トム ヨシダブログ

第846回 記憶のかなたの4

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少年が育った品川区大井出石町。静かな住宅地だったが、クルマと言えば近くにPXがあったのでカーキ色に塗られたジープが頻繁に走っていた。それ以外は八百屋さんのオート三輪とおわいやさんのバキュームカーを見かけるほどだった。

 

「第839回 記憶のかなたの3」から続く

後になって知るのだけど、大きな模型飛行機を抱えて三澤模型に入ってきた人こそ 解良さん だった。

圭ちゃんのお店にもたくさんの模型飛行機が天井からぶら下がっていたけど、それよりも大きな飛行機だった。 ライトプレーン をまがいなりにも作れるようになり気分的に満ち足りていた上、エンジンを搭載してうなりをあげて飛ぶ模型飛行機の存在など知る由もなかった少年は、自分のすぐそばにとんでもない世界があると知って大いに衝撃を受けた。少年は解良さんに近寄りがたさを感じた。

それでも圭ちゃんが取り持ってくれたのだろう、いつしか三澤模型で解良さんと会った時には話をするようになっていた。エンジン付きの模型飛行機をUコンということも知った。となると、少年もエンジン付きの模型飛行機を作りたくなったのは自然な流れで、圭ちゃんに勧められて初心者用のUコン機のキットを買った。胴体も翼もべニア板でできているそれにフジ09のエンジンを積んだ。解良さんはパワーのあるエンヤ15というエンジンを使っていた。ボクもいつかは大きなエンジンを積んだ機体を作りたいと思った。Uコン技術という月刊誌のある時代。

模型飛行機店を営んでいる圭ちゃんが模型飛行機作りが上手いのは当然だけど、圭ちゃんに劣らずきれいにUコン機を作る解良さんは憧れの的だった。ライトプレーンと違って翼に厚みがあるUコン機はリブの上面と外面に翼紙を貼るのだけど、それが皺ひとつなくピーンと張っていてまるで1枚のぶ厚い材料から切り出した翼のようだった。

一緒にUコン機を飛ばしに行ったこともある。Uコン機は2本のワイヤーで主翼の付け根に取り付けたベルクランクを介し尾翼のエレベーターを上下させて上昇下降を行う。ただワイヤーの長さが10m以上もある。つまりUコン機は水平飛行だと直径20mの円を描いて飛ぶことになり、かなり広い場所が必要だった。ボクはというと離陸直後に失速させて墜落ばかりさせていたけど、解良さんは自慢の飛行機を宙返りさせたり飛ばすほうも上手だった。ある日。解良さんと伊藤中学校の校庭にお互いのUコン機を持ち込んで無断で飛ばしていて、用務員のオジさんにこっぴどく怒られたことも懐かしい思い出。

リンゴ箱自動車 で創作と工夫に目覚め、 ライトプレーン で物を作る楽しさを知り、Uコン機で動くものを動かす難しさを知る。模型飛行機に乗って飛ぶわけにはいかないけど、身体を動かすことが苦手の少年にとっては模型飛行機は自由への唯一の手段だったのだけど・・・。

三澤模型の圭ちゃんは足手まといだったはずのボクによくしてくれた。今にして思えば、解良さんとボクを特別に可愛がってくれていたように思う。
1960年。少年が小学校5年生の5月。圭ちゃんは米軍立川飛行場で行われた航空記念日に解良さんとボクを連れて行ってくれた。ふだんはうかがうこともできないアメリカ空軍の基地内と空軍機の実物を一般に公開するという画期的な行事だった。原町からバスに乗って大井町へ。大井町から電車で立川に向かった。
立川飛行場に足を踏み入れると、そこには模型飛行機の何百倍も大きなホンモノの飛行機が並んでいた。記録を紐解くと、今でも現役のC130も展示されていたようだ。戦闘機や輸送機にヘリコプター。実物の飛行機を間近で見るのが初めてなら、機体に描かれた横文字のカッコ良さも初めて。さぞかし有頂天だったに違いない。内部が公開されている機体もあり圭ちゃんと解良さんは次から次へと見て回っていた。基地内で昼食を摂ったはずなのだけど何を食べたか記憶にない。それほど目に入るモノが魅力的だったのだろう。

さんざん歩き回ったから休憩しようということになり、二人の後を追ってエプロンを離れ宿舎の並ぶ一角に足を踏み入れたその時、少年にとっては人生に目覚めたともいうべき乗り物に出会うことになる。

それは、その日初めて目の当たりにしてその大きさに驚いた実物の飛行機よりも、楽しさが増しつつあり希望が持てるようになった模型飛行機作りよりも、さらに強烈な衝撃を11歳の少年に与えた。

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解良さんとの再会は昨年の11月初旬
何十年ぶりだろうか
最後に会ったのはアメリカに行く前だったから
45年は経っている計算になるか
それでも昔の記憶が蘇える

 

(続く)



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