうのクルマの運転と比較するのは難しい
ブレーキをかけてもスロットルを空けてもテールがルーズ(ブレイク)して
カウンターステアを駆使してマシンを前に前に進めるセッティングだから
言うなれば物理学に逆らう運転になる
 
スクールで運転は物理学です
理にかなった操作が大切ですとくどいほどに言うのだけれど
ことミヂェットは物理学に反するというか
あるいは超越した運転が求められる醍醐味がある

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ミヂェットにはダートトラック用とぺイブメント用の2種類があるが
主流はダートトラック
 
鋼管スペースフレームのシャシーに前後ソリッドアクスルを吊るサスペンション
前輪ブレーキは左のみ
ミヂェットの後輪は右側のほうが直径が大きく
試乗車の場合左側タイヤとの外形差は17.5センチもあった
 
だからアクセルを踏むと左向きに進み
ブレーキをかけても左向きに進む

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サタデーナイトレースで知り合ったロン・ブランデルから多くのことを教わった
なぜダートトラックでほこりが立たないのとか
ダートトラックの創り方とか
ミヂェットのセッティングの仕方とか
 
この取材から数年して試乗したミヂェットを日本に送りロンにも訪日してもらい
ツインリンクもてぎの関係者の前でデモラン兼試乗会を開催した
 
車重514Kgに285馬力のマシンで
鈴鹿サーキットの2輪用ダートオーバルや
ツインリンクもてぎのできたてホヤホヤのダートトラックを走ったのが懐かしい

※ CG誌面の写真は過去に幸田サーキットドライビングスクールに参加してくれたFさんの蔵書を撮らせていただいた。



第740回 遠い昔の思い出 4

アメリカンモータースポーツの頂き    長文です。よろしかったら最後までお付き合い下さい。

小林可夢偉選手がNASCARストックカーレースに参加した。ニュースでも紹介されテレビでも大々的に放映されたからご存知の方も多いと思う。

簡単に言うと、アメリカにはストックカーレース、ドラッグレース、インディカーレースの3つの大きなレースシリーズがある。この順に人気度が高く、すそ野まで含んだ競技参加人口が多く、またカテゴリーも日本では想像もつかないほど多く従ってシリーズ全体の開催数は多い。今回可夢偉選手が参加したNASCARカップカーレースはストックカーレースのトップカテゴリーだ。つまりアメリカのモータースポーツにあって頂点に君臨するレースシリーズだ。今回はインディアナポリスレースウエイのロードコースでのレースだったけど、可夢偉選手にはぜひつばぜり合いの連続のショートオーバルや大迫力のスーパースピードウエイのカップレースにも挑戦してほしいと思う。今年もカップカーレースは年間36戦もあるのだから。

しかしながらその昔。アメリカ的なオーバルレースやストックカーレースが日本では馴染みのないものであったことも事実。1990年代終わりには日本で唯一のスーパースピードウエイとしてツインリンクもてぎがオープンすることが決まっていたし、NASCARストックカーレースを招聘することも織り込み済みだった。アメリカに住みストックカーレーシングのお膝元にいたクルマ好きとして、なんとかカップシリーズの実体を少しでも日本に伝えたいとCG誌に寄稿した。時は流れ、記事にしたのは1993年のことではあるが。

当時も今もアメリカを代表するスポーツではあるけど、レーシングカー作りの技術も進歩しNASCARのレギュレーションも変わったから、記事の内容は現代のカップカーと異なる点は多いことをお断りしておく。それでも記事にあるカップカーが、1980、1990年代にまぎれもなくアメリカのモータースポーツをけん引していたことは間違いない。

※ 写真はユイレーシングスクール卒業生のFさんが保存していたカーグラフィックのバックナンバー1994年10月号、『アメリカンレーシングスクール体験入学記 280Km/hのコーナリングにしびれる』の頁を撮らせていただいたもの。

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※ こちらから記事中のリード、ネーム、注釈をpdfファイルで読むことができます

 

以下は記事から写真の抽出とキャプションを文字起こししたもの。

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念願かなってカップカーのシボレー・ルミナのコクピットに座る.ストックカーのドライビングポジションはたいていの場合こんなもの.窮屈そうに見えるかも知れないが,これが微妙な操作を可能にする秘訣.ペンスキー・チームのラスティ・ウォレスなんてもっとステアリングホイールに近い.手前に見えろ箱はラップタイマーで,上級クラスでインストラクターが横|こ乗った時|こ生徒を監視するためのもの.ドライバー横のセーフティネットはアメリカで全てのレースに義務づけられる.安心感が増すと同時に,それらしい雰囲気で身がしまる思いがする,

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24度のパンクだといっても具体的なイメージはわかないだろう.しかも見るのと,足で登るのと,カップカーで走るのとどれも感じ方が違うから,正確なところは伝え難い.ということで,この記事を読まれた方は自分で体験されることを薦める.

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2日目にリチャード・ペティが登場.インストラクターが僕が最初に40秒を切ったと告げるとつかつかとそぱに寄ってきて,「スーパースピードウェイの経験はあるの?えっ,ない.うーん,なかなか.コンスタントにタイムも縮まっているし,いいヨ,君.そうだ,記念にサインしてあげよう」.すっかりi-ハー気分まで堪能してしまった.
 
 
リチャード・ペティがどんな人なのか調べてみて下さい
それとデイル・アーンハートも

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カップカーに窓から乗り込むのを一度はやってみたかった.ピットウォ-ルに設置されているのは夜間照明用ライト.影を作らないために,反射角度を任意に変えられる鏡を持つ間接照明である.同様のライトはコースの全周にみられる.シャーロットモータースピードウエイは世界で初めて,ヘッドライトなしのナイトレースを可能にしたレース場だ.

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これがシャーロット・スーパースピードウェイ.トライオーバルを舞台にしたストックカー・レースはオーバルトラック・レーシングの頂点こ位置している.
(CMS photo)

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270km/hでパンクを駆け抜ける.傾斜角24度のバンクでは速度が上がるほどに視野が狭くなるのを実感する.本来なら相当の横Gがかかるはずなのだが,ショートトラックより感じない.パンクでは縦Gと相杖されるのか.それでも速度を上げるほどにヘルメットが重くなる.

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特別に許可を得て,カメラマンを助手席に押し込んで撮ってもらったのがこのカット.写真では緊迫感が薄れるが,いやでも壁が目に入ったというカメラマンは青い顔をして降りてきた.速いラップだと瞬間的にだが,ウォールから50cmまで寄ることになり,あまり気持ちのいいものではない.

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カップカーの5.8lのV8ブッシュロット・エンジン.タイアがエンジン・ベイに露出したチューブラーフレームの有様がわかる.エンジンはフルチューンではないが,それでも600馬力強.優にリッターあたり100馬力を超す実力を備える.

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簡素なコクピット.エキパイの熱を遮断する断熱パッドが床に敷かれているが,それでも右足は赤い痣が残るほど熱い.かつてペティがウェスタンブーツで乗っていた理由がわかった.シフトレバ-のストロークはとんでもなく大きいが,一旦走り出したらギアチェンジする必要はない.

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講師のあとについてパンクを走る.この距離だと前車をウインドシールド越しに捉えることができるが,この倍だとバンク通過中は視界から消える.講師用のカップカーはペティプルーに塗られたポンティアック.92年までリチャード・ペティ白身が乗っていた車そのものだ.

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左側のタイアを比べると,前輪に明確なポジティブキャンバーがついているのがわかる.レーシングカーはすぺてネガティブキャンバーが似合う(注9)と信じていると大間違い.後輪はリジッドアクスルだからキャンパーはゼロとして,シャーロットでは前輪に3.5度ものポジティブキャンパーがつけられる.

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今回使われたカップカー用のタイア(メイクはグッドイヤー).アウト側用はイン側用に比較してコンマ5インチ直径が大きい.つまり左右のタイアの外周の差は約1.5インチだという.インナーライナーを持つ二重構造のタイアが義務付けられているので,ホイールにはエア注入用パルプが2本ある.

 

カップカーを頂点としたアメリカのモータースポーツのルーツでもあるストックカーレーシング。そのピラミッドの大きさを伝えたいと寄稿したこともある。 ブログ 第274回 遠い昔の思い出 2 CG誌1994/3号 ストックカーレースの門を叩く/アメリカンレーシングスクール体験入学記

 

【独白】
1980年秋から米国トヨタのOさんとアメリカでトヨタがモータースポーツ活動を行うための準備に入った。それまで得た知識を総動員して最も現実味のあるIMSA(インターナショナル・モーター・スポーツ・アソシエーション)のGTUクラスへの参入を提案し採用された。並行してSCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)のクラブレースに参加を認めてもらうためにトヨタ車のホモロゲーション(車両認定)の取得に奔走した。
ラリー以外のモータースポーツ活動を一切していなかったトヨタが初めてアメリカでレースに打って出るというので期待は高く、米人の間では当然NASCAR参戦を希望する声もあった。しかしこの時代、アメリカのビッグ3以外がアメリカンオリジナルのストックカーレーシングに参加することは絶望的に不可能だった。それは、NASCARに参加の打診をした時の回答が、「トヨタはOHVエンジンを作っていないだろ。NASCARに参加するならOHVエンジンを作ることだ」だったことに集約されていた。吸排気効率を向上させるためにOHCからDOHCへの進化が当たり前の日本の技術に対するホームタウンデシジョンのようなものだった。

そんな時代があり、NASCARもアメリカのモータースポーツも様変わりした。個人的にはトヨタがNASCARカップレースで勝ち、日本人ドライバーがカップレースに挑戦する。あの時代からすれば考えられないことだ。そして自分にとってアメリカを初体験した1976年以前の日本と、アメリカのあの時代、そして21世紀の日本を経験できたことは大いなる学びがあり、そこから得ることができた幸せを今かみしめている。



第737回 その昔

今朝FBを開いたら在りし日の雄姿が。昔のことを覚えてくれている人が何人もいるんだ。嬉しいね。

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第639回 息を飲む

生身の人間が自然の摂理と物理の法則との狭間をたどり続ける営みを、息を止めて凝視できる喜び。
航跡のように生まれ続けるブラックマーク ! はためくライディングウエア !

史上最多の22戦で争われるMotoGP2022シーズンは今週末カタールで開幕。日本GPは9月25日開催予定だ。

※ MotoGPの版権及び肖像権はDorna Sportに帰属します



第631回 2008MotoGP US

カリフォルニア州モントレー郊外にあるラグナセカレースウエイ。ボクがSCCAのレースで走っていた頃は1コーナーが、5速全開からノーブレーキで4速に落としてターンインという超ハイスピードコースだったけれど、1987年に二輪の世界選手権を開催するためにFIM公認のコースに生まれ変わった。かっては現在の2コーナーと5コーナーがつながっているレイアウトだったのだけど、規定に合わせるため全長を延ばすことになりインフィールドにコースが新設された。現在では1周3.6Kmになっている。
ラグナセカの名物と言えばターン8にあたるコークスクリュー。下りながら左、右と切り返すS字コーナーは4階建ての高さを駆け降りると言われている。

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ターン7までは空しか見えない登り。登り切って着地するやいなやブレーキング。ターン8へのターンインではターン9の出口が見えないコークスクリューは過去幾多の名勝負が繰り広げられた。

今回紹介するのは2008年MotoGP AmericaGPでの名シーン。この年ラグナセカで初勝利を収めたバレンティーノ・ロッシが3周目のターン8のブレーキングで先行するケーシー・ストーナーのインを刺し、切り返しで勢い余ってダートに飛び出しながらも追い抜きに成功する。4輪ではあるけれどコークスクリュー手前のブレーキングとターンインの難しさを知っている身としては、バレの走りはただただ驚きでしかない。

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ことの始まりは、

※ラグナセカを周回する動画は こちらです



第624回 Grazie Valentino

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2021MotoGP最終戦バレンシアGP
自身432回目で最後となる世界選手権レースを10位で終え
お約束のウィリーで観客に別れを告げる

 

バレンティーノ・ロッシが引退した。1996年から四半世紀以上、26年間にわたり二輪ロードレース世界選手権に参加。出走回数の実に55.3%にあたる235回で表彰台に上り、9回の世界チャンピオンを獲得した伝説のライダー。近年は往時の鋭さこそなりを潜めてしまったが、時折見せるレースに勝つための走り、レースの読み解き方は彼独特のものだった。個人的には、ワタクシを含め世界中で最もファンの多いGPライダーだと思っている。

F1ドライバーをして「MotoGPライダーは頭のネジが1本抜けている」と言わしめる彼らのバランス感覚と張りつめた雰囲気。その中でひとり、いつも笑顔を絶やさなかったバレンティーノ・ロッシ。いつもレースに勝つことを追い求めることに貪欲でありながら心底楽しそうで、チェッカーを受ければこれでもかと全身から無邪気さが漂う。

靴として160Kgは決して軽くはないけれど、彼にとってGPモーターサイクルは両足のようなものだったのだろうね。さしずめ後輪が軸足で、けんけんするぐらいにたやすいことだったのかも知れない。これからは見ることのできない彼のウィリーを。

そして彼の妙技を。

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どこかの動画にバレンティーノ・ロッシがインの段差のある縁石に肘をこするものだから腕が震えていたシーンがあった。肘もバンク角を計るセンサーなのだと解釈した。

とおの昔からF1マシンはダウンフォースを武器に速さを増してきた。今やオポジットロックを見ることもない。一方、MotoGPマシンは動力性能とタイヤの性能向上で速さを身につけてきたけど、操るのはむき身の人間。MotoGPライダーをなんと形容すればいいのか。言葉を失う。

・バレンティーノ・ロッシの引退を惜しむべくMotoGPを統括する Dorna Sport から彼の勇士を記録した動画が次々と配信されている。中でもチャンピオン経験8回のマーク・マルケスとの争いは見もの。  https://www.youtube.com/watch?v=pfmcMjB64NE

・ヤマハ発動機公式チャンネルも16年間ともに世界で戦ったバレンティーノ・ロッシへの感謝を綴っている。2輪ファンではない人にもぜひ見てほしい。稀代の英雄の姿を。  https://www.youtube.com/watch?v=2iVtflczNC8&t=21s

 

※ MotoGPの版権及び肖像権はDorna Sportに帰属します



第605回 リジェンドクラブカップレース生中継

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YouTube「Inter Proto Series x KYOJO CUP CHANNEL」で
9月26日(日) 15時30分~15時55分の間
『AIM Legend’s Club Cup 2021』レース
がライブ配信されます

 

リジェンドクラブカップレースはモータースポーツ界で活躍してきた名ドライバー達がVITAというマシンで戦うワンメイクレース。今回は最高齢87歳の多賀さんを初めとする17名が参加予定。お遊びではなく本当の本当の真剣勝負に参加するドライバーの平均年齢は72.7才です。みなさん競技ライセンスもお持ちです。驚いて下さい。

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AIM Legend’s Club Cup 2021 エントリーリスト
お名前を耳にされた方もいると思います
ぜひご覧下さい

 

いささかこじつけがましいのはわかっているけれど、レースともなれば危険が伴うというのが定説。なのに、なぜリジェンドドライバーたちは丁々発止のレースをしても事故を起こさないのか。
ひとつだけ答えを探すとするなら、それはクルマの動かし方を体と頭で理解しているから、になるだろう。この方達がその昔クルマを動かすことに一生懸命だったのは想像に難くない。どうすれば人より速くクルマを動かせるか頭を使い仮説を立ててそれを検証し、その結果として、運転していて次に起きることがあらゆる場面で連続的に読めるようになり、間違いのない対応をとることができるようになったからだと思う。

そして、加齢だけが高齢者交通事故多発の要因ではないとも思っている。確かに若者より年寄りのほうが事故を起こす可能性は高いだろうけれど、若者が無事故なわけでもない。高齢者でも事故とは無縁の人もいる。筆者が高齢者マークだからいきおい年寄りの話題が登場することにもなるけれど、今若い人もいずれは歳を取る。歳をとっても安全に思うようにクルマを操る人達がいる。運転というものは一生ものだ。早いほうがいいに決まっているけど、だからと言って遅すぎるということはない。今や高齢ドライバーの仲間入りをした名運転手同士のつばぜり合いを見ながら、これから自分が運転とどう向き合っていくかに思いを巡らすのも悪くはないと思う。

#リンク #ブログ #高齢者 #運転 #安全運転 #事故
・第556回 高齢者安全運転診断サービス その後
・第566回 高齢者と運転
・第579回 レーサーだって歳をとる!
・第597回 令和2年版交通統計から見えてくるもの

 

※ レジェンドクラブカップレース広報資料



第603回 340万回越え

保存していた2015年MotoGPアメリカラウンドの予選でワールドチャンピオンのマルク・マルケスが見せた感動的なライディングテクニック。やっぱりみんなにも見てもらいたくなって、編集してユイレーシングスクールのYouTubeにアップしたのが2017年5月。

予選終了3分前のストレートでマルク・マルケスのマシンがエンジントラブルでストップ。マシンを止めピットウォールに立てかけ、駆け足でピットに戻りスペアマシンにまたがり残り2分30秒でピットアウト。1周2分はかかるサーキットだから計測されるにはチェッカー前に一度コントロールラインを通過する必要がある。チェッカー8秒前(‼)にコントロールラインを越えたマルク・マルケスは、そこから鬼神の走りを見せる。結果、3つのセクション全てでタイムを更新し、当然ながらポールポジションを手にする。見どころは3点。編集ではその部分をスローモーションにして追加した。
・マシンのテールスライドを腰で止めた
・ハードブレーキングでスライドを始めたリアタイヤをカウンターステアとステップから左足を離してリアタイヤに荷重をかけて修正
・ハードブレーキングで後輪が宙に浮いた状態からバランスをとりながらターンイン

人間が操る乗り物を、我々のレベルではとうてい垣間見ることすらできない領域で操る人たちに対し純粋な畏怖の念を抱く。
自分にできないことを彼らがやってしまうからあこがれているのではなく、現実にそんな人たちが存在することを強く認識する。もちろん彼らに及ぶべくもないけれど、彼らを目指すのだという意識があれば、到底届くことなどないことはわかっているけど、彼らと比べれば笑えるほどわずかなものかも知れないけれど、少しは前に進むことができるのではないかと思い続けてきた。どうすればああゆうことができるのか。持てる知識と経験を総動員してイメージする。全ての乗り物は機械だから物理学的に考えると糸口にたどりつけた。

それ以来、『魂が震える』のタイトルを付けたこの動画。視聴回数が340万回を越えた。コメントも1,000件を越えた。中には動画に挿入した字幕に誤字があることを指摘されたのが何通かあってへこんだけど(泣)、ほとんどはそんなことを気にかけずにタイトルを肯定してくれる内容だったのは嬉しい限り。

 

昨年第2戦の怪我から復帰したマルケス。12日に行われた2021MotoGP13戦アラゴンGPでは今年2回目の表彰台にのぼったものの、「まだ元のように走れてはいない」とのコメントが気になる。

たくさんのファンがあなたの超人的なライディングをもう一度見たいと思っています。慌てなくても大丈夫ですから、またあの鬼神のような走りを必ず見せて下さい。待っています。

 

※ 誤字を訂正してアップした動画は https://youtu.be/FPTlfnzruB0 です
※ MotoGPの商標権者は Dorna Sports です



第517回 YRS FJ1600ライドとYRSドライビングスクール筑波

516-01
早朝のピットにFJ1600
 
FJ1600については
第477回
YRS Pages をご覧下さい

516-02
[ I love motorsports ]
 
21年前にアメリカで作ったデカール

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YRSドライビングスクール筑波が始まる前に
FJ1600を走らせるためのブリーフィング

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Tさんがコクピットに収まる
 
以下が初めてフォーミュラカーに乗ったTさんが送ってくれた感想文


先日、ドライビングスクール筑波に参加したTです。7月にオーバルスクールで教わったことをサーキットコースでも実践してみたくて、今回の参加を決めました。実際、サーキットコースでも、教わったイーブンスロットルはとても有効で、スクールの合間に体験試乗したFJ1600も、余裕を持ってコーナーに進入できました(私レベルの話しですが)。
実は今回のFJ1600試乗は前に体験された方から「必ず自分のドライブにプラスになるから」と、勧められ、チャレンジする事にしたのですが、実車を目の前にすると、まんまフォーミュラーカー!少し後悔しましたが、いざ運転してみると、意外と乗れる!そしてよく曲がる!さすが速く走るために作られた車だと感心しました。
自分のドライブにプラスになったのかどうかはわかりませんが、一言、おもしろかった〜、貴重な体験をさせてもらいました。スクールの方では、新たにブレーキの使い方の奥深さに触れ、これから工夫してみようと、目標ができたところです。サーキットって、楽しいですね。またお邪魔させてください、ありがとうございました。
                        
516-06
Hさんがコクピットに
 
初めて風の当たるマシンに乗ったHさんは
こんな感想を送ってくれました


フォーミュラーカーに一度は運転したかったのでFJ1600に応募しました。
初めにシート合わせをしましたが、狭い、キツい…エンジンスタート方法、シフトチェンジを教わりました。
午前中のプログラムを終了し、いよいよFJ1600を運転します。FJ1600のシートに身体を入れ、シートベルトは外から締めて貰います。ドライバー自ら締めることはかなり難しいよとスタッフの方が言っていました。ギチギチに締められたのでお尻にスポンジがあるが尾てい骨が痛い…
キルスイッチON、スタートスイッチONにしたがエンジンがかからない…アクセルを少し煽りながらONにしてねを思いだし、再度ONにするとエンジンがかかった♪
1速に入れクラッチを繋ぐとエンスト… 数回同じ事を繰り返していたら、スタッフから2000で繋いでと言われて、2000までアクセルを煽り無事に発進出来ました(笑)
2速、3速と上げて、コースイン!トレイルブレーキ、イーブンスロットルをしながら1コーナーへステアリングを操作し無事に曲がることが出来ます。肩に当たる風を感じ気持ち良いままヘアピンへブレーキをかけますが、惰力が重く減速しているのが良くわからず曲がれそうな所でステアリングを操作し無事に曲がりました。(笑)
1番手だったので壊したらまずいので4000縛りで走行を行いましたが、充分に満足な走行が出来ました。走る直前にトムさんから秘密な呪文を教えて貰いましたが、「主催者の指導方法が良いので」秘密な呪文を使うことはありませんでした。(笑)
最後にこのような機会を作ってくれましたトムさん、スタッフの方ありがとうございました。

516-09
Yさんがスタートの準備
 
6月に続いてFJ1600に乗ったYさんからの感想文


6月にユイレーシングスクールのFJライド1回目で初めてFJ1600に乗るという経験を致しました。1回目の感想は「ズバリ楽しすぎる。刺激的で最高。」でした。自分の操作・車の反応が即時で且つリニアなのが非常に印象的でした。そんなわけで、FJライド2回目のチャンスがユイレーシングスクールから発表された際には、即決で「もう1回乗る!」と決めました。
1回目では「身長が高い私が乗り込めるのか?」「いや、何としても乗り込んでやる」と変に気負ってましたが、今回は筑波コース1000の1~2コーナーでの気持ち良い遠心力を感じることと、最終コーナーでは操作を加え続けて、少しでも車を前に進めることをテーマにして臨みました。
1~2コーナーで遠心力を感じながら車をコントロールすることは午前中に自分の車(ルーテシア3RS)で1コーナーにイーブンスロットルで進入する練習と、同じく1コーナーにトレイルブレーキを使って進入する反復練習が非常に役立ったと感じました。
4本のタイヤを使って走るという同じ理論(考え方)で丁寧にコーナーに侵入することで安定して強い遠心力を感じることができました。低い姿勢の操縦席で真横に感じる遠心力は何とも言えないすごい体験です。
また、最終コーナーについても自車で同じコースを走行していることから自分の頭と体の準備体操ができている状態となっていることで、FJでの走行時に前回よりも積極的な操作ができたと思います。(走行の最中にも、「前回より良いのではないか?」と自分を俯瞰して 見ることができました)
セッション後半では「風が気持ちいい、また乗りたい。」なんてことも思いながら、濃密な時間を過ごせました。
自分の運転を見直すためにも、ダイレクトで妥協のないFJに乗ることは大変効果的だと思います。
これは自分がルーテシアをよりうまく操り、楽しむこと・車さんの声を聞いて操作することに間違いなく役に立ちます。車好き・運転好きならば機会があれば、是非一度は乗ることをお勧めしたいです。
「こんな車に乗ってきたよ」とちょっと自慢気に家族に写真を送ったところ、シンプルに「すごい。速そう!何キロ出るの?」と驚いた様子ですぐに返信がありました。やはり見た目のインパクトは大きいようです。

516-08
OさんがFJ1600のコクピットに


量産車とは異なるFJ1600の走り

ルノー仲間が筑波サーキットコース1000を攻める

516-10
YRSドライビングスクール筑波はドライブスルー受付で検温
問診票に記入してもらい回収
 
座学は参加者がクルマに乗ったまま配布した資料を見ながらFMラジオで
三密を避けるために始めたのだけれど
向かい合って停めたクルマの間でデモランをしながら説明ができるという副産物が
クルマを動かすのは物理学だけど理論を可視化できると吸収が早いはず

516-11
進行を説明するのにクルマから降りてもらって
ソーシャルディスタンスを保ちながらミーティング

516-13
その後
コース1000の1~2コーナーを使ってイーブンスロットルと
加速→減速→旋回の反復練習をするため
全員でインフィールドのストレートにクルマを移動
 
2班に分けて一方が走行してもう片方は見学

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イーブンスロットル(ノーブレーキ)でも90キロで進入できる1コーナー
ターンインの位置が奥すぎないか
ターンインの瞬間に前荷重ではないか
1人ひとりの走りを見てアドバイス

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見学組の参加者が見守る中
Hさんが1コーナーにアプローチ

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Tさんのコーナリング
 
ステアリングを切るに従い
前後荷重を均等にするためイーブンスロットル
Tさんは〇です

516-17
Oさんのコーナリング
 
ターンインの時に前のめりだとアンダーステアを誘発しやすい
OさんはOKです

516-18
Yさんのコーナリング
 
ターンインの速度が十分に速くて
遠心力が期待出来て
舵角の増加に応じて荷重をリアに移すことができれば
FFでも4輪を使ったコーナリングができます
Yさんは合格です

516-21
ルノー仲間がコース1000の最終コーナーを立ち上がります

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ユイレーシングスクールではインアウト入れて7~8分のセッションを繰り返します
進行は複雑になりますが3グループに分かれた参加者とクルマは走行の後に休憩ができるのと
クルマから降りてる間に復習と予習ができます
 
長い時間走り続けるのは集中力がそがれるので練習という観点からは避けています
 
今回は暑かったので短いセッションとピットに用意した冷たいお茶が特に効果的でした

516-12
セッションの合間に個人的にアドバイスしたり同乗走行をしたり
全員が理解したほうがいいと思われる場合は全員ミーティングもします
 
教える方も教わるほうも一生懸命になりすぎて近寄りすぎ
これは今後の反省点でした


516-20
ユイレーシングスクールでは速く走ろうとする前に
クルマの性能を引き出すことに集中することを提案しています
 
今回は減速中にクルマの姿勢をコントロールする
つまり減速から旋回に移る時に前荷重を十分に減らすために
踏力を変化させるブレーキングを練習しました
 
参加者に間近でクルマの姿勢変化を確認してもらいます