第116回 ジムラッセルレーシングスクール
当時、双子を授かりレース禁止令が出ていて自分で走ることがかなわなかったので、代わりに日本語クラスを作ってもらい日本からの受講者を受け入れる体制を作った。
とここまでは2013年3月のブログに書いた。
1987年。当時ジムラッセルレーシングスクールカリフォルニア校はラグナセカレースウエイとリバーサイドレースウエイを拠点としていた。その後ラグナセカをメインに活動するようになったのだが、日本語クラスはロサンゼルスに近いウィロースプリングスレースウエイでも開催した。
ラリアートにジムラッセルレーシングスクールのスポンサーになってもらっていたこともあり、毎年暮れにはミラージュカップシリーズに参加したドライバーが忘年会を兼ねて受講してくれた。
結局、記録を見てみると243名の日本人がジムラッセルレーシングスクールを受講してくれたことになる。
3日間。フォーミュラカーで走り回る魅力的なカリキュラムは昔から憧れだった。そんな環境があれば、もっと直線的にレースデビューを果たせたかも知れない。そんな思いを抱きながら、期間中は日本からのお客さんに一生懸命アドバイスをしたものだ。
ところが、校長のジャック・クチュアもチーフインストラクターのマーク・ウォロカチャックもしゃべりすぎだと言う。
こちらは、はるばる日本から来てくれたのだから、そしてめったにない機会なのだからと正解をまじえながら操作の方法を伝えることが誠意だと思っていたのだが、自分で考える癖をつけてもらうためにしゃべりすぎは良くないと言う。
マークを初めジムラッセルレーシングスクールのインストラクターが淡白とも言えるアドバイスをしていたのは前々から知っていた。それは本当にそっけない。
「ターントゥーレイト」とか「ターントゥークイック」だとか「ブレーキトゥーレイト」とか「スロットルトゥースーン」だとか。とにかく彼らが見た事実を伝えるだけだった。
これには悩んだ。大いに悩んだ。自分で考え工夫して運転する癖をつけてもらうことが最も望ましいことはわかる。アメリカ人の受講生が簡単すぎるアドバイスだけで、ゆっくりではあるが上達していく様も目の当たりにした。
一方、日本人と言えば突っ込みすぎるのを抑えることが多かった。質問の内容も、どうすれば速く走れるかに集約された。
できる限りためになると思うアドバイスをしてあげたい、けれどしゃべりすぎは駄目だと釘を刺される。ったく、どうすればいいんだ、と思いつつある仮説にたどり着いた。
ジムラッセルレーシングスクールの教え方は『過程』を重視していて、受講生に過程評価の仕方まで教えているのではないかと。日本では結果評価が優先される風潮にあるから、過程を飛ばして『結果』にだけ目がいってしまうのではないだろうかと。
まずはシアーズポイントのドラッグストリップを使ってブレーキング
だから、ユイレーシングスクールを始めるにあたってひとつの方針を立てた。『過程』と『結果』の両方を目指すアドバイスをしようと。
それが難しいことだとはわかっているが、運転に限らずふたつの国の教え方の違いに接してきた身としては唯一の解決策だった。
だから、ユイレーシングスクールでは褒めない。受講者がひとつのテーマをクリアしても褒めない。たまたまうまくいった時にも褒めない。
言うことを聞かない人には、質問が来るまでアドバイスしないこともある。質問ばかりする人には、「何も考えないで走って走ってみて下さい」と言う。
その代わりに、「目指すのは理にかなった操作です。まだ先がありますよ、頑張って」と言うことにしている。
そして、「ボク自身まだまだ発展途上です。運転に関してはみなさんの先輩です。信用して大丈夫ですから後についてきて下さい。」と付け加えることにしている。
ですから、ユイレーシングスクールを受講して褒められなくても落胆しないで下さい。みなさんが上達していく様子はちゃんと心に刻んでいますから。