トム ヨシダブログ


第51回 いいねぇ


面の使い方もどこかキレイ

 

トゥインゴGTを点検に出したら、代車としてカングー イマージュを貸してくれた。それも全くの新車。ちょっと嬉しかった。

シートを最も低い位置にセットして走り出す。頭上に広がる空間がなんか、衆人環視の中で運転しているように思われ、最初のうちは変に緊張したり。
エンジンは1.6だしガタイが大きいだけに動きは鈍いのだろうなぁと危惧していたのだが、いくつかの信号で発進加速をしている間にそれが取り越し苦労だとわかった。少なくともマニュアルモードにしてシフトを繰り返せば流れをリードする速さを手に入れられることはわかった。
しかし加速中に瞬間燃費を見ると、場合によってはとんでもない数字が表れていることがあった。いったんクルージングに移ってしまえば逆に、「へぇ」と思う程の数字になるのだが、個人的には絶対的なトルク不足を感じた。ゆっくり走ればすむという問題ではなく、時には加速することが安全につながることもあるわけで、2リッターぐらいのエンジンがほしくなる。そのほうがトータルの燃費向上にも役立つはずだ。
だから、ズボラ運転はできないかも知れないがATよりカタログ上で40キロも軽いMTがカングーにはふさわしい。

自宅への道すがらいつものテストコース(?)でハンドリングを試した。そこで今回の結論、「いいねぇ」となったわけだ。


M3のヨンパツエンジンの爆発感は、とにかくとにかく涙ものだった

 

実は、いわゆるSUVというカテゴリーのクルマには、実は昔から縁がある。

一番最初に買ったクルマはライトエースバン。アメリカからムーンキャップの14インチクロームホイールを取り寄せ、当時はそんな言葉すらなかった『インチアップ』をして富士スピードウエイに乗りつけていた。確か、あのホイールは由良拓也さんにゆずったはずだ。
次に、アメリカに移住する前まで乗っていたのがセドリックバン。東京から旗を振りに鈴鹿に通うためエンジンは2.6を選び、ホイールはAHPのディッシュの7Jx14に前後異サイズの70タイヤを履いていた。
2台ともかなりの中古だったがショックアブソーバーだけは純正の新品に換えていた。クルマはいじらずに乗るのが昔からの主義だった。

SUVと呼べるかどうかわからないが、名古屋の友人が持っていたダイハツミゼットをせしめてきて、両サイドのドアを取り外して布製のベルトで『脱落防止装置?』を作り、当時の自宅に近かった渋谷や原宿で乗り回していたこともある。バッテリーが上っても、200cc単気筒エンジンは一人で押していて飛び乗って3速MTをセコンドに入れてやればかかったから、雨の日以外はホントに便利な乗り物だった。


ボリュームもある

 

我が車歴はSUVを重ねる。
アメリカに居を構えるにあたって手に入れたのがスバルステーションワゴン4WD(日本名レオーネ)。しばらくはあちこちの取材に大活躍してくれた。
レース活動を始めるので購入したのがシボレークルーキャブ。リアタイヤがダブル(デュリーと呼ぶ)でホイールベースがカングーの全長より少しだけ短い418センチあり、ドアが4枚の6人乗りピックアップ。長距離を走るために荷台に105ガロン(397リッター)の増設タンクをつけ、その上に横になって寝れるようにスリーパーをつけた以外はノーマルで乗っていた。

双子の息子が生まれてレース活動を中断して買ったのがまたライトエース。でもアメリカにはバンはなく豪華仕様。2列目にチャイルドシートをふたつつけなければならなかったから、いたく重宝した。が、オーバーハングして運転するのは危ないからと屁理屈をつけて乗り換えたのがマツダの初代MPV。まったくのノーマルで乗り続けたが、室内はライトエースより狭いしMPVに関しては燃費が良くなかった印象しか残っていない。
米国三菱のモータースポーツ活動を手伝いながら自分でもレースを再開することになったので、再びクルーキャブを購入。またまた増設タンクとスリーパーを追加。この時期はモーターホームも2台乗り継いだから、ますます乗用車の比率は減っていく。

自分が乗りたかったというのが正直な気持ちだけど、子供が免許を取る年齢になって「せっかくだからアメリカ的なクルマを味わってほしいから」と無理やり説得して買ったのがシボレーのサバーバン。ホイールベースが334センチで4枚ドア。シートは3列で大人8人が楽に乗れた。玉の少ないテールゲートが観音開きになっているのを探したのだが、やっぱり便利だった。

と言っても、我が家に乗用車がなかったわけではない。奥さんがかっこいいからと初代アウディクーペを買ったし、新古車があるからと見に行ったらふたりとも気にいってE30のM3を買ったし、日本で過ごす時間が増えたら、いつの間にかサバーバンがレクサスISとハイラックスサーフに化けていたから、少なくとも3台の乗用車が車歴に名を刻む。


湖西の山も色づき始めた

 

で、「いいねぇ」の続き。

クルマは使ってナンボというのが信条だから、必然的に使い勝手のいいSUVに目が行くのだが、カングーの足はいままでのSUVでは経験したことのない、それはそれはしっとりとしていた。

車高が高いし姿勢制御を意識する必要があるなと想像していたのだけれど、確かにロール量は大きいし実際傾くのだけれど、よくしつけられていると言うか、基本的なところでクルマがインバランスにならない。トゥインゴGTでも感じたような、ストロークが十分で足がよく動いてくれて、延び側のダンピングが効いているなと。

それと、フロントサスペンションにアンチダイブジェオメトリーが設定されているのではないかと思うぐらいに、ピッチング方向に対する姿勢変化が限定的。これは驚きだし、どこに秘密があるのか知りたいものだ。個人的にはリアサスペンションの制御の仕方にあると踏んでいるのだが。

速く走るクルマではないのかも知れないけど、この足の良さは安全にもつながるし評価されて然るべき。


ルノー京都CADONOには兄弟が

 

で、カングーは確かにいいクルマだけど、そのクルマをもっと上手に運転するために、カングーのオーナーのみなさんはぜひユイレーシングスクールのYRSドライビングワークショップに参加して下さい。ブレーキングとスラロームとフィギュア8をやればカングーの良さをもっともっと認識できること請け合いです。


この項は決してルノーの宣伝ではありません
 
 
 
 
※ 個人的にはカングーのルノースポール版なんかいいなぁと思のだけどなぁ。



第50回 スラローム A or B

11月10日。富士山も衣替えが終わっていた

今年最後のオーバルスクール。曇のち雨で大収穫

クルマは元来、とても安定した乗り物だ。クルマの3大機能である加速、減速、旋回のどれをとっても、それに対応するスロットル、ブレーキ、ステアリングの操作が『単独』で続いている限りクルマは安定した振る舞いを見せる。しかし、自由にどこにでも行けるクルマが本来の役目を果たすためには、各機能が繰り返されることになる。

だから、クルマを思い通りに動かすには、それは安全に走らせたい場合や、必要があれば速く走らせたい場合なのだけれども、機能の各パートをつなぐ部分でのクルマの挙動を安定させることが重要だ。

スクールではクルマの挙動をつなぐ部分をトランジッションと呼んでいるが、これが意識しないとなかなか会得できるものではない。だからクルマの運転は奥深いのだが、クルマが4本のタイヤでしか地面にくっついていないことを考えれば、どうすべきかが見え始める。
それ自体が重くて速い速度で移動するクルマは常に慣性力と対抗している。日常ではクルマが慣性力に勝つことなどもちろんないが、負けることはある。だからクルマが慣性力に負けないためにも、動いているクルマを常に安定させる必要があるという話だ。

そのための思想を一言で表すなら、ふたつ以上の挙動が重ならないような操作をすることだ。

もちろん、動いているクルマは復雑な動きをするから、挙動が重ならないように走らせることは難しい。しかし、操作の仕方によっては『重なる時間を短くする』ことや、『重なる度合いを少なくする』ことはできる。要は、思想を持ってクルマを動かし、思想からさかのぼってどういう操作をすればいいかを理解することだ。

というわけで、速く走ろうとするとクルマの3大機能を余すところなく使わなければならないスラロームを例に、思想の違いを可視化するためのビデオがこれ。

※操作をわかりやすくするために一部誇張してあります

■ スラロームのAとB

とかく、意識が勝ると人間はクルマに対して高圧的になりがちだ。しかし、それはクルマにとっての大迷惑。最低限、クルマが動きやすいような状況を作ってあげるぐらいの配慮が必要だ。


第49回 ブレーキング A or B

クルマに限らず、人間が人間の能力以上の速さで移動することのできる機械を操る時には必ず危険が伴う。

そのリスクを最小限に抑えるための技術は日々進歩を続けているが、それでも安全が保証されたわけでは決してない。

例えばブレーキング。ブレーキペダルを踏めばクルマは減速する。しかし、ブレーキのかけ方を知っていればクルマは思いのほか短時間に短い距離で減速を終えることができるが、知らなければ高性能なブレーキシステムをもってしても制動距離が縮まるわけではない。

と言うことで、ブレーキのかけ方を可視化するために撮影したビデオがこれ。

■ ブレーキングのA

■ ブレーキングのB

もちろん。ブレーキングで最も大切なことが、視界の中でできるだけたくさんの情報を取り込み、その中で必要なものと不必要なものを瞬時に選別できる処理能力を高めることにあることは疑いの余地はない。