トム ヨシダブログ

第420回 交通弱所

最寄りの郵便局に行った時のこと。追加で貼る値上げ分の切手を買ったので帰ろうとすると、ドアの前に杖をついたひとりのお年寄りが。ちょうど入ってくる人がいて、そのお年寄りが脇によって道を譲った。ホホウと思った。ボクも道を譲ってから後に続いたのだけど、前を行くお年寄りの歩幅は本当に小さく、杖を頼りにつま先でつっかえつっかえ、ものすごくゆっくりとしたペースで歩を進めていた。

間合いを取りながら様子を見ているとそのお年寄りは駐車場に停めた軽トラックに向かうではないか。失礼ながら、頭の中ではそのお年寄りはクルマの運転はしない、誰かが運転するクルマに乗るのだろうと無意識にふんでいたので、その光景は実に意外というかある種の驚きだった。

自分のクルマに乗り込んで先に駐車場を出ることもできたけれど、お年寄りが気になって軽トラックに先に出てもらおうと決めた。

お年寄りはひとりだった。何もしていなのではないかと思うほど時間をかけてドアを開け、何回かやり直しながら杖をダッシュボードの上に置き、実に長い時間をかけて運転席に座り、かなり間をおいてからエンジンをかけ、何事もなかったように軽トラックを発進させた。時間がすぎるのを長いと感じたのは、間違いなく自分の行動と知らず知らずのうちに比較していたからなのだけど、お年寄りにとってはそれが時間の刻み方だったのだろう。

軽トラックの後に続いて様子をうかがうと、道路に出る前にきちんと一旦停止してちゃんとウインカーを出して左右を確認し(頭がわずかに左右に振れたのでそう想像する)、ボクとは反対の方向に右折していった。

白状すると、足に不自由を感じるようになると操作に支障が出るものだと想像していた。目の前のお年寄りもそうなのではないかと思っていた。でも、お年寄りは足の不自由さを感じさせることなく、ギクシャクもさせずにクルマを走らせていった。
誰もが、少なくとも若い時と同じような操作はできなくなるのだろうな、と漠然とだけど思っていた。ボクはまだ、若いもんに負けない速さで走れるが、いつかは今のように手足が動かなくなる日が来て若い人の後ろを走る日が来るのだろうな、とも。

でもこの日。かのお年寄りが軽トラックに乗り込んでふつうにクルマを動かしているのを見て、どんな状況になっても運転せざるを得ないこともあるのではないかとはっきり想像するようになった。クルマという足がなければ生活できない環境にあれば、身体に不自由があってもクルマを運転するのだろうな、と。それまでと同様の生活の質を保つために、ひょっとすると最低限の生活を維持するために、クルマがもたらしてくれていた便利さを手放すことができるだろうか、と。

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同時に、市民権を持つ奥さんとアメリカ国籍の双子の息子が住むアメリカで老後を過ごすという選択肢もあるし、まだ先のことは決めてないけど、将来、現在の大津市北部に住み続けることを選んだ場合にはクルマを手放せないことも再認識することになった。

最寄りの駅は湖西線の志賀駅なのだけど自宅から速足で40分かかる。一番近い商店、実はコンビニなのだけど、とっとと歩いて30分。郵便局は35分。その上、和邇駅から北はバス路線もない(志賀駅と琵琶湖バレーを結ぶ路線はあるけど交通手段にはならない)。和邇駅のそばにあるスーパーマーケットにはクルマでも20分はかかる。湖西道路は自動車専用道路だし、並行して走る558号線は道幅が狭い上に歩道がない。クルマ以外の手段で買い物に行くのは現実的ではない。

高齢者が運転を続けることに対する批判があるのは承知しているし、高齢者が事故を起こす比率が高いのも知っている。身体に不自由があればクルマの運転は控えたほうがいいのだろう。けれど、クルマを運転しないと生活が成り立たなくなるかも知れない、クルマの運転が生活の質の維持するのに不可欠かも知れないと、少しだけ現実的に想像するようになった気がする。なによりも、クルマを運転しなくなることで自立心がそがれるのを心配している自分がいる。



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