第229回 他にやることあるだろうに
年度末が近くなるとそこかしこで道路工事が始まるのは世の常。いろいろと事情があってのことだろうけど、道路の補修や改良ならまだしも、中には目的が理解できないというか、必要性が感じられない工事がある。
工事はけっこう大がかりなものだった
大物地区への側道から見た工事現場
国道161号線から湖西道路への接続道路。左折すれば湖西道路の京都方面、湖西道路をくぐって、すぐに右折すれば湖西道路の高島方面、くぐってから最も奥の車線を右折すると大物地区への側道、という交差点がある。
そのそれぞれの車線を行き先ごとに色分けする工事が行われていた。結果、京都方面が赤っぽく、高島方面が灰色っぽく、湖西道路を志賀インターチェンジで降りて161号に向かう車線が黄色っぽくオーバーレイされた。
直進するとこんな景色
一万歩ゆずって色分けを認めるとして
赤色と灰色がこんな風に分断されているのはおかしなデザインだ
やるならば赤色と灰色半分ずつで車線を塗り分け
それぞれの方向に収束させるべきだろう
湖西道路をくぐってから振り返った景色
湖西道路を志賀インターチェンジで降りてきたクルマが
一旦停止の標識があるにも関わらず止まることもなく
黄色の車線からはみ出して走っているし
決してきれいな色分けとは言えないし
なんだかなぁ
高島方面に向かう湖西道路を志賀インターチェンジで降りると広がる景色
何日もかけ、かなりの人数がかかわった工事だから相当なコストがかかっているのだろう。しかしこの工事の結果、誰が恩恵を受けるのだろうかと考えると、実はクルマを運転している我々ではないようだ。色分けされてなくてもそれぞれの方向に誘導する標識は以前から完備していたから。
いろいろな事情があって工事をするなら、意味のない色分けをするより、夜中になると真っ暗になる湖西道路の路側帯との境にキャッツアイを埋め込むとか、道路を使う人の立場に立ってコストをかけるべきなのではないか。
運転を安易にする方向の工事は必要だと思わない。運転するには、注意力を維持したり集中力を保つためにある程度の努力が必要だ。人に楽して運転してもらうのが行政の役目だと思っているなら危ういものがある。
人々が安心して運転に集中できる環境作り、合理的な交通環境の整備にのみコストをかけるべきだ。そうでないとなんのための道路行政かわからなくなる。
写真が見つからないのだが、以前あった話。
湖西道路の路肩にある電話で落下物を通報しようとして扉を開けたら、「現在故障しています」の張り紙。何かあったらどうするのだろう。携帯電話があるから使えなくても問題ない、との判断で放置していたとは思いたくないが。管轄は違うかも知れないが、我々にとっては同じ交通のインフラだ。
交通環境にはやるべきことがたくさんある。色分けのコストも源流をたどれば我々の税金のはず。やったつもりにならず、道路を使う人が「さすが!」と感心するようなコストのかけかたをしてもらいたいものだ。