トム ヨシダブログ


第192回 レースで腕を磨く

ユイレーシングスクールは卒業生を対象にレースを開催している。レースと言ってもライセンスも要らないし、ふだん乗っているクルマで参加できるし、観客もいないから、日本で一般に認識されている自動車レースとは少しばかり趣きが違うかも知れない。

しかし、『クルマを道具として用い、速さを勝敗の要因とする競技』という自動車レースの定義からすれば、れっきとしたレースだ。しかも知っている人は知っているけど、YRSスクールレースの常連はレベルが高くしぶとい。

なので、手軽に参加できる割に敷居が高いのだろうか、新規の参加者がなかなか増えない。そこで、6月と7月にレースデビューキャンペーンをやることにして、初めてYRSオーバルレースに参加する人には参加費大幅割引の特典を用意した。

で、6月のレースには4名のYRS卒業生がレースデビューを果たした。ユイレーシングスクールはレースに出ることもドライビングテクニックの向上に役立ちます、といつも言っているけれど、実際に初めてレースに参加した当人がどう思っているか、感想文を読んでもらったほうが手っ取り早い。今回は2名の方が送ってくれた。

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YRSオーバルレースはローリングスタート

・Mさん 51歳 VWポロ
今回、YRSオーバルレースを大変楽しませて頂きました。オーバルレースと言えばインディ500とかありますが、今まで全く興味なかったんですよ。それよりルマンとかニュル耐久レースの方が本物のレースと思っていました。がしかし、目から鱗でした。やはり食べず嫌いではダメですね。以下、私の感想です。
‐ まず、今回初めて参加の人達に、参加費用含めてハードルを下げて頂いたので気軽に参加できました。他の初めて参加者の方たちも同様のコメントされてました。従いまして、間口を広げるために継続されてはいかがでしょうか。
‐ いつも前後左右に車がいるため、常に360度注意を払いながらドライブをするよいレッスンになりました。
‐ 他の車がいつも近くにいるので相手との駆け引きみたいな状況が生まれて、考えてドライブする癖をつけるよいレッスンだと思いました。
‐ 相手が差し迫るとミスしがちですが、レースでもメンタルを冷静にする必要がありますね。勉強になります。
‐ サーキットの走行枠で走るのと違い、相手がいるので時にドライブのセオリーを無視した状況下に陥ることもままありましたが(コーナーで鼻先を先に入れたいがために突っ込み過ぎるとか)それも含めてレースなのかなと面白かったです。
‐ 車の性能差を気にせずレースが出来る安心感がありました。
‐ アイドルタイムが少なく多くのセットを周回出来るので、費用対効果大と感じました。(普通の走行会やレースだと20-30分2本とかで費用も高い)
‐ やはりFMラジオを通じてリアルタイムにアドバイスを頂けるのがためになります。(後でこうでしたよと言われても、もう忘れている場合がほとんど)
‐ みなさん、レースとはいえマナーが大変良いと感じました。私が参加する走行会では赤旗や、強引なせめぎあいなど気分を悪くするケースが多いのですが、それが無さそうですね。サーキットでのレースになれば変わってしまうのかもしれませんが。
‐ 都合が合えば、また参加したいと思います。
‐ オーバルのみならず、FSWのショートコースや筑波1000あたりでも開催して頂ければいつか参加したいです。


・Oさん 50歳 NDロードスター
先日のオーバルレースではお世話になりました。
1日中、自分的にはかなりの距離を走ることができ、昔に比べてクルマを制御するレベルは格段に上がったのではと認識しています。やはり、たくさん走れるのがユイレーシングスクールおよびレースの良い点かと思います。同じ動作の繰り返しで単調な部分はありますが、自身のスキルが低いこともあり、毎周違う状況が出てくるのでそれを克服し再現性を高める意識が出てくること、1周毎に失敗・トライと修正・改善を短時間のうちに繰り返しできること、クルマの限界部分の思わぬ挙動を余裕をもって対処しスキルが習得できること、がオーバルのメリットかと考えます。
一方で、こちらから取りにいかなければいけない部分かもしれませんが、自分が客観的に見てどのくらいのポジション・スキルにいるのかが可視化できればいいなとも思いました。参加しているクルマは同じ車種でも中身はそれぞれで、どのくらいが自分のベンチマーク・ターゲットなのかが容易に意識できるといいなとも感じました。
それから個人的な悩みですが、このままノーマルで走り続けるのがいいのか、少しはクルマに手を入れたほうがいのかよくわからないところです。自分の運転スキルを上げていくことが目的なので、経済的にあまり余裕が無い中、いじることより走ることにお金をかけた方がいいと思っていること、クルマをいじると自分のレベルアップなのかクルマのレベルアップなのかわからなくなること、からしばらくはノーマルのままで走っていこうと考えていますが、それでいいのかどうか正直よくわからないところです。
7月のレースもできれば参加したいと考えておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

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性能差が表れにくいコースレイアウト

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動力性能が勝っていても抜けない

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自分がミスをせずに

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相手がミスをした時しか抜けない

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ノーマルの足でも

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SUVでも参加できる


7月のYRSオーバルレースもキャンペーン中です。YRSオーバルスクールを受講したことのある方はぜひ遊びに来て下さい。


第164回 青春の音色

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1960年代後半から80年代初頭までFL500というレースカテゴリーがあった。ミニF1とまで呼ばれたそれは日本独特のもので、当時の水準からすると高度に洗練されたシャーシにチューニングされた軽自動車のエンジンを搭載していた。
FL500のFはフォーミュラカーのFで、文字通りタイヤむき出しの葉巻型レーシングカー。Lはリブレでスペイン語。意味は『自由』。何にも縛られないところから由来する。だから、世界ではもちろん、日本でもモータースポーツ権能が定めた車両規則からも逸脱する成り立ちだったけど、それだからどこをつついても魅力だらけのクルマだった。

そして、FL500が自動車メーカーの主導ではなく、大きな志を持った個人個人が作り上げたカテゴリーだったことに非常に大きな意義がある。

ある人は将来F1を作りたくてその道に入った。ある人はスポーツカーメーカーになることを夢見ていた。夢に向かって真っ直ぐだった。誰もが、誰かに頼まれてやったわけではない。お手本があったわけではない。誰もが、自分がやりたいことをやろうとしていた。壁が立ち塞がろうと、自分を信じ覚悟を決めて乗り越えてきた。そんな人達が創り上げた作品がFL500レース。

ある人はF1ドライバーになるための一歩としてFL500レースに参加した。日本人初のフルタイムF1パイロットの中嶋 悟さんもFL500が羽ばたくきっかけになった。今でも数多くのFL500卒業生が日本のモータースポーツシーンで活躍している。

その昔。日本のクルマ社会の片隅の片隅にではあるけれど、クルマが好きで運転が好きな人が織りなす、決してゆるぐことのない強い、強いうねりがあった。

30年の時が過ぎ、今またその潮流が起きる予感がする。それを確かめに、10月18日、とんでもない秋晴れの下で行なわれた第3回鈴鹿レーシングリジェンドミーティングにおじゃました。
そこには昔FL500を作った人、昔FL500を走らせた人、そして、今もFL500のとりこになって青春を謳歌している人たちがいた。

腹に響く野太いホンダ空冷2気筒エンジンのエキゾーストノート。甲高く耳に残るのはスズキ水冷3気筒のエキゾーストノート。懐かしい音色を聞きながら撮影した写真をまとめたのが冒頭の動画です。


第130回 Kさん レースデ ビュー


RSはサーキットが似合う

ルノー・ジャポンのブログでユイレーシングスクールのことを知ったKさん。昨年3月に愛車ルーテシアRSとともにYRSオーバルスクールに参加してくれた。
その後、YRSドライビングワークアウトやYRSトライオーバルスクールなど昨年中に4回、今年に入ってYRSオーバルスクールにも参加してくれた。

Kさんがサーキット走行を楽しまれていることは知っていたから、ことあるごとに「YRSのスクールレースに出ると運転の幅が広がるしスクール以上の効果がありまっせ」とささやき続けたのが功を奏したのだろう、2月のYRSスプリントレースに参加してくれた。

レースと言っても、ドライビングスクールの一環として行なっている卒業生を対象としたスクールのようなもの。一度でもYRSのドライビングスクールを受ければ参加する資格はあるし、クルマにも特別な準備をする必要はない。とにかく、とかく敷居の高い日本のモータースポーツ界にあって、少しでも多くの人にヨーイドンの醍醐味を味わってもらいたいと思って始めたのがYRSスプリントレースとYRSエンデューロレース。
だから、レースでの走り方も教えるしレーシングマナーも教える。サーキットを走ったことがあって、YRS流のクルマを意のままにコントロールする方法を知ってもらった人は誰でも参加できる。

と言っても、レース内容もそれなりかというとそうではない。続けて参加している人のレベルはかなりのもので、彼らが公式なレースに出ようと決心さえすれば上位に食い込むのも難しくはない。
実際、Kさんが今回参加してくれたYRSスプリントレースを卒業してライセンスを必要とするレースに参加し、優勝したりシリーズチャンピオンになった人が何人もいる。

さて、サーキットを走ることには慣れていたKさん。初めてのヨーイドンでどんな振る舞いをするか興味深く見させてもらった。
結果は上出来。結果は別としてしっかりとレースをしていた。

8月に行なうYRSスプリントレースにも参加してくれるそうだし、その前にYRSオーバルスクールにも来てくれるそうだから、その時にでもあと1、2台を食う方法をアドバイスしようと思っている。

後日初めてのYRSスプリントの感想を求めたら、 Kさん自身のブログ にまとめましたと返信があったのを付け加えておこう。


ローリングスタートからヨーイドン
気持ちのいい瞬間


コーナリングスピードに勝るツーシーターを追いかける
気分が透明になったかな?


追って追われて
だけど2台とも突っ込みすぎ!


レース中何を考えているのか?
いや、何も考えてはいないはず


勝とうと思ってレースを走って、レースに勝った人はいない


最初にやるべきことは自分がミスなく走り続けることだ


レース中のラップタイムを見ながら
「フムフム、悪くないんじゃない」

photo:YRS + Rumi Masuda


第129回 クルマだからできること 5


扱い方さえしっていればどんなクルマでもニュートラルステアで走らせることができる

1979年9月。2200台のクルマをお腹いっぱいに詰め込んだ輸出専用船に乗り込み千葉港を出帆。10日目にはバンクーバーで半数のクルマがおろされ、12日目にはポートランド港で続々と埠頭に向かって走るクルマを横目に下船。初めて海路アメリカに渡った。
まだ秋口だというのにアリューシャン列島付近では大時化。船内の傾斜計が30度を示す中、船長はカウンターステアを切って平衡を保つのだと教えてくれた。

双子の息子が4歳になってレースを再開した。大人6人が快適に寝ることができる15mのモーターホームでレーシングカーを載せたトレーラーを引き、800キロ離れたレース場を往復した。モーターホームがなければレース再開の許しは出なかった。

アメリカに拠点を移してから飛行機で199回太平洋を渡った。一度だけ、成田を飛び立って1時間ぐらいして機材の故障で引き返したことがあったが、それ以外は快適な空の旅だった。そして400人の命を乗せて飛行機を操縦するパイロットに、いつも畏敬の念を抱いたものだ。

船、クルマ、飛行機。交通機関の発達は我々人間の生活を、空間的に時間的に精神的に拡大してくれた。ことにクルマはふつうの人々の日々の生活を発展させてくれた立役者ではある。

しかし、人が移動に使う船にしても飛行機にしても、それを操る人はふつうの人ではない。厳しい国家試験に合格した人だけが、人を乗せて移動することを許される。
ところがクルマだけは、動かしたいと思った人はそれほど困難をともなわずに免許証を手にすることができる。人間や物を載せて、人間がとうてい及ばない速さで移動する点では同じなのにだ。

我々は職業運転手ではないと言えばそれまでだが、自分ひとりであっても人を乗せて移動する交通機関を操るという意味に違いはない、というのがユイレーシングスクールの考えだ。

だから、スクールやスクールレースの時におりに触れてこう言うことにしている。

『クルマを運転している時、みなさんは交通体系の中でクルマの性能を損なわない範囲でなら自由を謳歌することができます。しかしその時、みなさんの後ろには誰もいないんです。全ての責任を負わなければなりません。そのことを忘れないようにして下さい。一方でクルマを運転するということは、自分で脚本を書き、自分で演出し、自分で主役を張り、自分が観客になり、自分で自分を称えることができる、社会生活の中でも稀な機会です。大人が一生懸命になる価値があります。粋にクルマを動かすためにも、今一度、これからどのようにクルマと付き合っていくのか、改めて考えてみてはいかがですか』。


クルマは操り方によってはアンダーステアになり


操り方によってはオーバーステアになる

「クルマだからできること」 終わり


第128回 クルマだからできること 4

手元にある資料の最も古い数字を探すと、半世紀前の1966年の自家用自動車の登録台数は271万台とある。この年、日本の人口が9,903万人で、2輪と4輪を合わせた運転免許の保有者数が2,286万人。免許が取得できる16歳以上の人口に対する保有者数の割合が31.5%と記されている。
最も新しい数字は2013年で、自家用自動車の登録台数が5,991万台。50年前に比べて22倍以上に膨れ上がっている。人口も12,730万人28.5%増加したけれど、運転免許保有者も3.6倍の8,186万人に増えた。
50年前。10人に3人しか運転免許を持っていなかったのに、今や10人中7.5人がクルマを運転する時代になった。
1965年に高校1年で軽自動車免許を手に入れてから50年。クルマの発達とクルマ社会の拡大を目の当たりにしてきた者として隔世の感がある。

昔はクルマを運転することが多少なりとも特殊なことだったのだが、今ではクルマがそこにあることは当たり前で、運転すること自体ごくふつうのことになった。クルマが空気や水のような存在になったと言うと大げさに聞こえるかも知れないが、クルマがそれだけ我々の生活に浸透していることは疑いない。

同時にそれは、人のクルマへの接し方にも変化をもたらした。所有欲を満たすクルマ。移動の利便性を優先させたクルマ。自己表現の対象としてのクルマ。等など。クルマから派生する価値観の多様化は止まるところを知らない。

しかしその反面、クルマを動かすのは人間であるはずなのに、クルマという道具を使うことに没頭する人の数は昔と変わらないような気がする。免許人口が増加しクルマが増え続けてきたのに、モータースポーツにいそしむ人の数もサーキット走行を楽しむ人の数も、こと日本においてはその増加に見合っただけ増えているとは思えない。

クルマが空気や水のような存在になってしまったからなのだろうか。日本の環境の問題なのか。クルマが生活の一部になったから、もはや運転は目的にはなり得ず手段でしかない、ということなのだろうか。何かもったいないような気がする。クルマが道具である限り、思いっきり使ってみなければその本当の価値はわからないと思うのだが。

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このブログを見てYRSドライビングスクールに参加してくれたKさん。YRSオーバルスクールに始ってYRSドライビングワークショップ、YRSトライオーバルスクールと基本カリキュラムの全てとYRSタイムトライアルに参加してくれた。そのKさんが2月7日に開催するユイレーシングスクールのスクールレースに申し込んでくれた。ルーテシアRSをどう扱うのかじっくり見させてもらうことにしよう。


予選タイムの逆順に並んでワクワクのローリングラップ


スタート 反応の早い人も遅い人も我先に


レースはいつも混戦


次のヒートは前のヒートの着順でローリングラップ


ここにいたる駆け引きと透明な時間こそレースの醍醐味


1コーナーに並んで進入

3コーナーでも並んだまま

写真は2008年10月に富士スピードウエイショートコースで開催したYRSスプリントロードスタークラス。ふだんの足に使っているクルマで、そのへんにいるおじさんとお兄さんとお姉さんの走りです。

「クルマだからできること最終回」に続く


第126回 クルマだからできること 3

アメリカに拠点を構えていた時、一度4Gの加速度が味わえるというドラッグスターに乗りたくなった。しかし周囲にいるレース関係者も出入りしている会社もみなロードレースが専門でドラッグレースの門外漢。そこでドラッグスター専門のドライビングスクールの門を叩くことにした。そのスクールでは専用に作られたスーパーコンプ、いわゆるレールと呼ばれる長いフレームを持つドラッグスターに乗ることができた。
ことの顛末は別の機会にゆずるとして、初日の教室で、ドラッグレースのファニーカークラスで世界チャンピオンになったことがある講師が最初に言った言葉が強く強く印象に残っているので紹介したい。

彼は、ドラッグスターを操ることは芸術だと言った。

彼は神妙な面持ちで座る受講生を前に、『ピアノを弾きながらハーモニカを吹くようなもので一度にいくつものことを正確に行なわなければならない。簡単なことではないが、それを目指してこれから練習する。ドラッグスターに乗ることはそういうものだ』と言った。

物心ついてからレーシングカーを操るプロの走りをみて、行きつくところまで行くとクルマの運転はそういうものなんだろうなと薄々感じていたから新鮮さはなかったが、改めて他人から言われると激しくうなずくしかなかったし、目指すところが鮮明になったのを記憶している。
彼は、何はともあれ全てをまとめ上げることが何よりも優先されるのだから、どれかひとつだけに集中すると他がおろそかになる。そうならないような意識を持って焦らないように、と続けた。危険と隣り合わせのドラッグレースに必要な心構えを説いたのだ。

YRSスクールレースを始めてしばらくは、突っ込みすぎて失速したり、不用意な操作でライバルのラインを踏んでしまったり、勝ちたいという気持ちが、いつもはできていることができなかった卒業生も少なくなかった。そんな時、直接参加者に話したり、メールマガジンで伝えたり、先の講師の言った言葉を繰り返した。

なにしろ歴史もない実績もないユイレーシングスクールだったから、のっけから『クルマの運転は芸術だ』なんて言おうものなら疑いの目で見られることは間違いなかった。しかし、それが高名な世界チャンピオンの言葉で、実際のドライビングスクールでも使われていた言葉となれば躊躇する必要はない。

最初のうちは『何言ってんのかね』というような顔をしていた常連も、何年かすると合点がいったようだ。口に出してはっきりとは言わないが、なんとなくそれ風のことを目指しているというようなことを聞いたことが少なくない。
ある卒業生は自身のブログに『これだけだと誤解しそうだが、いろいろ考え、学んだ挙句、これに行き着く気がする』と書いてくれた。

さて、クルマの運転は芸術、とは言ってみたのはいいけれど、もちろんそれは社会一般の通念の芸術とは違う。あくまでも一人ひとりが胸に秘めるような類の、個人に帰する価値観だ。

しかし、クルマを思いのままに動かしたいと思った時や特にクルマの性能を存分に発揮してみたいと思う時には、あらゆることを同時進行で正確に行なわなければならないという意味で、クルマの運転が芸術というのはあながち外れてはいないとユイレーシングスクールは考えている。

※ YRSエンデューロとYRSスプリントが軌道に乗ったところで始めたYRSオーバルレース。一時ほどの参加者は集まらないが2004年から10年、昨年末までに76回開催した。中には雪の日も豪雨の日もあったが、どんな状況でもクルマを思いのままに走らせたい人が集まるYRSオーバルレース。天候のせいで中止にしたことはない。

ウエットだって全くグリップしないわけじゃないし


グリップしないならそれなりに走ればいいんだし


条件はみな同じ


クルマをきちんと動かすことができれば


本場アメリカではやらない雨のオーバルレースができる

ユイレーシングスクールのクルマを生かすは続きます。


第125回 クルマだからできること 2


YRSエンデューロ ルマン式スタート

受講生や卒業生に白い目で見られながらも、スクールレース実現のために語り続けました。

『地面に書いた幅10cmの白線があとします。「その上を踏み外さないでできるだけ速く歩いて下さい」と言われても躊躇する人は少ないと思います。しかし高さ50mで幅10cmの平均台をできるだけ速く走りきって下さいと言われたら、かなりの人が戸惑うのではないでしょうか。クルマの運転とはそんなものです。自分の足が地面についているわけではありませんから、それなりの慎重さが必要になります』。

『サーキットで速く走るということは、平均台が10mの高さにおいてあるのと同じようなものです。日常ではできることができない。日常で培った知識と経験を生かすことができない。しかしやることは日常と同じ。だから錯覚が起きるのも当然なのですが、思い違いをしたまま走って自らを危険にさらしたら、そんなサーキット走行が楽しいわけがありません。平均台を渡るのが目的ならば、早く渡ることはできないかも知れませんが跨って渡ったっていいはずです。他人の目を気にするのはナンセンスです』。

『サーキットは対向車が来ない、歩行者が歩いていないなど一般の道路とは異なる環境にあります。ここにひとつの落とし穴があります。ひょっとすると無意識の中でサーキットは自由に走れるところだと決めてかかっていることはありませんか。サーキットではクルマの限界とみなさんの限界を超えて速く走ることはできません。速く走ろうと思うのならばクルマを動かす手続きを省くことはできませんし、あなた方一人ひとりの実力以上に頑張っても速くは走れないのです。つまりサーキットを走るということは決して自由ではありません。クルマの限界を超えた自由ははなから存在しないのですから、まずクルマをキチンと走らせることを心がけるべきです』。


パワーがあるだけでは耐久レースに勝てない

『サーキットを走っているのにレースで他人と競争するのが怖いと思っている人がいます。ですが、他人と一緒に走るのが怖いと言う人がサーキットを限界で走ることのほうが危ないと思いませんか』。

『レースに参加する時、最も大切なのはスピンやコースアウトをせずに安全に走行を終えることです。レースではひとつの目的に向かってたくさんの人が走っています。あなたのスピンが原因で、あるいはあなたのクルマの故障が原因で何かが起きてしまったら、と想像してみて下さい。ひとりよがりは駄目です。そういう人に限って運転も自分本位で、クルマ本来の性能を使えていないものです』。

『自分の意識と自分の速さを認識した人は、間違いなく安全に速く走ることができます。後はみなさんがが自分を追い詰めた時にも、その認識を持ち続けることができるかどうかだけです』。

『ある走行会で整備不良のクルマがオイル漏れで燃えてしまった例もあります。傍若無人な運転をする人がスピンやコースアウトする場合も少なくありません。日本のモータースポーツには手軽さが必要ですし、少しずつ垣根は低くなってきているようですが、逆に手軽さを気軽さとはき違えてることがないようにしたいものです』。


YRSスプリント スモールボアクラスのスタート

『モータースポーツに参加するのも、クルマを運転すること自体も危険をはらんでいます。ですがクルマの運転がはらむ危険のほとんどは人間の意識で回避できます。レースの安全を確保するためにも施設やクルマの装備を充実するだけでは十分ではありません。レースに参加する人全員の意識の持ちようが最も大切です』。

『モータースポーツはもともと不公平なスポーツです。絶対的なイコールコンディションはありえません。だから結果を求めるよりプロセスを楽しむべきですし、そこに価値があるはずです。プロではないのですから財産や身の危険を冒してまで先を急ぐ必要はありません』。

『モータースポーツ、特にアマチュアのモータースポーツは善意の上に成り立っています。無意味なブロックをしたり強引にインに入ったり、他人を犠牲にして自分が優位に立つのが許されるのならばそれはモータースポーツではありません。ライバルより上位でフィニッシュするより、ライバルに「あの人とはもうレースはしたくない」と思われないようにレースを終えるのがグラスルーツモータースポーツのボトムラインです』。

『なぜレースに出たほうがいいのかと言うと、自分とまじめに向き合う機会、それもかなりの極限状態で自分と対峙する機会が持てるからです。今の世の中、自分しか頼れない、という状況に身を置くことは少ないでしょう。それを実現できるのがレースです』。


YRSスプリント ラージボアクラスのスタート

『サーキットを走るにしても、一人で走るぶんには自分本位で走ることができます。追い求めるものは絶対的な速さだけですから、疲れたら休めますし、タイムが出なくても自分で納得すればいいのであって、全てを自分のペースで進めることができます。
それはそれでいいのかも知れませんが、逆の見方をすれば、一人で走っているので自分の本来のポテンシャルに気づいていない可能性もあります。もしそうならば、もったいないと思いませんか。
ひとつの目的に向かって他人と走る時にはラップタイムよりも大切なことがあります。レースに求められるものは相対的な速さです。その人が競り合いという流れのなかで、その瞬間、その場で、その状況で何ができるかを連続して判断できるかが勝敗を分けます。自分の都合で走っていては追いつかないものです。流れの中で判断し、流れにまかせる。それが、本来運転に必要な無意識行動を育てることにつながります。
現代のクルマはレースをしたぐらいでは壊れません。あなたが何をクルマに求めているかを確かめるためにも、一度ヨーイドンをしてみませんか』。


YRSスプリント ロードスタークラスのスタート

※掲載した写真は2007年1月27日に開催したYRSエンデューロ&スプリントの模様です

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YRSスクールレースの案内は以下の頁にあります。
・2月7日(土)YRSエンデューロ規則書&申込みフォーム
・2月7日(土) YRSスプリント規則書&申込みフォーム

ユイレーシングスクールのグラスルーツモータースポーツ礼賛は次号も続く


第124回 クルマだからできること 1


YRSオーバルレースのワンシーン

16年目を迎えた今年。3種類のYRSスクールレースの中でしばらく中断していたYRSエンデューロとYRSスプリントを再開することにした。
YRSスクールレースは一度でもユイレーシングスクールのカリキュラムを受講したごくごくふつうの人にモータースポーツでしか味わえない醍醐味を味見してもらおうと始めた。手短に言えば、ジムラッセルレーシングスクールの真似だ。
当然のことながら、参加するクルマはふだんの足。レース用に特別な装備はしてはいけないことになっている。ライセンスも要らない。必要なのは長袖と長ズボン、ヘルメットにグローブだけ。

本格的なレースに参加するためにはそれなりの準備が必要で、その手間と費用を考えて「レースなんて自分には関係ない」と思っている人にヨーイドンを体験してもらおうというのが最大の目的だ。もちろん、運転技術の向上に役立つことは言うまでもない。

ところが、初めのうちは卒業生に呼びかけてもなかなか前向きな反応が返ってこなかった。自分の経験からして、レースに出ることで一皮剥けるのは間違いなかったのだが。
そこで卒業生にこんな話やあんな話を投げかけてみた結果、YRSエンデューロもYRSスプリントも大成功を収めた。

『他のスポーツの場合、昂揚感を得るためには一流のアスリートになる必要がります。そのためには莫大な時間と努力が必要です。それに加えて身体能力が高くなければ本当の醍醐味はわからないかも知れません。しかしモータースポーツでは手順を間違えなければ、アマチュアでもその領域に達することができます。それがモータースポーツをみんなに勧める理由です』。

※ 自慢にはならないが、実は運動が大の苦手。小学校に入学する前から病弱で体育の時間はもっぱら見学。そのせいか、いまだに逆上がりもできないし跳び箱も跳んだことがない。そんな話を卒業生にすると怪訝そうな顔をするけど本当の話だ。小学校に入る前から眼鏡をかけていたほど視力が悪かったから、レースに憧れてはいたけれど、プロのレーサーになることなど想像すらできなかった。でも、そんな自分にクルマは大いなる自由を与えてくれた。


サイドバイサイド、テールツーノーズ、ドアツードアのYRSオーバルレース

※ 3番目のYRSスクールレースとして始めたのがYRSオーバルレース。広場にパイロンで楕円形のコースを作り1周20秒足らずの競争を繰り広げる。
日本では馴染みのないオーバルレースだから参加者集めに苦労することがわかっていたから、YRSエンデューロとYRSスプリントが軌道に乗って卒業生がレースを楽しめるようになった2004年に始め今にいたっている。

卒業生をモータースポーツに引きずり込むための悪魔のささやき(!?)は次回に続く。


第113回 YRS VITAライド


筑波サーキットコース2000では大きすぎるぐらい もっと小さいサーキットでもレースができる

今年から追加したカリキュラムにYRS VITAライドがある。鈴鹿を拠点とする日本有数のレーシングカーコンストラクターであるウエストレーシングカーズが製作したスポーツレーシングに乗って風のあたるマシンを体験する。

VITAと名づけられたそれは、エンジンとトランスミッションこそ中古のヴィッツから拝借したものだが、セミモノコックフレームに前後ダブルウィッシュボーンサスペンションを備える。少しずつ台数を増やし、今や北海道の十勝スピードウエイでもツインリンクもてぎでも筑波サーキットでも、もちろん鈴鹿サーキットでもアマチュアドライバーを対象にシリーズ戦が組まれている。


筑波サーキットのコース1000では同じような動力性能のクルマより1周5秒速い クルマの性格が異なるから

昔。FL500という日本独特のカテゴリーがあった。軽自動車のエンジンを搭載した本格的なフォーミュラカーだった。FL500から育ったトップドライバーは数知れない。常に大きなレースの前座だったが、メインレースに引けをとらないこれこそレースという白熱した争いを繰り広げていた。

全日本選手権がかかったビッグレースはもちろん魅力的だが、純レーシングカーの底辺を担うFL500レースやVITAレースが盛んになると頂点がさらに光り輝くものだ。
ルノーも80年代にはアメリカでスポーツ・ルノーと呼ばれたVITAのような入門カテゴリーにエンジンを供給していた。一時は全米に300台近くが存在したSCCAの目玉カテゴリーだった。


体験した全員が「楽しいっ!」

ユイレーシングスクールでは日ごろ、「ご自身のクルマを自在に操るのもひとつの目標になるとは思いますが、少し目先を変えてどんなクルマでも乗りこなせるようになることを目指してはどうでしょう」と訴えている。

乱暴な言い方になるけれど、4本のタイヤがついていればクルマはクルマ。基本的な動かし方に変わりがあるわけがない。
むしろ、VITAのようなステアリングもブレーキもノンアシストのクルマを操ることを想定して練習をすれば、量産車からは得られない操作の機微がわかるというもの。


姿勢変化をしないのが速さの秘密 だから速く走らせるにはそれなりの操作が必要になる

モータースポーツにはいろいろなカテゴリーがあったほうがいい。妥協のきかないマシンのレースが、ふつうの人(レースにのめり込んでいない人という意)でも、やる気さえあれば手の届く範囲にあるとなお良い。
ボク自身、70を過ぎたらレース活動を再開しようと思っている。YRSの卒業生にもいろいろな体験をしてほしいと思っている。
今までにロードスターパーティーレースや富士チャンピオンレースでシリーズチャンピオンになったYRS卒業生もいる。VITAレースに参加する卒業生が出てきてほしいものだ。

そんなこんなで始めたのがYRS VITAライド。当面はユイレーシングスクールを受講した方を対象としているが、誰でもが体験できるシステムができないか熟考中だ。

一部の限られた人しか乗れないレーシングカーではない


体験すれば笑顔、笑顔、笑顔

興味のある方はウエストレーシングカーズのVITA開発レポートをのぞいてみてはいかがだろう。


第109回 SCCA Club Racing


リバーサイドレースウエイのターン7は面白かった

というわけで、FIAルールとその延長であるASNに縛られないアメリカのレースは実にバラエティに富む。その上スポーツ好きな国民性がなせるのか、頂点のレースから底辺のレースまでレースの仕組みがよく考えられている。要するに、トップカテゴリーはこれでもか、これでもかと見せることに最大限の努力が払われ、グラスルーツモータースポーツはどうすれば参加者が楽しめるかを最優先にレース規則や車両規則が工夫されている。
ストックカーレースやドラッグレースやダートトラックレース等、日本ではなじみのないアメリカのモータースポーツだが知れば知るほど面白い。スポーツとして確立しているのがすばらしい。けど、面白さを語りだすとそれだけで今年のブログを独占してししまいそうなので(笑)、SCCA Club Racingに限って(も長くなりそうだけれど)話を進めるのでお付き合いいただきたい。


ウイロースプリングスレースウエイ

CSCCリージョンには今はなきリバーサイド(西海岸のモータースポーツの聖地でF1が開催されたこともある)を初め、縦のブラインドコーナーがあるウイロースプリングスやドラッグストリップとそのリターンロードを使ったカールスバッド、大回りするとラップタイムが落ちるぐらい広い飛行場の跡地を利用したホルタビルがあった。
ランオフに招待されるには南太平洋デビジョンシリーズで上位にランクされる必要があったから、年間3レースまで参加が許されるよそのリージョンのナショナルレースにも参加した。今はネーミングライツで呼ばれているサンフランシスコリージョンのシアーズポイントやコークスクリューで有名なラグナセカ。アリゾナリージョンに属しNASCARストックカーレースが行なわれる1周1マイルのトライオーバルとインフィールドを組み合わせたフェニックスや、砂漠の真ん中で砂だらけのラスベガスにも行った。ランオフではロードアトランタも走ったから、いろいろなコースを体験した。


シアーズポイントレースウエイ

どこも特徴のあるコースで走るのが楽しかった。なにしろコーナーのアウト側に沿ってガードレールがあったり、コースを外れると30センチ近い段差があったり、5速全開からターンインするコーナーがあったり、5速全開のダブルS字コーナーがあったり、とにかくドライバーに「できるならやってみな!」というコースばかり。これは日本にいては経験できない。


ウイロースプリングスレースウエイのプリグリッド

あるレースのドライバーズミーティングで、その日デビューするドライバーが「コースとエスケープゾーンの段差が危険だ」と訴えた。するとチーフスチュワードが「危なくないように走ればすむことだ。そもそもモータースポーツ自体が危険をはらんでいるのだから、自分で判断すればすむことだ」と返した。こういうのが好きだ。


GT5クラスのミニ


GT4クラスのセントラ(サニー)

昔、トヨタと日産がしのぎをけずっていたTS1300レース(特殊ツーリングカーレース)のつばぜり合いを見て、自分もあの中に混ざりたいと思っていたから迷わずにGTカテゴリーを選んだのだが、SCCAのメンバーになってみると他にも面白そうなカテゴリーがたくさんあった。
ショールームストックという文字通りディーラーのショールームにおいてあるクルマで参加するカテゴリーがある。サーキットを走るからと言ってブレーキパッドを交換してもいけない。しかし安全のために6点式ロールケージと運転席のサイドウインドにつけるセーフティネットと6点式のシートベルトに消火器の装着が義務付け。ボクも参加したことがあるが、ノーマルのサスペンションとブレーキパッドで5速全開のコーナーを抜ける。ボクが走っていた頃はシートの交換さえできなかったのに、だ。あれは楽しかった。なにしろ頼れるのは自分の判断だけ。行くか行かないかも自分で決める。こういうのが好きだ。
サイドバー付きのロールケージだから乗り降りが大変といえば大変だが、それさえ我慢すれば日常の足に使えるし1台のクルマの価値が大いに上がる。


ミアータ(ロードスター)が増殖して始まったSM(スペックミアータ)クラス

そのショールームストック。当事は販売年から5年しかレースに出ることができなかった。古いクルマを追い出そうというのではなく代替を促すための措置だ。
SCCAのレースに賞金はなく、ドライバーが手にすることのできるごほうびはクルマやタイヤ、プラグやオイルメーカーが用意しているコンティンジェンシーマネーだけ。そのメーカーの商品を使い指定のデカールを貼り入賞すれば、公式結果のコピーを送ると小切手が送られてくる。トヨタや日産も1位300ドルなんて額だったから、勝てばタイヤ代ぐらいになった。メーカーとしても自社製品が入賞しなければ懐が痛まないわけで(その代わりプライドが痛いかな?)、まさにウィンウィンシチュエーション。
そんなこともあり、ショールームストックは現行販売車である必要があった。

ショールームストックとGTカテゴリーの間にITカテゴリーがあった。インプルーブドツーリングと呼ぶこのカテゴリーはエンジンにこそ手を入れてはいけないが、サスペンションの交換や改造、そして何よりマフラーを改造することができた。タイヤノイズしか聞こえないショールームストックのレースを見て、「音がうるさいほうがいいな」と思った人や「やっぱり足は硬いほうがいいね」という人が主に参加していた。
安全規定を満たしていながら認定期間の過ぎたショールームストックを購入すれば、サスペンションにお金をかけるだけでITカテゴリーの車両になる。期限切れのショールームストックを手放したら新しいショールームストックを手にすればいいから、ガレージが1台分しかない人は助かるし、レースに使ったクルマのライフも伸びるし、レースを続ける人の数も増える。これまたウィンウィン。こういうのが好きだ。


ITクラスのシビックとCRX

KP61で参加していたGTカテゴリーの改造範囲は日本のTSの比ではない。どちらかと言うと昔のFIAグループ5に近くチューブフレームが許されているしオリジナルの形式であればサスペンションの改造も無制限。だから運転席がBピラーより後ろというオバケも走る。
実際、83年のランオフでは自分より上位の5台と後ろの2台はチューブフレームカーだった。最低地上高が『タイヤが2本パンクした時に車体のどこも地面に接しないこと』と決められているだけだから、みんな地べたに張り付いているようにコーナリングしていた。金銭的な理由でチューブフレームカーを手にすることはできなかったが、そういうのが好きだ。

上の3つがいわゆる『箱』をベースとしたカテゴリーだが、それぞれがパフォーマンスポテンシャルでクラス分けされているから、それだけで12のクラスがあった。


1万ドルで買えるレーシングカーとして始まったスペックレーサー。ルノーのエンジンを積んでいた。

その他にツーシーターがベースになるプロダクションカテゴリーが7クラス。2座席スポーツレーシングが4クラス。フォーミュラカーが4クラスあったから、どのレースに出るか迷うほど参加者側に選択権がある。


手前がフォーミュラアトランティックで向こうがCスポーツレーシング

プロダクションカテゴリーの一番下のGPクラスには1960年製のヒーレースプライトなんかが走っていた。どうしてもこのクルマで参加したいと思ったらSCCAに認定してもらうようにユーザーが働きかければいい。FIA-ASNルールのように自動車メーカーがホモロゲーションを申請した車両でなければレースに出られないことはない。意思と情熱さえあれば個人がレース主催者を動かせる。こういうのが好きだ。


GPのヒーレースプライトがヘアピンを立ち上がる

EPのミアータ(ロードスター)


EPのMGB

SCCAの逸話はまだまだ終わらないが、長くなるので最後にひとつ。
オーバルレースは初めて開催された1896年からローリングスタートを採用しているが、FIA-ASN傘下のロードレースはスタンディングスタートが一般的。しかしSCCAのクラブレースはローリングスタートだ。
ある日その理由を聞くと、「スタンディングスタートでは誰かがエンストする可能性がある。安全に配慮すると同時に駆動系に負担をかけないためにローリングスタートを採用している」と言う。つまり、スタートの良し悪しが結果につながらないように、そして高価な強化クラッチをおごってスタートで出し抜こうとする人とノーマルのクラッチでレースを続けている人とで差がつかないようにするためだ。こういうのが好きだ。


ウイロースプリングスのSCCAナショナルでトップを走った


CSCCのニュースレターはずいぶん褒めてくれたものだ

話は飛ぶが、だから、ユイレーシングスクールで卒業生を対象にスクールレースを始めた時、スプリントレースには迷わずローリングスタートを採用した。(耐久レースはドライバー自身がクルマに駆け寄るオリジナルのルマン式スタートにした)

そのスクールレース。筑波サーキットのコース1000とか富士スピードウエイのショートコースで開催した。なぜそうしたかと言うと、参加者の金銭的負担を減らす目的もあったが、なにより短いコースで周回数が多ければそれだけドライビングミスの可能性が高くなるからだ。ドライバーがクルマに頼らずに自分との戦いに負けないコツを学ぶことができる。

そのスクールレース。参加資格はユイレーシングスクールを受講することだけ。ライセンスもいらなければ組織の会員になる必要もない、日本のASNであるJAFに公認されたレースではない。だから、どうしても開催したかった。なにしろ、90年代終わり頃まで日本のASNは非公認レースの開催を認めてなかったのだから。

自動車産業の発展とクルマ社会の成熟がモータースポーツと密接に関係していることは歴史が証明している。日本のクルマ文化を芳醇なものにするためにはその当事者たる『モータースポーツを経験したことのある人』の数を増やすことだ。その分母が大きければ大きいほどクルマがクルマとして使われる環境が整う。

それが可能かどうかは問題ではない。ユイレーシングスクールはその一翼を担いたい、そう思っている。

※ SCCAランオフに参加した時の私的小説

アメリカから届いた雑誌

1982年12月。KP61でGT5のレースを始めた。そのKP61はふたりのオーナーの手を経てGreg Hotzの手に渡ったのが2004年。GregはフェイスブックにKP61のことを書いたのを見つけ、KP61が紹介されたアメリカの雑誌、グラスルーツモータースポーツを送ってくれた。今は2014年。GregはまだそのKP61でレースを続けている。あれから32年。ホモロゲーションが切れるとレースに参加できないFIA-ASNのレースでは考えられないライフスパンだ。

SCCA Club Racing 終わり