その昔。VANのロゴが派手な茶色い紙袋を小脇に抱えて歩くのが粋だとされていた。知らない人のほうが多いかも知れないけれど、週間平凡パンチの表紙で定期入れを作るのが密かに流行っていた時代。週刊誌に『一点豪華主義 』を詠う記事が踊っていた。『安直に流れず、極めの道を選べ』と。
『高価でなければ豪華ではない』のではなく、モノの値段より価値を追い求めるべきだ。そんな思想がこめられていた。
歳をとって思想より現実に軸足を置くようになってしまったというわけではないけれど、昔を思い出して久しぶりに遠いほうのひろ田に足を運んだ。
駒門スマートICからほど近い
御殿場駅前にあるうなぎ料理店と同じ名前のお店
関係はあるみたいだし説明書きはあったけど
詳しくは知らない
御殿場に比べると格上なのか?
週末は4人以上でないと予約を取らない強気はいかが
確かに肉厚な感じはするけど劇的なものではない
大きさも目を見張るほどでもない
それよりもタレが濃くないのでうなぎが味わえる
ご飯にも最小限のタレが好感
ランチにつく味噌ダレのミニサラダ
この景色にはあわないな
肝吸いにするには別料金
お店にいた人はみなさんふつうのを食べていた
いわゆる2枚が大半だけど中には4枚の人も
ふつうの2枚より1600円高い肉厚うなぎ選択が
一点豪華主義につながるかと言うと果たしてだけど
美味しくいただきました
ユイレーシングスクールの名前では25年目最後のスクール
当日はこんなの初めてという雨量だったし
終日こんな塩梅だったから
富士山とも縁がなかったし
少々残念な結末だった
また来年
レース界はもちろん、クルマ好きの間でも解良さんの名前を知らない人はいないと思う。
その解良さん。小学生時代に、ボクの人生の行く末を定めてくれた人でもある。
もはやこの記事の掲載誌は手元にないが
解良さんが登場した誌面は数知れず
クルマを作るかたわら
自分でも走らせてしまうという
理想的なクルマ好きを絵に描いたような
生活を続けられている解良さん
そんな解良さんがアルカナを選んだのには理由がある
もうすぐ40歳になる双子の息子がアメリカからやってきた
片方は今年3回目でいつもお嫁さんと孫と一緒だけど
もう片方はITの仕事が忙しいらしくて数年ぶり
どちらもパソコンがあればどこでも仕事がっできるらしく羨ましい
うにとかいくらとかトロとか次々に頼んで
日本の味を楽しんでから最後に
『 親父! 任せておけって! 』だって
大きくなったもんだぜ
解良さんがルノー・アルカナを買った。解良さんのお眼鏡にかなったようだ。
先月の29日が納車だったとか。時間をやりくりしてくれたので京都まで会いに行ってきた。写真のデータには12日午後1時37分撮影とある。
1週間前から天気予報を見続けて今回は雨かなと。でも晴れ男だからなんとかなるさ、と思っていたらおお間違い。1,000回近いスクールをやってきたけど初めて経験するほどの豪雨。新幹線は止まるし東名高速は通れなくなるし、FSWの駐車場は半端ない雨の量とモビリタから流れてくる水で冠水するし。そんな中でユイレーシングスクールとしての25年目の日程が、昨日のYRSドライビングワークショップFSWで全て終了。
あと1回。ポルシェクラブ東京銀座からの依頼で開催しているクラブ員向けのドライビングレッスンが残ってはいるけど。
それにしてもよく続けてきたものだと思う。四半世紀だものね。
1999年12月8日。すごく寒かったのを覚えている。埼玉県の小さなカートコースで始めたユイレーシングスクール。それ以来、何百回開催して何万人の方が参加してくれたかの集計はまだまだ先になるけど、今は純粋に長い間何事もなく無事にドライビングスクールを続けてこられたことに感謝したい。
ルノー・ジャポンにも心から感謝したいと思う。このブログを書かせていただくようになってからまる14年。スクール用の車両を貸してもらえるのはもちろんのこと、あれこれ好きなことを書きながらユイレーシングスクールとしての情報を発信する場を提供してもらっていることは望外の喜びに他ならない。
そうそうEさんが今年5回目のユイレーシングスクールに参加してくれた。大雨の中、悪戦苦闘していたけど感想文を頼んでおいたので年内には紹介できると思う。
今日日曜日はうって変わって快晴。気温も29度まで上がった。昨日が遠い日のように思えたりして。
さてさて、 ルノー・ジャポンの公式ブログ2010年11月17日号 第1回 ユイレーシングスクール を読み返して改めて虚心坦懐。初心を忘れずにユイレーシングスクールの26年目に向かっての策を練ろうとするかな。