トム ヨシダブログ


第92回 今年初めてのスクール


寒かったけど快晴

2月に予定していたスクールが3回とも雪の影響で中止。教えたい病の禁断症状が出始めたところで今年初めてのスクールにこぎつけた。

操作と挙動の因果関係を検証するのが目的のYRSドライビングワークショップ。当日は陽がさしているのに3℃しかない寒い一日だったが、神戸市からの参加してくれたNさんを含め全員が運転の面白さにすっかりはまっていた。

参加者は11名。うち初めてユイレーシングスクールに来られた方が5名。サーキットを走ったことのない方が3名でレースに参加したことのある方が3名。スクール主催者にとっては理想的な配分だった。

ちなみに、どこも改造していないクルマでの参加は4台だった。もちろん、メガーヌRSとルーテシアRSはともにドノーマル。それでも安定して速いのだからたいしたものだ。


オーバルコースを攻めるメガーヌRS


同じくルーテシアRS


メガーヌRSのHさんとルーテシアRSのYさん


RS3兄弟そろい踏みの図

で、YRSドライビングワークショップには発進加速の練習はないのだけれど、合間にルーテシアRSの売りのひとつローンチコントロールを試させてもらった。気分はまんま、F1ドライバー。Yさんも初めて試したローンチコントロールに笑顔、笑顔。
※ただしこのデバイスは安全を確保するため、そしてその良さを十分に堪能するためYRSドライビングワークショップなどに参加してクローズドコースで試されることを勧めます。

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ウエストレーシング製のVITAが走る

3月11日に開催したYRS筑波サーキットドライビングスクールで新しいプログラムを始めた。YRS卒業生を対象に速く走るためだけに作られたレーシングカーを味わってもらうYRSライド。次回は6月。興味のある方はまずYRSオーバルスクールかYRSドライビングワークショップを受講して下さい。


第91回 サルも木から落ちる。 んっ!

タイヤが路面を捉える様子を動画に収めようとしたのだけれども、トラクションコントロールを切ったルノー トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールのスロットルを踏み込むのがほんの少しばかり大きすぎて、ストレートに出た時に10センチだけ外側を走るハメになってしまった。

その結果がこの動画。題して「タイヤは回る」。

※それにしても、弾性体であるタイヤと付き合うのは楽しい。


第90回 東京見聞録


東西線の中で見つけたポスター

題名は少し大げさかも知れない。しかし、東京に住んでいて東京メトロの副都心線や有楽町線を利用している方は知っているのかも知れないが、東京の地下鉄が平面交差をしていたなんてホントに知らなかったし、ポスターを見て大いに驚いた。


まだ景色は寒々

今年の湖西は寒い日が多く春を足音はまったく聞こえない。しかし、千鳥ヶ淵の桜は蕾を膨らませていた。あと数週間ってところだろうか。


古木も頑張ってます


頑張れと声をかけたくなります

東京に用事があったのだけど、2日前にクルマで関東から戻ってきたばかりだし日帰りの予定だったから、新幹線を使った。何年ぶりだろうか。


用事が終わり湖西への旅の始まり

目的地でも自由に動けるから基本的にどこへ行くにもクルマだが、新幹線も嫌いではない(乗り物はなんでも好き、という意)。
特に、200キロを超える速度で移動しているということを想像するとワクワクする(クルマでこれだけの時間高速で移動することはまず不可能だ)。
来年春からN700系の最高速度が285キロに引きあがられることも発表されたし、決められた地点間しか移動できないものの、新幹線の移動効率はクルマよりくやしいが高い。


最新鋭そろい踏み


いいねぇ


国鉄時代からは想像できないかっこよさ

座席にすわり発車を待つ。ベルが鳴り終わりゆっくりと動き出す。この時点では背中に感じるシートバックの圧力は停車時とほとんど変わらない。まだ慣性力が小さいのだろう。

ホームを離れるころだろうか、背中がシートに押し付けられる感じが少し強くなる。どんどん速度を増す新幹線。だが、背中に感じる圧力はほぼ一定。ルーテシアRSのスロットルペダルを2速で床まで踏み込んだ時の、爆発的な圧迫感はない。おそらく、その加速度が新幹線を加速させるための最適値なのだろう。

高速で巡航を始める新幹線。車輪が発する周波数がある速度を保っていることを教えてくれる。しかし、たぶんスロットルは一定ではないはずだ。速度が上がっているようにも下がっているようにも思えないのに背中に圧力を感じたり、ふと、上体が自立する感じになったり。モーターのうなりも加わりあきらかに駆動をかけているな、という区間も、今は空走しているな、という区間も背中が教えてくれる。

三半規管でも加速度を感じているのだろうが、それは検証が難しい。新幹線であれば背中とつま先の感覚。クルマであれば背中とかかと、加えて手のひらの感覚に頼るのが現実的だというのが持論。

新幹線のホイールベースは長いし、そんなことが起きるように作られてはいないだろうから挙動変化で加速度を推し量ることはできないが、移動している自分を体感できるのはクルマと同じ。おそらく、マイナス加速度を含め0.2Gほどではないかと思うのだけど、それを感じるのは楽しい。

それから駅で止まる寸前のスピードコントロール。今までの経験からして個性が出ているように思う。絶妙なタイミングでブレーキを抜いてマイナスの加速度がほぼ一定のまま停車することがあると思えば、一旦速度が落ちて止まりそうになってからもう一段ブレーキを抜いて、明らかに停止線までの距離をかせいでいるな、とわかる時があったり。どういう操作をしながら停止線に近づいているのかを想像すると、これまた楽しい。だから新幹線も好き。


京都駅でお見送り

人間が自ら作り出せる範囲の加速度は、意識を必要とするまでもなく自分の中で消化してしまう。だけど、乗り物が人間にもたらす加速度には、その乗り物なりの味わいがある。


第89回 ユキはよいよい、だったけど…


こんなんでした。須走の旅館にて。

今年は雪が多い。YRSリトリートでの雪かきも3回を数えた。今も降っている。午前中は気温が高かったので降るそばからシャーベットになっていたけど、冷えてきたら積もりだした。明日は新記録の4回目かな。

で、先週末に今年最初のスクールとスクールレースを開催するはずだったのだけど、金曜日にコースが完成した頃から雲行きが怪しくなってきた。宿に戻っていろいろな天気予報片っ端から見てみたが、肯定的な予報は皆無。コースが水没するくらい雨が降っても決行してきたが、道中のこともあるので涙を飲んで夕刻に中止の告知。

天候不順で中止にしたのは、14年間で2回目。前回も雪だったっけ。

なんとか日曜日のオーバルスクールだけでもと懲りずにタブレットとテレビにかじりつくけど、状況は悪化するばかり。岡崎市からの参加があったこともあり、土曜日午前中に中止を決定。今回はユイレーシングスクールに初めて参加してくれる人が半数にのぼっていたのでぜひやりたかったのだけど、日曜日にコースに行ってみて判断が間違っていなかったことを確信。

翌月曜日は東京で打ち合わせ。未明まで東京方面への東名が御殿場から不通でやきもき。大津に帰るための新東名も三ケ日まで通行止め。「ユキめっ」と思いつつも、こればかりはどうにもならない。何もなかったことを良しとしなければ。


金曜日の朝。コースを作る前には富士山が拝めてたのに。


雪がやんだ日曜日。備品運搬車もトホホ。


本当ならばオーバルコースのストレートなんだけど。


探すのが大変だった。

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ホワイトバレンタインデーかな。

パソコンに向かう前に用事で県庁まで出かけたのだけど、湖西道路も161号線もノロノロ。ふだんの倍の時間がかかってしまった。

遅々として進まないので周囲のクルマの動きを観察した。運転を教える立場の人間としての個人的な意見なのだが、やはりクルマを運転している人はふたつに大別できる。

ひとつ目は、雪が降っていて、たまたま気温が低くないので積もってはいないのだが、晴天や雨天との時と同じような感じで運転している人たち。車間にしてもそうだし、前のクルマが減速を開始した時の反応の遅さもそうだ。雪の日には事故が多いようだが、それは、雪道が滑るのではなく、滑りやすい路面を走っていることに対する意識のしかたに問題があるのではないのか。

ふたつ目は、雪=滑ると思っているのだろうか、やたら慎重になって渋滞の原因になってもおかまいなしの人たち。安全を見越して運転するのは大切なことではあるけれど、交通の流れの中にあって自分がどういう位置に置かれているかを自覚したほうがいいのではないか。個人個人の目的を達成するにも、交通という体系の中に組み込まれなければ始まらないのだから。

ふたつに共通するのは、クルマをなにげなく運転していることだ。少しでも運転について考える時間を作れば、誰でもドライビングポテンシャルは向上するのだけどな。


第88回 四輪と四つ足と

Uさんという女性がいる。サーキットをクルマで駆け抜けてみたいと思い立ち、運転の基本から習いたいとユイレーシングスクールに参加してくれた。今までに鈴鹿サーキットドライビングスクールやYRSリトリートと呼んでいる拙宅でのYゼミに顔を出してくれた。
そのUさん、本職は乗馬のインストラクター。ご自身も乗馬の選手として競技に参加されていた経験をお持ちだ。

そのUさんから聞いた話。

前々から競馬場を走る馬がなぜあれほどの速さでコーナリングできるのか不思議に思っていたのだが、クルマの運転の話を進めているうちに謎が解けてきた。きっかけは、4本の足で走る馬はさしづめ4輪駆動ですね、とクルマのコーナリング理論から脱線したことだった。

馬の足は基本的に真っ直ぐにしか走れないという。その馬に円弧を描いて走ってもらうには内方という乗り方で馬に曲がってもらうのだと教えてくれた。それは、簡単に言うと、馬の前足と後ろ足の間の胴体を湾曲させ、4本の足自体は直線上を運動しているのにも関わらず、馬全体から見ると曲線的に移動するように仕向けることらしい。まるで4WSではないか。
遠心力はどうやって吸収しているのか、ロールはするのかしないのか、と素人まるだしの質問をぶつけると、Uさんは障害を飛ぶような馬術が専門なので競馬のことはよくわからないと断りながら、騎手が内方姿勢をとることで重心が円弧の内側に移動することで速いコーナリングスピードを実現できるのだと教えてくれた。

馬もすごいけど、それを操る人もすごい。まして馬はクルマと違って意識を持つ生き物だ。

知らないということほど怖いものはなく、4WDに4WSなら乗りこなせれば完璧ですねと相槌を求めると、競馬の場合はそうかも知れないけど乗馬の場合は後2輪駆動と言うべきかも知れないと諭された。走るだけでなく跳躍することも求められる乗馬では、後足が全ての基準になって動きにつながると言う。どうやらテールヘビーの大馬力エンジンを積んだFRのようなものらしい。だから競馬馬と乗馬用の馬では筋肉のつき方も異なるらしい。
さしづめ、有り余るパワーを路面に伝えるためにとんでもなく太いタイヤを履き、後輪のスリップアングルを最優先にセットアップし操作していた昔のF1みたいなものではないか。操るのが大変そうではあるけれど。

いずれにしても、競馬にしろ乗馬にしろ馬が動きやすい環境を整えることで目的を達しているわけで、その意味では馬に乗ることとクルマを運転することの意識の間には共通点があることは間違いない。

実際、120センチの障害を飛べる高い能力を持つ馬でも、乗り手が馬の気持ちになれないともっと低い障害でも飛んでくれなくて自尊心を傷つけられるらしいから、乗り手次第という意味ではまさに同じなんだろうなと。


第87回 富士スピードウエイレーシングコースを走る

鈴鹿サーキットや富士スピードウエイといった大きなサーキットでドライビングスクールをやってほしいという要望が前々からあった。

長いストレートならクルマの最高速付近のスピードを体験できるから走っても気持ちがいいに違いない。ドライビングテクニックにしても、高速コーナーや長いストレートの後のブレーキングで正確な操作ができて初めて本物と言えるのも間違いではない。

しかし、ユイレーシングスクールは小さなサーキットや駐車場に設けたコースでドライビングスクールを開催し続けてきた。それは第一義に反復練習の回数が多ければ多いほど練習になると考えているのと、高速で走らなくても基本的な操作は十分に習得できると思うからだ。
と言うのも、高速で走ると単位時間あたりの移動量が大きくなるから、操作の間違いは増幅されて結果に表れる。それは、慣れるまでは危険につながるし、「とにかく速くなくてもいいですから再現性のある操作を身につけて下さい」というユイレーシングスクールのポリシーにも反することになる。もちろん、教える立場からも1周にかかる時間が短いほうがアドバイスしやすい事情もある。

それでも、スピードを出したいという誘惑もわからないでもないので、今年は富士スピードウエイのレーシングコースでドライビングスクールを行うことにした。事前に参加者に配る資料を作っているのだが、その一部を先行公開。クルマが速く走ると、速くなればなるほど不安定になることを知ってもらうための表だ。
人間にしてみれば単にスロットルを開けるだけで達成できることなのだが、タイヤのコンタクトパッチでしか路面と接していないクルマにとって、高速で走る時になぜ繊細さが必要かという数字だ。少しばかり想像すると、なぜ高速域でクルマを安定させることが難しいのかがわかる。

とまぁ、それはそれとして、富士スピードウエイのレーシングコースでドライビングスクールをやるのだからコースを知らないではすまされない。トゥィンゴ ゴルディーニRSを連れ出してある走行会で初体験した時の動画がこれ。『いやぁ、広すぎてどこを走っていいのかわからない』の巻。

※30分のセッションの2周目以降を収めてあるので長編です。


第86回 エンジンドライビングレッスン


終わってからの記念撮影は笑顔、笑顔

エンジンという雑誌がある。時計やクルマやファッションなど大人の男が心引かれるアイテムに焦点を当てて創られている。読まれた方もいると思う。

そのエンジン誌が主催するのがエンジンドライビングレッスン。実は2003年に当時の編集長だった鈴木正文さんに企画を持っていって実現したものだ。
とにかく、毎号毎号これでもかというほど高性能で魅力的な(しかも高額な)クルマが掲載されている。個人的に大きなクルマは性に合わないのだがそれらのクルマの良さは十分に理解できるし、現実にはそういうクルマを所有している人もいるわけで、そんなクルマを所有している人に運転を上手くなってほしいものだ、と考えるのは自然な流れだった。

編集部近くのお寿司屋さんで昼食をごちそうになりながら、「編集長、クルマは使ってなんぼのもんです。読者が思いっきり愛車を走らせる環境を用意して、読者に愛車を粋に走らせるコツを教える機会を作りましょう。クルマは使わなければもったいない。読者が所有欲を使用欲へ転換できるように促すのもエンジンの使命のひとつです」と熱く訴えたことを覚えている。

2003年暮れ。試験的に開催。これが参加した読者に大好評。聞きたかったことを教えてもらえた。自分の操作が間違っていたことに気づいた。運転がこんなに楽しいものだとは気がつかなかった。クルマは操作次第で安定して走るものだとわかった。等など。編集部が集めたアンケートには、運転に目覚めた人達の声があふれていた。

ということで、2004年からは定期的に開催することになった。年によって開催数は異なるが、10年間で46回、延べ1,204名の読者が受講してくれた。

日本に数台しかないというクルマも参加した。ポルシェばかりが20数台も集まった回もあった。きれいにレストアされた古いクルマにも同乗させてもらった。下は20代から上は70代まで、クルマのことになると話が尽きないといういい大人が丸一日、クルマ以外のことを頭から追い出してクルマを動かすことだけに没頭する。そんなエンジンドライビングレッスンが今年も3回開催される。


順番待ちのクルマを見るだけで壮観

午前中に行うオーバル定常円を走る


アドバイスに耳を傾けるどの顔も真剣


エンジン読者はみな紳士。それでいて熱い


参加車もバラエティに富む


高性能なクルマこそ正確な操作が求められる


参加される方もさまざま


午後は筑波サーキットコース1000を走りっぱなし


心地よい疲労と笑顔。最も嬉しい瞬間


ユイレーシングスクールではこんなクルマも作った


鈴木編集長に試乗してもらったことも

※ロードスターを改造したこのクルマ。アメリカのSCCA車両規則に合わせて作った。夢は卒業生とこのクルマでアメリカのレースに挑戦すること。
※写真は過去に開催したエンジンドライビングレッスンから。撮影は神村 聖さん、版権はエンジン編集部にあります。


第85回 クルマを支えるタイヤさん

小学校の時は品川区に住んでいた。その頃の、遠い遠い昔の、記憶の片隅にぶら下がっているようでいて、今なおクルマを動かす時の原点みたいになっている話。

何年生の時だったか定かではないが多分高学年のある時。作文コンクールがあった。それで、「タイヤさんはかわいそう」というような作文を書いた。当時はそれほどクルマが走り回っていたわけではないはずなのだが、今にして思えば、クルマにあこがれる少年はクルマをよくよく観察していたのだろう。

地面に接している面は平らになっていて、タイヤが回転しても地面に接した瞬間にその部分が『ひしゃげる』。

次々に形を変えながらクルマを動かすそれを「クルマを動かすタイヤさんはかわいそう」と表現したのだが、内容は忘れた。当然その作文は入選はおろか佳作にも選ばれなかった。どんな作文が選ばれたのか全く記憶にないし、小学生らしい内容のものだったことは想像に難くない。
別に選ばれることを目的に書いたわけではなかったろうからそれはそれでいいのだが、先生が「よく気がついたね」とほめてくれたことが、入選するよりも嬉しかったことは今でも覚えている。

そんなことを思い出しながら編集したビデオがこれ。題して『タイヤは耐える』。

で、やっぱりタイヤさんに気を配って動かさないと悪いな、と思ってタイヤさんの動きを強調したのがこれ。題して『タイヤは耐える その2』

アップしたビデオを確認しながら、こんなことも思い浮かべた。

時は過ぎ少年は成人し、小学生のころまで可愛がってくれた祖母の法事の席。誰からともなく「ともちゃんはほんとにクルマが好きだったからな。循環バスに乗って何周したんだっけ」と振られ、「おばあちゃんはよく乗りにつれていってたもんな」と続き、「だからクルマ関係の仕事をするようになったのね」と落ち着いた。

そんな記憶が確かにある。幼稚園か小学校低学年か、当時、大井町駅から原町、荏原町を通り大井町駅に一周して戻る循環バスがあった。まだトラクターヘッドで牽引するトレーラーバスというシロモノもあった頃。トレーラーバスの場合は最前部に、ボンネットバスの場合は運転席の真後ろに座ってクルマを味わうのが至高のひと時だったのを覚えている。
大らかな時代だったのだろう。一回の乗車賃で何周もするボクとおばあちゃんがとがめられたという記憶は、ない。


第84回 久しぶりの鈴鹿レーシングコース

実は、アメリカでレース活動を始める前に一度だけレースに参加したことがある。

あれは1982年1月17日。打ち合わせで日本に戻って来ていた時のこと。無謀にも練習なしのぶっつけ本番で新春鈴鹿300キロレースに参加することにした。予選で初めて乗るクルマと初めてレーシングスピードで走るコース。
鈴鹿サーキット自体はコースオフィシャルとして旗を振っていた経験があるからレイアウトは熟知していたし、走るクルマを客観的に見ることには慣れていた。
が、クルマで走った経験はというと、配置につくためにマイクロバスに乗せてもらっただけ。常識的に考えればレースに出て他人と争う状況にはなかった。

けれど、個人的にはそんな状況が嫌いではない。

条件が揃わなければやらないのではなく、条件を整えるために時間を使うのでもなく、その時、自分に何ができるかを確認することが、より良い結果を得ることよりも大切なことだと思っていた。

だから、もちろん上位でフィニッシュできるはずもなく、ただただファーストドライバーから受け継いだ時の順位を守り、できればさらに上位を目指せれば上出来と考えていた。

50周レースの半ば。予選21位から何台か抜いて戻ってきた大竹君からステアリングを引き継ぎ、自分との勝負が始まった。ピットアウトして1コーナーに入るころ、競り合いながらストレートを駆け下っている数台の集団が見えた。これ幸いとS字入り口までに先に行ってもらい、まずついて行けるかどうかを確かめることにした。
で、1周もしないうちに懐疑は確信に変わった。単独で走れば速いドライバーも競り合っていると自由が利かない。速さを殺がれていた。十分に未経験者が集中できる速さだった。

しかもシビックはとてもスリップストリームが効いた。スプーンカーブを立ち上がって裏のストレートの半ばで、スロットルを戻さないと、前を行くクルマに追突しそうなほどだった。
競り合っているクルマはストレートではもちろん、コーナーでもラインを変えてお互いをけん制していた。目の前には何人もの先生が走っていた。ダンロップブリッジを駆け上がる時にも、スリップストリームが効いているのか確かめるために異なるラインを試すことができた。

チェッカーまで数周を残したところで23番ポストでイエローが振られていた。集団の最後から130Rにさしかかると、エイペックスを過ぎたあたりのコース上で1台のシビックが横転していた。

車両がコースを外れて止まっている時には、2周イエローフラッグを提示してドライバーに伝えた後に解除するのが鈴鹿サーキットのルールだった。チェッカーまで残りわずか。しかも車両はコース上。イエロー解除はないと見た。
ピットサインを横目に最終ラップに入り頭の中はスプーンカーブの立ち上がりに占領されていた。「130R手前の24番ポストで2周イエローが振動で振られていたから次は静止提示になるはず。ならば23番ではイエロー解除だ」と結論を導き出したところで裏ストレート。これでもかとスロットルを開け、坂を上りきる前に1台。立体交差のはるか手前で2台。それまでは、横に並んでも『いや~ぁ、届かない』振りをしていたけれど、この時ばかりは物理の法則を最大限に利用させてもらった。
イエローが提示されている24番ポスト手前の立体交差にさしかかるころ1台をインから抜いた。直後の追い越し区間でそのクルマはなす術もなし。事実上のレースはここで終わった。あとは、初めて前にクルマがいない最終コーナーを全開で駆け下ることだけだった。

最終ラップまでに前を走る集団のうちの1台を抜いた記憶があるから、大竹君から引き継いだ時の順位は定かではないが、おそらくポジションを上げることはできたはず。なによりも、自分の中で速さに対する確信を得るための引き出しが増えたことが最大の収穫だった。

’82新春鈴鹿300キロ自動車レース結果

そんなことを思い出しながら、トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールで30年ぶりに鈴鹿サーキットレーシングコースを走ってみた。前夜からの雨でコースはウエット。風が強く時折陽がさすものの、気温が低くライン上すら乾かない状態。それでも、自分の原点とも言えるコースを走るのは大変気持ちのいいものだった。

ただ、わがままを言わせてもらえば個人的には昔のコースのほうが良かったと思えたのは残念だった。

あの時、1コーナーから2コーナーまでの間に明確な直線部分があったからスロットルを全開にしていた。デグナーカーブは早めにインにつくと後が大変な、いつまで経っても終わらないブラインドコーナーだった。スプーンカーブ1個目はもっとRが大きかったし2個目までに加速できる区間があった。130Rは高速の大きなひとつのコーナーで自分の意識を確認するにはうってつけの場所だった。シケインのない最終コーナーはラインを間違えるとスロットル全開でもオーバーステアになるほどだったが、立ち上がりながら少しずつ見えてくるキラキラと光る伊勢湾がステキだった。
他にも細かい部分が変わっているようだが、それでも鈴鹿サーキットは鈴鹿サーキット。クルマをキチンと走らせることの重要性がこれほど理解できる環境はない。

※あの時、快くシビックを貸してくれたオフィシャル仲間だったRSヤマダの山田さん、一緒に走ってくれた大竹君。今でも感謝しています。


第83回 2013年全日程終了


最後のスクールの週末。金曜日に仰いだ富士山。

12月8日。ポルシェクラブ千葉のメンバーを対象としたYRSプライベートスクールが終わり、今年予定していた活動の全てが終了した。

今年ユイレーシングスクールに参加されたのは21歳から73歳までの延べ465名。うち86名がユイレーシングスクールを初めて体験された。率で言うと18.5%。ここ10年以上リピーターが9割を超える年が続いていたから、ほんとに久しぶりに新たに参加してくれた方が増えたことになる。

15年目を迎える来年も「モータースポーツをもっと手軽に、もっと楽しく、もっとみんなで」を合言葉に、参加してくれた方々に『クルマの運転って楽しいですね』と言ってもらえるようなドライビングスクールを開催したいと思う。ルノーユーザーを対象としたドライビングスクールも開催できればと思っている。

※クルマの性能を存分に味わうことができるサーキットでのスポーツドライビングも、乗り手に確かな知識と集中力を求めることには違いないのでユイレーシングスクールではひとからげにモータースポーツと定義している。