トム ヨシダブログ


第772回 77回目のYRS+エンジンドライビングレッスン

2003年。『所有欲から使用欲への転換』と題したユイレーシングスクールの企画書から生まれたエンジンドライビングレッスン。年間開催数の増減はあったものの22年目に突入。先週の木曜日にとんでもなく寒い筑波サーキットで77回目のエンジンドライビングレッスンを開催した。

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エンジンドライビングレッスンは
村上エンジン編集長の話から始まります

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「なぜクルマは楽しいのか・・・」
「なぜ運転を習うのか・・・」
まだの方は一度編集長の話を聞きにおいで下さい

 

今回のエンジンドライビングレッスンは23歳から66歳まで平均年齢53歳の26名が参加。いつもはリピーターがほとんどを占めるのだけど、今回は嬉しいことに9名がエンジンドライビングレッスンに初めて参加。そのうちの3名はサーキット走行は未経験。

エンジンドライビングレッスンはユイレーシングスクールが2000年から5年間、当時の社団法人日本オートスポーツセンターの委託を受けて開催していた筑波サーキット公式ドライビングスクールが原型。午前中に筑波サーキットジムカーナ場に作ったオーバルコースでクルマを動かす基礎となるイーブンスロットルとトレイルブレーキングの練習。午後からはコース1000を走ります。

ちなみに筑波サーキット公式ドライビングスクールは4年間(2000年はコース2000でのドライビングスクールを委託されていた)で74回!開催。中でも2002年には年間23回という多さ。ユイレーシングスクールもよくやったなぁと。この間の参加者は延べ1,815人。サーキットを既に走っていてブラッシュアップに来られた方もいるけれど、かなりの数の人がこのカリキュラムで安全にサーキットデビューできたのではないかと自負している。

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1日中走り回って最後は老いも若きもみんな笑顔
クルマが人間能力拡大器である所以です
 
 
photo:Sei Kamimura

 

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今回のエンジンドライビングレッスンに参加してくれた仲間
アルピーヌA110が3台とメガーヌRSトロフィーが1台

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エンジンドライビングレッスン初参加のHさん
サーキット走行の経験もゼロなのになかなかの走り
峠でも走っているんですかと聞くとコクリ

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RX-8で長年エンジンドライビングレッスンに通っていたTさん
とっくのとうに魅力的な色のA110を手に入れていたのに
ようやくお披露目

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エンジンドライビングレッスンは初めてのKさん
免許返納の時期を先延ばしするために
運転の上達を目指してA110を購入したと言う
その志に大拍手でKさん応援していますよ
 
とブログを書いている間にKさんが
YRSツーデースクールFSWに申し込んでくれた(喜)

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エンジンドライビングレッスンにも
ユイレーシングスクールの各種ドライビングスクールにも
顔を出してくれているNさん

 

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26名の記録
速いか遅いかが問題ではなく
クルマの性能を引き出す努力をしたかが重要です

 

次回エンジンドライビングレッスンは5月23日(木)。今年最後のエンジンドライビングレッスンはは10月3日(木)です。
ユイレーシングスクールは3月31日(日)にFSWでトライオーバルスクール、4月27、28日にYRSツーデースクールを開催します。



第771回 FSWのルノー仲間

2月初めのYRSオーバルスクールFSWで初めてユイレーシングスクールに来てくれたKさんが、職場の先輩を誘って2月末のYRSドライビングワークショップFSWに来てくれた。

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練習の合間にSさんとKさん

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2月に2回来てくれたKさん

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A110のよく動く足を堪能していたSさん

 

YRSドライビングワークショップは運転の基本から応用まで1日で習得できるように、ドライビングポジションの確認、限界ブレーキの練習、スラローム走行、オーバル走行を行います。次回のYRSドライビングワークショップは6月15日(土)に開催します。



第770回 TC1Kのルノー仲間

小雨そぼ降るとんでもなく寒い先週の木曜日。筑波サーキットコース1000(TC1K)を終日使って今年1回目のYRS筑波サーキットドライビングスクールを開催。
冠水こそしていないものの路面は完全にウエットで凍りそうなほど冷たくタイヤは温まらない中、コーナー毎に区切った練習をした参加者は滑る路面を大いに楽しんでいました。

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写真左から
メガーヌRS(MT)乗りのEさん
メガーヌRSのワタクシ
顔出しNGの
ルーテシアRSのTさんと同じくルーテシアRSのライバルのSさん
A110の軽快さに目覚めつつあるWさん
撮影しているスタッフYの20万キロ走破のルーテシア3RS

 

YRS筑波サーキットドライビングスクールの特長は1つひとつのコーナーを区切って反復練習を行いコーナー毎の習熟度を上げるカリキュラムです。特定のコーナーに対する走り方をリアルタイムでアドバイスするので、操作に対する理解度が飛躍的に高まります。

ちなみに、ユイレーシングスクールは2000年から2004年まで当時の社団法人日本オートスポーツセンターの委託を受け、公式筑波サーキットドライビングスクールを開催していた由緒あるスクールです。当時のカリキュラムは現在のエンジンドライビングレッスンが受け継ぎ、ユイレーシングスクールはサーキットを走るつもりのない方も視野にいれたYRS筑波サーキットドライビングスクールを開催しています。

次回YRS筑波サーキットドライビングスクールは7月18日(木)に開催します。



第769回 荷重移動をコントロールする

3速の最大トルク発生回転あたりでイーブンスロットルを保ちつつコーナリング。立ち上がりでステアリングを戻す量と正確に反比例するだけスロットルを開けて4速に。そのまま加速すると速度超過になるから4速に上げてからはスロットル一定。もちろん上り坂になれば開けるし下り坂ならば閉じる。
次のコーナーが迫る。イニシャルブレ ーキングで減速Gを立ち上げてから踏力を抜く。パッドとローターが離れない範囲の最小限の踏力を維持。前後荷重が均等になるのを確認してから右足をブレーキペダルに置いたままターンイン。最初はごく微舵角。直進方向に進んでいた運動エネルギーがステアと連動しているのを確認してから切り足す。ブレーキは、まだパッドの摺動抵抗を感じながら引き摺り続ける。ターンインの瞬間にわずかに肩で感じた遠心力がややあって腰で感じられるほどにクルマがロールする。

ヤッタ!   直線を走っている時に合致していたクルマの向きと運動エネルギーの方向を、クルマを曲げてもなお、ほぼ一致させ続けることができた。

クルマの運転でこれほど楽しいことはない。本来ならば人間が御しきれない大きな力を高い感性と繊細な操作で自在に操る。

それが何だ、と言われればそれまでだけれど、周りはみんながクルマの動きなど意に介せずにクルマ任せで走っているのを見るにつけ、もったいないと心から思う。ユイレーシングスクールのスタッフと比べてもボクが最も奥までブレーキを引き摺る。なぜ奥まで引き摺るのか。なぜって、クルマは一度も失速することなくブレーキングからターンイン、コーナリングから加速へと流れ続ける。その筋道をつけているのが自分自身だと認識できることが楽しい。

まぁ、人から見ればそんなたわいのないことを楽しむのが富士スピードウエイから須走の定宿、扇屋さんに行くまでのワインディングロードの往復。基本的に須走に向かって登り、FSWに向かって下りだけど、どちらもそれなりの楽しみがある。

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YRSツーデースクールFSWの時に
扇屋さんに泊まる参加者に配る地図
 
東ゲートを出て須走に向かうと
将来小山スマートインターができるあたりにラウンドアバウトができたから
若干実情とは異なるけど
富士霊園から先のワインディングロードはそのまま

 

今のクルマは良くできているしタイヤもしっかり路面をつかむから、なにげなく運転してもクルマの動きはほとんどが運転手の手柄になる。運転手は自身の操作に疑問を持たない。

しかしクルマは動き出した瞬間にエネルギーを蓄え始める。速度が上がるほどにそれは巨大な力になる。それは人間ひとりでは絶対に手に負えないシロモノ。それを味方につけるための努力が、イコール運転を楽しむことと言っても言い過ぎではないだろう。それを味方につければ安全にクルマを走らせられるし、速く走ろうと思えばそれも可能だ。それを味方につけるためには荷重移動のコントロールが極めて重要になる。

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ターンイン時に左右前輪に荷重がかかっていないと
ステアした瞬間に直進しようとしていた運動エネルギーが
アウト側前輪に集中しイン側前輪はロールによってリフトする
 
ターンイン時にイン側前輪の荷重が抜けていなければ
フロントのロールが抑えられると同時に
リアのロールも抑制されるから
結果としてクルマは向きを変えやすい

 

ユイレーシングスクールでは次のドライビングスクールを開催します。ロールコントロール、荷重移動のコントロールを実際に体験してみませんか。
・2月22日(木) YRS筑波サーキットドライビングスクール 開催案内
・2月24日(土) YRSドライビングワークショップFSW 開催案内
・3月31日(日) YRSトライオーバルスクールFSW 開催案内



第766回 ルノー仲間が増えました

2024年最初のスクールはYRSオーバルスクールFSW。メガーヌ4RSに乗る女性2人が初めてユイレーシングスクールを受講してくれました。効果は絶大。楽しそうに走っていました。

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この日のルノー達
 
左からスタッフYとワタクシ
初参加のKさん
ルノーを手に入れたWさん
初参加のTさん
常連のOさん
スタッフF



第765回 25年目のユイレーシングスクール その2

<長文です>

第764回 25年目のユイレーシングスクール から続く。

1999年11月中旬にアメリカから一時帰国。同年12月8日に埼玉県にある桶川スポーツランドで初めてのユイレーシングスクールを開催。インターネットだけの募集だったけれど、確か定員いっぱいの16名が参加してくれた。

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ユイレーシングスクールを開校した目的は運転を
理論的に理解してもらい合理的に練習してもらう環境を用意すること
免許取立ての時期にそんなスクールがあればもちろん受講していただろう
そんな運転の正解を伝えるドライビングスクールをやりたかった
運転は一生モノだから一度は運転を教わったほうがいいと思う
だから自分の経験を全て公開するつもりのスクール
 
写真は2000年2月12日に開催した第2回YRSドライビングスクール桶川
スポーツランド桶川の事務所で
ビークルダイナミックスを説明したイラストを配っての座学

 

軽免許も普通免許も公安委員会の試験場で取ったからいわゆる自動車学校には行っていない。運転というものを一切教えてもらったことがなかった。だから自分の運転はまさに我流だった。要するに自分の運転方法が正しいのか確かめる術がなかった。

クルマを運転するからにはうまくなりたいと思っていた。うまくなれば危険な目にあう確率も低くあるだろうし、何よりも楽しいだろうし、鼻が高いだろうしレースに出ればそこそこの成績を修められるはずだと思っていた。だから日常的に運転がうまくなる方法を探していた。

アメリカに渡りSCCAのレースに参加した時、自分の運転のうまさ加減を知ることができた。デビュー1年目でカリフォルニア地区1位、南太平洋地域2位、全米で28人中6位になることができた。それはそれで満足だったが上には上がいた。自分ひとりの努力では限界があることを知った。

ジムラッセルレーシングスクールの実体を知り、こういうスクールを10代後半か20代前半に体験していれば全米1位も夢ではなかったかなと。日本にもこういうドライビングスクールがあればいいのにと思った。

80年代後半。当時の日本にも運転をキチンと習いたい人がいるのに違いないと思い、ジムラッセルレーシングスクール・カリフォルニア校に交渉して日本語クラスを創ってもらった。もちろんインストラクターはボク。延べ243名の方が日本からフォーミュラカーで行われる3日間コースを受講しに来てくれた。費用が高かったにも関わらずこれだけの参加をみたことは、日本にも運転が上手くなりたい、運転を習いたい人が確実にいることを確信した。

ツインリンクもてぎの北米代表としてCARTインディーカーとNASCARストックカーの招聘に携わり成功裏に終わった。オープン前、関係者向けに輸入したミヂェットやNASCARストックカーの乗り方講習もやった。次にツインリンクもてぎでドライビングスクールを開校したいと申し出たのだけど、「トムさんはレーシングドライバーでないしホンダの契約ドライバーではないから」と断られた。レーシングドライバーが教え上手だとは思っていなかったが。結局ツインリンクもてぎを辞し、『こういうスクールが自分の若い頃にあればなぁ』的なドライビングスクールを始めることにした。

やるからにはジムラッセルレーシングスクールのように理論と実践をリンクさせたドライビングスクールにしたいと思った。ちなみに当時のジムラッセルレーシングスクールには年間で初級クラス約2,000人、上級クラス約1,600人の参加者があったけどレースに参加する人はごく少数で、ほとんどの人が運転を理解すること、運転の上達を目指して参加していた。ジムラッセルレーシングスクールのカリキュラムはそれに応えていた。

ユイレーシングスクールのWebサイトを立ち上げ全84頁の教科書を公開した。メールマガジンの配信を始めた。教材用のイラストを起こした。運転が上手くなってくれることと運転を楽しんでもらうことをスクールの第一義とし、次のような方針を決めた。

・スクールの始まりには必ず座学を行う。クルマの動き方を理論的に説明して、実際の操作でやってはいけないこととやらなければならないこと、やったほうがいいことを明確に伝える。
・実技は人間の操作がクルマをどう動かすかわかりやすく、かつ反復練習を繰り返せるコース設定とし、できるだけ距離を走ってもらう。
・スクールを通して運転に興味を持ってもらえるようにアドバイスをする。
・将来的にサーキットを走るつもりのない人にも受講しやすく、日常の運転にフォードバックできるようなカリキュラムにする。
・ワンボックスやSUVなどどんなクルマでも参加できること、サーキットを走る際に改造することが必ずしも必要でないことを十分に告知する。
・受講中にはインストラクターのアドバイスで上達するが、その後も自身の解析によって上達し続けられるようなたたき台を提供する。
・サーキットを走ろうとする人には速さを追いかけるのではなくクルマの性能を発揮させる操作を優先するようにアドバイスする。

 

結果、
・一度受講した人が再度受講してくれた。年間21回開催していた筑波サーキット公式スクールに8回参加してくれた人もいる。それ以降リピート率は90%を下らない。
・筑波サーキット公式スクールのある日。朝の座学で受講者に過去サーキットでも公道でもスピンした人に手を上げてもらった。参加32名中30名が経験者だった。しかしその日。誰ひとりスピンすることなく、ほぼ全員がタイムアップを果たした。
・過去24年間。1,000回近いドライビングスクールとスクールレースを開催し延べ18,000人近くが受講した。しかしスクール中のクルマの損傷事故は5指に満たない。
・ドライビングスクールの卒業生で各地のレースに参加した人がレースで優勝したりシリーズチャンピオンになった。
・スズキジムニーや三菱スペースギアでの参加があった。
・現在までの最高齢受講者は78歳。最年少は13歳だった。
・受講した人が娘や息子を連れて参加してくれた。ご夫婦での参加もあった。
・受講した人が知り合いに受講を勧めてくれるようになった。
・ユイレーシングスクールの実績を元に雑誌エンジンがドライビングレッスンの運営を任せてくれた。昨年までに計76回のドライビングレッスンを開催。今年エンジン・ドライビングレッスンは22年目を迎え3回の開催を予定している。
・評判を聞いたアイディングやポルシェクラブ千葉などいくつかのカークラブからワンメイクドライビングスクールの依頼があった。現在はポルシェクラブ東京銀座のドライビングレッスンを年3回開催している。
・ルノー・ジャポン/アルピーヌ・ジャポンのドライビングレッスンを担当させてもらいルノー/アルピーヌユーザーに直接クルマの楽しさをお話しすることができた。

この20年あまりで時代は変わった。いろいろな意味で。向こう数年でまた変化があるかも知れない。開校前に立てた方針がそぐわないことが起きるかも知れないが、スクールを続けることでまだまだ成長している自分を感じることができている。だからスタッフより速く走れるうちは今の路線のまま続けたいと思っている。

 

2月3日(土)。24年間ブレずにドライビングスクールを開催してきたユイレーシングスクールが25年目の活動に入ります。舞台は富士スピードウエイの広大な駐車場。安全に配慮した環境で運転の基本を理論的に解説し合理的に練習するYRSオーバルスクールFSWを開催します。この機会にぜひ運転の正解を探してみませんか。詳しくは以下の頁にあります。
・2月3日(土)開催 YRSオーバルスクールFSW開催案内&申込みフォームへのリンク



第764回 25年目のユイレーシングスクール

1999年11月中旬にアメリカから一時帰国。同年12月8日に埼玉県にある桶川スポーツランドで、明確な目標の元に初めてのユイレーシングスクールを開いた。

報道関係者ビザを取得し1979年9月に拠点をアメリカに移す前のこと。いくつかの雑誌に原稿を書いていた。自動車雑誌は嘱託契約があったので八重洲出版のドライバー誌のみに執筆。ワープロもパソコンもなかったし字はうまくなかったけど(笑)取材して原稿を起こす作業は楽しかった。

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当時は印刷媒体全盛の頃
データーマン・アンカーマン編集方法がどうの
クラスマガジンがヒットするとか
これからはムックだとか
なんて話が飛び交っていたの
 
連載をまとめて
店頭に並んだのは渡米後だったけど

 

当時ドライバー誌は隔月刊で5日号と20日号があった。ビレル製のフレームにパリラ製のエンジンを積んだレーシングカートを走らせていたのと少しばかり知識を持ち合わせていたので、2年間に渡り20日号で「トムヨシダのレッツカート」を連載した。5日号の連載は「星野一義のレーシングテクニック」で担当は編集部のYさんだった。そのYさんから聞いた話。

取材の時にYさんが星野さんに「あのコーナーはどうやって曲がるんですか?」と聞くと、「あそこはね、ガーンといってギュッでクルッ、ガーン!なんだよ」と言われたそうだ。その時の情景はわからないけど、速い人は簡単に走り方を教えてくれないものなのかな、と思った記憶がある。

当時、日産ワークスドライバーの先輩を脅かすような走りを見せていた星野選手。Yさんからこんなことも聞いた。チェリークーペのレースカーの開発を担当していた星野さん。タイムを出すことが至上命令だったらしく富士スピードウエイを走り込む毎日だったらしい。想定したタイムが出るまでピットに戻れなかったらしい。それでタイムアップを図るべく走っていて、1月で2台のレースカーをひっくり返したらしい。速く走るのには練習しかないのかなと思ったのと同時に、速い人でも事故は起こすもんだと知った。

ある日、当時の日産のワークスチームが報道関係者向けのレーシングスクールを開催することになった。ドライバー誌のモータースポーツ関係を主に担当していたので、レーシングスーツを片手に筑波サーキットに乗り込んだ。
用意されていたマシンは当時の特殊ツーリングカークラスに分類されるオーバーフェンダーと前後のスポイラーがいかつい連戦連勝のB110サニー。レース仕様らしく5速直結のT/Mを積んでいた。レース時には消火器しかない助手席部分にバケットシートが取り付けられ報道関係者を待っていた。傍らには日産のワークスドライバーの面々。
最初にワークスドライバーが運転するB110サニーの助手席からその性能を体験。確か都平健二が運転するB110サニーに乗せてもらったのだけど、あの時の驚きは今も記憶に残る。一言で言えば速い。ただ速いだけではなく、ねじ伏せているのにクルマがバランスを崩さないと言うか。とにかく第2ヘアピンをカウンターステアを切りながら立ち上がって裏のストレートをフル加速。なんとなんと、最終コーナーに向けて全開のままステアリングを切り始め、それからブレーキング。クルマが旋回を始めて強烈な横Gを感じてからシフトダウン。それらの操作が流れるようにつながっていて乗っていて猛烈なGは感じるけどショックは感じない、クルマを運転するという概念が完全にひっくり返ってしまった瞬間だった。クルマはこんなふうに操ってもちゃんと走るもんだと知った。もっと運転がうまくなりたいと思った。

次に報道関係者が運転する番になり、バケットシートに座ると日産のメカニックの人が4点式ベルトを締めてくれた。重いクラッチを踏んで左手前の1速にシフト。人生初めてのレーシングカーを走らせる。
どこをどう走ったか今となっては定かではないけど、『もっと運転のことが知りたい!』と痛烈に思わせる出来事は記憶に残っている。

報道関係者の中にはレースに参加している人も何人かいて、その人達は嬉々としてクルマを走らせていた。ボクはというとサーキットを走った時間もほとんどなく、ましてレーシングスピードでクルマを走らせるという経験は皆無。それでもクルマを壊さないように、かと言って遅く走っては意味がないからとそれなりに速く走ろうとしていた。しかしRの大きな1コーナーはまだしも、どうしても第1ヘアピンでクルマが曲がらない。クルマの向きが変わらない。
その日はワークスドライバーがコースに散って報道関係者の走りを見てくれていたので、クルマを降りてから当時の日産レーシングスクールの校長だった辻本征一郎さんに曲がらない理由を聞いてみた。すると辻本さんは笑顔で一言。「それは吉田君が速いからだよ」と。冗談めかしておっしゃったのかも知れないけれど、期待していた答えではなかったし問題の解決にはならなかった。

 

当時は運転に対して初心だった。自分の運転に確信が持てず不安があった。運転の仕方は教えてもらうものではなく、練習して自分で見つけなければならないのかも知れないけれど、理論的に裏付けされた運転の仕方を教えてくれるところがあればいいのにな、と。高校の時に教わってからいたく道具の使い方に興味があったので、クルマの動かし方の正解を教えてくれるスクールがあれば真っ先に受けていただろうし、もっと早くクルマの運転を見極められたのではないかと。

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原始的な道具である包丁
その使い方を教えてもらったことが自分の原点
なぜそうするのか
なぜしてはいけないのか
ユイレーシングスクールの思想です
目を通していただけたら幸いです
 
第147回 道具の使い方
第6回 道具を使う

 

<続く>

 

2月3日(土)。ユイレーシングスクールは25年目の活動に入ります。舞台は富士スピードウエイの広大な駐車場。運転の基本を理論的に解説し合理的に練習するYRSオーバルスクールFSWを開催します。この機会にぜひ運転の正解を探してみませんか。詳しくは以下の頁にあります。
・2月3日(土)開催 YRSオーバルスクールFSW開催案内&申込みフォームへのリンク



第763回 2023年12月の富士山とFSWと食

年を越してしまったけれど、今さらながらに2023年最後の富士山とFSWと食。

と、その前に。   昨年新装になったYRSトライオーバルFSWはこんな感じです。

 

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2023年最後のFSWはホントに久しぶりの雨
 
停めてはいけないところに停めて慌ててたから
半ドアだけど

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コース作りの段取りつけて沼津へ直行
 
2023年最後のむすび屋さんは
まず生桜海老から
甘くて透明な味が何とも言えず

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そしてやっぱり地アジ刺し
 
その昔
沼津港で地アジが揚がらない寒い時期は
地アジ刺しも地アジ丼もメニューになかった
アジフライはあっても地物でないからと親父さんが出さなかった
暖冬なのかここ1、2年は冬でも食べられる幸せ

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コースを作り終えてからの予定を決めていたので
 
2023年最後の沼津食は天丼に

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さっさとコースを作ってホテルに取って返し
歩いて2023年最後のさかなや本店さんに
 
まずは頼むと間をおかずにでてくる
チーズの大葉巻

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中トロ
赤身
カンパチ
 
この日の中トロは涙モノ

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目先を変えて
 
肉巻きとかを

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ここでは
 
あさりバターも欠かせない

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2023年の〆は
 
焼きむすび
すごく時間をかけて焼いてくれるここの焼きむすび
外がカリカリ中はもっちり
一度は食する価値があります

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2023年最後で3回目のポルシェクラブ東京銀座のドライビングレッスン
初めてYRSトライオーバルを走ってもらうことにしました
午前中は路面がウエットだったのでみなさん楽しんでました
 
未明まで雨だったのでいつもの場所に向かうも
残念ながら富士山はかくれんぼ

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翌日は快晴
 
朝6時25分の富士山を
扇屋さんの屋上から仰ぎます

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2023年最後のスクールはYRSトライオーバルスクールFSW
参加者が集まる前に
 
メガーヌRSトロフィーに
カメラとパフォーマンスボックスを積んで
YRSトライオーバルの車載映像を撮影

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この日のルノー仲間は4名
 
ルーテシアRSのNさんFさんを
メガーヌ3RSのSさんが追いかけます

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巻尺で実際に測って
 
コース幅は14.2mです
高速道路の3車線より広いんです
遠くを見てコース幅いっぱいを使って走りましょう

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OさんとNさん談笑中
Fさんはクルマの中で温まり中

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この日は本当に寒かった
 
Tさんが貸してくれた防寒頭巾をかぶって運転していたら
スタッフが
 
「トムさん、すごく怪しいです!」

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2023年最後のスクールを終えてゲートに向かう
 
リアビューミラーを見たら富士山が
クルマを停めて
2023年最後のご挨拶

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それで
 
また例によって道の駅のレストランふじおやまへ
また飽きもせず豚汁定食
 
お腹を満たして西に向かいました



第759回 さぁ 25年目に向かって

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25年目のユイレーシングスクールは来年2月に始動。4月までの開催日程は以下の通りです。

2月3日(土) YRSオーバルスクールFSW(富士スピードウエイ駐車場)
2月22日(木) YRS筑波サーキットドライビングスクール(筑波サーキット コース1000)
2月24日(土) YRSドライビングワークショップFSW(富士スピードウエイ駐車場)
3月7日(木) YRS+エンジンドライビングレッスン(筑波サーキット ジムカーナ場+コース1000)
3月31日(日) YRSドライビングワークアウトFSW アドバンストトレーニング(富士スピードウエイ駐車場)
4月27/28日(土日) YRSツーデースクールFSW(富士スピードウェイ駐車場+ショートコース)

※ 3月31日(日)のスクールはYRSトライオーバルスクールFSW(富士スピードウエイ駐車場)に変更になりました。



第754回 Wさんとユイレーシングスクールの22年間

ブログ第397回ユイレーシングスクールとWさん 第656回ルノーを楽しむ に登場してもらったWさん。11月頭に初めて開催したYRSトライオーバルスクールFSWに、今回はルーテシアRSトロフィーではなかったけど、半年ぶりに来てくれた。もっとも、折に触れメールでやり取りはしていたからお互いの無事は承知していた。

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高齢者と後期高齢者が
メガーヌRSトロフィーに貼った
高齢者マークを指さすの図

 

Wさんが初めてユイレーシングスクールに参加したのが2001年7月。もう22年も顔を合わせていることになる。参加された回数は延べ110回をゆうに超えている。そんな運転の先輩と話すのはいつも高齢者の交通事故のこと。交通事故など起きなければ起きないほうがいいに決まっている。しかし高齢者の事故が増えているのも事実。加えて高齢が事故の要因になっているとする風潮にはボクにしてもWさんにしても歯がゆい思いをしている。

その反動なのかもしれないけど『一生懸命運転して事故を起こさないようにしたい』、『高齢者の運転の模範たりたい』 と思っている。おそらく、間違いなくWさんもそう思っているはずだ。その意味で、ユイレーシングスクールがWさん自身が行う技能点検の場になっているのならば幸いだ。

※高齢者と事故の関係についてユイレーシングスクールの思想を裏付ける知見を見つけた。本文では長くなるので文末に。

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今回のYRSトライオーバルスクールFSWでの写真は
みんないつもより欲出して走り回っていたのでナシ
 
なので以下の写真は昨年5月
YRSオーバルスクールFSWでのWさん

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ルノー仲間の前を疾走する
ユイレーシングスクールの大先輩Wさん

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ルノー仲間と

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無理はしないけれど
踏むところは踏むのがWさん流

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昨年12月のYRSオーバルスクールFSWでWさんと

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御年80ウン歳のWさんは
認知症テストのベテラン
 
都合3回受けたのかな?

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前々からWさんは
高齢者が事故を起こすことに心を痛めていた
ユイレーシングスクールで高齢者講習ができないものかと
 
ユイレーシングスクールとしてはやりたい気持ちはあります
25周年の記念行事にしますか?

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Wさんは11月20日が誕生日
2年前には家族にお祝いされた時の写真を送ってくれました

754-9
Wさんが先週送ってくれたメール
北海道を元気に走り回っているようです
 
先だってのスクールの時も
若い人を追いかけまわしていたのに
翌週には北海道に飛んで雪道を
 
先輩の行動力には脱帽です

 

※あるニュースで見かけた高齢者と交通事故についての知見の要約

高齢が果たして事故の要因であるかどうかを検証するのを目的に、免許証更新時に行う認知症検査の結果に心身機能の低下を認識しているか否かの筆記テスト結果を加味し、高齢者を以下の4つのグループにわけた上で全員の運転技術を教習所の検定員が評価した。
a)心身機能の低下なし/機能の低下を認識している
b)心身機能の低下なし/機能の低下を認識していないあるいは認識しようとしない
c)心身機能の低下あり/機能の低下を認識している
d)心身機能の低下あり/機能の低下を認識していないあるいは認識しようとしない

結果はd)のグループが他のグループに比べて格段に運転がおぼつかなかったという。逆にc)グループは心身機能が低下しているにも関わらず、機能が低下していない2つのグループにそん色ない運転技術を示したという。機能の低下を認識することで機能の低下をに対応できていたからだという。
つまり、高齢であることがすなわち危ない運転をすることにはつながらず、むしろ危険な運転をするのは年齢に関わらず自身の心身機能の低下を把握せず、また自身の運転を振り返ることをしない人だと記事では結論づけている。そして免許証の返納を検討するのは主にa)からc)に該当する人たちであって、d)の心身機能が低下していてもそれを認識していない人は運転を続けることになり、潜在的に事故を起こす可能性が高くなる。よって、記事では 「高齢者は免許を返納せよ」 ではなく 「危ないドライバーは免許を返納せよ」 と呼び掛けるべきではないかと結んでいる。

個人的にはd)グループの先行きが心配だけど、そういう人はまずユイレーシングスクールには来てくれないだろうな。