トム ヨシダブログ


第117回 トゥィンゴRS活躍


Mさん トゥィンゴRSと記念撮影

YRSトライオーバルスクール。楕円形の直線部の1本にキンクを設けて延長し、より速い速度で短いコーナーを回るのと、より高い速度からブレーキングを練習するために始めたカリキュラムだ。
しかも、今年のレイアウトは直線部を伸ばしてターン1の曲率を小さくヘアピン状にして、なおかつ下り坂になってからブレーキングするように仕向けたから、YRSトライオーバル2013より難易度は上がっている。

10月25日に開催したYRSトライオーバルスクール。この日、エンジンドライビングレッスンに参加したことのあるMさんが、スバル プレオに乗って3年ぶりに遊びに来てくれた。間が空いたとは言え、再度運転の練習に来てくれたのは嬉しい限り。
エンジンドライビングレッスンでオーバル走行は経験済みだから、次のステップとしてYRSトライオーバルスクールはうってつけ。エンジンドライビングレッスンで使うオーバルは半径16mの直線48mだけど、YRSトライオーバルは直線が170mもあるし3つのコーナーは全て性格が異なるから、異次元の体験ができる。


Mさんの走りとプレオの動力性能を追走して確認

しかし、元々YRSトライオーバルは120キロ超の速度からのピッチングコントロールを覚えてもらうことが目的なので、動力性能が十分でないと走っても肝心な部分を体験することが難しい。そこでプレオで基本的な操作を覚えて、高速域はトゥィンゴRSで体験してもらうことにした。


トゥィンゴRSに乗り換えるのでまずは同乗走行

Mさんはすごく丁寧な運転をする方で、少しずつペースを上げてトゥィンゴRSの懐深い走りを楽しんでくれた。

そのMさんが、アドバイスを聞きながらトゥィンゴRSでYRSトライオーバル2014を走った時の動画がこれ。

で、トゥィンゴRSが実力の90%ぐらいでYRSトライオーバル2013を走った時の動画がこれ。

YRSトライオーバルスクールと併催のYRSオーバルレース参加者と記念撮影


第116回 ジムラッセルレーシングスクール


早朝ガレージから運びだされるスクールカー

当時、双子を授かりレース禁止令が出ていて自分で走ることがかなわなかったので、代わりに日本語クラスを作ってもらい日本からの受講者を受け入れる体制を作った。
とここまでは2013年3月のブログに書いた。


マークによる座学があって

1987年。当時ジムラッセルレーシングスクールカリフォルニア校はラグナセカレースウエイとリバーサイドレースウエイを拠点としていた。その後ラグナセカをメインに活動するようになったのだが、日本語クラスはロサンゼルスに近いウィロースプリングスレースウエイでも開催した。
ラリアートにジムラッセルレーシングスクールのスポンサーになってもらっていたこともあり、毎年暮れにはミラージュカップシリーズに参加したドライバーが忘年会を兼ねて受講してくれた。
結局、記録を見てみると243名の日本人がジムラッセルレーシングスクールを受講してくれたことになる。


スクールカーの説明があって

3日間。フォーミュラカーで走り回る魅力的なカリキュラムは昔から憧れだった。そんな環境があれば、もっと直線的にレースデビューを果たせたかも知れない。そんな思いを抱きながら、期間中は日本からのお客さんに一生懸命アドバイスをしたものだ。


注意点が伝えられ

ところが、校長のジャック・クチュアもチーフインストラクターのマーク・ウォロカチャックもしゃべりすぎだと言う。
こちらは、はるばる日本から来てくれたのだから、そしてめったにない機会なのだからと正解をまじえながら操作の方法を伝えることが誠意だと思っていたのだが、自分で考える癖をつけてもらうためにしゃべりすぎは良くないと言う。


「これに乗るんだ」の横でバンライドの準備をして

マークを初めジムラッセルレーシングスクールのインストラクターが淡白とも言えるアドバイスをしていたのは前々から知っていた。それは本当にそっけない。
「ターントゥーレイト」とか「ターントゥークイック」だとか「ブレーキトゥーレイト」とか「スロットルトゥースーン」だとか。とにかく彼らが見た事実を伝えるだけだった。


遅くはない速度でやることをバンライドで実際に体験して

これには悩んだ。大いに悩んだ。自分で考え工夫して運転する癖をつけてもらうことが最も望ましいことはわかる。アメリカ人の受講生が簡単すぎるアドバイスだけで、ゆっくりではあるが上達していく様も目の当たりにした。
一方、日本人と言えば突っ込みすぎるのを抑えることが多かった。質問の内容も、どうすれば速く走れるかに集約された。


2班に分かれて乗車組と手伝い組に分かれて

できる限りためになると思うアドバイスをしてあげたい、けれどしゃべりすぎは駄目だと釘を刺される。ったく、どうすればいいんだ、と思いつつある仮説にたどり着いた。
ジムラッセルレーシングスクールの教え方は『過程』を重視していて、受講生に過程評価の仕方まで教えているのではないかと。日本では結果評価が優先される風潮にあるから、過程を飛ばして『結果』にだけ目がいってしまうのではないだろうかと。


とにかく「スムース&イージー」だよと


まずはシアーズポイントのドラッグストリップを使ってブレーキング

だから、ユイレーシングスクールを始めるにあたってひとつの方針を立てた。『過程』と『結果』の両方を目指すアドバイスをしようと。
それが難しいことだとはわかっているが、運転に限らずふたつの国の教え方の違いに接してきた身としては唯一の解決策だった。


休む間もなく走るのはユイレーシングスクールと同じ

だから、ユイレーシングスクールでは褒めない。受講者がひとつのテーマをクリアしても褒めない。たまたまうまくいった時にも褒めない。
言うことを聞かない人には、質問が来るまでアドバイスしないこともある。質問ばかりする人には、「何も考えないで走って走ってみて下さい」と言う。

その代わりに、「目指すのは理にかなった操作です。まだ先がありますよ、頑張って」と言うことにしている。
そして、「ボク自身まだまだ発展途上です。運転に関してはみなさんの先輩です。信用して大丈夫ですから後についてきて下さい。」と付け加えることにしている。

ですから、ユイレーシングスクールを受講して褒められなくても落胆しないで下さい。みなさんが上達していく様子はちゃんと心に刻んでいますから。


ラッピングに移ればコースのあちこちでインストラクターの目が光る



第115回 加速度のすすめ

パスポートに押されたスタンプを数えてみると、今までに101回日本とアメリカを往復していた。うち1回は取材を兼ねて千葉港からバンクーバー経由でポートランドまで自動車輸出専用船で海を渡ったので、100回と半分を飛行機で往復したことになる。その飛行機にまつわる話。

あれこれ思い出しながら出入国記録を見ていたのだが、今さらながらに文明の利器である飛行機の偉大さを感じた。移動に費やす時間さえいとわなければ、座っているだけで苦もなく太平洋を飛び越えることができる。飛行機という移動手段がなければ、20代の頃に日本を脱出しようとは考えなかったに違いない。

しかし、クルマと同じく人間の生活圏を拡大してくれる道具ではあるけれど、実は飛行機に乗ることはあまり楽しくはなかった。小学生のころから模型飛行機に夢中で翼の真ん中が膨らんでいることも知っていたし、後に翼が揚力を生むことも学んだ。理屈ではわかっているつもりなのだが、あの重たい機体が空に舞い上がる道理が今ひとつ生理的に納得できない。飛行機に乗っていれば床は確かにそこにあるけれど、自分の身体が宙に浮いていることには変わらず不安は消せない。

だから、無理やり目的地に着いてからの予定を想像することで気分を紛らわせてシートに座るのが常だったが、実はひそかな楽しみもあったりする。乗っている飛行機が生み出す加速度だ。

何度も往復しているうちにいろいろなことを経験した。偏西風が強い冬は日本からアメリカに向かう時の所要時間が短くなるが、逆に日本行きは時間がかかってしまう。
実際、離陸後に機長が「ご搭乗ありがとうございました。今日は偏西風が強く・・・」とアナウンスした時は成田からロサンゼルスまで8時間を切ることがあった。税関を出たら待ち合わせの時間より小1時間も早く、時間をもてあましたことも覚えている。

アメリカに向かったある日。座席前のモニターに映し出される対地速度が瞬間的に1,030キロを超えたこともあった。いつもは960~980キロだからかなり追い風が強かったに違いない。

時速1,000キロといえばとんでもない速さだ。しかし、その速さを実感できるかと言うとそうでもない。離陸や着陸の時に窓の外を流れる景色をみればその速さを相対的に感じることができるのだが、上昇してし巡航に移ってしまうと、自分がそんな速度で移動しているなんてイメージすることは難しい。

しかし加速度には、あくまでも個人的な印象ではあるけど、実体がある。

例えばテイクオフ。その日によってフライングスタートであったりスタンディングスタートであったりするのだが、あの巨体が速度を上げていく時間は大のお気に入り。だから、あの加速感をもらさず全身で感じるために、エンジンがうなりを上げ始めると、つま先を上げシートに深く座り直したものだ。
加速度そのものは高々0.2Gぐらいなものだろうが、自分の中に加速度を感じられるあの時間は好きだ。

速度が速くなると加速しているはずなのに加速感が薄れる。飛び立ったわけではないのに重力が小さくなった」ように感じる。窓がビリビリと音を立てる。加速度が弱まったのではなく、大きな飛行機全体が作る空間が加速に慣れたからかな、と想像したり。

ゴゴッと音がして機体が浮いたことがわかる。上昇をするものだと思っていても、ほんの少しだけ上に向かうよりも前方に押し出されている感じが続いたり。

飛行機は地表を離れても加速しながら上昇を続ける。水平飛行に移ってたなと思っても加速しているなと感じることもある。逆に、明らかに減速していることもある。飛行機の飛ぶ速度での空気抵抗は想像できないくらい大きいはずだから、加速をやめるだけでもマイナスGを感じるのかな、などと考えるのも楽しいものだ。

着陸を前にシートベルト着用のサインが出ると、再び座り直すのが常だった。
下降を始めるということは速度を落としているということだからマイナスGを感じてもよさそうなものだが、飛行機の大きさに比べて人間が小さいのでそれと感じられないのかなと思ってみたり、窓の外にパノラマが広がりだすと速度は落ちているはずなのに相対的に速くなっているように思えたり。

黒々とブラックマークのついた滑走路を下に見て行き過ぎじゃないのと心配したりするけど、着地のショックの大きさにこそ差はあれこれまで怖い思いはしたことがない。
それより、着地してからの減速も圧巻だ。飛行機が着地したと感じた瞬間スポイラー立ち上がり、次いで逆噴射が始まる。空中では感じることができないマイナスGを受けながら、さらに、離陸時には感じない微妙な横Gがおそってくる。
その縦と横の加速度の大きさは毎回異なるが、巨体が身をよじるように減速する様は感動すら覚えるものだ。

西海岸に沿って南下した飛行機はいったん東に向きを変えった後にどこかの地点でUターンする。東からロサンゼルス空港に進入する飛行機の隊列にまぎれこむためだ。この時に感じる加速度も捨てがたい。

マイナスのGを感じながら、自分の身体が軽くなったように感じることで降下しているのを実感していると、機体が右に傾きだす。右側に座っていると窓いっぱいにダウンタウンが広がる。
バンク角はどんどん深くなり、同時に自分が重くなる。とても複雑な慣性力が働いているのを想像できるから言葉にするのが難しいけれど、飛行機が減速をしながら円運動の外側に流されていっているような感じだ。それでも旋回の後半は遠心力に負けているように感じないから、おそらく、ある時点で飛行機もラインに乗れるのだろう。

結局、速いものに対する憧れはあっても、速さを心地よさに置き換えることは難しい。地上での時速1,000キロが現実的でないように、だ。我々自身が速さを無制限に享受することも不可能だ。しかし加速度は、いついかなる時でも感じようと思えば感じることができる。

そしてプラスであれマイナスであれ、あるいは横Gであれ、加速度はクルマの姿勢変化に大きく影響する。加速度を意識することもクルマの楽しみの大きな部分を占める。身近な人間能力拡大器であるクルマ。味あわなければもったいない。

時まさに、メガーヌRSトロフィーRの発表。
馬力あたり荷重はメガーヌRSの5.4Kg対トロフィーRの4.75Kg。どんな世界が待っているか楽しみではある。

余談をひとつ。左側の窓際に座ってロサンゼルス空港に近づいた時のこと。例のバンクが終わって水平飛行に移ったその瞬間。左隣にもう1機飛行機がいて声を上げそうになったことがある。なんのことはない。3本の滑走路が並行して走っているロサンゼルス空港への進入で、たまたま同じタイミングの飛行機に出くわしただけだった。

余談をもうひとつ。ある日、成田を離陸してから30分ぐらい経った頃に機材故障のため引き返しますというアナウンス。どこに不具合があるのかの説明はなし。この時ばかりはCAに状況の説明を迫った。いやな思いをしたのはこの時だけ。確率は201分の1というところか。

※今回はYRSスタッフの勝木 学さんの写真を使わせてもらいました。感謝です。