トム ヨシダブログ

第866回 自画自賛

遅くなってしまったけれど、日本でドライビングスクールを初めてから25年が経ったので開催数と受講者数を集計してみた。

1999年12月8日に埼玉県の桶川スポーツランドで最初のドライビングスクール、YRS桶川ドライビングワークショップを開催した。そして2024年12月8日のポルシェクラブ東京銀座ドライビングレッスンでちょうどユイレーシングスクールが25歳に。

この間、エンジンドライビングレッスンやポルシェクラブ千葉の安全運転講習会やポルシェクラブ東京銀座ドライビングレッスンを含めて延べ1,001回のスクールを開催した。FSWレーシングコースや鈴鹿サーキットレーシングコースはもちろん、北はしのいサーキットから南は阿讃サーキットまで大小とりまぜて16ヶ所のサーキットでドライビングスクールとスクールレースを開催した。浅間台スポーツランドから始まって、関越、yetiスキー場、奥伊吹スキー場、大阪舞洲、FSWP2など広大な駐車場6ヶ所でYRSオーバルスクールを開催した。

1999-2024school 25年間に開催したドライビングスクールとスクールレース

YRS桶川ドライビングワークショップを開催したことがきっかけとなって、2000年から日本オートスポーツセンター(当時)の委託を受け筑波サーキット公式ドライビングスクールを開催した。2000年はコース2000で7回、2001年からはコース1000に開催地を移し2001年は21回、2002年は23回も開催した。ユイレーシングスクールでサーキット走行に目覚めてライセンスをとってスポーツ走行を楽しんだ人も多い。サーキットを走らないまでも運転の楽しさに20年近くユイレーシングスクールに顔を出してくれている人もいる。

ユイレーシングスクール自身もモータースポーツへの窓口を設けた。できるだけ敷居の低いレースを実現したかったからライセンスはなし。ただ安全を担保するために参加資格をユイレーシングスクール卒業生に限定した。
ヨーイドンに賛同してくれた人に楽しんでもらうためにYRSスプリントは3ヒートレースとし、1日で3回のスタートとゴールを味わえるようにした。さらに強化クラッチをおごっても意味をなさないようにローリングスタートとした。YRSエンデューロはオリジナルルマン式スタートで始まる130分の時間レースとした。全開で走るとガス欠になる設定がレースの綾を作り参加者のドライビングポテンシャルを上げた。相対的な速さが求められるレースに興味をつのらせ、ロードスターパーティレースに参加してシリーズチャンピオンになった人もひとりではない。

YRSオーバルレースは日本で最も敷居の低いヨーイドンだった。YRSオーバルスクール参加者を対象に始めたのだけど、これが正解。参加した人はどんな状態になってもクルマをコントロールする技を身につけた。

こうしてクルマは好きだけど運転には興味がなかった人、走るのは好きだったけどサーキットは縁のなかった人、レースなんて特別な人がやるもので危ないと思っていた人がユイレーシングスクールの門を叩いてくれて、25年間に参加してくれた方は延べ18,678名にものぼる。

1999-2024participants 25年間に参加してくれた延べ人数

1999年の1回目からクルマを思い通りに動かす方法を理論的にかつ合理的に説明し、理論と実際の融合を目指す環境を用意してきた25年間。一度もブレずに不器用のまま続けてきた。 今年76歳。とりあえずあと5年は先頭に立って引っ張るとスタッフに宣言した。その間に、その先を担う不器用な御仁も育つと思う。



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