第205回 Lutecia De Circuit
at Tsukuba Circuit Course 1K
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2002年の5月。町田市に住むHさんがアルファロメオ155に乗って筑波サーキットのジムカーナ場で開催していたYRSドライビングワークショップにやってきた。
YRSドライビングワークショップのカリキュラムはブレーキやスラロームなどクルマの基本操作を練習するのだが、現在ではより広いスペースが使えるFSWで開催している。
同年8月にもYRSドライビングワークショップ筑波を受講したHさんは、9月のYRS筑波サーキットドライビングスクールに参加。翌年には浅間台スポーツランドで開催していたYRSオーバルスクール浅間台にも参加してくれた。
2004年5月のYRS筑波サーキットドライビングスクールから少し時間の空いた11月のYRS筑波サーキットドライビングスクール。Hさんはランチャデルタで颯爽と登場した。
またまた時間が経って2006年11月のYRSドライビングワークショップ筑波。Hさんが今度はルーテシアⅡRSでやってきた。ルーテシアⅡRSでは2007年4月に富士スピードウエイで開催したYRSオーバルスクールと2009年4月のYRSドライビングワークショップ筑波に来てくれた。
その後2回。2010年8月の富士スピードウエイショートコースのYRSドライビングレッスンFSWと2014年7月のYRS筑波サーキットドライビングスクールにはランチャデルタで参加してくれた。
鎌首をもたげて最終コーナーを立ち上がる
カッコイイ
本人は見えないだろうけど
しばらく顔を見ないね、と思っていたら10月6日に開催したYRS筑波サーキットドライビングスクールに申し込んでくれた。
申し込みフォームを整理して名簿を作っていると、Hさんの車名がルノークリオV6になっていた。またクルマを換えたのかなと、当日聞いてみるとランチャデルタはまだ持っているそうで。
9月に次いで参加してくれた郡山のSさんを引き込んでの記念撮影
一時は正規輸入もされたというルーテシア ルノースポール V6。Hさんのはフェイズ1なのかな。
こんなクルマはもう登場しないから大事に乗ったほうがいいですよ、と余計なお世話でした。
隣町に用事があって行った時に、今ではめったに見ることのできないクルマに出会うことができた。なんか懐かしい友達に会ったような感じがして嬉しくて、忙しそうに作業をしているオーナーにずうずうしくも声をかけてしまった。
なんと、そのマツダT2000は現役なんだそうで、運転がちょっと独特で難しいね、とおっしゃるオーナーがたまに転がしているそうだ。
1960年代のクルマがまだ現役で走っているのはすごいことだ。古いクルマに優しくない我が国にあって、維持してその上運転を楽しんでいるというのだから。
その昔。東京の下町にあった自宅の前の道を行き来するのはアメリカ兵が乗るジープ、八百屋さんのオート三輪、米屋さんのオート三輪、近所のお偉いさんを乗せた大きな外車と、汲み取りにくるバキュームカーだった。
八百屋さんも米屋さんも、バキュームカーから伸ばしたホースでたくみにボールを吸い込んでいた人も、みんなみんなボクのヒーローだった。小学校時代の作文に「将来はバキュームカーの運転手になりたい。毎日クルマに乗れるから」と書いたことがあると、いつだったか法事の時にいとこに聞いたことがある。
懐かしさと嬉しさを運んできてくれた出会いだった。
オーナーのこだわり の1
なんとブレーキラインはステンレスブレイデッドホースに換えてある!
オーナーのこだわり の2
乗る頻度が少ないのかバッテリーには保護のためにカットオフスイッチが追加されている
気持ち大径のステアリングホイール
シフトレバーはステアリングコラム右にある
現代の水準からするとクルマとしての機能は低いかも知れないけれど、それだけで存在が否定されるべきではないし、人間を乗せて走り回れるうちは長く長く現役でいてほしいと思うぞ。
アメリカではオーバルレースのことをモメンタムレースと形容することがある。
momentum 【名詞】〔力学〕運動量; 惰性; はずみ,勢い.
反時計回りのコーナーしかないオーバルコースでは、つまり、常に左コーナーを回ることになる。
コーナーが2つのオーバルコースに始まって、デイトナインターナショナルレースウエイのようなコーナーが3つのトライオーバルコース、インディアナポリスレースウエイのようなコーナーが4つあるレキュタンギュラーオーバルがあるけれども、どれも最高速に達するであろうストレートエンドの速度ではターンインできないという宿命にある。
そこで、コースオーナーはコーナリング速度を高めるためにコーナーにバンクをつけてハイスピードのレースを実現する。オーバルレースに参加するチームは、右側後輪を大きくしたり右前輪にマイナスキャンバー左前輪にプラスキャンバーをつけたり、規則で許される範囲であらゆる手を使いマシンが左コーナーだけをより速く走れるようにする。しかし、それでもコーナーに入るのには減速するかコーストしなければならない。
だから、オーバルレースで勝つのにはできるかぎり直線での速度を保ったままコーナーに入りコーナーを抜けることが重要になる。しかも、ほとんどの場合オーバルレースはコーナーが回りこんでいるのがふつうで、速度域が高く空気抵抗も走行抵抗も大きいから、一旦速度を落としすぎると回復するのは不可能に近い。
それで、『ストレートで蓄えたエネルギーをできるだけ殺がずにコーナリングにつなげる』ためのクルマのセットアップが重要になり、それを生かすための走り方が求められる。そんな思想を表したのがモメンタムレースという言葉だ。
因みに、ロードレースのことはトラクションレースと形容することがある。
ユイレーシングスクールがスクールやスクールレースで使っているオーバルコースは、高々130キロぐらいしか出ないけれど、そこを速く走るためには加減速よりも慣性エネルギーを意識する必要がある。加速時間を長くしたり、減速時間を短縮して速さを狙うとます失敗する。
実際、ほんの些細なことで失速するから操作より走り方、意識がラップタイムの向上につながる。だからロードスターがポルシェを「食う」なんてこともありうるから、オーバルコースは面白い。オーバルレースでは、優位に立っていたドライバーがリアビューミラーに大きくなった後続車を見つけたとたんにリズムを崩して後退するなんてことが頻発するから、オーバルレースは面白い。
◎ YRSトライオーバルFSWのオンボード映像
◎ YRSトライオーバルFSWを走るインカーカメラの映像
◎ 9月18日YRSオーバルスクール
◎ 9月17日YRSオーバルレース
速度はそれほど高くないし、セーフティゾーンも広すぎるぐらいだから、ご自身のクルマを目いっぱい加速させてスピードを落とさずにコーナリングしてみたい人にはうってつけのYRSオーバルスクールと、ヨーイドンから最後まで集中を切らしたら終わり、駆け引きを存分に楽しめるYRSオーバルレースです。
みなさん、お待ちしています。
郡山に住むSさんが初めてスクールを受講したのは、2013年4月4日に筑波サーキットで開催したエンジンドライビングレッスン。いささか暴力的な加速を見せるC63AMGに乗ってやってきた。
スポーツドライビングが好きだと言うSさん。その後もユイレーシングスクールのオーバルスクールやツーデースクールやオーバルレースに参加してくれていたのだが、11回目を数えた2014年11月27日のYRS筑波サーキットドライビングスクールを最後に顔を見なくなった。
C63AMGを速く走らせようとするとフロントタイヤのショルダーを削ってしまうことになる。クルマが重いからある程度は仕方ないんですよ、と言ったのがいけなかったのかと。
2015年9月12日に富士スピードウエイで開催したYRSトライオーバルスクールの申し込みフォームにSさんの名前を見て安心したのだが、クルマはケイマンGTSに変わっていた。
富士は遠いんですよねぇ、と言うSさんはそれでも、2015年に富士スピードウエイで開催したスクールに6回参加してくれた。
今年8月。半年ぶりに富士スピードウエイのYRSドライビングワークアウトに顔を出したSさんは、ずいぶんと気持ちよく独特の排気音を響かせて走っていた。
で、帰り際。片づけが終わってルーテシアRSに荷物を積んでいるところにやってきたSさん。ルーテシアRSを指差しながら『これ買ったんです』。一瞬なんのことかわからなかったけれど、『トムさんがいいって言ってたので』と言われて思い出した。そうだ、以前、ルーテシアRSのことを聞かれたから「いいクルマですよ」と答えたのだった。
9月。前日に予定していた今年3回目のエンジンドライビングレッスンを台風のせいで中止にしたのだけど、翌日のYRS筑波サーキットドライビングスクールは快晴。Sさんが強い日差しに映える純白のルーテシアRSトロフィーでやってきた。
オドメータはまだ1600Kmだけどパワーが上がってシフトが速くなったというトロフィーをここぞとばかりに味見
ミッドシップもFFも難なく乗りこなすSさん。でもまだ先があります。また遊びに来て下さい。
8月最後のスクール、YRSドライビングワークアウトの参加者は6名だけ。昨年に比べると全般的に減っているが、それでも今年に入ってからの受講者は323名にのぼる。で、今年12月にユイレーシングスクール17年目が終われば延べ1万5千人あまりの方に運転の楽しさ、面白さをお伝えしたことになる。
ここ数年、初めてユイレーシングスクールを受講してくれる人が増えているのが大きな励みだが、数あるドライビングスクールの中でユイレーシングスクールを選んだ理由を聞いてみると、「教科書を読んで納得がいった」とか「教科書から方針が読み取れた」とか、ユイレーシングスクールの教科書が直接間接の動機付けになっているようだ。
なんでも合理的にモノが運ぶアメリカから日本に来てドライビングスクールを始めるにあたって、どの道、屋内制手工業的なスクールになるはずだったから、ユイレーシングスクールの主張をはっきりさせるために教科書を作って公開した。
84頁にわたるそれは、それまでの経験から、道具というクルマを動かす時のルールのようなものを自分で再確認するように作ったものだ。
遠方の人は教科書を呼んでユイレーシングスクールのCDを買って運転が上手くなったとメールをくれた。全頁をプリントアウトしてスクールの合間に読んでいた人がいた。実際のスクールを受けると教科書に書いてあったことが理解できたと喜んでくれた人がいた。
そんなユイレーシングスクールの教科書。もっとたくさんの人に読んでもらえると嬉しいと思い、ブログ200回目のテーマにした。
はっきり言って、時間のある時にでも読んで損はないと思います。そして知識と実技のギャップを埋めるのが練習です。教科書の内容を理解しやすいカリキュラムを用意しているユイレーシングスクールにも遊びに来て下さい。
我々はさまざまな交通規制の中で自動車を走らせている。
膨大な数の人が操る、ありとあらゆる自動車が同じ空間を共有するのだから、自動車がそれぞれに本来の目的を達成するためには一定の秩序が必要だ。そのより所になるのが交通規制だ。そして交通規制のあり方は交通社会の成熟度を示す。
交通規制がしかれる背景にはそれなりの理由があるのだろう。主に安全面から見て規制したほうが良い、ということになって実施されるのだと想像する。
しかし、中には「こうするほうが理屈にあうのにね」とか、「そうする理由がわからないね」と思える規制があるのも事実。おそらく規制の仕方にはある種のガイドラインがあって、それに従った結果なのだろうが、もっと柔軟に運用すれば交通規制の本来の目的である『危険の防止と安全確保、円滑な交通の確保』に沿うのに、そして自動車が本来の機能を発揮するのに、という場面が少なくない。ひらたく言えば、この国の交通規制は合理性を感じられないことのほうが多い。
30数年のアメリカ生活を経て日本に戻ってきてから、そんな気になる光景がそこかしこに。今回は居住地の近くを通る湖西道路の話。
大津市荒川から坂本まで、東岸と違って山々がせり出している琵琶湖の西岸を走る湖西道路は、湖畔よりもかなり高いところを通る。そのため、北から順に志賀、和迩、真野、仰木雄琴のインターチェンジがあるのだが、和迩を除いて本線への合流車線がかなり長く急な登り勾配になっている。
で、朝のラッシュ時には合流車線を起点に長い渋滞が起きる。一定数以上の本線走行車両に一定数以上の車両が合流すると渋滞が発生する。本線の流量が急激に増えるので流れがよどみ、しかも合流の仕方がドライバーによってまちまちで全体として画一的ではないから、双方が速度を極端に落とさざるを得ず、結果としてストップアンドゴーの繰り返しなんて悲惨な状態にもなる。その上、湖西道路の場合は本線と合流車線のどちらも 『速度の調整が難しい、かなりの登り勾配』 なのが渋滞に拍車をかける。
ま、インターチェンジの構造的な理由もあるし、「自分さえ良ければいいと」いう人が後を絶たないから渋滞が増幅するわけで、ラッシュ時の渋滞はこの際おいておく。
気になるのは合流車線の制限速度が解除される地点。
合流車線に入ってから速度制限の標識はないから、それ以前の40キロ制限が合流車線にも適用されるのだと解釈して。ならば、制限速度が60キロで、実際には70キロプラスから80キロで流れている本線に『安全かつ円滑に』合流するのには、40キロ制限が解除される地点が合流地点に近すぎない? そんな先まで延々と40キロで走らせる根拠は何? という話。
C ようやく40キロ制限が解除されて
※ この手前の勾配が最もきつく速度が落ちやすい
3つのインターチェンジの合流車線は勾配を緩くするためなのだろう、実に長い。それでいて、勾配は決して緩くない。にも関わらず、「はい。ここから本線に合流するために速度を上げていいですよ」という地点が、本線にかなり近いところにあって、かつその地点が結構な登り坂なのだ。
もし仮に、40キロ制限解除の地点まで5速とかDレンジで制限速度を守って走ってきた自動車が合流地点までに60キロ、あるいは80キロまで加速しようとすると、一般の人がふだんは経験しないと思われるほどスロットルを踏み込む必要がある。そういう加速ができる人はまれだ。
合流するまでの距離が短く登ってもいるのだから、結果的に本線の流れの速度に達する前に合流する可能性く速度差のある合流が生じる可能性が高いのに、滋賀県公安委員会はそのあたりを考慮しないのだろうか。
第一、合流車線に入ってからかなりの距離を40キロで走るのは、個人的には合理的ではないと思う。合流車線は自動車専用道に含まないのかも知れないが、合流車線に入ってしまえばそこには歩行者がいるわけもなく、減速する必要があるはずもなく、するべきことは合流だけなのだから、もっと早い地点で40キロ制限を解除しない理由が見つからない。
※ △地点から合流地点まで見通しはすこぶる良い
多くの人が速度制限が解除される前に速度を上げていると思われるし、たぶん公安委員会もそれは知っていて、だけど中には60キロに達しないまま合流しようとする「わかってない人」がいて誰かにブレーキを踏ませているのだけど、運転する人の教育には時間も手間もかかって不可能だから、とりあえず40キロ制限解除の標識は撤廃して、インターチェンジの合流車線に入ってしばらくしたらさっさと《 最低速度60キロの標識 》を立てるのがこの状況での合理性ではなかろうか。
実情にそぐわない規制は、そのうち規制される側が規制そのものを軽んじることになるから、なんのために規制するのかがあいまいになり規制が形骸化する。規制はされているのに秩序が保てないという不合理が起きる。と、個人的には思う。
≪独白≫
アメリカに行く前も日本の交通規制っておせっかいだな、みんなはそう思わないのかなと思っていたけど、アメリカに行ったらそれが確信に変わった。
例えば、アメリカの自宅近くのフリーウエイ405号線南行きにブルックハーストストリートから入る右270度の下りコーナーの入り口には、制限速度35マイルの標識が立っている。35マイルというと時速56.326キロなのだが、このコーナーをこの速度で回れるにはかなり腕に自信がなければならない。コーナーは下っているし曲率が変化する。ここだけではなく、基本的に、アメリカのコーナーでの制限速度はそれに近づかないほうがいいよ、と呼びかけるものだ。
他の規制標識もそうだけど、ほとんどが「掛け値なし」、つまり合理的で白黒がはっきりしている。だから、規制を規制として受け入れやすい。
クルマの運転は、運転そのものが目的にはならない。何かのために運転するのだから、運転する時の 『より所』 は単純で明快なほうがいいはずなのだが。
その昔、日本製のレーシングカーでレースがしてみたくて、鈴鹿にあるレーシングカーコンストラクター、ウエストレーシングカーズの神谷さんに無理を言って作ってもらったことがある。
当時、日本ではFJ1600と呼ばれるスバルの水平対抗1600ccエンジンをトランスミッションごと移植したナショナルフォーミュラが産声を上げたばかりだった。
アメリカでは世界的に入門フォーミュラとして定着していたフォーミュラフォード(FF)のレースが行われていた。もっとも、スポーツカークラブオブアメリカ(SCCA)のそれは、エンジンこそ同じ1600ccOHVのケントユニットにヒューランドトランスミッションという組み合わせを使うものの、タイヤは世界的に使われていたバイアス構造の溝付きではなくバイアスのスリックタイヤだった。
ポテンシャルパフォーマンスは同じようなものだろうからと、1982年式ウエストレーシングカーズ製のFJ1600のリアフレームとリアサスペンションを変更し、ケントユニットとヒューランドトランスミッションを押し込みFFに変身させてアメリカに送ってもらった。
日本製のフォーミュラフォードは世界中でこれ1台。それが自慢だったし、あわよくば日本製レーシングカーの世界進出につながるかななんて夢を見ていたのだけれど、世の中はそんな甘くなかった。
渡米した76年当事よりは円が高くなったとは言え、1982年の対ドル為替レートはまだ240円前後で推移。かなり頑張って頑張ったのだけど、円が太平洋を渡ると目減りしてしまい、FFのレース活動を続けるられるほどの余裕は生まれなかった。酸っぱい思い出。
せっかくSCCAの公認を取ってレースに参加したのだけれど、出るからには勝てるエンジンがほしかったけどそれもかなわず、ガレージに眠らせておくのももったいなく、泣く泣く神谷さんの元へ送り返した。
あれから30数年。神谷さんから「WEST82FFをあのままにしておくのは忍びないからFJ1600にコンバートする。ついては鈴鹿のレーシングリジェンドミーティングで乗らないか?思いでもあるだろうし」とありがたい電話。当事満足に走らせてあげられなかった負い目はあるけど、よろこんで再会を約束。
往年のFL500やフロンとラジエターのFJ1600に混ざって
※再コンバート後のテストもしないままだからペースは控えめ
鈴鹿レーシングリジェンドミーティングは、かって鈴鹿サーキットのアマチュアレースを走り幾多のレーシングドライバーを輩出した国産フォーミュラカーを称え、その存在を後世に残そうという試み。4回目になる今年は夏を思わせるような暑さの7月2日に行われた。
※第3回鈴鹿レーシングリジェンドミーティングの模様はこちら
第4回鈴鹿レーシングリジェンドミーティングの参加者と記念撮影
アメリカのレースで着ていたシンプソンのレーシングスーツを引っ張り出して
3レーヤー綿入りは暑かった !!!
ウエストレーシングガーズの神谷さんありがとうございました。
毎年購入している交通統計の平成27年度版が発売されたので、手に入れてユイレーシングスクール独自のデータに加筆した。
わが国を走る原動機付きの乗り物の総数はまだ増え続けていて、昨年4月1日現在で9,133万台にのぼる。
少子化がニュースになることが多いのに、なにがしかの運転免許を持っている人の数もまだまだ増え続けていて、昨年12月末の時点で8,215万人を数える。
日本の人口が1997年あたりから1億2千7百万人あたりで推移しているのに対し、このふたつの数字は交通統計に数字のある1966年以降増加の一途をたどっている(免許人口は2015年が最多ではあった)。年を追うごとに、社会が自由に走り回れる自動車への依存度を、今もなお増しているのは間違いない。
しかし、どんなに自動車が増えても、どんなに自動車技術が進歩しても、自動車を動かすのはしょせん人間。自動車が、いわばなくてはならないものの時代に、人間は自動車とどう向き合っているのだろうか。
運転免許さえあれば誰でもどこへでも走らせることができる自動車を、いったい、人はどう操っているのだろうか。
昨年の類型別交通事故件数を見てみると、警察庁が分類する人対車両、車両相互、車両単独の全ての数字が減っている。中でも車両単独の事故が交通事故全体に占める割合は過去最低の3.02%までになった。乱暴な言い方になるけれど、独り相撲を取る人が減ったね、と思ったら怒られるだろうか。
だがしかし、車両単独で事故を起こした場合に死にいたる割合は相変わらず高く23.78%。一時期ほどではないものの、ここ3年ほど死亡事故件数全体の4分の1になんなんとしている。
それが2輪車であれ4輪車であれ、業務なのか趣味なのかを問わず、自動車を動かすことができる人が82,150,008人もいるのだから、中には自動車に裏切られるような運転をする人、自動車の運転をなめている人がいるのはしかたがないことなのかも知れない。
ユイレーシングスクールが望むところではないけれど。