第839回 記憶のかなたの3
少年が育った品川区大井出石町。少年が小学生の頃の話。静かな住宅地だったが近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを見かけるほどだった。
学年が上がるにつれ少年の行動半径は徐々に広がっていった。原小学校よりずっと遠くにある原町のバス通りに面した小さなお店にも頻繁に通うようになっていた。
圭ちゃんがやっていた間口1間ほどの小さな模型店。天井からはたくさんの模型飛行機がぶら下がっていた。そこがボクと 解良さん との出会いの場だった。
リンゴ箱自動車 を卒業した少年が次に目を輝かせたのがライトプレーン。ゴム動力で空を舞う模型飛行機。作り方次第で滞空時間が長くなる手作りの飛行機。
なにしろ完成品は売っていない。何も知らない少年は、三澤模型からキットを買ってきてとりあえずの工具を揃えて設計図に従って作リ出す。
まずメタルと呼ばれるプロペラシャフトを通す部品に接着剤を点けて胴体の最前部につけて脱落しないようにタコ糸を巻き、糸に接着剤を塗って固める。当時はセメダインという透明な接着剤を使っていたっけ。プロペラを取り付けるのは最後にして、設計図を見て胴体の後ろのほうにキリで穴を開けゴム掛けを差し込みこれまたタコ糸でグルグル巻きにして接着剤を塗って固める。これで動力部分は完成。
飛行機だから翼が肝心なのだけど、これが上手くいかない。キットに入っている翼の骨格になる竹ひごは単純なU字型をしているだけで、一方が湾曲している設計図には合う訳がない。なす術なく最初はそのままU字型の竹ひごをニューム管に差し込んで主翼台に乗っけてタコ糸を井型に交差させて固定。尾翼も同様に組み立てるのだけど、固定する前に胴体に垂直尾翼を差し込むための穴をふたつキリでもんでおく。
胴体に主翼と尾翼と垂直尾翼を組み上げたところで竹ひごに翼紙を貼るのだけど、どうすればいいのかわからない少年は翼紙を竹ひごより大きめに切り、竹ひごより飛び出した部分に切れ目を入れて折り返して糊しろとして使った。完成したのは竹ひごの間で波打つ翼紙と折り返した糊しろが垂れ下がる美しくない翼。少年は、自分の作品が三澤模型で見たA級ライトプレーンとはずいぶん異なることを感じていた。
メタルにプロペラシャフトを通しビーズ、プロペラの順でシャフトに通りてからシャフトの先端をL字型に曲げる。次に脚に車輪を通してから脚の先端をL字型に曲げ、車輪が落ちないようにして脚の根元を胴体にタコ糸で固定する。ゴムの先端同士を結びひとつの大きな輪にしてから何回か折って重ねる。何重かになったゴムをS管に通してプロペラシャフトとゴムかけにかける。
ひととおり完成した自作のライトプレーンだったけど、少年は何かが違うと感じていた。地上高を稼ぐために良かろうと思って倒立させた戸車がすぐにもげてしまった リンゴ箱自動車 の記憶が蘇った。
なんとか圭ちゃんが作るライトプレーンのように作りたい。少年の三澤模型詣でが始まった。何も買わないのに店先で圭ちゃんの仕草に見入っていた。圭ちゃんも根負けしたのか少しずつライトプレーンを作るコツを教えてくれるようになった。それは全てが少年にとって驚きだった。少年は工夫することの大切さを目の当たりにした。
圭ちゃんは、台の上にろうそくを立て竹ひごを炙りだした。U字型の竹ひごは竹の表皮が外側にあった。そこを炙りながら両手の親指と人差し指で少しずつ曲げては伸ばし、たまに設計図に乗せて形を確認する作業が続く。時折り親指と人差し指を舐め、熱くなり焦げそうになった竹ひごに唾をつけて冷やす。それを繰り返すと単純なU字型をしていた竹ひごが、台の上に広げた大きなB級ライトプレーンの主翼の形ピッタリと重なっていた。
主翼を翼型にするために竹ひごの間に渡すリブの取り付け方も独特だった。少年は接着剤だけで切り欠きのあるバルサ製のリブを竹ひごにくっつけていたけど、圭ちゃんは薄い紙を小さな菱形に切って接着剤を塗り、竹ひごを包み込むようにしてリブの上と下を挟んでいた。曲がっている竹ひごにリブをくっつけるのだからズレやすい。その対策だった。
骨格ができあがって翼紙を貼る段階になって、圭ちゃんはかたく絞った濡れた日本手拭いを台の上に広げた。設計図より少し大きめに切り出した翼紙を手拭いの間に挟み、軽く掌でポンポンと。右手の親指と人差し指に糊をつけて竹ひごを挟み指をこすり合わせるように動かしながら翼全体にまんべんなく塗る。そうとはわからないほどに湿った翼紙を竹ひごの上に置き、翼紙をそおっと引っ張りながら竹ひごを包むように指で丸める。少年が余った部分の翼紙を切るのに鋏を使ったのとは違い、圭ちゃんは小刀を持ちだした。竹ひごからはみ出た部分を、竹ひごに小刀の刃を当てながら切っていく。確か「刃を立てると切れない。できるだけ寝かせて」と言っていた。すごく繊細な作業。
そう言えば、主翼や尾翼のニューム管を胴体にタコ糸で固定する方法も教わった。最初、自分なりにやった時はタコ糸をバッテンにかけて固定していた。しかしこれだと翼が揺れた。固定しているのがニューム管の中心の一点だったからだ。圭ちゃんはこうしてこうしてと、ニューム管を二点で支えるように井型に巻く方法を教えてくれた。
完成した圭ちゃん作のライトプレーンは美しかった。乾いた翼紙は皺もなくピーンと張り、まるで竹ひごと翼紙が同じ材質でできているかのようだった。
少年はライトプレーン作りに没頭した。八百屋さんが見える2階の窓辺で一生懸命圭ちゃんの真似をしようと頑張った。結果的に滞空時間を競う荒川の河川敷で行われた東京都の大会に出場するまでになった。
ある日。三澤模型に行くと、ライトプレーンより大きくて重そうで、翼が厚く胴体が太い飛行機を抱えた人がいた。その人が 解良さん だった。
〈続く〉
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