トム ヨシダブログ


第82回 600回と1万3千人

今年もあと1ヵ月あまり。毎年、この時期になると少しばかり神聖な気持ちになる。いつもがふしだらだという意味ではないけれど。


ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールを題材にドライビングポジションの説明

ユイレーシングスクールは1999年12月8日に、埼玉県にある桶川スポーツランドで日本でのあげた。
日本で10年あまり、アメリカで20数年。クルマとモータースポーツにかかわる仕事を通して得た経験をもとに、クルマを運転という側面からもっと楽しんでもらうことを目的にユイレーシングスクールは活動を始めた。

12月がくればユイレーシングスクールは丸14歳になるが、毎年のことながら受講して下さった多くの方と、そして活動を支えてくれた卒業生のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいになる。

11月16日(土)。今年最後のYRSオーバルスクールが終わった。記録を見てみたら、この日がドライビングスクールと卒業生を対象としたスクールレースを合わせて600回目の開催だった。


今年最後のYRSオーバルスクール参加者と

11月17日(日)。今年最後のYRSドライビングワークショップが終わった。記録を見ると、この日の参加者を加えると開校以来の延べ受講者が13,001名だった。


今年最後のYRSドライビングワークショップ参加者と

今年は12月7日のYRSオーバルレースと翌日のプライベートスクールを残すだけとなったが、15年目を迎える来年はカリキュラムを追加する方向で検討に入っている。

気持ちも新たに、少しでも多くの人に『運転って面白いんですね』と言ってもらえるように…。


第81回 粘る足

サーキット走行では走行中のクルマの前輪と後輪のスリップアングルが常に等しくなるような操作が理想だ。

しかし操舵輪である前輪にスリップアングルを与えるのは簡単でも、外力に頼るしかスリップアングルを得ることのできない後輪にそれを与えることは簡単ではない。
しかも、高速で走っている際に前後輪のスリップアングルが等しいことは少なく、前輪のスリップアングル>後輪のスリップアングルの状態と前輪のスリップアングル<後輪のスリップアングルの状態が繰り返されている。

だから、安全に走るためにも速く走るためにも『足』がどのようにしつけられているかが重要になる。

ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールの『足』が秀逸なのは過去にも触れたが、タイヤの動きからそのあたりを解き明かせないかとビデオで撮影した。

題して「ルノー トゥインゴ ゴルディーニ RS 舞うⅡ」

で、あくまでも個人的な感想なのだが、このクルマの足にはいわゆるハイパフォーマンスラジアルは似合わないと思った次第。


第80回 なんだかなぁ…

敦賀市を基点とし大津市まで続く国道161号線。必要度が高い割りには、和迩から大津市中心部までは商業地を貫いているため流れがよどむことが多い。少し離れたスーパーに買出しに行く時は国道を使うが、遠出をする時にはその山手側を走る湖西道路を使って一気に京都東インターに向かう。

で、まもなく湖西に越してきてから3年が経つ。使うことの多い湖西道路。少しばかり気になることがある。大津方面に向かってふたつ、敦賀方面に向かってひとつある計3ヶ所の「ゆずり車線」でのこと。
もともとは有料道路だったのだが、国道の渋滞を解消するために全線追い越し禁止にして無料開放されたとか。ところが流入量が増えたのが理由(?)で正面衝突事故が多発(!)したとかで、低速走行車を追い越せるように部分的に2車線化したそうな。もともと片側1車線で設計された経緯から、ゆずり車線は本来の車線の左側に張り出す形で設けられている。そのゆずり車線の走り方の話。

通勤で利用するわけではないので使う頻度はそれほど多いほうではないが、湖西道路に乗るとほとんどの場合時速80キロぐらいの流れに身をおくことになる。制限速度60キロの自動車専用道路なのだが、「交通の流れ」はそれよりも20キロほど速いことが多い。日本海側と太平洋側の国道を結ぶ要でもあるからトラックが多いのだが、彼らのほとんども制限速度を守っては走っていない。関西からの観光バスも多いが、彼らもまた、制限速度を上回る速度で走っている。

ところが、たまに制限速度をピッタリ守って走っているクルマに遭遇する。「交通の流れ」はそれより速いわけだから、必然的にそのクルマの後ろには『減速を強いられたクルマ』が数珠つなぎになる。良識あるとおぼしきそのクルマはトラックにあおられたりするのだが、それでも動ずることなく制限速度を守って走り続ける。
しかし、制限速度で走っていたはずのそのクルマがゆずり車線のある所にさしかかるやいなや、80キロほどに速度をあげるのだ。で、ゆずり車線が終わると再び制限速度を守るかのように速度を落とす。
最初の頃は『2車線にならないと怖くて速度をあげられないのかな』なんて想像をしていたのだが、何度か出会ううちに、もちろん相手は異なるのだが、ゆずり車線で速度をあげる理由がわかった。運転に自信がないのではなく、確信犯なのだ。

ゆずり車線の手前には「この先ゆずり車線、左側追い越し禁止」の看板がある。しかし、先を急ぐクルマの中にはゆずり車線を使って前のクルマを追い越す輩がいることも事実。要するに、かの御仁は違反行為であるゆずり車線を使っての追い越しをされないように、その区間だけ速度を「後続のクルマ」の速さに合わせていたというわけだ。だからゆずり車線が終わると、順法精神を発揮して制限速度での走行に戻ることになる

そこでふたつの疑問。ひとつは、この人達は交通法規を守り守らせることを是としているのに、一部区間だけとは言え法定速度を超えて走ることに矛盾を感じてはいないのか。
もうひとつは、渋滞解消のために2車線化したはずなのに、なぜ増設した車線を走行車線にしなかったのか。湖西道路を走るクルマ全てが拡幅された部分の左側を通ることにすれば、従来の車線が本来の目的である追い越し車線となり渋滞解消に役立つのではないのか。
前後を監視車に挟まれ50キロで走る大きな重機を積んだトレーラーがゆずり車線に移動する場合は抵抗がないかも知れないが、先の例のように速く走れるクルマが制限速度を守って走っている場合は、左に寄りたくない気持ちがわからないでもない。しかも名前がゆずり車線。『なんで俺がゆずらなければならないんだ』となっても不思議ではない。人的努力がなければなりたたない交通規則は不完全のそしりをまぬがれないだろう。

白線を引きなおすだけで交通の流れが安全かつ円滑になれば、それこそ法律の精神をまっとうするということではないのか。

制限速度の設定も問題だ。法律で定められているようだから簡単には変更できないのだろうが、概して日本の制限速度は低く設定されすぎだ。実情に即してはいない。それでは運転する人間の危機感を殺ぐばかりだ。お上が定めた制限速度で走っているのだから安全、という誤解を生みかねない。
速度を抑えて走ったからといってクルマを運転する危険度が減るわけではないのに、単純に走行速度を抑えている。まるで事故が起きることを前提とし、起きた場合の被害を少なくするための設定ではないかと疑いたくもなる。

例えば、自宅のあるカリフォルニア州ファウンテンバレー市を貫く405フリーウエイとブルックハーストストリートのランプ。270度ぐるりと回るコーナーには35マイルの標識がある。もしここを40マイルで走ろうとすれば、いや37マイルでもいい、ほとんどのドライバーは怖い目にあうはずだ。35マイルは規制値ではなく、ふつうの人にとってそのコーナーの限界速度なのだ。

例えば、2000年1月1日をもってアメリカのフリーウエイの制限速度が連邦法ではなく州法で決められるようになった。
で、モンタナ州のように制限速度を撤廃した州も現れ、一時期はそれこそ高性能スポーツカーの聖地になった例もある。
で、カリフォルニア州は都市部の制限速度をオイルショック時に設定された55マイルから65マイルに引き上げた。当初、安全面から変更に反対する声もあったようだが、結果的には渋滞が減ったばかりかフリーウエイでの事故も減ったとする記事を読んだことがある。55マイルを上限として走っていたクルマが減り、「交通の流れ」全体が速くなった結果だろう。
最近のデータは持ち合わせていないので事故の発生件数とかはわからないが、流れが速くなった結果ドライバーに緊張感が生まれ、事故に結びつく運転が減ったとも想像できる・
実際、アメリカに帰るたびにものすごい速さで流れる405に乗って驚く。65マイル制限なのに75マイルは当たり前、時間帯によっては80マイルで流れている。それでも目立つことをしなければ速度違反に問われない。

いろいろな考えの人、様々な価値観の人が混在する「交通の流れ」の中で安全に効率よく運転することは難しい。運転している間は、ドライバー同士がお互いのコミュニケーションをとることができない。同じ空間を共有している人が何を考えているのかわかりようがない。

だから、違反を奨励するつもりは毛頭ないけれども、決められた数字だけにこだわるのではなく、自分が飲み込まれている「交通の流れ」を乱さないように心がけて運転するのが安全への第一歩だと考える。

日本の交通規制については言いたいことが山のようにあるけれど、こればかりは法律で決められたことだからなんともしようがない。しかし、法律の精神が、安全かつ円滑な交通の流れの実現にあるわけだから、もっと実情に即した運用がされてもいいのではないかと思う。

【追記】
・ゆずり車線の看板の下には英語で『Slower traffic lane』と書いてある。湖西に来た時からゆずり車線って変な名前だな、なぜ登坂車線と表記しないのかなと思っていたのだが、たぶんゆずり車線の一部が下っているので帳尻を合わせるための名前なのかなと想像している。
・モンタナ州はその後、相次ぐ高性能スポーツカー事故に対応するために制限速度を設けたというニュースに触れたことがある。


第79回 クルマを動かすということ

先日開催したYRSツーデースクールに参加していただいた方々からメールをいただいた。そのいくつかを紹介したい。

★ Sさんからのメール
ツーデースクールありがとうございました。
ビジネスマンとして或いは個人として色々な種類の研修を経験しましたが、トップレベルだと思いました。特に実技の時間がほとんどなので、体感から学ぶというか、身体経由でブレーンストーミングされる経験だったと思います。結局、「意識によってのみ運転が変わりうる」ということだと思いますが、身体から得た感覚がないと、知識だけではその意識を継続することが難しく、その意味で、サーキット走行の繰り返しがやはりこのレッスンのハイライトだと感じました。トムさんが講義された内容や、アドバイスを頂いたことの意味というか言葉そのものが、後になって響いてくるという不思議な経験をしました。またお世話になると思います。

★ Tさんからのメール
この度は、大変お世話になりました。
事前に想像した以上に内容に充実感があったばかりか、長時間の走行にも拘わらず終始楽しくかつ有意義に過ごすことができ、皆様の技術はいうまでもなく、お人柄にも、大変心打たれました。これまでいくつかのドライビングレッスンに参加してきましたが(いずれも、海外自動車メーカーの名前を謳ったプログラムでした)、安全ということをこれほど前に押し出しつつ、かつ、速く楽しく走ることをきちんと教えていただけたことはありませんでした。ご教示いただいた理論、技術を普段の安全運転に生かすとともに、自らの理解、技術の向上に努め、近い将来、再び皆様のレッスンを受講させていただきたく存じます。本当にありがとうございました。

★ Tさんからのメール
先日は色々とご指導頂きまして誠に有り難うございました。
運転に対する意識改革の機会として、大変有意義な時間を過ごす事が出来ました。サーキットで走る事と普段の運転は無縁・・・と今まで思い込んでいたのは、車人生において大きな損失でした。今後はいつものカーブや坂を上り下りする時にも自分の感覚を総動員して円滑な運転操作を目指す様に努めます。サーキット走行には(面白いと思いつつも)まだ踏み込めませんが、スクールにはまた参加したいと考えております。再びお会いできるのを楽しみにしております。

他の参加者からも感想やご意見をいただいたのだが、それはまたの機会に。

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さて、ユイレーシングスクールではYouTubeにオリジナルビデオを掲載させてもらっている。少しずつ視聴してくれる方が増えているようで、過去30日間の再生数は2,350余り、再生時間合計は3,000分を超えた。
サーキットを走ったりYRSオーバルコースを走っている動画ばかりだが、注意深く見ると運転操作のヒントになるようなものが見つかるはずだ。

その中で1ヵ月前にアップした動画の視点を変えたのがこれ。
題して、「タイヤは働く その2」

こちらも感想などお聞かせいただければ幸いです。


第78回 仲間とともに

スクールで使うコースを作っていると、沈みゆく太陽が富士山の陰を雲に…。

クルマ好きがたくさんたくさん集まってくれた2004年の年間68回には及ばないが、今年、ユイレーシングスクールは32回のドライビングスクールを開催。運転がうまくなりたい方たちがユイレーシングスクール独自のカリキュラムに挑戦している。

8月に富士スピードウエイで開催したYRSオーバルスクールには、ルノー メガーヌRSに乗るHさんが千葉から参加してくれた。


YRSオーバルスクール参加者と記念撮影。ADバンで参加してくれた方も。


メガーヌRSに乗るHさんと

9月のYRS+エンジン誌のドライビングレッスンには横浜のIさんがトゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールで参加してくれた。


エンジンドライビングレッスンの記念撮影を撮影


同じトゥィンゴ ゴルディーニRSに乗るIさんと

9月末に開催した富士スピードウエイで2日間走りづめのYRSツーデースクールには水戸市からTさんがトゥィンゴRSで、MさんがルーテシアRSで宮城県白石市から参加してくれた。

ユイレーシングスクールに遠方からの参加者が少なくない。今回も水戸市、名古屋市、豊田市、西宮市、和歌山市から、理にかなった運転を身につけるためにはるばる駆けつけてくれたのが嬉しかった。

特にTさんは、このブログを読んでトゥィンゴRSの購入を決められたそうで、その上実際にユイレーシングスクールに参加してくれたのだからとても、とても嬉しい。

HさんもIさんもTさんもMさんも、もちろん。スクールが終わる頃には朝一番で走った時よりもずっとずっと、クルマとの対話を楽しみながら粋に走らせていましたとも。


YRSツーデースクールの1日目は広い駐車場で…


YRSツーデースクールの2日目はサーキットを歩くことから… (背景に見えるのが30度バンクの名残り)


YRSツーデースクールの記念撮影


ルノー・スポール兄弟とTさん、Mさんと記念撮影

※ユイレーシングスクールは12月初めまでドライビングスクールを開催しています。カングーでの参加も大歓迎です。ぜひ一度運転の楽しさを味わいに来てみて下さい。


第77回 タイヤは働く

クルマは4本のタイヤでその機能の全てを路面に伝えている。駆動力、制動力、遠心力を4本のタイヤが『分担しながら』クルマの走行状態を保つ。
4本であることが必要条件だから、4本のタイヤのうちの1本でもグリップを失うことになれば、クルマはその機能を発揮することはできない。

スクールで毎回説明していることだが、クルマはひとつの機能だけを使っている時には非常に安定しているものだ。加速なら加速、減速なら減速、旋回なら旋回。その動きが始まってしまえば、そしてその動きを続けている限りクルマのバランスはまず崩れない。

しかし、その動きが始まる瞬間、その動きに移る瞬間にタイヤがグリップを失うことは大いにあり得る。特に対角線上に加重移動が起きる場合、すなわちターンインがその典型。
グリップを失う原因は様々だが、四隅にタイヤが付いているクルマの宿命で、1本のタイヤのグリップを損なうとその対角線上、反対側のタイヤのグリップも損なわれる。つまり、クルマが4本のタイヤで支えられているという常識が通用しない事態が起きる。

クルマを思い通りに動かすことが目的ならば、アウト側前輪のグリップに最大限の注意を払うべきだし、そのグリップの限界を探る方法もある。(どうするかは実際にユイレーシングスクールを受講してみて下さい)

ということで、一生懸命働いてくれる前輪をフィーチャーした動画がこれ。

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スクールで行うリードフォローのリードカーとして、動画撮影のカメラカーとして大活躍のルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール。こんなこともやりました。


於:富士スピードウエイレーシングコース


リアウインドにカメラをセット

※ 詳細は近日公開です。


第76回 あなたは?


掲載写真と本文は関係ありません

手元に財団法人交通事故総合分析センターがこの7月に発行した「交通統計平成23年度版」がある。全171頁に及ぶそれには、日本全国で起きた交通事故に関する数字がこれでもかというほどにならんでいる。
交通事故がどんな道で、どんな時間帯に起きたか、当事者の年齢、仕事中だったのか私用だったのか、何に乗っていたのか、事故の原因は何か、事故の状況は等々、過去に起きた交通事故の全体像を把握するには十分な情報が収められている。

それによると、日本国内で動いているクルマの総数(自家用および業務用の乗用車と貨物車と特殊車、原付以上の二輪車の合計)は2010年時点で約9,029万台。その年の人口が1億2千8百万人。運転免許保有者数が8千百万人となっている。日本人の63.3%がクルマの運転をする計算になる。

同じ年。725,773件の交通事故が起きているから、国内にあるクルマの1,000台に8台がなんらかの事故に関係したことになる。この年、事故が原因で事故発生から24時間以内に亡くなった方が4,863名。交通インフラの整備が進み、救急救命医療が発達し、なによりもクルマそのものが安全な乗り物になったから、一時の悲観的な数字というほどではないが、だからと言って、我々に利便性をもたらすはずのクルマが原因でこれだけの方が亡くなっているという事実から目を背けることはできない。

ちなみに、交通戦争という言葉が生まれた時代の1970年。1946年に統計が始まって以来最多718,080件の事故が発生し16,765名もの方が亡くなっている。クルマの安全性が叫ばれ始めた頃、1992年には近年最多の695,345件の事故が起きて11,451名の方が亡くなっている。統計上の数字がある2011年までで最も事故が多かったのが2004年。952,191件の事故が起き7,358名の方が亡くなっている。(以上の数字はいずれも24時間死者)

事故件数に対する死者数の割合は1970年が2.33%、1992年が1.65%、2004年が0.77%だから、クルマの安全性が向上し交通環境が整いつつある中で、事故が起きた場合でも最悪の結果に結びつきにくくなったと見るのが自然だろう。実際、最も新しい数字が得られる2011年では691,937件に対して4,863名だから0.70%となる。

クルマが好きで運転が好きな人間として、クルマを壊すことはもちろんのこと、クルマが原因で人が傷つくのは耐えられないという思いがある。クルマは乗り手にとって良き友達であってほしいと思いこそすれ、牙をむくなんてことはあってほしくないと思う。
しかし現実はそうではない。日本でドライビングスクールを始めてからできるだけ目を通すようにしているのだが、統計にはいささか残念な数字がならぶのも事実。

統計では交通事故を人対車両、車両相互、車両単独の3つに分けているのだが、車両単独事故での死者数が突出して多いのだ。

車両単独の事故は、駐車車両衝突、転倒、路外逸脱、防護柵衝突、分離帯・安全島衝突、その他工作物衝突に分類され、さらにその他が電柱、標識、橋梁等に分類されているが、表現が不適切なのを承知で書けば、要は乗り手が対象物とひとり相撲をとったのが車両単独事故の実態だ。だから、相手がいるわけでも不確定要素があるわけでもない。つまり乗り手がそうなることを避けることができれば、事故にはいたらなかった性格のものだ。なのに人対車両や車両相互の事故よりも悲惨な結果にいたることが多いというのは、なんともやるせないものだ。

2000年。この年の交通事故件数は931,934件。このうち車両単独に分類される事故が52,866件。事故全体に占める割合は5.64%。なのにである。同年の事故死者数は8,707人なのだが、車両単独の事故による死者数が2,092人で24.0%を占める。事故全体から見ると単独事故は多くないのに、死亡事故にいたったのは車両単独で事故を起こした場合が多い。
しかも、交通事故そのものが減り死者数も減少しているのに、死者数全体に占める車両単独事故による死者数は、この統計が始まった1999年が23.15%(5.36%=事故全体に対する車両単独事故の割合)、2000年が24.0%(5.67%)、2001年が23.45%(5.64%)%、2002年が22.92%(5.66%)、2003年が22.04%(5.60%)というように毎年20%を上回る数字が並ぶ。
最近の例を見ても2008年に19.60%(5.05%)、2009年に20.66%(4.84%)、2010年に20.99%(4.49%)と車両単独事故が原因の死者数は横ばいだ。2011年にしても車両単独事故は全体の4.18%なのに、車両単独事故死者は全体の19.77%を占める。交通事故で亡くなられた方の5人にひとりが車両単独の事故の犠牲者になる。

交通事故の総数が減少し交通事故全体に対する車両単独の事故件数も減っている。24時間死者の数字ではあるが事故死者数も減っている。しかし、車両単独事故が死亡事故につながることが多いのは昔も今も同じだ。避けようとすれば避けられる種類のものだけに・・・。

交通事故が起きるにはそれなりの理由がある。統計にはなぜ事故にいたったかの分析も載っている。
しかし、うっかりが原因であろうと速度の出しすぎが原因であろうと、つまるところ乗り手の運転のしかたに根本的な原因があるのは間違いない。少なくとも車両単独の事故は、乗り手の意識ひとつで回避することができると思うのだが。

街中を走っていると、本人にしてみればそれが当たり前で自覚はしていないと思うのだが、危険から遠ざかる努力をしながら運転している人と、たまたま偶然が重なって危険な目にあわずにすんでいる人の2種類の人がいる。
さらに言えば、この人は運転というものがわかっているなという人と、この人はクルマに乗せられているだけだなという人がいる。何も考えないで運転している人がいる一方で、刻一刻と反応して運転している人がいる。自分の得だけを状況判断の基軸にしている人がいて、他方、交通の流れに逆らわずに自己主張ができる人がいる。

どんな運転をしようと勝手だろ、と言われるかも知れないが、クルマをなめないほうがいい。クルマが内包するエネルギーは人間が推し量れるようなものではない。

たかが運転だろ、と言われるかも知れないが、ほんの少しだけクルマの運転にテーマを持ってみてはどうだろう。
運転に飽きたら、集中力が途切れがちだなと思ったら、燃費を稼ぐための運転をしてみるとか、速度を可能な限り一定に保てるように運転してみるとか。人間、何かに興味を持てば視界が開けるし意識が覚醒するものだ。その方法がわからなければユイレーシングスクールでいくらでも教えることができる。

とにかく、クルマという人間が自由を手に入れるための最高の伴侶を傷つけたくない。同時に、本来の主役である人間がクルマによって傷つくことも避けたい。どちらも不幸なことだ。

こんなことがいつも頭にあるものだから、ワインディングロードのの下りのコーナーで長々と真っ直ぐに続くブラックマークを見た時など、「あ、その人に運転を教えることができていたならなぁ」と、後悔のしようがないことを悔やんだりもする。


第75回 トゥィンゴ ゴルディーニ RS 躍る

ユイレーシングスクールでは、元社団法人日本オートスポーツセンターの委託で開催した筑波サーキットコース2000を使った筑波サーキット公式ドライビングスクールと、YRS卒業生を対象として鈴鹿サーキット西コースで開催したYRS鈴鹿サーキットドライビングスクール以外は、いわゆるミニサーキットと呼ばれる全長1キロ未満のサーキットでドライビングスクールを開催してきた。

理由はみっつ。ひとつは最高速度が高くないのでクルマへの負担が少なく、全くのノーマルカーでも必要なだけ走行を続けることができること。もうひとつは1周にかかる時間が短いのでサーキットの各コーナーを通過する回数が増えるため反復練習にうってつけなこと。
最後のひとつは、ミニサーキットでもモータースポーツを実践するために十分な施設であることを証明すること、だった。
実際、筑波サーキットコース1000や富士スピードウエイショートコースでは長年短距離レースのYRSスプリントや耐久レースのYRSエンデューロを開催し、多くのユイレーシングスクール卒業生が参加してくれた。

高性能のクルマを持っていると最高速度の高いサーキットを走りたくなるものだが、ミニサーキットこそドライビングポテンシャルの向上や、クルマを道具としたスポーツを満喫するのに最適だと考える。
アメリカのモータースポーツが盛んなのも、1,300ヶ所以上あるサーキットの中の半数を占めるミニサーキットで週末ごとにレースが開催されているからに他ならない。

話が横道にそれたが、NAエンジンがどんな振る舞いを見せるか試したくて、ルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールを富士スピードウエイショートコースに連れ出した時の動画を紹介したい。

スロットルペダルの動きにリニアに反応するエンジンは、実に快適に小さなホットハッチを走らせた。同じ向きのコーナーを走るオーバルコースでは足の粘りが印象的だったが、ロードコースを走らせてみると切り返し時に起きる逆ロールに対して滑らかに動く懐の深いリアサスペンションに感銘を受けた。
ビデオでは速度感が乏しいが、実施は全てのコーナーでリアタイヤはフロントタイヤに見合うだけスライドしていて、前後のスリップアングルの均一化が簡単にできたことを報告しておきたい。


第74回 人の振り見て

ある事情で30分ほど時間をつぶすことになった。次の用事を先に片付けてしまうには時間が足りないし、その日はノートパソコンを持って出なかったのでデータの整理もできず、そこで待つしかなかった。

そこは4階と5階が駐車場になっているスーパーマーケット。駐車場にはひっきりなしにクルマが入ってきては出ていく。日影なのだがクルマが発する熱のせいだろう、どんよりとした暑い空気があふれている。
買い物をする予定はなかったのだがせめて涼しいところで待とうと歩き出したのだが、脇をかなりの速度で通り過ぎる1台のクルマを見ているうちに考えが変わった。ここはひとつ、暑いけれど駐車場を走るクルマを観察する時間にしようと。

今から40年以上前のことなのだが、鈴鹿サーキットの1コーナーのポスト長として旗を振っていた時。30m先を時速270キロからターンインするレーシングカーの走りを見ながら「速いクルマの動き」を観察することができた。

4番ポストは1コーナーに向けてターンインする場所にあり、2コーナーに続く半径のより小さい3コーナーまでが守備範囲。その先は3コーナーにある5番ポストの受け持ちだった。
当時、改修前の鈴鹿サーキットの1コーナーと2コーナーの間には短いけれど明確な直線があった。3コーナーまでをひとつのコーナーと考えることもできるが、ほとんどのドライバーは1コーナーのターンイン後に加速していた。で、2コーナー手前で再度ブレーキングする。
速いドライバーは1~3コーナーも速かった。しかし走り方は同じでもクルマの動きはドライバー毎に異なっていた。1コーナーにとんでもない速度で飛び込むドライバーがいると思えば、2コーナー手前のブレーキングが誰よりも早いドライバーもいた。
マシンはあっと言う間に3コーナー先のガードレールの影に消えていくから、ほんの数秒の間に走り方の違いを見つけることは簡単ではなかった。それでも耳と目でイメージを造ることができるようになってからは、わずかな差を見つけることができるようになった。クルマが高速で移動する時に理想とする動きを、連続的に捉えることに慣れることができるようになった。

今から30年以上前のことなのだが、同じクラスのレースに参加するドライバーが「有料の練習」をしているのを目を皿のようにして見ていた。タイヤ代にも事欠く我がチームは事前の練習に使う予算がなかった。

しかし、それが良かった。練習する時間はなくても、同じような性能のクルマが速く走ろうとする時にどうあるべきか理解が進んだ。
あるドライバーは4速全開のコーナーにノーブレーキとも思えるほどの速度で進入していた。しかし、彼はその登っているコーナーの脱出は速くなかった。サーキットのコーナーの数は限られている。全てのコーナーで観察することも不可能ではないが、速く走る時にキモとなるコーナーに重きをおいた。
あるドライバーは下りきったところにあるヘアピンコーナーで、自分の想像を超えるほどの減速をしていた。減速は速さに逆行するといぶかしがった記憶があるのだが、実際にはそのドライバーが続くストレートでの到達速度が速かったことでブレーキングのもつ意味がわかった。
どうするとどうなる、ああするとああなる、こうするとこうだ、という因果関係がわかってくると、自分で走り出した時にやるべきことが見えるようになった。

自分にとって観察は先生を探す手段だった。何度も何度も見ているうちに、もちろん先生足りえる場合とそうでない場合があったのだが、徐々にそこであるべき姿が見えるようになる。あるべき姿がわかっていれば、それに足りないか足りているかが瞬時に判断できるようになる。同時に自分がすることを俯瞰できるようになる。観察することは、それが人の運転であれ自分の運転であれ、実際に練習をするのに等しく重要だと思ってきた。

さてさて。その駐車場ではさまざまな運転が繰り広げられていのだが、残念なことに「先生足りえる例」にはお目にかからなかった。
※絶対に真似したくない例
・進路を逆走するクルマ
・後続車が待っているのに通路の真ん中に止めて家族を待つクルマ
・一旦停止の標識があるのに止まらずに速度さえ落とさないクルマ
・携帯電話をしながら片手運転で坂を登ってきたクルマ
※もう少し運転に興味を持ったらもっと安全に走れるのに、と思った例
・ステアリングの初期にいっぱい切るから内輪差が大きく柱にこすりそうなクルマ
・同乗者と会話している時に相手の顔をみてしゃべっている人
・遠くを見ていないから先の状況を把握するのが遅れる人 等々

十人十色と言うし、みんな運転免許は持っているはずだから、いろいろなスタイルがあってもいいのかも知れないが、安全に対する配慮だけは欠かしてほしくないものだ。

ユイレーシングスクールでは全てのカリキュラムにリードフォローを組み込んでいる。インストラクターが運転するクルマに車間距離5mでついていくというものだ。
参加者には事前にこう説明する。『とにかく習うより倣えです。自分であれこれ考えないで、とにかく前のクルマの真似をすることだけに集中して下さい』と。

もうひとつ。スクールの最初に『自分の番ではない時は人の走りを見て下さい。初めはわからないかも知れませんが、慣れれば中の人が何を考えどう操作しているか想像できるようになります』と、観察眼を養うことの大切さを説くことにしている。


第73回 人かクルマか

まったくもって個人的な意見ではあるのだが、昔から「クルマより速く走れるようになりたい」と思ってきた。

正確に表現するのは難しいが、要は、『クルマの性能を余すところなく発揮できる運転技術を身につけたい』といつも思っていた、ということになろうか。
アメリカでレースをやっていた時も、勝敗を度外視して走っていたわけではないが、常にクルマの性能を十分に引き出すことをテーマにしていた。

そんな、思想と言ったら大げさだけれど、そんな考え方は米国ジムラッセルレーシングスクールの創始者であるジャック・カチュアの説くドライビング理論と通じるものがあった。ジャックは3日間のスクールの冒頭で、「クルマの性能より速くは走れません。クルマの性能より速く走った人もいません。まずクルマも性能をどうすれば引き出せるかを考えて下さい」といつも言っていた。
だから、日本語クラスを作ってほしいともちかけたのは、スキップバーバーレーシングスクールではなしにジムラッセルレーシングスクールだった。

時は移り1990年代後半。日本ではクルマが速ければ速く走れるという考え方がサーキットに蔓延していた。ジャックが知ったら眉をしかめる状況だった。

だからユイレーシングスクールが誕生したといっても過言ではない。
だから、端的に言えば、ユイレーシングスクールが掲げたテーマは『道具に頼らず自分の速さを追及しましょう』だったし、14年目の今も同じ。
だから、速く走るための必須アイテムだと誰もが思っているSタイヤは、当時からご法度だった。禁止とは言ったことがないけど、雰囲気をさとってくれたのだろうか、今までSタイヤで参加した人は10人もいない。

『クルマの性能を高めれば速く走れて当たり前。クルマにつぎ込む余裕があるのなら自分に投資してクルマととことん付き合って下さい。運転は一生モノです』なんて面倒くさいドライビングスクールだからか、参加者の4割近くは全くのノーマル。極端に改造したクルマで参加した人はいない。

7月のある日。そんなSタイヤに縁のなかったユイレーシングスクールがついにSタイヤがテーマのプログラムを実施したのだから、常連から「宗旨変えしたのですか?」と問われる始末。そうではなく、ある卒業生がタダでSタイヤを手に入れたことがことの発端。
とにかく、YRSオーバルレースでブイブイ言わせている常連にしてもSタイヤ経験者はいない。ならばみんなで味見するのが良かろうと、有志に協力してもらい1台のロードスターにラジアルタイヤとSタイヤの両方を履かせ、乗り比べをすることになった。

その時の車載映像がこれ。

味見をした後の感想はというと、「転がり抵抗が大きいから無条件に速いということはないね」、「Sタイヤは美味しいところがどこにあるのかわかりづらいな」、「速く走るためにどうしても必要ってことはないよね」、「割高でライフの短いSタイヤの費用対効果って疑問だな」等々。ジャックが聞いたら喜びそうだな、と思ったものだ。