第69回 Rev to the limit 2
ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール 吠える
※このビデオは2名乗車で撮影しました。
協力 富士スピードウエイ
ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール 吠える
※このビデオは2名乗車で撮影しました。
協力 富士スピードウエイ
今はなきリバーサイドインターナショナルレースウエイ コースレイアウト
スタートラインを越えて5速に入れる。ホームストレートは後半が少し登り。全開で左にステアしながら、出口が下っているから先の見えない1コーナーを目指す。1コーナーをクリアすると、しばらく直線が続く。
OHVの3Kエンジンのタコメーターの針が8,500回転に近づく頃、ダブルエッセスの肝である2コーナーが迫る。最初の右コーナーのインには観客席を兼ねた土手が迫り先が見えない。5速全開で、さらに右足に力をこめながら2コーナーの見えない先を見据える。
スロットルを閉じ、ゆっくりと右足をブレーキペダルの上に移し、ブレーキパッドとブレーキローターがわずかに接するぐらいの力を瞬間的にこめる。同時にステアリングを指2本分ぐらい右向きの力を入れて、すぐに脱力。間髪をいれずにバンッとスロットル全開。
KP61スターレットは2コーナーを曲がり始めると、ある瞬間に、横Gを受けながら、それでいて眼前の景色が左右に流れないという不思議な時を迎える。
4気筒 1300cc OHV 168馬力のエンジンを積むKP61スターレット
クルマがコーナリングする時、基本的には公転と自転が同じ率で進む。しかし、リバーサイドインターナショナルレースウエイの2コーナーのように、速度が高いコーナーでより速く走ろうとすると、この機械的原理を無視することが必要になる。
コーナリングで肝心なのはフロントを逃がさないことだ。最低でもフロントは自分のイメージするラインに乗せておかなければならない。しかしリアがフロントの後を追いかけているうちは、まだタイヤのグリップが遠心力に勝っているわけだから決して速くはない。
速く走るには、フロントが流れながら軌跡を描く速度で走りながらリアの流れをコントロールしなければならない。それが達成できた時、遠心力と微妙にバランスした4輪がアウトに流れる。操作が間違っていなければ、不可能であろうと思われる速度でもクルマは公転と自転を続ける。そして、リアのスリップアングルがフロントのそれを上回り、かつロールが最も深くなる直前、クルマは自転を止めて公転だけを続ける。
昔のことではあるけれども、ドリフトとはそんなもんだと経験していたたから、今で言うドリフトにはかなりの抵抗がある。それに興じる人たちの行儀が良いとは言えないことも、ユイレーシングスクールをドリフトから遠ざけていた。
しかも、最近のタイヤが最大のコーナリングフォースを発揮する時のスリップアングルはごくごく狭いから、コーナリングで『流す』ことは、速さにも安全にもつながらない。近年のドリフトは単にホイールスピンに過ぎない。本来のドリフトとは異なる。
だから、ユイレーシングスクールでは昨年までドリフトは『ご法度』だった。
しかし年末に水割りをなめながら、意識的に慣性力でテールをブレイクさせる経験はしておいても邪魔にはならないナ、と思った。
それで今年に入ってから2回のYRSスキッドスクールを開催した。
これが成功。とにかく、まずテールをブレイクさせるのに参加者全員が四苦八苦。なぜかって?テールが流れる前にそれと察し、修正してしまうからだ。だから運転技術から言えば文句なしなのだが、『リアを思いっきり流してみて下さい』という壁をなかなか破れないというジレンマに陥った。
それでも、慣れるにしたがってテールをスライドさせたまま『最長スキッド距離』を競えるまでにはなった。
慣性力をコントロールすることもドライビングポテンシャルの向上には役立つはずだから、そして何より楽しいから、ユイレーシングスクールではスキッドスクールを通常のカリキュラムに加えることに決めた。
※現在日程が決まっているYRSスキッドスクールは12月だけですが、追加の日程も検討中です。決まり次第ホームページで告知しますので、ぜひおいで下さい。
ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール 歌う
この世の中に、全ての束縛から解き放たれた自由はあり得ない。人は制約を受けながら自由を模索する。
クルマの運転も同じ。いかに高性能なクルマでも、その性能の全てを無条件に堪能することは不可能だ。
クルマは人間の能力を拡大してくれる最良の友人ではあるが、クルマが自由をもたらしてくれるわけではない。
我々は目的を定めてクルマを動かす。もろもろの制約の中で安全に、かつ効率良くクルマを動かそうとイメージする。
そのイメージが、『クルマが動きやすい状況』に合致していれば、もろもろの制約などなんのその、クルマは実に生き生きと動いてくれる。
操る人間は、クルマが目的に近づけてくれることに無上の喜びを感じる。
20m間隔で並べられた11本のパイロン。もちろんパイロンに沿って直線的に走ればクルマはその性能をいかんなく発揮する。それでも、いつかはスロットルを閉じなければならない。クルマの速さとはそういうものだ。そして、直線での速さは高性能のクルマと高性能ではないクルマの序列を生む。
ではパイロンを縫って走る場合はどうか。もはやクルマはその持てる性能を無制限に発揮することはできない。クルマに、そして人間にできることは、次から次へと迫りくるパイロンをクリアしながら先に進むことだけ。
パイロンを倒さないように。
遠回りしないようにパイロンをなめて。
チャンスがあればスロットルを開けて。
11本のパイロンをクリアした時。人はクルマと同じ速さを手に入れる。
クルマを生き生きと走らせることができれば、その時、人は自由を手に入れる。
そこにはクルマの絶対的な性能が生む無意味な序列はない。そして、クルマを操る人が主役になる。
ご覧になったことのがあるかも知れないけど、ユイレーシングスクールのウェブサイトに掲載してあるコンテンツを紹介。
□ ターンイン
■ エクジット
クルマが思うように動いてくれるのはすばらしいことです。
全長3,610mm 全幅1,690mm、ホイールベース2,365mm。こんなに小さなクルマが、それこそ手となり足となって、運転手の思い通りに動いてくれるとは。なにしろ、横幅を無視すれば軽自動車と変わらない大きさなのに、だ。
繰り返すが、これはルノーの宣伝のために書いているのではない。それこそありとあらゆるクルマに乗って来たクルマ好きとして、幸いにも知ることができたその個体の価値を、自分だけのものにしておくのはもったいないからしたためている。
どんなクルマに乗る時でも、個人的な流儀で低いギアではあまり引っ張ることをしない。低いギアでは駆動力が大きいのは当たり前だし、回転を上げられるとしても瞬間的なものだ。高回転を保てば駆動系にも負担がかかる。第一、燃費に悪い。
ターボで加給されていたとは言え絶対的な排気量が小さかったトゥインゴGTは、2,000回転以下ではやはり、トルクの細さを感じた。しかしルノー・スポールの1.6リッターエンジンは下から上まで不足がない。
発進してすぐに2速に入れ、あとは1,500回転も回してやれば、3速30Km/h、4速38Km/hに達し十分に流れをリードする加速を見せる。タウンスピードでの5速は1,500回転回るかどうかで4速ホールドにしたい気持ちにはなるが、5速のままでも痛痒は感じない。もちろん、トゥインゴ ゴルディーニ RSに乗る時は街中でも5速を多用する。メーターに表れる瞬間燃費を見ても、そのほうが経済的だから。
しかし、高速道路に乗り込む時になるとその経済観念はどこへやら。『サーキットを走る時のためにふだんはできるだけガソリンを使わないように』と心に決めているのだが、4,000回転に近づくにつれてどのギアでも「もっと回してもいいですよ!」と語り掛けて来るエンジンの誘惑に抗うのが難しい。
安全のためにも本線の流れをわずかに上回る速度まで加速してから合流するものだから、そんな時は4,000回転回せば100km/hに達する4速がピッタリ。スロットルで速度をコントロールしながら余裕を持って合流することができる。回している時間はほんのわずかだし、経験的に燃費に影響することがないこともわかった。
だが、このエンジンの真骨頂はタコメーターの針が4,000に近づこうとするあたりから始まる。とにかくよく制御されたエンジンは、経済観念をポケットにしまい前だけを見てスロットルを開ければ、イエローゾーンが始まる6,500回転までなんのためらいもなく吹け上る。しかも回転の上昇とともに盛り上がる≪パワーの出方≫はレーシングエンジンのそれに似ていて、思わず「そうだよな。そうなんだよな」とうなづいてしまう。
もっとも、昔の、オーバーラップ105度のカムを入れツインチョークのソレックス2基でガソリンを浪費するレーシングエンジンでレースをしたことのある者にとっては、あの爆発的な加速感が味わえないことにいちまつの寂しさを感じる。しかし現代は昔ではない。誰もがもっと先を目指すことを許された時代ではない。
今という時代を考えれば、トゥインゴ ゴルディーニ RSが与えてくれる洗練された強烈な加速が市場に残っているだけでも喜びとしなければならない。昔流に言えば決して硬派なクルマではないけれど、だからこそより多くの人が機能を追い込んだクルマを味わえるのかも知れない。
そして。計算上7,000回転で137Km/hに達する3速。条件が許されれば180Km/h近くまで伸びるであろう4速。市販車でありながら、回転が上れば上るほどにストレスがなくなるようなフィーリングは今の時代だからこそなのだろう。
話がエンジンに偏ってしまったが、トゥインゴ ゴルディーニ RSは足も速い。車格からして当然の短いホイールベースに起因するピッチングによる上下動は小さくないが、ルノー車に共通するのかトゥインゴGTや昨年代車で借りたカングーに似たリアサスペンションの落ち着きは秀逸。
前にも書いたが、ノーズダイブとテールスクワットに対する制御は他のクルマでは見られない種類のもの。一度ルノーのエンジニアにその秘密を聞いてみたいものだ。
とにかくエンジンが速いだけではなく、足も速い(と言うことはボディも)。それも日常生活に必要ではないレベルに踏み込んだ速さだ。
使い切ることのできない機能を備えたクルマだからこそ、クルマ文化の証しとして、また運転が好きな人が味わえる機会が増えるように、末永くルノー トゥインゴ ゴルディーニ ルノー・スポールが売られ続けることを願わずにはいられない。
昔も今も「羊の皮をかぶった狼」と形容されるクルマが好きだ。
軽自動車免許を取って公に運転できるようになってからまもなく48年になるが、その間、乗用車を手に入れるなら絶対に羊の皮をかぶった狼のようなクルマにしたいと思い続けてきた。
初めてそのフレーズを目にしたのは、免許年齢前のこと。自動車雑誌を読みながら妄想にふけっていたころ。確か、英国フォードが作っていたフツーのセダンのコルチナにツインカムエンジンを搭載し、レースやラリーで大排気量のクルマを相手に奮闘していたことから形容されたと記憶する。なんてことのない外観をしながら内に秘めた実力は本物。いざという時には身の丈を超えた力を発揮する。そんなクルマに憧れていた。
誤解のないように付け加えよう。羊の皮をかぶった狼的なクルマが好きなのは、それを手に入れれば自分が狼になれるからではないし、狼になりたいと思っているわけでもない。まして、狼になることを羊の皮をかぶることで正当化しようとしているのでもない。それはさておき、
昔、八重洲出版が発行するドライバー誌の嘱託をしていた頃の話。カローラレビンが憧れだった。初代の27レビンだ。そのレビンがモデルチェンジをして37になった時、試乗して大いにがっかりしたことが記憶の片隅にある。試乗記の担当ではなかったので原稿にはしなかったが、編集部で「これは改悪だな」ともらしたものだから大論争になったことがあった。
確かに37レビンは27に比べて高級感が漂うクルマに仕上がっていた。しかし大きくなって重くなりバネ下がドタバタする37は自分の尺度で測ると、二歩も三歩も憧れの存在から遠のいてしまっていた。
ところが、編集部では37レビンの評価が高かった。クルマの進化はかくあるべし、という論調が多数を占めていた。硬めのサスペンションで乗り手に「クルマに合わせろよ」と強いていた27から、「あなたにも乗れますよ」ともみ手しているような37になったというのに、だ。
「だったらレビンである必要はないだろ」と心の中で軟派な編集部員達に毒づいたものだ。それはさておき、
ユイレーシングスクールを始めるために日本に来た1999年。足がないと困るだろと、某自動車雑誌の編集長がサーブ900をくれた。サンルーフ付きのマニュアル。かなりくたびれてはいたが、ターボチャージャーで過給されていたし、屏風のようなウインドシールドのおかげ(?)で、それなりに羊の皮をかぶった狼的ではあった。それはさておき、
日本に来てからしばらくは、ユイレーシングスクールと掛け持ちで茨城県にあるカート場でモータースポーツファンを増やすことに没頭していた。そのカート場には軽トラックがあって、これが楽しくてしかたがなかった。カート場の周囲は田んぼであぜ道というか簡易アスファルトの細い道が縦横に走っていた。ここを軽トラックで走るのは本当に気持ちが良かった。
なにしろ空荷だと極端なフロントヘビー。そこにオーバーハングするように運転者が乗るものだから、右前輪の過重は増えるばかり。あぜ道を快適に走ろうとすると正確な姿勢制御が必要だった。幸いリアがソリッドアクスルで常に対地キャンバーが不変だったから、ひんしゅくをかわない速度でも面白いようにスリップアングルをコントロールできた。
軽トラックは軽トラックで狼が中に住んでいるわけではない。しかし荷物を満載しても走るように作られた軽トラックは、空荷の時ならば乗り方によって羊の皮をかぶった狼の息子ぐらいに変貌した。
余談ながら、そのカート場にはラジコンカー用のオーバルコースがあった。カート2台を横に並べればあまり余裕のないコース幅ではあったが、そこを使ってレンタルカートでレースをやった。「こんなところで抜けるわけがない」、「レースにはならない」との声をよそに、オーバルレースの走り方を説明しながらカートではベテランの連中に試してもらったら、見事レースになった。追い抜きにはみんなが歓声を上げた。残念なことにかなりのスキルがないとレースにならずパレードになってしまい、日本初のグラスルーツオーバルレースがお蔵入りになってしまったのが悔やまれる。それはさておき、
2010年の春だったか、エンジンドライビングレッスンにルノー ルーテシアRSで参加された方がいた。不明にも、その時までその存在を知らなかった。しかし聞けば、リッターあたり100馬力で車重1.2トンちょっと。この日はルーテシアRSの同乗走行をする機会がなかったから、結局その走りを体験することはできなかった。
それでも、『その匂い』がプンプンするルーテシアRSの魅力には勝てず、その日のうちに購入を決めた。まだ乗ってもいないのに、だ。自分用に買った人生2台目の乗用車が終生の伴侶となった。それはさておき、
クルマを選ぶ時はそんなもんだ。理屈はいらない。要は、自分の主張に合うクルマに出会うことができるかどうかだ。その意味では、あの日ルーテシアRSでエンジンドライビングレッスンに参加してくれたIさんに感謝しなければならない。それはさておき、
筑波サーキットでルノー トゥィンゴ ゴルディーニRSを受け取った帰り道。兄貴より小さくて力もないけど、その勝るとも劣らない狼度を満喫しながら670キロを走った。
もちろん個人的な気持ちではあるのだが、ルーテシアRSを所有していながら弟に惚れた。確かに長距離を走るのならばルーテシアRSのほうが楽ではある。歳を考えればルーテシアRSのほうが似合っているかも知れない。絶対的な性能も弟を上回るのも事実。
しかし選んだクルマがそういうものだと覚悟を決めれば、弟ではいけない理由はなくなる。大きさもいい。足もよく動く。第一、4,000回転回っていれば自分の気持ちを抑えることが必要になるエンジンがいい。
どんなクルマでも性能を『満喫する過程』が楽しいものだ。絶対的な速さと快適さ同時に求めるのならばそれに応えてくれるクルマはたくさんある。でも、大切なのは等身大の自分を表現できるクルマに出会うことだ。
それは、数値には表れない感覚的なもの。自分が使いきれるか使い切れないかのギリギリで操ることができるクルマに乗りたい。
それは、クルマを走らせる時、常にクルマに対する畏怖の念を抱いていたいからなのだと思う。
ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール走る。
新たにYRSフリートに加わったトゥィンゴ ゴルディーニRS。
まだその持てる実力を全て引き出したわけではないが、この工業製品はクルマ好きにとって『買い』だと直感した。もちろん個人的な感想ではあるのだが。そして悔しいことに、生涯の伴侶として選んだルノー ルーテシア RSを上回るほど官能的。
クルマを意のままに操りたいと思う、あるいは思ったことがある方は、すぐにでも手に入れる算段をしたほうがいい。そしてユイレーシングスクールのオーバルスクールに参加してほしい。間違いなく『人車一体』を味わえるから。
そして、旅立ちの時。
See you sometime and A・RI・GA・TO !