第755回 人の振り見て我が振り正す
あくまでも私事ですが。 交通事故が減らないなぁ。
市街地にしろ高速道路にしろクルマを走らせていると、実に様々な人の運転を目にすることになる。目に止まったクルマの動きを見れば、経験的に『 はぁ~ん、運転しているのはこういう人だな 』と想像がつくというものだ。そしてクルマの動きを追えば、それがほぼ間違いないと確信できる。
よどみなく運転している人。この人は周囲が見えているな、とわかる運転をしている人。交通の流れに乗れている人。状況を俯瞰しているなとわかる人。交通社会の一員であることを認識しているであろう人。
他方。横着な運転をする人。独りよがりの人。乱暴な運転をする人。自分の事しか考えていないような人。鈍い人。せこい運転をする人。状況がわかっていない人。何も考えずに運転している人。運転に集中していない人。自分本位の運転をする人。自分さえ良ければ他のことは知らないと言わんばかりの人。
千差万別。8千万人余りの免許保有者がいるのだからいろいろな人がいて当たり前ではあるけれど、残念ながら前者は少数派。後者は50年余り前から一定数存在したけれど、残念なことにその比率が加速度的に年々増加しているのは間違いないところ。 では自分はどうなんだ、という話。
自分の運転が模範的だと言い切る自信はもちろんないけれど、少なくとも安全かつ円滑な交通の流れの実現という道交法の精神を尊重した運転はしているとの自負はある。
そのためにも自分の運転に対して、大げさと言えば大げさかも知れないけど、基本となる方針を立てている。まず絶対に事故を起こさない運転をすることを大前提にしている。そのためにも自分の運転するクルマが交通を阻害したり他人の走行の邪魔にならないようにすること。次に交通という流れの中にあって、いかに自分の=運転しているクルマの存在を消すことができるか、換言すれば、いかに他人が自分のクルマの動きを無視できるような運転をすること。このふたつ。
これを元に自分なりのルールを作り、さらにルールを練り上げ、いつもそれに沿ってクルマを走らせている。だから、公道でもサーキットでも行き当たりばったりの運転をすることはない。
と、ここまでは数年前に書いて下書きフォルダに入ったままだった。具体的にどんなルールを自分に課しているか書き留めておこうと思っても、運転している間は条件反射的に身体が動いているから、どんな操作をしたかほとんど覚えていない。ただ気が付いた時にどんな意識で運転しているかを記したメモのほんの一部を紹介すると、
・自分のクルマの動きが原因で他人にブレーキをかけさせたり減速を強いる運転はしないことが鉄則。
・信号機が黄色に変わった瞬間、前を走るクルマのストップランプが点いた瞬間にスパッとスロットルを閉じ瞬時にブレーキペダルに足を乗せる。踏みこむかどうかは別にして。
・前方でクルマが左折のために減速を始めた場合、そのクルマに近づく前に大幅に速度を落とし車間を空け、進路を変えずそのクルマが視界から消えた瞬間に加速できる準備をする。
・対向車線にはみ出したほうが曲がりやすいコーナーで追越が可能な区間でも、速度を落とし気味にして中央線を割らないように走る。
・進路を変える場合はかならずウィンカーを長めに点ける。高速道路では最低9回の点滅が目安。
・広いコンビニの駐車場やスーパーマーケットの駐車場で進路を変える場合にはウインカーを使って進む方向を示す。
・駐車場に駐車マスが描いてある場合、クルマが止まっていなくてショートカットできる場合でも駐車マスの白線を踏まないように迂回する。
・交差道路に右折車線がある交差点を右折する場合、当該の右折車線にクルマが止まっていなくてもその右折車線をカットしたり白線を踏むことはしない。
・交差点で右左折する先が複数車線である場合、右左折後はまず第一車線を走行する。
・右折車線がある交差点で右折車線を利用する場合、手前のゼブラゾーンには入らず後方を確認しながら右折車線に進入する。
・一般道でも高速道路でも複数の車線がある場合、他のクルマと並走する時間をできるだけ短くする。
・一般道でも高速道路でも複数の車線がある場合、続いて追い越しをかける必要があっても追い越し終了と同時にいったん走行車線に戻る。
・一般道でも高速道路でも複数の車線がある場合、原則的にキープレフトで走る。
・高速道路や自動車専用道で合流する場合、合流車線で本線の流れより速い速度まで加速して、リアビューミラーを見ながら速度を落としつつ合流する。
・一旦停止の標識がある場合、他の交通がなくても誰かに見られていなくても原則的に一時停止をする。
等々。全てそうする理由がある。そうすることで自らを危険な状況に置かずにすむと経験から割り出したルールだ。
日々の運転で操作についてもルールのようなものを決めている。いつも同じように運転していれば、同じようにしているのに違和感を感じたら、何かがおかしいと気づきやすいからだ。運転操作にどんなルールを自分に課しているかについては別の機会に。
それにしても、先に触れた話ではないけれど、年々自分の都合で運転する人が増えているような気がする。町を走っていると、こちらがブレーキを踏むのを見越した距離で駐車場から飛び出してきたり、コンビニの駐車場に停めようとしているのに進路を横切ったり、スマホを見ながら運転しているのか中央線をまたいでこちらに向かってくるトラックに出くわしたり、外出するたびに「 えっ、そんなことやるの 」、「 それはやめたほうがいいのに 」というような運転をする人に出くわす。事故が減らない訳だ。
お年寄りの場合は「 しかたないね 」と言ってはいけないけど次に何が起きるかおおむね想像できる。ところが一見ふつうに見える人がやるのだから面食らう。よっぽど運転に自信があるのか躊躇しないでクルマを動かしている。はたまたクルマを運転することを家電のオンオフスイッチを入れることと同じだと思っていて、常に自分の思い通りに動くものだと思っているのか。『 あなたが何事もなくクルマを走らせているのは、たまたま偶然が重なって事故しないだけですよ 』、『 もう少し他人の目を意識して運転したほうがいいのではないですか 』 と、おせっかいをしたくなる。 あくまでも私見ではあるけれど。
運転に限らず生活自体が主観的になってきていて、一人称で全てのものを考え、感じ、行動するようになってきているのだろうか。
ボクは小心者だから確信が持てないことをしようとは思わない。それでも十二分にクルマを運転することで得られる恩恵にあずかることはできるのだから。
※ 写真の一部は車載カメラ、もしくはウェアラブルカメラで撮影したものです