第129回 クルマだからできること 5
扱い方さえしっていればどんなクルマでもニュートラルステアで走らせることができる
1979年9月。2200台のクルマをお腹いっぱいに詰め込んだ輸出専用船に乗り込み千葉港を出帆。10日目にはバンクーバーで半数のクルマがおろされ、12日目にはポートランド港で続々と埠頭に向かって走るクルマを横目に下船。初めて海路アメリカに渡った。
まだ秋口だというのにアリューシャン列島付近では大時化。船内の傾斜計が30度を示す中、船長はカウンターステアを切って平衡を保つのだと教えてくれた。
双子の息子が4歳になってレースを再開した。大人6人が快適に寝ることができる15mのモーターホームでレーシングカーを載せたトレーラーを引き、800キロ離れたレース場を往復した。モーターホームがなければレース再開の許しは出なかった。
アメリカに拠点を移してから飛行機で199回太平洋を渡った。一度だけ、成田を飛び立って1時間ぐらいして機材の故障で引き返したことがあったが、それ以外は快適な空の旅だった。そして400人の命を乗せて飛行機を操縦するパイロットに、いつも畏敬の念を抱いたものだ。
船、クルマ、飛行機。交通機関の発達は我々人間の生活を、空間的に時間的に精神的に拡大してくれた。ことにクルマはふつうの人々の日々の生活を発展させてくれた立役者ではある。
しかし、人が移動に使う船にしても飛行機にしても、それを操る人はふつうの人ではない。厳しい国家試験に合格した人だけが、人を乗せて移動することを許される。
ところがクルマだけは、動かしたいと思った人はそれほど困難をともなわずに免許証を手にすることができる。人間や物を載せて、人間がとうてい及ばない速さで移動する点では同じなのにだ。
我々は職業運転手ではないと言えばそれまでだが、自分ひとりであっても人を乗せて移動する交通機関を操るという意味に違いはない、というのがユイレーシングスクールの考えだ。
だから、スクールやスクールレースの時におりに触れてこう言うことにしている。
『クルマを運転している時、みなさんは交通体系の中でクルマの性能を損なわない範囲でなら自由を謳歌することができます。しかしその時、みなさんの後ろには誰もいないんです。全ての責任を負わなければなりません。そのことを忘れないようにして下さい。一方でクルマを運転するということは、自分で脚本を書き、自分で演出し、自分で主役を張り、自分が観客になり、自分で自分を称えることができる、社会生活の中でも稀な機会です。大人が一生懸命になる価値があります。粋にクルマを動かすためにも、今一度、これからどのようにクルマと付き合っていくのか、改めて考えてみてはいかがですか』。
「クルマだからできること」 終わり