第227回 ダブルニッケルが懐かしい
ロサンゼルス空港の周回路の出口で右折してパシフィックコーストハイウエイに合流。滑走路の下をくぐり105Eastに乗って東へ向かう。105フリーウエイはパシフィックコーストハイウエイの西で一般道に変わるのでそれほど交通量は多くない。4車線にクルマが点在する。
しばらく進みオレンジカウンティ方面に向かうため405Southに向かう。いくつかの合流を経て5車線プラスカープールズレーンの405に乗る。とたんに交通量が増える。頻繁な車線変更あり。
405フリーウエイはアメリカ西海岸をメキシコとカナダを結ぶ大動脈のインターステイツ5号線の「海寄りバイパス」のようなものだから、1日中交通量が多い。
405に乗ってスピードメーターを見ると80mphあたりを指している。俗にグレーターロサンゼルスと呼ばれる広大なエリアの制限速度は65mphなのだけれど、間違いなく405を走る全員が制限速度を守っていない。
だからけしからん、という話ではなくて、都市部のフリーウエイの流れが速くなったから、効率的にクルマを使えて便利になったという話。実際、空港を出てからファンテンバレー市の自宅までの所要時間は昔に比べて20%近く短縮した。
1979年にアメリカに居を移し、サンタモニカやレドンドビーチなどを転々としてファンテンバレーに落ち着いたのだけど、ずっとフリーウエイの制限速度と言えば55mphだった。信号や一旦停止がないからフリーウエイなのに、なん車線もある広い道なのにとダブルニッケルを恨んだものだ。
昔に比べて速度制限の標識の数が減ったように感じた
65mphが周知の事実だからか
他に理由があるのか
制限速度を無視してはいけないが事故を起こさないことのほうが最優先されるべき、と考える者にとって、制限速度を守れば安全を担保できると考える人々は苦手だ。その昔。朝夕のラッシュ時にフリーウエイに乗ると「私は安全運転しています」と言いたげな、流れの速さに竿をさすようにマイペースで走るご仁に出会うことが少なくなかった。そういう人々が渋滞の元凶なのはいうまでもない。
さて、1973年のオイルショックの時にガソリンの節約を目的に連邦法で55mphと定められた制限速度だが、クルマの性能が良くなり燃費が向上し、道路のインフラも充実してきたからなのだろう、1995年にフリーウエイの制限速度が各州がそれぞれに州法で決められるようになった。
グレーターロサンゼルスはこの年から都市部の制限速度が65mphに引き上げられた。当時、速度を上げると危ないとか否定的なニュースも耳にしたけど、間違いなく交通の流れはスムースになった。事故件数が増加したという報道を目にしたこともなかった。
結局、安全運転信奉者も65mphで走ることになったので流れの速さが底上げされて、それでフリーウエイの流れに淀みがなくなったのではないかと想像している。
それにしても、80mphは行き過ぎじゃぁとも思うけど、流れに乗って走っていれば速度違反は咎められないことは経験的に知っているし、とにかく周囲から浮いた運転をしないように自宅を目指した。
個人的には制限速度はもっと速くていいと思うけど、速く設定するとまたそれを上回って走る人がでてきくるから、どこで線を引くか難しいところ。アメリカのフリーウエイは路面の悪い所があるからむやみに速度を上げるのも危ない。実質80mphならよしとしましょう。
《訂正》 第226回でカープールズレーンを1人で走った場合の罰金の金額がわかりました。現在は341ドルです。80年代は確か100ドルぐらいだった気がするので、罰金も値上がりしているようです、
【余談1】 州法で制限速度が決められることになって、モンタナ州は制限速度そのものを撤廃してしまった。結果、全米の走り屋がモンタナ州を目指したとか。ところが事故が相次ぎ結果的に規制することになったと聞いた。
【余談2】 ご存知かも知れませんが、ダブルニッケルのニッケルは5セント硬貨の俗称で制限速度が低いことを揶揄した造語です。