トム ヨシダブログ


第108回 SCCA Club Racing 2

かなり古い話ではあるけれど、1981年から1991年まで途中双子の息子の誕生で「レース禁止令」が出た2年余りを除きレースに参戦していた。
レースと言うと読者のみなさんは日本のレースのことを思い浮かべるかもしれないけれど、ボクが参加していたのはSCCAクラブレースと言って日本から見ればうらやましいようなレース。

このレース参戦とアメリカで子供を授かったことがボクを大きく成長させてくれたと思っている。ということはおいておいて、どんなレースなのか紹介したい。

少し遠回りになるけれどSCCAの立ち位置を明確にするためお付き合いいただきたい。

モータースポーツもスポーツであるからルールがある。F1GPを初めとする国際的なレースはFIAが定めるルールに則って開催される。国ごとに行なわれるレースも国境を越えてドライバーを募集するためにはFIAのルールに従う必要がある。
一方、その国だけで行うレースの場合はFIA傘下のモータースポーツ権能(ASN=National Sporting Authority)がその国のルールを、FIAルールに基づいて作ることができる。いずれにしても、レースの形式などを決める競技規則もレースに参加するクルマの仕様を決める車両規則も、原則的にはFIAルールから逸脱しないことを求められているのが現状だ。

日本の場合、このASNにあたるのがJAFひとつ。ところが、アメリカのASNに該当するモータースポーツ統括団体はひとつではない。本来ASNは1国ひとつが前提なのだが、裾野が広く標高も高いアメリカのモータースポーツはそれではくくれない、というわけで次の6つの大きな統括団体がある。

NASCAR(ストックカーレース)
NHRA(ドラッグレース)
IndyCar(インディカーレース)
USAC(スプリントカー、ミヂェットカーレース)
IMSA(スポーツカーレース)
SCCA(クラブレース)

しかもFIAルールを取り入れているのは国際スポーツカーレースを開催しているIMSAだけで、あとは全て国際ルールを無視!
乱暴な言い方をすれば、FIA(1993年まではFISA)にとってアメリカのレースは全て非公認レースになる。しかも、6つの団体と同じような組織が共存しているから、日本にいてはアメリカのレースを俯瞰することは難しい。
ボク自身、あれこれ調べ上げて『おもしろそうだ』と海を渡ったのはいいけれど、いざ目の当たりにすると知らないことばかりで面食らったものだ。

もっとも、正確に言えば国際ルールが確立する前にそれぞれのレースが成長してしまっていたし、国際ルールではくくりきれないほど多種多様なレースが行なわれているのが実情だ。
しかし国際的なドライバー(自国発給のライセンスを持っている)がアメリカのレースに参加するのはまずいだろうと、FIAと国際的な取り決めをする組織として6つの統括団体が加盟するACCUS(Automobile Competition Committee of the United States)が1959年に誕生した。

なぜFIAルールでくくりにくいのかというと、アメリカのモータースポーツは規則があって始まったわけではなく、参加者がやりたいことを始めたのがルーツだからだ。
実際、メジャーリーグを上回る視聴率を稼ぐNASCARにしても週末の400mダートオーバルに行けば解体屋から持ってきたようなクルマでやるレースを公認しているし、アメリカのモータースポーツで視聴率トップのNHRAも週末にはゼロ200mのドラッグレースを盛んに後押ししている。
ボクが参加していたSCCAもベースはアマチュアのためのロードレースを開催することなのだが、以前は世界的なレースを開催していた。CAN-AMとかTRANS-AMという言葉を聞いたことがあるだろう。

とにかくJAFしか存在しない日本からアメリカのモータースポーツピラミッドを想像するのは難しい。むしろ自動車先進国の中でモータースポーツ統括団体がひとつしかないというのがもはや少数派だ。


説明は↓

※書類を整理していたらなんと、1983年にCSCC(カリフォルニアスポーツカークラブ)が発行したフィニッシュラインというニュースレターが出てきた。アメリカから日本に持ってきた書類にまぎれていたのだ。

SCCAのクラブレースに限って話を進めると、当事SCCAの本部はデンバーにあって全米に散らばる112のリージョン(支部)から構成されていた。ボクが所属していたのは南カリフォルニアをテリトリーとするCSCC(カリフォルニアスポーツカークラブ)というリージョン。SCCAのリージョナルライセンスを持っていればリージョン内のレースに参加できる。


ヘルメットで見えないけど髪はフサフサだった!

しかしSCCAランオフという全米選手権があって、それに出るにはナショナルライセンスを取得する必要がある。
ランオフは全米を7つ(現在は9つ)に分け、各デビジョンごとのシリーズ戦を行い上位3名が招待され年に1度競う合うアメリカのアマチュアモータースポーツの祭典だ。-ポイント上位は自費参加が認められる-

ボクは幸いにも、1983年と1984年に招待され1000ドルの小切手をSCCAからもらってはるばるロードアトランタまで出かけたものだ。84年には他車のクラッシュに巻き込まれてしまったが、初年度の83年に全米のツワモノ27名の中で日本人として初めて6位に入賞したのは今でもすてきな思い出になっている。


「ラップレコードを記録しながら勝利」と書いてある

CSCC時代の記憶をしたためた文がこれ

SCCA Club Racing 続く


第107回 交通安全

昨年度、自治会の役員を務めた流れで今年度は交通安全委員をおおせつかった。
安全委員といっても交通安全に積極的にかかわるのではなく、地元の交通安全協会のサポートが主な任務。月2回、往来の激しい交差点に立ち登校する児童が交差点を渡るのを見届ける。

子供達は交差点手前の集合場所に集まり全員がそろうと交差点にやってくる。協会の方が信号機のボタンを押し横断歩道側の信号が変わるのを待つ。子供達は、それまではしゃいだり声を出して笑ったりしてたのに、急に寡黙になり横断歩道を渡る。おはようございます、と声をかけてくれる子供も多い。横断歩道を渡りきると再び活発な子供らしさが戻ってくる。

湖西道路が2012年末に近江舞子の先、北小松の南まで伸びたので交通量は減っているようだが、それでも朝の時間帯はひんぱんにクルマが行きかう。決して広くない国道161号線も京阪神と北陸を結ぶ重要な路線の上、通勤のために湖西を南に下るクルマが加わるからだという。

交差点に立っているといろいろな光景が目に飛び込んでくる。
相変わらず携帯電話片手に運転している人。何かを口に運びながら先を急ぐ人。こちらからは見えないと思っているのか大あくびをしながら走り去る人。まさに人それぞれ。それが日常なのだろうが、どこか緊張感が欠けているように映る。

交通安全協会の総会にも出席したが、走行速度の抑制を念頭に朝夕のパトロールカー(交通安全協会の)や交差点での監視やイベントでのビラ配りくらいしか協会としての策はないそうだ。
総会には地元の警察署長も出席していたけど、速く走らなければ安全という短絡的な考え方の域を出ないことには少しばかり失望した。むろん、交通安全のためにこれでいいという決め手がないのも事実なのだろうけど、交通を安全かつ円滑にするためには運転する人間の意識を育てることが一番重要だ。簡単でないことはじゅうじゅう承知しているが。

残念なことにクルマはますます家電化している。悲惨な交通事故のニュースが絶えない今だからこそ、それが日常であれクルマの運転は簡単ではないこと、クルマが安全を与えてくれるわけではないことを説かなければならないのではないだろうか。自動車メーカーの思惑には反するのはわかっているが。


第106回 SCCA Club Racing


ちゃんと動くか確認中

ユイレーシングスクールは自らの目的を達成するためにいろいろな挑戦をしている。EPプロジェクトもそのひとつ。現在は主に時間的、経済的な理由で中断しているが、まだ継続中のアイディアだ。

そのEPプロジェクト。アメリカのレース統括団体であるSCCAのEプロダクションクラスの車両規定に則ったクルマを作り、ドライバーとメカニックをユイレーシングスクール卒業生にゆだねカリフォルニアで行なわれているレースに参加しようという遠大な企画。
南カリフォルニアリージョンのCSCCにコンタクトをとって、日本製EP、つまり右ハンドルのクルマでもレースに参加できる内諾は得ていたのだが。

ということで、近いうちの再開を願ってまずはEPの説明から。


エンジンにはまだ手を入れていない

SCCAの車両規則にはいくつかのカテゴリーとクラスがある。ボクがレースをしていた頃は、その合計が26もあった。その中のプロダクションカテゴリーは基本的に2座席スポーツカーをベースにする。排気量とポテンシャルパフォーマンスでAからGまでのクラスに分かれていて、ユイレーシングスクールがベース車両に選んだロードスターはEプロダクションに編入される。
因みにGプロダクションには997ccのヒーレースプライトなんかが走っていた。もちろんオリジナル。
ボクが選んだのはGTカテゴリーで量産セダンがベース。その排気量の最も小さいGT5クラスにKP61スターレットで参加していた。


フロントには4ポットキャリパー


リアには2ポット

このプロダクションとGTというカテゴリー。生産車ベースの改造レーシングカーには違いがないのだが、中身はチューブフレームまで許されるからかなり本格的。JAF規定で開発されたノーマルシャーシのKP61で手こずった経験があるから、EPは専門家にチューブフレームを組んでもらいアメリカで走っているオバケと対等に渡り合うことを目標とした。もっとも補機類の取り付けや伝送関係は休みを利用して卒業生有志が仕上げたから、YRSのEPロードスターは卒業生の作品と言うことになる。


コクピットもワンオフ


パラレルマスターシリンダはバランス調整式

YRS EPロードスターは結局、6時間レースと12時間レースに参加した。ドライバーは全てユイレーシングスクール卒業生。パワーステアリングもブレーキのアシストもなく、屋根さえないクルマに乗ってみたいと手を上げた有志達だ。

「アメリカのレースに参加するってどのくらいの日数が必要なの?」
「あれこれ頼んでポンと乗っただけじゃ面白くないしコストもかかるから、自分達であれこれやると1週間は必要だろうな」
「目標があればお金はなんとかなると思うけど、仕事があるから休みをとるのがなぁ」
なんて会話をしながら臨んだレース。

どちらも無事に完走はしたけれど、アメリカのレース挑戦はいつのことになるやら。なにしろYRSスクールレースに参加しているユイレーシングスクール卒業生には73歳、71歳、68歳の年長組(失礼)がいることはいるけど全員が現役バリバリで仕事しているし、リタイヤするつもりもないみたい。アメリカのレースに魅力をかんじないのだろうか。
だからと言って、EPプロジェクトを先延ばしにしている訳ではないけれど。

※あれから20年近く経ち現在のSCCAカテゴリー、クラスとも整理、統合、拡大が行なわれています。


風当たり(?)は最高


安全燃料タンクは助手席があった位置に


SCCAデカール1


SCCAデカール2 2種類貼ることが義務付け

以下、参加したレースから。

SCCA Club Racing 続く


第105回 ホットハッチ考 RSというバッヂ


RSバッヂ 1

お気に入りだった13インチタイヤを履いたGD1フィットの後釜であるGK5フィット。
GD1の時に信じられないくらいの荷物が収まって大いに助けられた経験があるので、次もフィットだろうなと思っていたらGK5が出たのは幸いだった。

ATしか乗れない息子が日本に来た時に乗れるように、それとふだんの足だからと7速CVTを選んだのだが、果たしてGK5フィットRSはホットハッチ足りえるか?


風景に溶け込むのはいいんだけど…

まだ回したことはないが、レッドゾーンの始まる6800回転まで回せば、とりあえず動力性能としてはCVTであっても痛痒を感じることはないはずだ。もちろんもっと速いコンパクトカーを選ぶ選択肢はあったけど、総合的に判断すればGK5RS-CVTで不満はない。

が、後席用のドリンクホルダーがないこと以外は使い勝手のいいGK5RS-CVTだが、気になる点がなくはない。


踏力が弱いとしかられる!

例えばアイドリングストップ。
GK5RS-CVTに乗り出した頃。交差点で止まるとメーターの中に黄色いランプが点る。最初は何のことかわからなかった(マニュアルを読んでいないことを白状するようなものだ)が、ブレーキペダルをさらに踏み込むと消えるので、踏力が足りないことを教えてくれるランプだとわかった。

そこで「ヘェ~ッ」となった。ふつう、みんなは止まる直前にそんなに踏力をかけているのかと驚いた。
ルーテシアRSだろうがトゥィンゴRSだろうが受講生のクルマだろうが、止まる寸前にかけている踏力ははるかに小さい。小さい踏力で止まれなければ問題だが、ちゃんととまれるのだから『もっと力をいれて!』なんて指示されると面食らってしまう。

どういう仕組みになっているかは知らないが、要するにAT特有のクリープ現象で停車中のクルマが動きだすのを防ぐためにブレーキは強く踏んで下さいという警告灯のようだ。しかし上り坂でも下り坂でもやってみたけれど、薄いブレーキでもGK5RS-CVTが動くことはなかった。

気になったのは、自分にとって『強すぎる停止寸前の踏力』がいわゆる標準なのだろうかということ。もしそうなら、ほとんどの人は前荷重のままクルマを止めていることになる。さらに言えば、ブレーキペダルに足を乗せる時にそこまで踏み込んでいるのではないかと心配になる。少なくとも、いわゆるトレイルブレーキングを使う場合にはもっともっと小さな踏力を残すことが重要なので、あの踏力に慣れてしまうと細やかなピッチコントロールができなくなってしまうのではないかと余計な心配をしている。薄いブレーキを使えないのは、それ以前にキチンとブレーキを踏んでいないのではないかと気になってしまう。アナログ時代の人間だからかも知れないが、どうもオンオフ的な操作には抵抗感を覚えるのだ。

YRSのスタッフにこのことを話すと、「トムさん、誰もそんなこと考えて運転してませんよ」と軽くあしらわれてしまったが。
だから、今はアイドリングストップは解除していない。それで、停止するたびに介入しない、つまりエンジンが止まらないようなブレーキングを楽しんでいる。最先端デバイスとの根競べだ。


RSバッヂ 2

例えばターンイン時の荷重移動の仕方。
ルーテシアRSでもトゥィンゴRSでも、FRのE30M3でも、はてはアメリカで足に使っていたサバーバンでも、あるいはアメリカでレースをやっていた時も、加速→減速→旋回という流れの中で自分なりの決まりがあってその手続きを守ってきた。もちろんドライビングスクールで同乗走行を行なう時もだ。
場合によってその時間を短縮することはあるが、手続きを省くことはない。クルマの性能を発揮させるにはこの手続きが絶対に必要だと経験しているからだ。
しかしGK5RS-CVTはそんな時、少し変わった挙動をする。このままコーナリングに移るとアウト側前輪のその外にまで荷重が移動してしまうような素振りをする。そのまま先に進むとアンダーステアになるな、と感じるような挙動変化をするのだ。

その原因がハイトの低いタイヤにあるのかサスペンションのセッティングなのかはわからないが、少なくともルノー・スポール3台やGD1フィットでは感じたことのない種類のものだ。もっともGD1フィットのトレッドは広げていたので、スプリングレートは落ちても4つの支点が遠くなったから感じにくくなっていたのかも知れないけど。

あくまでも想像でしかないのだが、オーバースピードでコーナーに入るとアンダーステアが顔を出し失速させ、その先の危険を回避しやすいようなセッティングなのかなとも思う。少なくともノーマルのままで4輪を使ったコーナリングを実現するのは難しい種類の足だ。

だからGK5フィットのRS、とりわけマニュアルシフト車を購入する人は足回りを改造したくなるに違いない。操縦性云々よりもカッコでいじる人もいるだろう。
が、できればクルマはノーマルのまま乗るのがいいと思っている。クルマは高度な技術に裏付けられた道具であり、頭のいい人が集まって作っている。ノーマルだからこそ発揮される性能が確かにある。
改造が許される時代だからと言って、クルマをノーマルの状態から変えるのは賛成しない。車高を落としすぎて扱いにくくなった、なんて例は掃いて捨てるほどある。ドライビングスクール受講生にも「クルマはいじらないほうがいいですよ。改造にお金をかけるんだったら自分に投資するつもりでまたYRSに来て下さい」と話している。

で、個人的なSNSにGK5RSの挙動のことを書いたら、YRS卒業生から「フィットRSのRSはロードセーリングの意味ですから」とコメントをもらった。RSがレーシングスポーツであろうとロードセーリングであろうと、そんなことはどうでもいい。言いたかったのは、RSというバッヂをつけている以上もっと明確な性格を与えるべきだったと思うヨ、ということだ。
メーカーも『走りを感じる装備をプラスしたスポーティモデル』とうたってるからGK5RSに過度の期待をしてはいけないのかも知れないが、なんか、なんちゃってスポーツモデルが増えると、どんどんユーザーが言葉は悪いが去勢されていくような不安を感じる。

YRSのスタッフにこのことを話すと、「トムさん、そこまで考えてクルマと付き合う硬派は少なくなったんですよ」だと。なんか自分が変人に思えてしまった。

でも、GK5フィットには同じエンジンを搭載したRSでないモデルがあるし、ディーラーの話だとハイブリッドに押されてRSはほとんど生産されていない少数派のようだし、メーカーがホンダだし、ユーザーや市場に迎合するのではなく、車格がエントリーモデルだからとかではなく、『乗りこなすなら乗りこなしてみれば!』なんて感じのRSを出してほしかった。RSが記号だけで終わってほしくはなかった。


RSにはもっとサーキットが似合ってほしかった

自分にとっては少し違和感のあるGK5RSだが、繰り返しになるけど、クルマとしての完成度は大いに評価している。荷重が移動しすぎる癖もトレイルブレーキング中に踏力を変化させながらいつもより長めにとれば収まる。それなりに操作すればなんとかなるから不満があるわけではない。
ただ、ルノー・スポールが送り出す一連の『潔い思想に基づいたクルマ』のようなモデルを国産メーカーに期待したいだけだ。

クルマを選ぶ時にルノー・スポールを選択肢に乗せることができる日本のユーザーは幸せだと思う。

※購入後、設問がたくさんあるホンダのアンケートに答えた。上の2点を含めて思いのたけを書き綴っておいた。

ホットハッチ考 終わり