第197回 34年ぶりに昔の相棒と
その昔、日本製のレーシングカーでレースがしてみたくて、鈴鹿にあるレーシングカーコンストラクター、ウエストレーシングカーズの神谷さんに無理を言って作ってもらったことがある。
当時、日本ではFJ1600と呼ばれるスバルの水平対抗1600ccエンジンをトランスミッションごと移植したナショナルフォーミュラが産声を上げたばかりだった。
アメリカでは世界的に入門フォーミュラとして定着していたフォーミュラフォード(FF)のレースが行われていた。もっとも、スポーツカークラブオブアメリカ(SCCA)のそれは、エンジンこそ同じ1600ccOHVのケントユニットにヒューランドトランスミッションという組み合わせを使うものの、タイヤは世界的に使われていたバイアス構造の溝付きではなくバイアスのスリックタイヤだった。
ポテンシャルパフォーマンスは同じようなものだろうからと、1982年式ウエストレーシングカーズ製のFJ1600のリアフレームとリアサスペンションを変更し、ケントユニットとヒューランドトランスミッションを押し込みFFに変身させてアメリカに送ってもらった。
日本製のフォーミュラフォードは世界中でこれ1台。それが自慢だったし、あわよくば日本製レーシングカーの世界進出につながるかななんて夢を見ていたのだけれど、世の中はそんな甘くなかった。
渡米した76年当事よりは円が高くなったとは言え、1982年の対ドル為替レートはまだ240円前後で推移。かなり頑張って頑張ったのだけど、円が太平洋を渡ると目減りしてしまい、FFのレース活動を続けるられるほどの余裕は生まれなかった。酸っぱい思い出。
せっかくSCCAの公認を取ってレースに参加したのだけれど、出るからには勝てるエンジンがほしかったけどそれもかなわず、ガレージに眠らせておくのももったいなく、泣く泣く神谷さんの元へ送り返した。
あれから30数年。神谷さんから「WEST82FFをあのままにしておくのは忍びないからFJ1600にコンバートする。ついては鈴鹿のレーシングリジェンドミーティングで乗らないか?思いでもあるだろうし」とありがたい電話。当事満足に走らせてあげられなかった負い目はあるけど、よろこんで再会を約束。
往年のFL500やフロンとラジエターのFJ1600に混ざって
※再コンバート後のテストもしないままだからペースは控えめ
鈴鹿レーシングリジェンドミーティングは、かって鈴鹿サーキットのアマチュアレースを走り幾多のレーシングドライバーを輩出した国産フォーミュラカーを称え、その存在を後世に残そうという試み。4回目になる今年は夏を思わせるような暑さの7月2日に行われた。
※第3回鈴鹿レーシングリジェンドミーティングの模様はこちら
第4回鈴鹿レーシングリジェンドミーティングの参加者と記念撮影
アメリカのレースで着ていたシンプソンのレーシングスーツを引っ張り出して
3レーヤー綿入りは暑かった !!!
ウエストレーシングガーズの神谷さんありがとうございました。