第457回 神谷さん ありがとうございました
2020年2月24日。この日はボクにとって、一生忘れることのできない、とてもとても大切な一日だった。
昨年末亡くなった公私ともにお世話になった神谷誠二郎さんを送る会が「Thanks神谷」と題して鈴鹿サーキットで執り行なわれた。
なんの恩返しもできないままお別れをしなければならずつらい一日だった。クルマを作ることと同じくらい運転が好きだった神谷さん。ドライビングスクールへの理解も深くあれこれ応援してくれていた。今となっては、少しでも長くユイレーシングスクールを続けることがせめてもの恩返しになるのではないかと覚悟を新たにした一日でもあった。
祭壇には無数の深紅のバラが
レース関係者
レーシングドライバー
レーシングチーム
全国から駆けつけた350余人が
同じ深紅のバラを一本ずつ献花したから
それはそれはあでやかな会だった
当日会場にはたくさんの写真が飾られていたけど
その中で最も神谷さんらしいのがこれ
神谷さんの周りにはいつも笑い声が絶えなかった
神谷さんはいつも笑顔
怖い時はとんでもなく怖いけど
いつもは明るい笑顔笑顔
レーシングカーは作るは
エンジンはオーバーホールするは
クルマに乗せても速いし
レース界のスーパーマンだったしボクのあこがれだった
とにかく
神谷さんが動いていないところを見たことがない
手と口が同時に動いているのは当たり前
休む時があるのだろうかと心配したこと数えきれず
鈴鹿に泊まることになった日
「元を呼んで飲もう」と神谷さん
高桑 元さんが合流してしこたま
楽しい楽しい夜でした
高桑さんはツインリンクもてぎ北米代表をしていた時の直接の上司
2016年7月3日に開催されたリジェンドミーティングで挨拶する神谷さん
神谷さんの尽力で各地に眠っていたFL500が眠りから覚めつつある
60年代後半からアマチュアレースの雄としての存在は大きかった
2016年のリジェンドミーティングに集結したFL500マシンとFJ1600マシン
リジェンドミーティングの参加者たち
レーシングカー好きの輪の中心にはいつも神谷さん
何かあればみんなが神谷さんを頼る
何でも解決してしまう手とパワーには圧倒されたものだ
本格的なインボードサスペンションが見える
神谷さんのこだわり
神谷さんの頭脳から送り出されたレーシングカーは累計1,300台を超える。中でも2019年に誕生したVITAは既に生産200台以上になり、日本はもちろんフィリピン、中国でもワンメイクレースが開催され世界でも有数の量産レーシングカーになっている。
VITA10年の歩み
VITAの魅力
一度鈴鹿サーキットで乗せてもらった時
人間の操作に寸分の違いもなく反応するVITAに惚れて
神谷さんにYRSの卒業生にも乗せてほしいとお願いして
FSWの駐車場でVITAオーバルスクールも開催した
鈴鹿の工場から2台のVITAを持ってきてくれ
YRSオーバルスクールの合間に運転手に対する許容度の低い
純レーシングカーを
YRSオーバルスクール卒業生に味わってもらうことができた
神谷さん自らコクピットドリルやベルトの装着
とにかくじっとしていることのない神谷さん
ボクの目標とする人間像だった
メッカが所有するVITAを借りて
YRSドライビングスクール筑波の合間に
体験試乗を開催したこともある
神谷さんはレーシングカーを作るだけではなかった
「クルマをつくるだけじゃなく運転の楽しさも味わってほしい」と
ウエストレーシング社員全員で
YRSオーバルスクールFSWを受講してくれたこともあった
「Thanks神谷」に展示された1台
世界にたった1台しかなかったWEST82FF
日本のFJ1600レース用のWST82Jを
フォーミュラフォード様に改造してアメリカに送ってくれた
現在はFJ1600仕様に戻され
鈴鹿サーキットでクラシックレースに参加している
世界に1台だけ存在したWESTレーシングカーズ製フォーミュラフォードの証
2016年にFJ1600仕様にコンバートされた際
神谷さんが
「懐かしいだろ。乗ってみなよ」と電話をくれた
2016年7月のFL500倶楽部走行会で走らせてもらった
「Thanks神谷」に展示された1台
1986年FJ1600チャンピオンマシン
WEST86J
「Thanks神谷」に展示された1台
スーパーFJマシン
19J
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