トム ヨシダブログ

第556回 高安診のその後

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一般社団法人高齢者安全運転診断センター
高齢者安全運転診断サービス
その 概要はこちら
 
※高安診の回し者ではありません為念
※画像は高安診から拝借

 

過去にブラッシュアップ講習(392回393回394回395回に掲載)と、Objet講習(507回508回509回に掲載:リンクは全て新しいウインドウに)とふたつの安全運転講習を受講した。どちらも定められた道順をふだんと同じように運転した結果の評価だったけれど、今回受けた高齢者安全運転診断サービスは日常の運転を録画して、それを元に診断が下されるのでより実際の運転の癖なり習慣なり性格が浮き彫りになるかなと。 自分の運転が心配な人なら何歳でも受けられるそうだ。不安がなくても運転に自信満々であっても、自分の運転を他人が見るとどう評価するか受けてみる価値はあると思う。

閑話休題。世の中、『高齢者の運転は危ないよ』のイメージ作りが盛んだけど、それは当を得ているようで得ていない。高齢者になれば、確かに身体的に衰えるだろうし注意力が散漫になるかも知れないし、いっそう我が儘にもなる。けれど、だから運転も危なくなるのだ、と断じるのはいささか乱暴だ。

ボクは、 危ない運転をする高齢者は、歳をとったから運転がおぼつかなくなって危ない運転をするようになったのではなく、元々その人には危ない運転をする素地があったけれど歳をとるまでそれが結果として表れなかっただけ にすぎないと思っている。
運転というものは人間の習性に大きく左右されるものだと思っている。こと安全に関して、若い頃は自分の横着な運転や自分本位の運転を許していた人や運転をなめていた人とそうでない人の差が表れにくかったかも知れないけど、その差が何10年も積み重なれば潜在的に運転の危ない人とそうでない人の運転力の開きは限りなく大きくなる。高齢になって事故を起こす人はがいして、若い頃から運転を軽んじきたのではないかと思っている。持論だけど。

クルマの進化はおせっかい技術の裏返しと言ったら言い過ぎかも知れないけど、クルマが手軽に、楽に運転できるようになったからと言って、クルマは気軽に運転したり何げなく運転したり、行き当たりばったりで運転してもかまわない種類の道具ではないと主張したい。
朝起きてお茶を飲むために電気ポットのスイッチを入れたり洗濯するのに洗濯機の設定をしたり、帰宅して冷たいビールを飲むために冷蔵庫を開けたり。そんな家電製品を扱うのと同じ日常的感覚でクルマを動かしているならば、それは結果的、将来的な危うさを育てていることにつながるはずだ。

高齢者の仲間に入りつつある身としては、これからも高齢者の運転が本当に危ないのかというテーマに注目していきたいと思う。同時に、もっとたくさんの高齢者(昨年の最高齢受講者が78歳)にユイレーシングスクールを受講してほしいと思うし、来週のYRSオーバルスクールには22歳の娘さんと一緒に受講する常連組がいるように、老若男女、たくさんの人に運転の何たるかを探るためにユイレーシングスクールを活用してもらると嬉しいのだが。

・2月20日(土)開催 YRSオーバルスクールFSW開催案内へのリンク
・2月21日(日)開催 YRSオーバルスクールFSWロンガー開催案内へのリンク



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