トム ヨシダブログ

第357回 情報処理

とある土曜日の昼過ぎ。東名を西に向った。

利用した記憶がない週末の昼間の東名。理由がわからない50キロにも満たないノロノロ運転が延々と続くのには辟易したが、秦野中井を過ぎる頃には速度が回復しだし、御殿場で新東名に乗り換える頃にはいつものペースを保てるようになった。

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クルマでの移動は所要時間が短いに越したことはないと思っているから
部分的にでも制限速度が緩和されたのは評価できる
ただ試行の理由が学識経験者による調査研究委員会の「高規格高速道路での速度規制の見直し提言」だと
27年度のことだと言うけどもっと早くできなかったのかねぇ
全線3車線化を含めてだけど

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パンフレットに
「最高速度が120キロに引き上げられますが、120キロで走行する必要はありません」と書いてあるからと言って

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何も追越車線を100キロプラスで平然と走らなくてもいいと思うのだが
それとも最高速度が引き上げられたのを知らない?
表示が120になった標識を見ていない?


少なくはなったとは言え、まだまだ追い越し車線に出てくるガバナーで制御された遅い大型トラックがいるから、決して流れは順調ではない。とは言え、大昔にアルバイトで直径2mぐらいある重い紙のロールの運搬をしていたから、前につかえた時に追い越し車線に出ても速度を落としたくないという気持ちがわからなくはない。遠くを見て工夫しながら運転してたから流れを阻害するようなことはしなかったけど。


「 もっと気持ち良く走れる日は来るのかな、来ないだろうな~ぁ 」 と考えながら運転していると、第2車線を速くはない速度で走っていた軽自動車が急ブレーキ。大型トラックが軽自動車に幅寄せしたからだ。3車線から2車線に車線が減少する地点でのこと。

軽自動車を運転していた人はさぞかし驚いただろうが、トラックの運転手だけが悪いのではない。

あの地点までに、軽自動車がトラックを追い越していたら、あるいは第3車線に移動していたら、あの事態は起きなかった。軽自動車は交通の流れの中にあって、そうすべきだったのにそうしなかった。そうしなかったのは、そうする必要性を感じていなかったのだろう。
つまり、『 車線が減少するのでトラックが自分が走っている車線に進路を変えてくる 』 ということを認識していなかった、と考えられる。車線減少を予告する標識が何本も立っているというのに。それともトラックにはばまれて標識が見えなかったとでも言うのか。

そんな場面に出くわして、『 高速道路では視界を確保するために横のクルマと併走する時間をできるだけ短くしたほうがいい 』 という意識が軽自動車を運転していた人にあったらなぁ、と思ったものだ。

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3車線から2車線への車線減少の最初の標識は1キロ手前には現れる
場所によっては確か1.5キロ手前にあった
合流地点はまだずっと先だ

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路面には車線変更を促す矢印も
第2車線からも見えないわけではない

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場所によって車線が減少する地点までの数字と標識が置かれている距離は異なるようだが

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ここまで来て横にクルマがいたらどうする
もちろん
もっと早くに双方がお互いを意識すれば
交通がよどむこともなかったはずだけど

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中央分離帯側にも警告標識が経っているから
標識が目に入らなかったはない


クルマの運転は、ある種の情報処理作業だと思っている。

路面の状態を確認したり、煙突からたなびく煙を見て風の強さを想像したり、どのぐらいの割合で前走車に近づいているのか判断したり、等など。
ステアリングホイールを通して伝わるタイヤのグリップや腰で受ける横Gを感じたり、視野の片隅で動くものをとらえたり、等など。
運転中、運転手はごまんとある情報の受け手になる。目、耳、皮膚、体感。意識すれば情報はいくらでも手に入れることができる。

とにかくクルマを安全に快適に効率良く走らせるためには、状況の的確な判断が欠かせない。それには状況を判断するための材料がなければならない。むしろ、材料を手に入れるために貪欲になったほうがいい。材料が多ければ多いほど情報を処理した後の結果が正確になる。

のべつまくなしキョロキョロしなくても一方通行の高速道路では必要な情報を得ることはできるし、横の人と会話しててもラジオを聴いていてもかまわないけれど、必要な材料を手に入れるための努力は怠るべきではない。運転中は安全を確保することが最優先なのだから。



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