トム ヨシダブログ


第118回 運転の意識

自宅から650キロ離れた筑波サーキットや430キロ離れた富士スピードウエイに出向くので、1年間にかなりの距離を走る。今年は大阪でも鈴鹿でも開催した。スクールの時はトゥィンゴ ゴルディーニ ルノースポールの出番だ。
今年はそれ以外にも、私用で4回東京に行った。ルーテシアRSを引っ張り出したりフィットRSで楽をしたり。記録はつけていないからわからないが、どのくらいの距離になるのだろう。

スクールで「遠い所から大変ですね」と労わられることがあるが、本人は苦痛ではない。たった一人で新東名を走るのなら退屈もしてしまうだろうし、毎週のことなら飽きてしまうかも知れない。だけど目的はスクールを開催したり打ち合わせをしたり母に会うことだから、移動はあくまでも手段でしかない。移動が目的になるとちょっとつらいかも知れないが。

クルマを運転していると実にさまざまな場面に出くわす。それも運転が苦にならない理由かも知れない。

こんなことがあった。
最近は、追い越し車線をずっと走っていてはいけませんよ、という当たり前のことが告知されるようになったから、追い越し車線を延々と走るクルマは少なくなってきた。しかし・・・。
ある日、追い越し車線を淡々と(?)走っているクルマの後についた。しばらく後について行くとようやく、ウィンカーも出さずに走行車線に移った。追い越して間隔を確認してから走行車線に移動する。トラックが現れればウィンカーを出して追い越し車線に移り、追越が終わればまたウィンカーを出して走行車線に戻る。

そんなことを繰り返していると、抜いた後で再び追い越し車線を淡々と走っていたクルマが、ウィンカーを出して追い越し車線に移り追い越しを終わるとウィンカーを出して走行車線に戻るようになった。
「へぇ~」と思って走っていると、3回ほど走行車線に戻ったのだが、その後はまた追い越し車線を平然と占拠するようになってしまった。
「なんでかな?飽きたのかな?面倒くさいのかな?速いクルマが後に来た時だけ走行車線に戻ればいいと思っているのかな?」と想像しながらリアビューミラーに目をやっていたことが何回あっただろうか。

交通安全指導員になってから「模範的な運転を」と言われるのだが、自分の運転が模範的かどうか自信はない。ただ何があっても事故は起こさないように心がけてはいる。
そうするために自分なりのルールがある。市街地、高速道路、サーキット。走る環境ごとに自分で決めた手続きに従って運転している。
ひとつひとつを説明すると長くなるので省くけど、誰もがそんな自分なりのルールに基づいて習慣的に運転しているのではないだろうか。

結果として、自分で言うのもはばかられるが、行き当たりばったりの運転はしていないと思うし、その場しのぎの運転もしていないと思う。
そうすることによって周りがよく見えるようになる。市街地だろうと高速道路であろうと周りにはクルマがあふれているが、多分、こちらが定数になろうとすればするほど周囲の動きが変数として認識できるようになるのだと思う。

先にあげた例以外にも、運転中は本当にいろいろな場面に出くわす。
この人はこうしたいんんだろうな。あの運転の仕方はやめたほうがいいね。このまま行くとああなるな。こうすればあの人が楽になるかな。次から次へと自分が試される。それを楽しんでいる自分がいる。老化防止にいいかもね、とほくそ笑む自分に気づく。

そう感じられるうちは運転に飽きることはないだろうなと。
さて、このブログをアップしたら富士スピードウエイに向けて出発だ。


第117回 トゥィンゴRS活躍


Mさん トゥィンゴRSと記念撮影

YRSトライオーバルスクール。楕円形の直線部の1本にキンクを設けて延長し、より速い速度で短いコーナーを回るのと、より高い速度からブレーキングを練習するために始めたカリキュラムだ。
しかも、今年のレイアウトは直線部を伸ばしてターン1の曲率を小さくヘアピン状にして、なおかつ下り坂になってからブレーキングするように仕向けたから、YRSトライオーバル2013より難易度は上がっている。

10月25日に開催したYRSトライオーバルスクール。この日、エンジンドライビングレッスンに参加したことのあるMさんが、スバル プレオに乗って3年ぶりに遊びに来てくれた。間が空いたとは言え、再度運転の練習に来てくれたのは嬉しい限り。
エンジンドライビングレッスンでオーバル走行は経験済みだから、次のステップとしてYRSトライオーバルスクールはうってつけ。エンジンドライビングレッスンで使うオーバルは半径16mの直線48mだけど、YRSトライオーバルは直線が170mもあるし3つのコーナーは全て性格が異なるから、異次元の体験ができる。


Mさんの走りとプレオの動力性能を追走して確認

しかし、元々YRSトライオーバルは120キロ超の速度からのピッチングコントロールを覚えてもらうことが目的なので、動力性能が十分でないと走っても肝心な部分を体験することが難しい。そこでプレオで基本的な操作を覚えて、高速域はトゥィンゴRSで体験してもらうことにした。


トゥィンゴRSに乗り換えるのでまずは同乗走行

Mさんはすごく丁寧な運転をする方で、少しずつペースを上げてトゥィンゴRSの懐深い走りを楽しんでくれた。

そのMさんが、アドバイスを聞きながらトゥィンゴRSでYRSトライオーバル2014を走った時の動画がこれ。

で、トゥィンゴRSが実力の90%ぐらいでYRSトライオーバル2013を走った時の動画がこれ。

YRSトライオーバルスクールと併催のYRSオーバルレース参加者と記念撮影


第116回 ジムラッセルレーシングスクール


早朝ガレージから運びだされるスクールカー

当時、双子を授かりレース禁止令が出ていて自分で走ることがかなわなかったので、代わりに日本語クラスを作ってもらい日本からの受講者を受け入れる体制を作った。
とここまでは2013年3月のブログに書いた。


マークによる座学があって

1987年。当時ジムラッセルレーシングスクールカリフォルニア校はラグナセカレースウエイとリバーサイドレースウエイを拠点としていた。その後ラグナセカをメインに活動するようになったのだが、日本語クラスはロサンゼルスに近いウィロースプリングスレースウエイでも開催した。
ラリアートにジムラッセルレーシングスクールのスポンサーになってもらっていたこともあり、毎年暮れにはミラージュカップシリーズに参加したドライバーが忘年会を兼ねて受講してくれた。
結局、記録を見てみると243名の日本人がジムラッセルレーシングスクールを受講してくれたことになる。


スクールカーの説明があって

3日間。フォーミュラカーで走り回る魅力的なカリキュラムは昔から憧れだった。そんな環境があれば、もっと直線的にレースデビューを果たせたかも知れない。そんな思いを抱きながら、期間中は日本からのお客さんに一生懸命アドバイスをしたものだ。


注意点が伝えられ

ところが、校長のジャック・クチュアもチーフインストラクターのマーク・ウォロカチャックもしゃべりすぎだと言う。
こちらは、はるばる日本から来てくれたのだから、そしてめったにない機会なのだからと正解をまじえながら操作の方法を伝えることが誠意だと思っていたのだが、自分で考える癖をつけてもらうためにしゃべりすぎは良くないと言う。


「これに乗るんだ」の横でバンライドの準備をして

マークを初めジムラッセルレーシングスクールのインストラクターが淡白とも言えるアドバイスをしていたのは前々から知っていた。それは本当にそっけない。
「ターントゥーレイト」とか「ターントゥークイック」だとか「ブレーキトゥーレイト」とか「スロットルトゥースーン」だとか。とにかく彼らが見た事実を伝えるだけだった。


遅くはない速度でやることをバンライドで実際に体験して

これには悩んだ。大いに悩んだ。自分で考え工夫して運転する癖をつけてもらうことが最も望ましいことはわかる。アメリカ人の受講生が簡単すぎるアドバイスだけで、ゆっくりではあるが上達していく様も目の当たりにした。
一方、日本人と言えば突っ込みすぎるのを抑えることが多かった。質問の内容も、どうすれば速く走れるかに集約された。


2班に分かれて乗車組と手伝い組に分かれて

できる限りためになると思うアドバイスをしてあげたい、けれどしゃべりすぎは駄目だと釘を刺される。ったく、どうすればいいんだ、と思いつつある仮説にたどり着いた。
ジムラッセルレーシングスクールの教え方は『過程』を重視していて、受講生に過程評価の仕方まで教えているのではないかと。日本では結果評価が優先される風潮にあるから、過程を飛ばして『結果』にだけ目がいってしまうのではないだろうかと。


とにかく「スムース&イージー」だよと


まずはシアーズポイントのドラッグストリップを使ってブレーキング

だから、ユイレーシングスクールを始めるにあたってひとつの方針を立てた。『過程』と『結果』の両方を目指すアドバイスをしようと。
それが難しいことだとはわかっているが、運転に限らずふたつの国の教え方の違いに接してきた身としては唯一の解決策だった。


休む間もなく走るのはユイレーシングスクールと同じ

だから、ユイレーシングスクールでは褒めない。受講者がひとつのテーマをクリアしても褒めない。たまたまうまくいった時にも褒めない。
言うことを聞かない人には、質問が来るまでアドバイスしないこともある。質問ばかりする人には、「何も考えないで走って走ってみて下さい」と言う。

その代わりに、「目指すのは理にかなった操作です。まだ先がありますよ、頑張って」と言うことにしている。
そして、「ボク自身まだまだ発展途上です。運転に関してはみなさんの先輩です。信用して大丈夫ですから後についてきて下さい。」と付け加えることにしている。

ですから、ユイレーシングスクールを受講して褒められなくても落胆しないで下さい。みなさんが上達していく様子はちゃんと心に刻んでいますから。


ラッピングに移ればコースのあちこちでインストラクターの目が光る



第115回 加速度のすすめ

パスポートに押されたスタンプを数えてみると、今までに101回日本とアメリカを往復していた。うち1回は取材を兼ねて千葉港からバンクーバー経由でポートランドまで自動車輸出専用船で海を渡ったので、100回と半分を飛行機で往復したことになる。その飛行機にまつわる話。

あれこれ思い出しながら出入国記録を見ていたのだが、今さらながらに文明の利器である飛行機の偉大さを感じた。移動に費やす時間さえいとわなければ、座っているだけで苦もなく太平洋を飛び越えることができる。飛行機という移動手段がなければ、20代の頃に日本を脱出しようとは考えなかったに違いない。

しかし、クルマと同じく人間の生活圏を拡大してくれる道具ではあるけれど、実は飛行機に乗ることはあまり楽しくはなかった。小学生のころから模型飛行機に夢中で翼の真ん中が膨らんでいることも知っていたし、後に翼が揚力を生むことも学んだ。理屈ではわかっているつもりなのだが、あの重たい機体が空に舞い上がる道理が今ひとつ生理的に納得できない。飛行機に乗っていれば床は確かにそこにあるけれど、自分の身体が宙に浮いていることには変わらず不安は消せない。

だから、無理やり目的地に着いてからの予定を想像することで気分を紛らわせてシートに座るのが常だったが、実はひそかな楽しみもあったりする。乗っている飛行機が生み出す加速度だ。

何度も往復しているうちにいろいろなことを経験した。偏西風が強い冬は日本からアメリカに向かう時の所要時間が短くなるが、逆に日本行きは時間がかかってしまう。
実際、離陸後に機長が「ご搭乗ありがとうございました。今日は偏西風が強く・・・」とアナウンスした時は成田からロサンゼルスまで8時間を切ることがあった。税関を出たら待ち合わせの時間より小1時間も早く、時間をもてあましたことも覚えている。

アメリカに向かったある日。座席前のモニターに映し出される対地速度が瞬間的に1,030キロを超えたこともあった。いつもは960~980キロだからかなり追い風が強かったに違いない。

時速1,000キロといえばとんでもない速さだ。しかし、その速さを実感できるかと言うとそうでもない。離陸や着陸の時に窓の外を流れる景色をみればその速さを相対的に感じることができるのだが、上昇してし巡航に移ってしまうと、自分がそんな速度で移動しているなんてイメージすることは難しい。

しかし加速度には、あくまでも個人的な印象ではあるけど、実体がある。

例えばテイクオフ。その日によってフライングスタートであったりスタンディングスタートであったりするのだが、あの巨体が速度を上げていく時間は大のお気に入り。だから、あの加速感をもらさず全身で感じるために、エンジンがうなりを上げ始めると、つま先を上げシートに深く座り直したものだ。
加速度そのものは高々0.2Gぐらいなものだろうが、自分の中に加速度を感じられるあの時間は好きだ。

速度が速くなると加速しているはずなのに加速感が薄れる。飛び立ったわけではないのに重力が小さくなった」ように感じる。窓がビリビリと音を立てる。加速度が弱まったのではなく、大きな飛行機全体が作る空間が加速に慣れたからかな、と想像したり。

ゴゴッと音がして機体が浮いたことがわかる。上昇をするものだと思っていても、ほんの少しだけ上に向かうよりも前方に押し出されている感じが続いたり。

飛行機は地表を離れても加速しながら上昇を続ける。水平飛行に移ってたなと思っても加速しているなと感じることもある。逆に、明らかに減速していることもある。飛行機の飛ぶ速度での空気抵抗は想像できないくらい大きいはずだから、加速をやめるだけでもマイナスGを感じるのかな、などと考えるのも楽しいものだ。

着陸を前にシートベルト着用のサインが出ると、再び座り直すのが常だった。
下降を始めるということは速度を落としているということだからマイナスGを感じてもよさそうなものだが、飛行機の大きさに比べて人間が小さいのでそれと感じられないのかなと思ってみたり、窓の外にパノラマが広がりだすと速度は落ちているはずなのに相対的に速くなっているように思えたり。

黒々とブラックマークのついた滑走路を下に見て行き過ぎじゃないのと心配したりするけど、着地のショックの大きさにこそ差はあれこれまで怖い思いはしたことがない。
それより、着地してからの減速も圧巻だ。飛行機が着地したと感じた瞬間スポイラー立ち上がり、次いで逆噴射が始まる。空中では感じることができないマイナスGを受けながら、さらに、離陸時には感じない微妙な横Gがおそってくる。
その縦と横の加速度の大きさは毎回異なるが、巨体が身をよじるように減速する様は感動すら覚えるものだ。

西海岸に沿って南下した飛行機はいったん東に向きを変えった後にどこかの地点でUターンする。東からロサンゼルス空港に進入する飛行機の隊列にまぎれこむためだ。この時に感じる加速度も捨てがたい。

マイナスのGを感じながら、自分の身体が軽くなったように感じることで降下しているのを実感していると、機体が右に傾きだす。右側に座っていると窓いっぱいにダウンタウンが広がる。
バンク角はどんどん深くなり、同時に自分が重くなる。とても複雑な慣性力が働いているのを想像できるから言葉にするのが難しいけれど、飛行機が減速をしながら円運動の外側に流されていっているような感じだ。それでも旋回の後半は遠心力に負けているように感じないから、おそらく、ある時点で飛行機もラインに乗れるのだろう。

結局、速いものに対する憧れはあっても、速さを心地よさに置き換えることは難しい。地上での時速1,000キロが現実的でないように、だ。我々自身が速さを無制限に享受することも不可能だ。しかし加速度は、いついかなる時でも感じようと思えば感じることができる。

そしてプラスであれマイナスであれ、あるいは横Gであれ、加速度はクルマの姿勢変化に大きく影響する。加速度を意識することもクルマの楽しみの大きな部分を占める。身近な人間能力拡大器であるクルマ。味あわなければもったいない。

時まさに、メガーヌRSトロフィーRの発表。
馬力あたり荷重はメガーヌRSの5.4Kg対トロフィーRの4.75Kg。どんな世界が待っているか楽しみではある。

余談をひとつ。左側の窓際に座ってロサンゼルス空港に近づいた時のこと。例のバンクが終わって水平飛行に移ったその瞬間。左隣にもう1機飛行機がいて声を上げそうになったことがある。なんのことはない。3本の滑走路が並行して走っているロサンゼルス空港への進入で、たまたま同じタイミングの飛行機に出くわしただけだった。

余談をもうひとつ。ある日、成田を離陸してから30分ぐらい経った頃に機材故障のため引き返しますというアナウンス。どこに不具合があるのかの説明はなし。この時ばかりはCAに状況の説明を迫った。いやな思いをしたのはこの時だけ。確率は201分の1というところか。

※今回はYRSスタッフの勝木 学さんの写真を使わせてもらいました。感謝です。


第114回 YRSとその仲間たち

2003年9月28日のYRS筑波サーキットドライビングスクール。ロータス エリーゼに乗った黒滝さんが初参加。その年の12月13日に浅間台スポーツランドで開催したYRSオーバルスクールでオーバル初体験。翌年の5月にはユイレーシングスクール3回目の参加で早くもYRSオーバルレースに挑戦してくれた。
その後も、もてぎで開催した数少ないYRSオーバルスクールやYRSスプリント、YRSエンデューロに顔を出してくれていたのだが、2006年のこと。

10月21日に富士スピードウエイで開催したYRSエンデューロの参加者名簿を整理していた時、ダウンロードしたファイルを開けると黒滝さんの車名がロードスターになっていた。「なんで車名間違えるのかねぇ」とあくまで黒滝さん=エリーゼだと思っていたのだが、当日ショートコースのパドックに現れた黒滝さんは間違いなくロードスターに乗っていた。

「本当にロードスターなんだ。先月のオーバルレースはエリーゼだったじゃない」と聞くと、「ロードスターに乗っている人たちがあまりに楽しそうなんで、仲間に入れてほしくて換えちゃいました」とニコリ。だから、「うん。それもありだね」と言ったのを覚えている。

その黒滝さん。ここ数年はYRSオーバルレースの常連なのだが、ある日他の参加者と真剣な面持ちでスマートフォンを覗いていた。
聞けば、黒滝さんがラップタイム測定用のソフトを開発したのだと言う。その手のデバイスはいくつか市販されているしユイレーシングスクールでも使っているが、それを作るという発想はアナログ人間にはない。どういう仕組みなのかもわからない。

なので説明は全て引用で。

⇒ アプリケーションの機能としては下記の2つです。
(1)ラップタイマー機能
スマートフォン内蔵のGPS、又は市販のGPS受信機を使用してラップタイムを計測します。国内外のサーキット116ヶ所(うち国内は46ヵ所)が設定済みなので、メジャーな所であればコース設定等せずに計測を開始できます。走行データをGPS汎用のフォーマット(NMEA0183形式)のログとして記録し、下記(2)や他社製の解析ソフトに取り込むことができます。
(2)ログ簡易解析機能、
アプリケーションのログを解析し、車速グラフ形式(横軸を経過時間、縦軸を速度とする1周分のグラフ)、又はGoogleMapに走行ラインをプロットして表示することができます。

9月初めの時点で黒滝さんが開発したソフトのダウンロード数は47,000以上。15,000ほどの端末にインストールされていると言う。

黒滝さんが開発した”GPS Laps”の頁

車載映像に走行中のデータを重ねると一気に情報量が増える。

・黒滝さん鈴鹿サーキットを走るの動画

・黒滝さんYRSオーバルレースを戦うの動画

※どちらも黒滝さんのYouTubeから。

仲間と今日も


第113回 YRS VITAライド


筑波サーキットコース2000では大きすぎるぐらい もっと小さいサーキットでもレースができる

今年から追加したカリキュラムにYRS VITAライドがある。鈴鹿を拠点とする日本有数のレーシングカーコンストラクターであるウエストレーシングカーズが製作したスポーツレーシングに乗って風のあたるマシンを体験する。

VITAと名づけられたそれは、エンジンとトランスミッションこそ中古のヴィッツから拝借したものだが、セミモノコックフレームに前後ダブルウィッシュボーンサスペンションを備える。少しずつ台数を増やし、今や北海道の十勝スピードウエイでもツインリンクもてぎでも筑波サーキットでも、もちろん鈴鹿サーキットでもアマチュアドライバーを対象にシリーズ戦が組まれている。


筑波サーキットのコース1000では同じような動力性能のクルマより1周5秒速い クルマの性格が異なるから

昔。FL500という日本独特のカテゴリーがあった。軽自動車のエンジンを搭載した本格的なフォーミュラカーだった。FL500から育ったトップドライバーは数知れない。常に大きなレースの前座だったが、メインレースに引けをとらないこれこそレースという白熱した争いを繰り広げていた。

全日本選手権がかかったビッグレースはもちろん魅力的だが、純レーシングカーの底辺を担うFL500レースやVITAレースが盛んになると頂点がさらに光り輝くものだ。
ルノーも80年代にはアメリカでスポーツ・ルノーと呼ばれたVITAのような入門カテゴリーにエンジンを供給していた。一時は全米に300台近くが存在したSCCAの目玉カテゴリーだった。


体験した全員が「楽しいっ!」

ユイレーシングスクールでは日ごろ、「ご自身のクルマを自在に操るのもひとつの目標になるとは思いますが、少し目先を変えてどんなクルマでも乗りこなせるようになることを目指してはどうでしょう」と訴えている。

乱暴な言い方になるけれど、4本のタイヤがついていればクルマはクルマ。基本的な動かし方に変わりがあるわけがない。
むしろ、VITAのようなステアリングもブレーキもノンアシストのクルマを操ることを想定して練習をすれば、量産車からは得られない操作の機微がわかるというもの。


姿勢変化をしないのが速さの秘密 だから速く走らせるにはそれなりの操作が必要になる

モータースポーツにはいろいろなカテゴリーがあったほうがいい。妥協のきかないマシンのレースが、ふつうの人(レースにのめり込んでいない人という意)でも、やる気さえあれば手の届く範囲にあるとなお良い。
ボク自身、70を過ぎたらレース活動を再開しようと思っている。YRSの卒業生にもいろいろな体験をしてほしいと思っている。
今までにロードスターパーティーレースや富士チャンピオンレースでシリーズチャンピオンになったYRS卒業生もいる。VITAレースに参加する卒業生が出てきてほしいものだ。

そんなこんなで始めたのがYRS VITAライド。当面はユイレーシングスクールを受講した方を対象としているが、誰でもが体験できるシステムができないか熟考中だ。

一部の限られた人しか乗れないレーシングカーではない


体験すれば笑顔、笑顔、笑顔

興味のある方はウエストレーシングカーズのVITA開発レポートをのぞいてみてはいかがだろう。


第112回 YRSドライビングワークアウト


トゥィンゴRSに苦手なコーナーはない

15年目のユイレーシングスクールはいくつかの新しいカリキュラムを追加した。

そのひとつがYRSドライビングワークアウト。参加者にコーンで作ったサーキットを模したコースを走ってもらい、思い通りにクルマを動かすコツを体験してもらおうというもの。

既に2回開催したがどちらも定員いっぱいの12名が参加。少人数制だから走行時間も多いし、アドバイスも細かく行なえる。加えて、同乗走行はもちろん、ユイレーシングスクールでは唯一のインストラクターが助手席に乗る逆同乗走行もするから、ほぼ全方位から参加者の走りを検証することができる。


参加者が悩んでいるなと感じたら即ミーティング

とにかく、参加者の走りを一望できるからアドバイスがしやすいし、参加者も自分が走らない時は他の参加者の走りを間近に見て自分の操作を振り返ることができるし、長年温めてきたアイディアを実行してよかったと思っている。


人の走りを見てイメージを膨らます

YRSストリートと呼んでいるそのコース。参加者は全員がおもしろいといってくれる。操作の反復練習にはうってつけだ。

一方、スタッフや長年通っている口さがない連中は、「さすが、いやらしいレイアウトですね」だと。水割りをなめながら、あーでもない、こーでもないと知恵をしぼったかいがあるというものだ。


簡単なコースではおもしろくないし練習にならない

で、YRSストリートをルノー トゥィンゴ ゴルディーニRSで走った時の動画がこれ。

どうやって走るか考えている時間はない。無意識に身体が動いてくれなければスムーズに走れない。YRSドライビングワークアウトの目的は参加者のドライビングポテンシャルを引き出すことだ。


第111回 第1回YRSオーバルスクール大阪

全員で記念撮影(ひとり早引き)

コーナリングのメカニズムを学ぶには120キロほどの速度からのブレーキング→ターンインを繰り返すのが効果的。だからユイレーシングスクールではオーバルスクールを積極的に開催している。しかし、それができる場所というとなかなか見つからない。


ルノーRS兄弟も参加 赤のYさん 白のWさん 青のSさん

関西では奥伊吹スキー場の駐車場を借りて開催したことがあるのだが、直線があまり長く取れないのと周囲がコンクリートウォールなので2回開催しただけで中断していた。今回、たまたま舞洲スポーツアイランドのイベントスペースにキャンセルが出て、初めて大阪でユイレーシングスクールの目玉、オーバルスクールを開催することができた。


フランス国旗

当日の予報は雨。遠く見渡せる山々には黒い雲がかかっているのに、オーバルコースの上だけは晴れているという奇跡的なコンディションのもと、久留米、金沢、和歌山からの参加者を交え一日中走り回った。

今回は初めてユイレーシングスクールに参加される方が多かったけど、それでも最後にはしっかりと後輪も使ったコーナリングができるようになったから、クルマを動かすための手続きは理解してもらえたと思う。


2速でレブリミッターにあたる速度から


ブレーキングしても

4輪を路面に貼りつけておく練習を重ねる

運転の上達に終着駅はない。もっとたくさんの人にクルマと仲良くなる方法を知ってほしいと思う。名古屋以西で150mx50mほどのスペースをご存知の方はぜひユイレーシングスクールにご一報下さい。


第110回 YRSとその仲間たち


レースが終わって破顔一笑

2000年2月12日。埼玉県にある桶川スポーツランド。前年の12月に日本で活動を開始したユイレーシングスクールは3回目のYRSドライビングワークショップを開催した。定員いっぱいの16名の中に大森さんはいた。


寒い寒い桶川ドライビングワークショップだった(左からふたり目が大森さん)

14年と半分が経った7月26日。富士スピードウエイで開催したYRSオーバルレース。前を走るクルマの隙をアウトからインから狙う大森さんの姿があった。


14年半前と同じテンロクロードスターのオドメーターは141,078キロ

実は、リピーターが多いユイレーシングスクールの参加者の中で最も参加した回数が多いのが大森さん。その数171回。ユイレーシングスクールが開催した全てのプログラムに参加してくれた。ダートコースのスクールにもスキッドスクールにも、いつもニコニコしながら目だけは真剣な大森さんがいた。


愛機とともに大森さん

YRSエンデューロでは自分のクルマを提供して参加者を募集。耐久レースの楽しさをみんなに伝えてくれもした。
参加者がわからないことを聞くと親身になって自分の経験を話してくれる。新しいカリキュラムを始めればいの一番に参加してくれる。

大森さんは「僕は走るのが好きだから」と謙遜するけれど、大森さんのクルマに対する姿勢に感化された人は少なくない。


「エッ、ステッカーも撮るの?はずかしいな」 イエイエ立派な勲章です
14年モノのYRSステッカーも時の流れを物語る

下の動画は2003年2月12日に開催したYRSスプリント。前を走るのが大森さん。

ふだんはクルマに乗らない大森さん。クルマを引っ張り出すのはもっぱらYRSに来る時だけとか。それでもクルマさんは幸せに違いない。
2000年以降、サーキットでも公道でも大森さんが事故を起こしたことはないし、メカニカルトラブルはあったようだけどしっかり手当てして今でも全開で走れるコンディションにあるし、クルマの使い方のお手本のひとつになる。


ほとんどの仲間が10年来の知り合いだから話は尽きない

クルマを楽しむ方法はいろいろあるし、クルマに対する価値観も多様ではあるだろうけど、ユイレーシングスクールでは「とにかく長く長く楽しんで下さい。歳をとれば若い頃に見えなかったものが見えてきます」とお願いしている。
その意味でも、大森さんはユイレーシングスクールの優秀卒業生。

※YRSとその仲間たち不定期に連載します


第109回 SCCA Club Racing


リバーサイドレースウエイのターン7は面白かった

というわけで、FIAルールとその延長であるASNに縛られないアメリカのレースは実にバラエティに富む。その上スポーツ好きな国民性がなせるのか、頂点のレースから底辺のレースまでレースの仕組みがよく考えられている。要するに、トップカテゴリーはこれでもか、これでもかと見せることに最大限の努力が払われ、グラスルーツモータースポーツはどうすれば参加者が楽しめるかを最優先にレース規則や車両規則が工夫されている。
ストックカーレースやドラッグレースやダートトラックレース等、日本ではなじみのないアメリカのモータースポーツだが知れば知るほど面白い。スポーツとして確立しているのがすばらしい。けど、面白さを語りだすとそれだけで今年のブログを独占してししまいそうなので(笑)、SCCA Club Racingに限って(も長くなりそうだけれど)話を進めるのでお付き合いいただきたい。


ウイロースプリングスレースウエイ

CSCCリージョンには今はなきリバーサイド(西海岸のモータースポーツの聖地でF1が開催されたこともある)を初め、縦のブラインドコーナーがあるウイロースプリングスやドラッグストリップとそのリターンロードを使ったカールスバッド、大回りするとラップタイムが落ちるぐらい広い飛行場の跡地を利用したホルタビルがあった。
ランオフに招待されるには南太平洋デビジョンシリーズで上位にランクされる必要があったから、年間3レースまで参加が許されるよそのリージョンのナショナルレースにも参加した。今はネーミングライツで呼ばれているサンフランシスコリージョンのシアーズポイントやコークスクリューで有名なラグナセカ。アリゾナリージョンに属しNASCARストックカーレースが行なわれる1周1マイルのトライオーバルとインフィールドを組み合わせたフェニックスや、砂漠の真ん中で砂だらけのラスベガスにも行った。ランオフではロードアトランタも走ったから、いろいろなコースを体験した。


シアーズポイントレースウエイ

どこも特徴のあるコースで走るのが楽しかった。なにしろコーナーのアウト側に沿ってガードレールがあったり、コースを外れると30センチ近い段差があったり、5速全開からターンインするコーナーがあったり、5速全開のダブルS字コーナーがあったり、とにかくドライバーに「できるならやってみな!」というコースばかり。これは日本にいては経験できない。


ウイロースプリングスレースウエイのプリグリッド

あるレースのドライバーズミーティングで、その日デビューするドライバーが「コースとエスケープゾーンの段差が危険だ」と訴えた。するとチーフスチュワードが「危なくないように走ればすむことだ。そもそもモータースポーツ自体が危険をはらんでいるのだから、自分で判断すればすむことだ」と返した。こういうのが好きだ。


GT5クラスのミニ


GT4クラスのセントラ(サニー)

昔、トヨタと日産がしのぎをけずっていたTS1300レース(特殊ツーリングカーレース)のつばぜり合いを見て、自分もあの中に混ざりたいと思っていたから迷わずにGTカテゴリーを選んだのだが、SCCAのメンバーになってみると他にも面白そうなカテゴリーがたくさんあった。
ショールームストックという文字通りディーラーのショールームにおいてあるクルマで参加するカテゴリーがある。サーキットを走るからと言ってブレーキパッドを交換してもいけない。しかし安全のために6点式ロールケージと運転席のサイドウインドにつけるセーフティネットと6点式のシートベルトに消火器の装着が義務付け。ボクも参加したことがあるが、ノーマルのサスペンションとブレーキパッドで5速全開のコーナーを抜ける。ボクが走っていた頃はシートの交換さえできなかったのに、だ。あれは楽しかった。なにしろ頼れるのは自分の判断だけ。行くか行かないかも自分で決める。こういうのが好きだ。
サイドバー付きのロールケージだから乗り降りが大変といえば大変だが、それさえ我慢すれば日常の足に使えるし1台のクルマの価値が大いに上がる。


ミアータ(ロードスター)が増殖して始まったSM(スペックミアータ)クラス

そのショールームストック。当事は販売年から5年しかレースに出ることができなかった。古いクルマを追い出そうというのではなく代替を促すための措置だ。
SCCAのレースに賞金はなく、ドライバーが手にすることのできるごほうびはクルマやタイヤ、プラグやオイルメーカーが用意しているコンティンジェンシーマネーだけ。そのメーカーの商品を使い指定のデカールを貼り入賞すれば、公式結果のコピーを送ると小切手が送られてくる。トヨタや日産も1位300ドルなんて額だったから、勝てばタイヤ代ぐらいになった。メーカーとしても自社製品が入賞しなければ懐が痛まないわけで(その代わりプライドが痛いかな?)、まさにウィンウィンシチュエーション。
そんなこともあり、ショールームストックは現行販売車である必要があった。

ショールームストックとGTカテゴリーの間にITカテゴリーがあった。インプルーブドツーリングと呼ぶこのカテゴリーはエンジンにこそ手を入れてはいけないが、サスペンションの交換や改造、そして何よりマフラーを改造することができた。タイヤノイズしか聞こえないショールームストックのレースを見て、「音がうるさいほうがいいな」と思った人や「やっぱり足は硬いほうがいいね」という人が主に参加していた。
安全規定を満たしていながら認定期間の過ぎたショールームストックを購入すれば、サスペンションにお金をかけるだけでITカテゴリーの車両になる。期限切れのショールームストックを手放したら新しいショールームストックを手にすればいいから、ガレージが1台分しかない人は助かるし、レースに使ったクルマのライフも伸びるし、レースを続ける人の数も増える。これまたウィンウィン。こういうのが好きだ。


ITクラスのシビックとCRX

KP61で参加していたGTカテゴリーの改造範囲は日本のTSの比ではない。どちらかと言うと昔のFIAグループ5に近くチューブフレームが許されているしオリジナルの形式であればサスペンションの改造も無制限。だから運転席がBピラーより後ろというオバケも走る。
実際、83年のランオフでは自分より上位の5台と後ろの2台はチューブフレームカーだった。最低地上高が『タイヤが2本パンクした時に車体のどこも地面に接しないこと』と決められているだけだから、みんな地べたに張り付いているようにコーナリングしていた。金銭的な理由でチューブフレームカーを手にすることはできなかったが、そういうのが好きだ。

上の3つがいわゆる『箱』をベースとしたカテゴリーだが、それぞれがパフォーマンスポテンシャルでクラス分けされているから、それだけで12のクラスがあった。


1万ドルで買えるレーシングカーとして始まったスペックレーサー。ルノーのエンジンを積んでいた。

その他にツーシーターがベースになるプロダクションカテゴリーが7クラス。2座席スポーツレーシングが4クラス。フォーミュラカーが4クラスあったから、どのレースに出るか迷うほど参加者側に選択権がある。


手前がフォーミュラアトランティックで向こうがCスポーツレーシング

プロダクションカテゴリーの一番下のGPクラスには1960年製のヒーレースプライトなんかが走っていた。どうしてもこのクルマで参加したいと思ったらSCCAに認定してもらうようにユーザーが働きかければいい。FIA-ASNルールのように自動車メーカーがホモロゲーションを申請した車両でなければレースに出られないことはない。意思と情熱さえあれば個人がレース主催者を動かせる。こういうのが好きだ。


GPのヒーレースプライトがヘアピンを立ち上がる

EPのミアータ(ロードスター)


EPのMGB

SCCAの逸話はまだまだ終わらないが、長くなるので最後にひとつ。
オーバルレースは初めて開催された1896年からローリングスタートを採用しているが、FIA-ASN傘下のロードレースはスタンディングスタートが一般的。しかしSCCAのクラブレースはローリングスタートだ。
ある日その理由を聞くと、「スタンディングスタートでは誰かがエンストする可能性がある。安全に配慮すると同時に駆動系に負担をかけないためにローリングスタートを採用している」と言う。つまり、スタートの良し悪しが結果につながらないように、そして高価な強化クラッチをおごってスタートで出し抜こうとする人とノーマルのクラッチでレースを続けている人とで差がつかないようにするためだ。こういうのが好きだ。


ウイロースプリングスのSCCAナショナルでトップを走った


CSCCのニュースレターはずいぶん褒めてくれたものだ

話は飛ぶが、だから、ユイレーシングスクールで卒業生を対象にスクールレースを始めた時、スプリントレースには迷わずローリングスタートを採用した。(耐久レースはドライバー自身がクルマに駆け寄るオリジナルのルマン式スタートにした)

そのスクールレース。筑波サーキットのコース1000とか富士スピードウエイのショートコースで開催した。なぜそうしたかと言うと、参加者の金銭的負担を減らす目的もあったが、なにより短いコースで周回数が多ければそれだけドライビングミスの可能性が高くなるからだ。ドライバーがクルマに頼らずに自分との戦いに負けないコツを学ぶことができる。

そのスクールレース。参加資格はユイレーシングスクールを受講することだけ。ライセンスもいらなければ組織の会員になる必要もない、日本のASNであるJAFに公認されたレースではない。だから、どうしても開催したかった。なにしろ、90年代終わり頃まで日本のASNは非公認レースの開催を認めてなかったのだから。

自動車産業の発展とクルマ社会の成熟がモータースポーツと密接に関係していることは歴史が証明している。日本のクルマ文化を芳醇なものにするためにはその当事者たる『モータースポーツを経験したことのある人』の数を増やすことだ。その分母が大きければ大きいほどクルマがクルマとして使われる環境が整う。

それが可能かどうかは問題ではない。ユイレーシングスクールはその一翼を担いたい、そう思っている。

※ SCCAランオフに参加した時の私的小説

アメリカから届いた雑誌

1982年12月。KP61でGT5のレースを始めた。そのKP61はふたりのオーナーの手を経てGreg Hotzの手に渡ったのが2004年。GregはフェイスブックにKP61のことを書いたのを見つけ、KP61が紹介されたアメリカの雑誌、グラスルーツモータースポーツを送ってくれた。今は2014年。GregはまだそのKP61でレースを続けている。あれから32年。ホモロゲーションが切れるとレースに参加できないFIA-ASNのレースでは考えられないライフスパンだ。

SCCA Club Racing 終わり