トム ヨシダブログ


第88回 四輪と四つ足と

Uさんという女性がいる。サーキットをクルマで駆け抜けてみたいと思い立ち、運転の基本から習いたいとユイレーシングスクールに参加してくれた。今までに鈴鹿サーキットドライビングスクールやYRSリトリートと呼んでいる拙宅でのYゼミに顔を出してくれた。
そのUさん、本職は乗馬のインストラクター。ご自身も乗馬の選手として競技に参加されていた経験をお持ちだ。

そのUさんから聞いた話。

前々から競馬場を走る馬がなぜあれほどの速さでコーナリングできるのか不思議に思っていたのだが、クルマの運転の話を進めているうちに謎が解けてきた。きっかけは、4本の足で走る馬はさしづめ4輪駆動ですね、とクルマのコーナリング理論から脱線したことだった。

馬の足は基本的に真っ直ぐにしか走れないという。その馬に円弧を描いて走ってもらうには内方という乗り方で馬に曲がってもらうのだと教えてくれた。それは、簡単に言うと、馬の前足と後ろ足の間の胴体を湾曲させ、4本の足自体は直線上を運動しているのにも関わらず、馬全体から見ると曲線的に移動するように仕向けることらしい。まるで4WSではないか。
遠心力はどうやって吸収しているのか、ロールはするのかしないのか、と素人まるだしの質問をぶつけると、Uさんは障害を飛ぶような馬術が専門なので競馬のことはよくわからないと断りながら、騎手が内方姿勢をとることで重心が円弧の内側に移動することで速いコーナリングスピードを実現できるのだと教えてくれた。

馬もすごいけど、それを操る人もすごい。まして馬はクルマと違って意識を持つ生き物だ。

知らないということほど怖いものはなく、4WDに4WSなら乗りこなせれば完璧ですねと相槌を求めると、競馬の場合はそうかも知れないけど乗馬の場合は後2輪駆動と言うべきかも知れないと諭された。走るだけでなく跳躍することも求められる乗馬では、後足が全ての基準になって動きにつながると言う。どうやらテールヘビーの大馬力エンジンを積んだFRのようなものらしい。だから競馬馬と乗馬用の馬では筋肉のつき方も異なるらしい。
さしづめ、有り余るパワーを路面に伝えるためにとんでもなく太いタイヤを履き、後輪のスリップアングルを最優先にセットアップし操作していた昔のF1みたいなものではないか。操るのが大変そうではあるけれど。

いずれにしても、競馬にしろ乗馬にしろ馬が動きやすい環境を整えることで目的を達しているわけで、その意味では馬に乗ることとクルマを運転することの意識の間には共通点があることは間違いない。

実際、120センチの障害を飛べる高い能力を持つ馬でも、乗り手が馬の気持ちになれないともっと低い障害でも飛んでくれなくて自尊心を傷つけられるらしいから、乗り手次第という意味ではまさに同じなんだろうなと。


第87回 富士スピードウエイレーシングコースを走る

鈴鹿サーキットや富士スピードウエイといった大きなサーキットでドライビングスクールをやってほしいという要望が前々からあった。

長いストレートならクルマの最高速付近のスピードを体験できるから走っても気持ちがいいに違いない。ドライビングテクニックにしても、高速コーナーや長いストレートの後のブレーキングで正確な操作ができて初めて本物と言えるのも間違いではない。

しかし、ユイレーシングスクールは小さなサーキットや駐車場に設けたコースでドライビングスクールを開催し続けてきた。それは第一義に反復練習の回数が多ければ多いほど練習になると考えているのと、高速で走らなくても基本的な操作は十分に習得できると思うからだ。
と言うのも、高速で走ると単位時間あたりの移動量が大きくなるから、操作の間違いは増幅されて結果に表れる。それは、慣れるまでは危険につながるし、「とにかく速くなくてもいいですから再現性のある操作を身につけて下さい」というユイレーシングスクールのポリシーにも反することになる。もちろん、教える立場からも1周にかかる時間が短いほうがアドバイスしやすい事情もある。

それでも、スピードを出したいという誘惑もわからないでもないので、今年は富士スピードウエイのレーシングコースでドライビングスクールを行うことにした。事前に参加者に配る資料を作っているのだが、その一部を先行公開。クルマが速く走ると、速くなればなるほど不安定になることを知ってもらうための表だ。
人間にしてみれば単にスロットルを開けるだけで達成できることなのだが、タイヤのコンタクトパッチでしか路面と接していないクルマにとって、高速で走る時になぜ繊細さが必要かという数字だ。少しばかり想像すると、なぜ高速域でクルマを安定させることが難しいのかがわかる。

とまぁ、それはそれとして、富士スピードウエイのレーシングコースでドライビングスクールをやるのだからコースを知らないではすまされない。トゥィンゴ ゴルディーニRSを連れ出してある走行会で初体験した時の動画がこれ。『いやぁ、広すぎてどこを走っていいのかわからない』の巻。

※30分のセッションの2周目以降を収めてあるので長編です。


第86回 エンジンドライビングレッスン


終わってからの記念撮影は笑顔、笑顔

エンジンという雑誌がある。時計やクルマやファッションなど大人の男が心引かれるアイテムに焦点を当てて創られている。読まれた方もいると思う。

そのエンジン誌が主催するのがエンジンドライビングレッスン。実は2003年に当時の編集長だった鈴木正文さんに企画を持っていって実現したものだ。
とにかく、毎号毎号これでもかというほど高性能で魅力的な(しかも高額な)クルマが掲載されている。個人的に大きなクルマは性に合わないのだがそれらのクルマの良さは十分に理解できるし、現実にはそういうクルマを所有している人もいるわけで、そんなクルマを所有している人に運転を上手くなってほしいものだ、と考えるのは自然な流れだった。

編集部近くのお寿司屋さんで昼食をごちそうになりながら、「編集長、クルマは使ってなんぼのもんです。読者が思いっきり愛車を走らせる環境を用意して、読者に愛車を粋に走らせるコツを教える機会を作りましょう。クルマは使わなければもったいない。読者が所有欲を使用欲へ転換できるように促すのもエンジンの使命のひとつです」と熱く訴えたことを覚えている。

2003年暮れ。試験的に開催。これが参加した読者に大好評。聞きたかったことを教えてもらえた。自分の操作が間違っていたことに気づいた。運転がこんなに楽しいものだとは気がつかなかった。クルマは操作次第で安定して走るものだとわかった。等など。編集部が集めたアンケートには、運転に目覚めた人達の声があふれていた。

ということで、2004年からは定期的に開催することになった。年によって開催数は異なるが、10年間で46回、延べ1,204名の読者が受講してくれた。

日本に数台しかないというクルマも参加した。ポルシェばかりが20数台も集まった回もあった。きれいにレストアされた古いクルマにも同乗させてもらった。下は20代から上は70代まで、クルマのことになると話が尽きないといういい大人が丸一日、クルマ以外のことを頭から追い出してクルマを動かすことだけに没頭する。そんなエンジンドライビングレッスンが今年も3回開催される。


順番待ちのクルマを見るだけで壮観

午前中に行うオーバル定常円を走る


アドバイスに耳を傾けるどの顔も真剣


エンジン読者はみな紳士。それでいて熱い


参加車もバラエティに富む


高性能なクルマこそ正確な操作が求められる


参加される方もさまざま


午後は筑波サーキットコース1000を走りっぱなし


心地よい疲労と笑顔。最も嬉しい瞬間


ユイレーシングスクールではこんなクルマも作った


鈴木編集長に試乗してもらったことも

※ロードスターを改造したこのクルマ。アメリカのSCCA車両規則に合わせて作った。夢は卒業生とこのクルマでアメリカのレースに挑戦すること。
※写真は過去に開催したエンジンドライビングレッスンから。撮影は神村 聖さん、版権はエンジン編集部にあります。


第85回 クルマを支えるタイヤさん

小学校の時は品川区に住んでいた。その頃の、遠い遠い昔の、記憶の片隅にぶら下がっているようでいて、今なおクルマを動かす時の原点みたいになっている話。

何年生の時だったか定かではないが多分高学年のある時。作文コンクールがあった。それで、「タイヤさんはかわいそう」というような作文を書いた。当時はそれほどクルマが走り回っていたわけではないはずなのだが、今にして思えば、クルマにあこがれる少年はクルマをよくよく観察していたのだろう。

地面に接している面は平らになっていて、タイヤが回転しても地面に接した瞬間にその部分が『ひしゃげる』。

次々に形を変えながらクルマを動かすそれを「クルマを動かすタイヤさんはかわいそう」と表現したのだが、内容は忘れた。当然その作文は入選はおろか佳作にも選ばれなかった。どんな作文が選ばれたのか全く記憶にないし、小学生らしい内容のものだったことは想像に難くない。
別に選ばれることを目的に書いたわけではなかったろうからそれはそれでいいのだが、先生が「よく気がついたね」とほめてくれたことが、入選するよりも嬉しかったことは今でも覚えている。

そんなことを思い出しながら編集したビデオがこれ。題して『タイヤは耐える』。

で、やっぱりタイヤさんに気を配って動かさないと悪いな、と思ってタイヤさんの動きを強調したのがこれ。題して『タイヤは耐える その2』

アップしたビデオを確認しながら、こんなことも思い浮かべた。

時は過ぎ少年は成人し、小学生のころまで可愛がってくれた祖母の法事の席。誰からともなく「ともちゃんはほんとにクルマが好きだったからな。循環バスに乗って何周したんだっけ」と振られ、「おばあちゃんはよく乗りにつれていってたもんな」と続き、「だからクルマ関係の仕事をするようになったのね」と落ち着いた。

そんな記憶が確かにある。幼稚園か小学校低学年か、当時、大井町駅から原町、荏原町を通り大井町駅に一周して戻る循環バスがあった。まだトラクターヘッドで牽引するトレーラーバスというシロモノもあった頃。トレーラーバスの場合は最前部に、ボンネットバスの場合は運転席の真後ろに座ってクルマを味わうのが至高のひと時だったのを覚えている。
大らかな時代だったのだろう。一回の乗車賃で何周もするボクとおばあちゃんがとがめられたという記憶は、ない。


第84回 久しぶりの鈴鹿レーシングコース

実は、アメリカでレース活動を始める前に一度だけレースに参加したことがある。

あれは1982年1月17日。打ち合わせで日本に戻って来ていた時のこと。無謀にも練習なしのぶっつけ本番で新春鈴鹿300キロレースに参加することにした。予選で初めて乗るクルマと初めてレーシングスピードで走るコース。
鈴鹿サーキット自体はコースオフィシャルとして旗を振っていた経験があるからレイアウトは熟知していたし、走るクルマを客観的に見ることには慣れていた。
が、クルマで走った経験はというと、配置につくためにマイクロバスに乗せてもらっただけ。常識的に考えればレースに出て他人と争う状況にはなかった。

けれど、個人的にはそんな状況が嫌いではない。

条件が揃わなければやらないのではなく、条件を整えるために時間を使うのでもなく、その時、自分に何ができるかを確認することが、より良い結果を得ることよりも大切なことだと思っていた。

だから、もちろん上位でフィニッシュできるはずもなく、ただただファーストドライバーから受け継いだ時の順位を守り、できればさらに上位を目指せれば上出来と考えていた。

50周レースの半ば。予選21位から何台か抜いて戻ってきた大竹君からステアリングを引き継ぎ、自分との勝負が始まった。ピットアウトして1コーナーに入るころ、競り合いながらストレートを駆け下っている数台の集団が見えた。これ幸いとS字入り口までに先に行ってもらい、まずついて行けるかどうかを確かめることにした。
で、1周もしないうちに懐疑は確信に変わった。単独で走れば速いドライバーも競り合っていると自由が利かない。速さを殺がれていた。十分に未経験者が集中できる速さだった。

しかもシビックはとてもスリップストリームが効いた。スプーンカーブを立ち上がって裏のストレートの半ばで、スロットルを戻さないと、前を行くクルマに追突しそうなほどだった。
競り合っているクルマはストレートではもちろん、コーナーでもラインを変えてお互いをけん制していた。目の前には何人もの先生が走っていた。ダンロップブリッジを駆け上がる時にも、スリップストリームが効いているのか確かめるために異なるラインを試すことができた。

チェッカーまで数周を残したところで23番ポストでイエローが振られていた。集団の最後から130Rにさしかかると、エイペックスを過ぎたあたりのコース上で1台のシビックが横転していた。

車両がコースを外れて止まっている時には、2周イエローフラッグを提示してドライバーに伝えた後に解除するのが鈴鹿サーキットのルールだった。チェッカーまで残りわずか。しかも車両はコース上。イエロー解除はないと見た。
ピットサインを横目に最終ラップに入り頭の中はスプーンカーブの立ち上がりに占領されていた。「130R手前の24番ポストで2周イエローが振動で振られていたから次は静止提示になるはず。ならば23番ではイエロー解除だ」と結論を導き出したところで裏ストレート。これでもかとスロットルを開け、坂を上りきる前に1台。立体交差のはるか手前で2台。それまでは、横に並んでも『いや~ぁ、届かない』振りをしていたけれど、この時ばかりは物理の法則を最大限に利用させてもらった。
イエローが提示されている24番ポスト手前の立体交差にさしかかるころ1台をインから抜いた。直後の追い越し区間でそのクルマはなす術もなし。事実上のレースはここで終わった。あとは、初めて前にクルマがいない最終コーナーを全開で駆け下ることだけだった。

最終ラップまでに前を走る集団のうちの1台を抜いた記憶があるから、大竹君から引き継いだ時の順位は定かではないが、おそらくポジションを上げることはできたはず。なによりも、自分の中で速さに対する確信を得るための引き出しが増えたことが最大の収穫だった。

’82新春鈴鹿300キロ自動車レース結果

そんなことを思い出しながら、トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールで30年ぶりに鈴鹿サーキットレーシングコースを走ってみた。前夜からの雨でコースはウエット。風が強く時折陽がさすものの、気温が低くライン上すら乾かない状態。それでも、自分の原点とも言えるコースを走るのは大変気持ちのいいものだった。

ただ、わがままを言わせてもらえば個人的には昔のコースのほうが良かったと思えたのは残念だった。

あの時、1コーナーから2コーナーまでの間に明確な直線部分があったからスロットルを全開にしていた。デグナーカーブは早めにインにつくと後が大変な、いつまで経っても終わらないブラインドコーナーだった。スプーンカーブ1個目はもっとRが大きかったし2個目までに加速できる区間があった。130Rは高速の大きなひとつのコーナーで自分の意識を確認するにはうってつけの場所だった。シケインのない最終コーナーはラインを間違えるとスロットル全開でもオーバーステアになるほどだったが、立ち上がりながら少しずつ見えてくるキラキラと光る伊勢湾がステキだった。
他にも細かい部分が変わっているようだが、それでも鈴鹿サーキットは鈴鹿サーキット。クルマをキチンと走らせることの重要性がこれほど理解できる環境はない。

※あの時、快くシビックを貸してくれたオフィシャル仲間だったRSヤマダの山田さん、一緒に走ってくれた大竹君。今でも感謝しています。


第83回 2013年全日程終了


最後のスクールの週末。金曜日に仰いだ富士山。

12月8日。ポルシェクラブ千葉のメンバーを対象としたYRSプライベートスクールが終わり、今年予定していた活動の全てが終了した。

今年ユイレーシングスクールに参加されたのは21歳から73歳までの延べ465名。うち86名がユイレーシングスクールを初めて体験された。率で言うと18.5%。ここ10年以上リピーターが9割を超える年が続いていたから、ほんとに久しぶりに新たに参加してくれた方が増えたことになる。

15年目を迎える来年も「モータースポーツをもっと手軽に、もっと楽しく、もっとみんなで」を合言葉に、参加してくれた方々に『クルマの運転って楽しいですね』と言ってもらえるようなドライビングスクールを開催したいと思う。ルノーユーザーを対象としたドライビングスクールも開催できればと思っている。

※クルマの性能を存分に味わうことができるサーキットでのスポーツドライビングも、乗り手に確かな知識と集中力を求めることには違いないのでユイレーシングスクールではひとからげにモータースポーツと定義している。


第82回 600回と1万3千人

今年もあと1ヵ月あまり。毎年、この時期になると少しばかり神聖な気持ちになる。いつもがふしだらだという意味ではないけれど。


ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールを題材にドライビングポジションの説明

ユイレーシングスクールは1999年12月8日に、埼玉県にある桶川スポーツランドで日本でのあげた。
日本で10年あまり、アメリカで20数年。クルマとモータースポーツにかかわる仕事を通して得た経験をもとに、クルマを運転という側面からもっと楽しんでもらうことを目的にユイレーシングスクールは活動を始めた。

12月がくればユイレーシングスクールは丸14歳になるが、毎年のことながら受講して下さった多くの方と、そして活動を支えてくれた卒業生のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいになる。

11月16日(土)。今年最後のYRSオーバルスクールが終わった。記録を見てみたら、この日がドライビングスクールと卒業生を対象としたスクールレースを合わせて600回目の開催だった。


今年最後のYRSオーバルスクール参加者と

11月17日(日)。今年最後のYRSドライビングワークショップが終わった。記録を見ると、この日の参加者を加えると開校以来の延べ受講者が13,001名だった。


今年最後のYRSドライビングワークショップ参加者と

今年は12月7日のYRSオーバルレースと翌日のプライベートスクールを残すだけとなったが、15年目を迎える来年はカリキュラムを追加する方向で検討に入っている。

気持ちも新たに、少しでも多くの人に『運転って面白いんですね』と言ってもらえるように…。


第81回 粘る足

サーキット走行では走行中のクルマの前輪と後輪のスリップアングルが常に等しくなるような操作が理想だ。

しかし操舵輪である前輪にスリップアングルを与えるのは簡単でも、外力に頼るしかスリップアングルを得ることのできない後輪にそれを与えることは簡単ではない。
しかも、高速で走っている際に前後輪のスリップアングルが等しいことは少なく、前輪のスリップアングル>後輪のスリップアングルの状態と前輪のスリップアングル<後輪のスリップアングルの状態が繰り返されている。

だから、安全に走るためにも速く走るためにも『足』がどのようにしつけられているかが重要になる。

ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールの『足』が秀逸なのは過去にも触れたが、タイヤの動きからそのあたりを解き明かせないかとビデオで撮影した。

題して「ルノー トゥインゴ ゴルディーニ RS 舞うⅡ」

で、あくまでも個人的な感想なのだが、このクルマの足にはいわゆるハイパフォーマンスラジアルは似合わないと思った次第。


第80回 なんだかなぁ…

敦賀市を基点とし大津市まで続く国道161号線。必要度が高い割りには、和迩から大津市中心部までは商業地を貫いているため流れがよどむことが多い。少し離れたスーパーに買出しに行く時は国道を使うが、遠出をする時にはその山手側を走る湖西道路を使って一気に京都東インターに向かう。

で、まもなく湖西に越してきてから3年が経つ。使うことの多い湖西道路。少しばかり気になることがある。大津方面に向かってふたつ、敦賀方面に向かってひとつある計3ヶ所の「ゆずり車線」でのこと。
もともとは有料道路だったのだが、国道の渋滞を解消するために全線追い越し禁止にして無料開放されたとか。ところが流入量が増えたのが理由(?)で正面衝突事故が多発(!)したとかで、低速走行車を追い越せるように部分的に2車線化したそうな。もともと片側1車線で設計された経緯から、ゆずり車線は本来の車線の左側に張り出す形で設けられている。そのゆずり車線の走り方の話。

通勤で利用するわけではないので使う頻度はそれほど多いほうではないが、湖西道路に乗るとほとんどの場合時速80キロぐらいの流れに身をおくことになる。制限速度60キロの自動車専用道路なのだが、「交通の流れ」はそれよりも20キロほど速いことが多い。日本海側と太平洋側の国道を結ぶ要でもあるからトラックが多いのだが、彼らのほとんども制限速度を守っては走っていない。関西からの観光バスも多いが、彼らもまた、制限速度を上回る速度で走っている。

ところが、たまに制限速度をピッタリ守って走っているクルマに遭遇する。「交通の流れ」はそれより速いわけだから、必然的にそのクルマの後ろには『減速を強いられたクルマ』が数珠つなぎになる。良識あるとおぼしきそのクルマはトラックにあおられたりするのだが、それでも動ずることなく制限速度を守って走り続ける。
しかし、制限速度で走っていたはずのそのクルマがゆずり車線のある所にさしかかるやいなや、80キロほどに速度をあげるのだ。で、ゆずり車線が終わると再び制限速度を守るかのように速度を落とす。
最初の頃は『2車線にならないと怖くて速度をあげられないのかな』なんて想像をしていたのだが、何度か出会ううちに、もちろん相手は異なるのだが、ゆずり車線で速度をあげる理由がわかった。運転に自信がないのではなく、確信犯なのだ。

ゆずり車線の手前には「この先ゆずり車線、左側追い越し禁止」の看板がある。しかし、先を急ぐクルマの中にはゆずり車線を使って前のクルマを追い越す輩がいることも事実。要するに、かの御仁は違反行為であるゆずり車線を使っての追い越しをされないように、その区間だけ速度を「後続のクルマ」の速さに合わせていたというわけだ。だからゆずり車線が終わると、順法精神を発揮して制限速度での走行に戻ることになる

そこでふたつの疑問。ひとつは、この人達は交通法規を守り守らせることを是としているのに、一部区間だけとは言え法定速度を超えて走ることに矛盾を感じてはいないのか。
もうひとつは、渋滞解消のために2車線化したはずなのに、なぜ増設した車線を走行車線にしなかったのか。湖西道路を走るクルマ全てが拡幅された部分の左側を通ることにすれば、従来の車線が本来の目的である追い越し車線となり渋滞解消に役立つのではないのか。
前後を監視車に挟まれ50キロで走る大きな重機を積んだトレーラーがゆずり車線に移動する場合は抵抗がないかも知れないが、先の例のように速く走れるクルマが制限速度を守って走っている場合は、左に寄りたくない気持ちがわからないでもない。しかも名前がゆずり車線。『なんで俺がゆずらなければならないんだ』となっても不思議ではない。人的努力がなければなりたたない交通規則は不完全のそしりをまぬがれないだろう。

白線を引きなおすだけで交通の流れが安全かつ円滑になれば、それこそ法律の精神をまっとうするということではないのか。

制限速度の設定も問題だ。法律で定められているようだから簡単には変更できないのだろうが、概して日本の制限速度は低く設定されすぎだ。実情に即してはいない。それでは運転する人間の危機感を殺ぐばかりだ。お上が定めた制限速度で走っているのだから安全、という誤解を生みかねない。
速度を抑えて走ったからといってクルマを運転する危険度が減るわけではないのに、単純に走行速度を抑えている。まるで事故が起きることを前提とし、起きた場合の被害を少なくするための設定ではないかと疑いたくもなる。

例えば、自宅のあるカリフォルニア州ファウンテンバレー市を貫く405フリーウエイとブルックハーストストリートのランプ。270度ぐるりと回るコーナーには35マイルの標識がある。もしここを40マイルで走ろうとすれば、いや37マイルでもいい、ほとんどのドライバーは怖い目にあうはずだ。35マイルは規制値ではなく、ふつうの人にとってそのコーナーの限界速度なのだ。

例えば、2000年1月1日をもってアメリカのフリーウエイの制限速度が連邦法ではなく州法で決められるようになった。
で、モンタナ州のように制限速度を撤廃した州も現れ、一時期はそれこそ高性能スポーツカーの聖地になった例もある。
で、カリフォルニア州は都市部の制限速度をオイルショック時に設定された55マイルから65マイルに引き上げた。当初、安全面から変更に反対する声もあったようだが、結果的には渋滞が減ったばかりかフリーウエイでの事故も減ったとする記事を読んだことがある。55マイルを上限として走っていたクルマが減り、「交通の流れ」全体が速くなった結果だろう。
最近のデータは持ち合わせていないので事故の発生件数とかはわからないが、流れが速くなった結果ドライバーに緊張感が生まれ、事故に結びつく運転が減ったとも想像できる・
実際、アメリカに帰るたびにものすごい速さで流れる405に乗って驚く。65マイル制限なのに75マイルは当たり前、時間帯によっては80マイルで流れている。それでも目立つことをしなければ速度違反に問われない。

いろいろな考えの人、様々な価値観の人が混在する「交通の流れ」の中で安全に効率よく運転することは難しい。運転している間は、ドライバー同士がお互いのコミュニケーションをとることができない。同じ空間を共有している人が何を考えているのかわかりようがない。

だから、違反を奨励するつもりは毛頭ないけれども、決められた数字だけにこだわるのではなく、自分が飲み込まれている「交通の流れ」を乱さないように心がけて運転するのが安全への第一歩だと考える。

日本の交通規制については言いたいことが山のようにあるけれど、こればかりは法律で決められたことだからなんともしようがない。しかし、法律の精神が、安全かつ円滑な交通の流れの実現にあるわけだから、もっと実情に即した運用がされてもいいのではないかと思う。

【追記】
・ゆずり車線の看板の下には英語で『Slower traffic lane』と書いてある。湖西に来た時からゆずり車線って変な名前だな、なぜ登坂車線と表記しないのかなと思っていたのだが、たぶんゆずり車線の一部が下っているので帳尻を合わせるための名前なのかなと想像している。
・モンタナ州はその後、相次ぐ高性能スポーツカー事故に対応するために制限速度を設けたというニュースに触れたことがある。


第79回 クルマを動かすということ

先日開催したYRSツーデースクールに参加していただいた方々からメールをいただいた。そのいくつかを紹介したい。

★ Sさんからのメール
ツーデースクールありがとうございました。
ビジネスマンとして或いは個人として色々な種類の研修を経験しましたが、トップレベルだと思いました。特に実技の時間がほとんどなので、体感から学ぶというか、身体経由でブレーンストーミングされる経験だったと思います。結局、「意識によってのみ運転が変わりうる」ということだと思いますが、身体から得た感覚がないと、知識だけではその意識を継続することが難しく、その意味で、サーキット走行の繰り返しがやはりこのレッスンのハイライトだと感じました。トムさんが講義された内容や、アドバイスを頂いたことの意味というか言葉そのものが、後になって響いてくるという不思議な経験をしました。またお世話になると思います。

★ Tさんからのメール
この度は、大変お世話になりました。
事前に想像した以上に内容に充実感があったばかりか、長時間の走行にも拘わらず終始楽しくかつ有意義に過ごすことができ、皆様の技術はいうまでもなく、お人柄にも、大変心打たれました。これまでいくつかのドライビングレッスンに参加してきましたが(いずれも、海外自動車メーカーの名前を謳ったプログラムでした)、安全ということをこれほど前に押し出しつつ、かつ、速く楽しく走ることをきちんと教えていただけたことはありませんでした。ご教示いただいた理論、技術を普段の安全運転に生かすとともに、自らの理解、技術の向上に努め、近い将来、再び皆様のレッスンを受講させていただきたく存じます。本当にありがとうございました。

★ Tさんからのメール
先日は色々とご指導頂きまして誠に有り難うございました。
運転に対する意識改革の機会として、大変有意義な時間を過ごす事が出来ました。サーキットで走る事と普段の運転は無縁・・・と今まで思い込んでいたのは、車人生において大きな損失でした。今後はいつものカーブや坂を上り下りする時にも自分の感覚を総動員して円滑な運転操作を目指す様に努めます。サーキット走行には(面白いと思いつつも)まだ踏み込めませんが、スクールにはまた参加したいと考えております。再びお会いできるのを楽しみにしております。

他の参加者からも感想やご意見をいただいたのだが、それはまたの機会に。

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さて、ユイレーシングスクールではYouTubeにオリジナルビデオを掲載させてもらっている。少しずつ視聴してくれる方が増えているようで、過去30日間の再生数は2,350余り、再生時間合計は3,000分を超えた。
サーキットを走ったりYRSオーバルコースを走っている動画ばかりだが、注意深く見ると運転操作のヒントになるようなものが見つかるはずだ。

その中で1ヵ月前にアップした動画の視点を変えたのがこれ。
題して、「タイヤは働く その2」

こちらも感想などお聞かせいただければ幸いです。