第274回 遠い昔の思い出 2
初めてアメリカのモータースポーツを取材したのは遠い昔の1976年6月。カリフォルニア半島の先端付近で開催されたバハインターナショナルオフロードレース。現代のパリダカの起源のようなオフロードレース。池沼純一さんが日本人として初めて挑戦した。
見ること聞くこと全てがダイナミックでスケールが大きくて眩しくて、アメリカのモータースポーツをもっともっと味わいたい、日本に伝えたいと思った。
オートスポーツ96年4月15日号
日本にもスーパースピードウエイができると聞いて
ストックカーレースの総本山であるフロリダのNASCARに押しかけ
NASCAR創設者ビル・フランスJr.の息子で
当時マーケティングマネージャーをやっていたブライアン・フランスにインタビューした
「トム、我々はストックカーレーシングをモータースポーツだとは思っていない
MLBやNFLなどと同じメジャースポーツとして位置づけているからね」
の言葉が印象に残る
ブライアンは現在のNASCR会長
カーグラフィック1994年3月号
1998年調べで全米に1,029ヵ所のオーバルコースが存在し
ローカルのオーバルコースでは毎週のように行われているストックカーレース
その頂点ではなく底辺でもなく
明日のデイトナウィナーを目指すドライバーが集うクラスに乗ってやろうという企画
とにかく手っ取り早くストックカーを味わうためNASCARの総本山に近い
フロリダ州エッヂウォーターにあるフィニッシュラインレーシングスクールを受講
ストックカーレースにまつわる情報を吸収しながらNASCARの人気カテゴリーである
・モディファイ
・レイトモデル
・スポーツマン
に一気乗り
ボルシアレースウエイはターンのバンクが10度でストレートが5度
1周800mのいわゆるハーフマイルトラック
オーバルレースの魅力は人間が主役であること
マシンはローテクの塊りだけど調整幅があるから
クルマを知っている人なら工夫して速く走らせられる
NASCRのトップカテゴリーを除いてお金があるから速いという図式はない
タイヤだって何レースも持つカチカチがレギュレーションで決められているし
破損するといけないといまだ鉄チンホイールしか許されない
速く走らせるテクニック以上にクルマを速く走らせる努力が求められる
ローカルのクォーターマイルオーバルに行くと
昔走っていたというお年寄りが若者のセッティングを手伝ってやっている
スタンドでは親父が小さな息子と観戦している
つたない文章では伝わらなかったかも知れないが
NASCARストックカーを通じて
グラスルーツモータースポーツから
取材した当時ですらMLBより視聴率の高かったウィンストンカップまで
日本からは想像もできな広大で広大な裾野を広げ
意思のある者はどこかに開いている門戸が見るかるアメリカンモータースポーツの世界を伝えたかった
そこには太さの異なる金太郎飴が何十種類もあるだけでなく
桃太郎飴や浦島太郎飴や片目をつむった金太郎飴が並んでいる
※カーグラフィックの写真はFさんの蔵書を撮ったものです。Fさんありがとです。