トム ヨシダブログ


第144回 YRS筑波サーキットドライビングスクール

144-1

今年初めてのYRS筑波サーキットドライビングスクール。未明までかなりの雨が降っていたのでシメシメと思っていたのだけれど、ホテルを出る頃には上がってしまった。
今年、YRSではブレーキングの練習に重点を置いている。安全に走るためにも、サーキットを速く走るためにも最短距離で車速を落とす操作とブレーキング区間の後半で姿勢を安定させる操作が欠かせないからだ。だからウエット路面が良かったのだけれど。

筑波サーキットコース1000で午前中2時間をブレーキングの練習にあてた結果、初めてサーキット走る人もターンイン時の姿勢作りに合格点をあげられるようになった。

そう言えば、今回はユイレーシングスクールを初めて受講する人の参加が多かった。いつもなら9割以上が以前に受講した方なのだが。

それと、今回は何年もユイレーシングスクールに通ってくれている方2人が息子さんを連れてきてくれた。
一人は免許取得中ということで、親父さんのクルマをボクが運転してサーキットを味わってもらった。
もう一人は親父さんに買ってもらったクルマで、親父さんと一緒に受講してくれた。若いというのはすばらしいことで、どんどん吸収する。多分、遠くない将来には親父さんより上手くなる手ごたえが。

ただ二人には言っておいた。「若気の至り」はクルマの運転に通用しないからね、と。

144-2b

ユイレーシングスクールには様々な人がいろいろなクルマで参加してくれる。今回、どんな参加者分布だったのかを示したのが上の図。傾向としては、いつもより年齢層が若干高かったのと、クルマをいじっている人が少し多めだったこと。前述の通り初めてユイレーシングスクールを受けてくれる人が多くて嬉しかった。

筑波サーキットに到着した時にはオドメーターの数字が5100を少し超えていた。

144-3

スクールの合間にビデオカメラを積んで走ってみたので、ルーテシアRSから見た筑波サーキットコース1000の景色は次回に紹介します。


第143回 ルーテシアRS 阿讃サーキットを駆ける

142-1
ストレートに並んだルノー、ルノー、ルノー

ルノークラブ走行会が行なわれた阿讃サーキット。香川県との境に近い徳島県東みよし町の山の中にあるこの1周1004mの小さなサーキットは、運転の練習にはもってこい。

なにしろ高低差がハンパじゃない。加えて、これが最大の特長なのだが、エスケープゾーンがほとんどない。コースアウトしたら即ガードレールか土手。こういう環境は得がたい。

突っ込みすぎたらアウトに逃げればいいや、で練習するのと、絶対にコースを外れてはだめだ、で練習するのとでは全く違う。テクニック以前に覚悟の仕方を養える。

それに、エスケープゾーンのないタイトなコースが役に立つこともある。

この日、サーキットを初めて走る人が何人もいたけど、みんな最後にはそこそこ走れるようになった。それは、あくまでも個人的な感想だが、レイアウトというか、目に入ってくる情報が峠道を走っているのと大差ないので馴染みやすいのではないかと。

頂上から下るセクションもいい。とにかく忙しいから考えている時間はない。なんとかしなきゃならないし、やってみればなんとかなるものだ。運転の理想は無意識行動なのだから、それを短時間のうちに習得できる。

そんな阿讃サーキットを慣らし中のルーテシアRSで走った時の動画がこれ。オドメーターの数字は4000を少し超えたばかりだったから、RSボタンには触らずショートシフトをしながら走った。

阿讃サーキットを走るのに特別な資格は要らない。ライセンスも要らない。年会費3,500円を払えば、平日、土曜、祝日なら1,600円で25分走ることができる。関西圏にお住まいのルノーユーザーの方はぜひ一度訪ねてほしい。
ただ、サーキット自体が山の上にあって、そこへ続く道は細く急で、上に住む方々の生活道路でもあるので十分注意してほしい。

サーキットを単に速く走るのではなく、自分がクルマの性能を引き出す操作ができているか検証するのにはうってつけのコースだ。


第140回 サーキット デ ビュー

140-1
身震いしているかのような

140-2
ドッシリと構えているような

鈴鹿サーキットに到着してもオドメーターの数字は3,200弱。

3,000キロまでは3,000回転を上限に回してみたけど、まだ全開にはしたくない気分。年に1度のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールには間に合わなかったけど、リードフォローのリードカーとして初めてサーキットに足を踏み入れた。

その時の動画がこれ。

F1日本GPも開催される日本のモータースポーツの聖地、鈴鹿サーキット。高速コースなので一度はユイレーシングスクールを受講した方を対象に開催している。今回は21歳から67歳まで、平均年齢48.6歳の若者が伊勢湾を遠くに眺めながら聖地のストレートを駆け下りました。

140-3
走行が終わればみんな笑顔、笑顔、笑顔。

まだ全開にはしていないし、今回は「RSボタン」は使わずにマニュアルシフトで走ったのだけど、2,000回転も回っていればトルクがモリモリのルーテシアⅣRS。ルーテシアⅢRSとエンジン特性も違うし、足回りのフィーリングも異なるけど、このクルマもいい。
運転の上達に励む、って覚悟のある人にはうってつけの教材、です。これでユイレーシングスクールを受講したら運転の達人になれること間違いなし。


第137回 新・相棒と

137-1
いい景色です

関東で打ち合わせが数件あったので、慣らしを兼ねてYRSルーテシアを連れ出した。

137-2
自分の影が写り込んでいるけど広角で撮りたくて

過去、ルーテシアⅣRSで受講された方が何人もいるのでどんなクルマかおおよそのことはわかったつもりでいたけれど、じっくりと付き合うのは初めて。まずはYRSルーテシアと仲良くなるための儀式。

137-3
今年の富士山は雪が多かった

最近のクルマは慣らし運転が必要ないと言われてるし、初回のオイル交換も10,000キロでかまわないと言われているし、技術はどんどん進歩でしていてクルマは手がかからない道具になりつつある。

しかし、クルマは洗濯機や冷蔵庫とは違う。人を乗せて、時には時速100キロで走る機械だ。人間の言うことを聞かなくなることが致命的な道具だ。

近代の工業製品だから故障とは縁遠いはずだし、キチンと使えば壊れることはないはずだ。それでも、今まのクルマ同様に、必要ないと言われているランニングインをしている。

137-4
去年は見事な桜に挨拶できたのに

クルマさんは「回してもいいヨ」と言っているかも知れないが、「ならお言葉に甘えて」とブン回しては、お互いの関係の始まりとしては、いささか味気ない。
もちろん、クルマさんにこちらの気持ちが伝わることなどあり得ないことだし、伝えることが目的ではない。

137-5
こちらも数日早かった

もちろん、自分流のランニングインが終われば、他のクルマ同様レッドゾーンまでしっかり回してあげられる機会を設けるつもりだ。
それまでの間は、自分のYRSルーテシアに対する思いを整理する期間。少しずつ癖を知りゆっくりと身体になじませるための時間。

137-6
ルージュ フラムを選んで良かった

137-7
お尻のラインが

終の相棒としてて選んだルーテシアⅢRSが嫉妬すると困るけど・・・。


第136回 新・相棒

136-1
比良山系を背景に

ユイレーシングスクールの活動を応援してくれているルノー・ジャポンがルーテシアRSを貸してくれることになった。

ルージュフラムのシャーシースポール。先代のトゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポール同様にこれから数々のYRSドライビングスクールを牽引してくれることになる。

136-2
遠く伊吹山を望む

実はお借りする前、ありがたいことに仕様についてこちらの希望を聞いてくれた。

で、ルーテシアⅣRSに乗っている方々のブログを拝見すると、シャーシーカップを選んだ人が多いような気がした。それで、ユイレーシングスクールがお借りするのはシャーシースポールにした。

この先、ルーテシアⅣRSシャーシーカップでスクールに来られる方がいるかも知れない。その時にはシャーシースポールを運転してもらうと違いを感じてもらえるかな、と考えた。
ルーテシアRSに2通りの仕様があるのだから、両方を味わってもらえばルーテシアⅣRSの真髄に近づくことができるのではないかと思った。

色は単純に、写真を撮る時に背景に溶け込まないようにルージュフラムをお願いした。

136-3
琵琶湖にもそろそろ春が

最新のホットハッチ、しかもパドルシフト。ワクワクする気持ちを抑えられないでいるが、そんな気持ちをおすそ分けする方法がないか考えた。
今までもお借りしたルノーをドライビングスクール参加者に運転してもらったことはあるが、参加者全員に乗ってもらうのは物理的に不可能だった。

それで、これからルノーユーザーの参加が増えることも期待して、慣らしが終わってからの話なのだが、ルノー車で参加してくれた方に富士スピードウエイの駐車場で開催するドライビングスクールの時にルーテシアⅣRSに乗ってもらおうと思う。

コレオスやカングーに乗っている方には安全な場所でホットハッチがどんなものか味見してほしいと思うし、
トゥィンゴRSやルーテシアⅢRSに乗っている方は最新のホットハッチを体験してほしいと思うし、
RSモデルを体験したことのないルノーユーザーにはルノー・スポールが送り出すクルマを感じてほしいと思う。

136-4
パドルシフトがムフッ

ルノーユーザーだけを特別扱いするわけにもいかないけれど、他の参加者に事情を説明して、ルノー車に乗っている方がお昼ご飯を早めに切り上げてくれれば不可能ではない。時間が足りなければ全てのカリキュラムが終わってからでもいい。

YRSオーバルを体験済みの方はオーバルを走ればいいし、初めてユイレーシングスクールに来られた方は270mx160mの広場でルーテシアRSの加速を体験してみるのもいい。

136-5
慣らしが終わるまではガマン、ガマン

ルノー・ジャポンのご好意でYRSフリートに加わったルーテシアⅣRS。使わなければもったいない。

136-6
お待ちしています

ルノーユーザーの方、安全にクルマを動かすコツを覚えることができるし、運転の楽しさを満喫するヒントがたくさんあるYRSドライビングスクールにぜひおいで下さい。お待ちしています。


第133回 YRSツーデイズスクール体験記

2月に富士スピードウエイで開催したYRSツーデースクールを受講してくれたNさん。このブログでユイレーシングスクールのことを知って申し込んでくれたと聞いたものだから、あつかましくも感想文をお願いした。
初めてのサーキットにも関わらず小気味いい走りをしていたNさんの体験記をお届けします。

135-321日目を終えてルノー・スポール仲間と
右からメガーヌのWさん ルーテシアのNさん 左はメガーヌのHさん

133-1b2日目 ストレートを駆け下るNさん

133-2bルーテシアⅣRSで参加してくれたNさん(中央)
左は毎年YRSツーデースクールに来てくれるTさん

============================ NさんのYRS体験記 ===========================

・1日目
免許取得から40年以上の運転暦を重ね、その間15台程の車を乗り継いでそれなりにカーライフを楽しんできたつもりですが、還暦を過ぎてもう一度車好きの原点に立ち返り、運転を楽しみたいと思っていました。
若い頃は見よう見まねで運転技術を習得しマニュアルシフトを楽しんで峠道を走ったりしましたが、家族を持ってからは車種の選択や仕様にも制限がありました。漸くその呪縛から開放され自分が欲しい車種を探し始めた時、目に入ったのがルノー・ルーテシアでした。もともと小型で小気味よく峠道を走るタイプが好きなので、雑誌等で以前から気にはしていましたがニューモデルが発表され、『まさに自分はこれが欲しかったんだ!!』と思いました。
それから購入に向けて情報収集する中で見つけたのがルノー・ジャパンのサイトに掲載されていたユイレーシング・スクールのブログです。『ルノーをサーキットで思い切り走らせたい!』と言う思いが強くなり、ついに富士スピードウェイで開催されたYRSツーデースクールに参加しました。
1日目、富士スピードウェイ駐車場端の教室で受付を済ませ、最初にトム校長の挨拶と白板を使って基本的な理論の説明。講義の中では車の動きとタイヤにかかる荷重の変化について説明されました。車を上手に運転し、効率良く安全に走らせる操作の基本を教わりました。ブレーキングの重要性について説明されましたが、特に印象に残ったのは今回初めて聞く言葉で『トランジション』、車が加速から減速への移行や直進からターンへの姿勢変化の際、移行を十分意識して運転操作をしないと、車は思う通りには走らないと言う事でした。

教室講義の終了後、参加者は3グループに分かれて駐車場内に設定された、スラローム/ブレーキング/8の字セクションでいよいよ運転スキルの練習がスタートしました。受講生はFMラジオで校長から飛ぶアドバイスに従って、それぞれの課題に臨みます。私の最初は8の字から、スタッフのグリーンフラッグの合図で勢いよくスタートあっという間にパイロンが迫りタイヤを軋ませながらコーナリングそして直進のタイミングを計りアクセル全開、ブレーキング、今度は反対方向にステアリングを切りコーナリング、あっという間にフラッグが振られセッション終了。
そして他のグループメンバーの走りを待ち、次の順番に臨みます。同じセクションを何度か繰り返しながら、自分なりに工夫を加えて望みます。最初は恐る恐るアクセルを踏み込んでいましたが、回を重ねると、思い切りべた踏みです。ところが車は自分が思ったようには動いてくれず、アウト側に膨らんだりスムーズな動きになりません。すかさずFMラジオからは校長の大きな声のアドバイス、あっと我に返り冷静さを取り戻し再挑戦。

なかなか難しいなと思っていると課題チェンジの指示、次はスラロームでした。等間隔に並べられたパイロンの間を出来るだけ早く走り抜けます。
ここではステアリング切り方が難しい、素早く左右に切ればいい訳ではなく、切るスピードにポイントが、操作を間違うとコース終盤で車のロールが増幅されて怖い思いをしました。校長からは肩に力をいれずハンドルをゆっくり切り始めるように指導を受ける。何度かスラロームを繰り返しまわりの参加者に比べレベルは低いけれど最後まで崩れることなく走りきれるようになりました。

そして最後が重要課題のブレーキング練習。アクセル全開であっという間にスピードは100キロ近くに達し目印のパイロンで急制動、前方のガードレールが目に入りスリル満点。普段の運転では考えられない急発進、急制動、タイヤが悲鳴を上げている。自分なりには精一杯のつもりだが、校長からはまだまだと厳しい指導の声。それならお手本をとお願いすると、さっと運転席に乗り込んで同乗走行の模範操作をしていただいた。さすがにその違いは歴然、制動距離は半分近く短く、ABSも作動しないのに緊急停止の為ハザードが自動的に点滅、これには本当に驚いた。単純なトレーニングながら夫々の難しさを実感して午前中の基礎練習があっという間に終了した。

午後はパイロンで走行ラインを設定されたオーバルコースを周回するユイレーシング・スクール独自の走行練習でした。午前同様にチーム分けされたグループが隊列を組んで周回、最初は一定速度を保って走ります。4本のタイヤのグリップを全てコーナリングに使うためのイーブンスロットルの練習です。徐々に指示速度が上げられます。車の反応を確かめながらハンドル操作、アクセル操作を繰り返しました。
オーバルコースの周回練習は次の段階へ進み、ハイスピードの周回となりコーナー手前でブレーキング/ハンドル操作/加速と繰り返されるようになり、トレーニングも難易度をまして行きました。ここでもFMラジオからは校長の厳しい指導の声が飛び、午前中の練習を思い起こしてブレーキングに力をこめました。
チーム毎に周回を重ねながら後半はオーバルコースも拡大され、トップスピードも一段とアップしこれまでの操作にシフトチェンジが加わります。セカンドでコーナーを立ち上がり加速してサードにシフトアップ直ぐにブレーキングとシフトダウン目まぐるしい操作で、高まるエンジン音、コーナーリングの横G、車を思いっきり走らせていることを実感しました。
1日目最後はオーバル走行でチーム内レースでした。速いクルマが後に迫ると校長からの指示でコーナーをアウトに膨らまないように立ち上がったり、周りの車にも注意をはらいサーキットの走行を意識した走行練習でした。駐車場内を走り回って繰り返し続けられたオーバル練習、気が付いたらオドメーターは80キロ程、1日目のプログラムを無事に終了しました。

・2日目
FSWショートコースで念願のサーキットデビューの日。雨はあがったものの路面は濡れた状態で不安な気持ちでした。コースに到着するとまずコースを歩きます。コーナーの状況やCPポイントの説明を受けながらコースを一周、サーキットの勾配が想像以上にキツイ事を実感。特にホームストレッチは5%の下り勾配があり第1コーナーへ入る前の姿勢の作り方とブレーキング操作を重点的に指導された。
次に教室でライン取りや走行上の注意点の説明があり、ラップタイム計測用のトランスポンダーを渡されました。いよいよサーキット走行です。

走行準備を終えヘルメットを被り、グループに分かれてピットロードからコースイン。最初はウォーミングアップ走行でコース状態の把握から始まり、グループ毎の周回走行が繰り返された。初めのうちは路面が濡れていることもあり、恐る恐る先行車の後ろについて走行ラインを確認し、徐々にスピードを上げていきました。グループ毎に区切られた時間で、周回走行を交互に繰り返す。これまでの講習で学んだことを意識し、周回毎に課題に挑戦するが、あっという間に午前の走行が終了した。午後は講師の同乗走行から、受講者が助手席に座り講師がコースを模範走行。私も校長の運転でコースを周回。昨日の模範ブレーキング同様に圧倒的な操作で、ゆっくりながら、メリハリがあり操作の意図が車に伝わっていることを実感、自分の運転とは異次元の世界を体感し、まさにこれが本物のサーキット走行、大変参考になりました。続いて午前と同様にグループ毎の周回走行が繰り返され、路面状況も良くなり周回スピードも上がりました。グループ走行ながら速い車に抜かれたり、先行車に追いついて様子を伺いながらパスすることが出来たり、サーキット走行の醍醐味を満喫し時間を忘れて、周回を重ねました。ベテラン受講生のレベルとは比べ物になりませんが、今日のサーキットデビューは最高に楽しく、『ルノーでサーキットを思い切り走る』夢が実現できた素晴らしい一日になりました。無事にサーキット走行を終了し、オドメーターは150程でした。

・所感
思い切ってYRSに参加してとても良かったと思います。これまでもスポーツの講習等様々な指導を受けて来ましたが、その度に感じることは、自分の目標に挑戦する時、その領域の知識や経験のある人の指導を受ける事が、最も速くて効果的な対策だと思います。車を移動手段の道具としか考えない場合は運転を教習所で教わって免許を取ればそれ以上の必要はないかもしれませんが、上手に運転したい、速く走りたい、車の運転を楽しみたい、と思ったら操作については専門の指導が必要です。今回は吉田校長の永年の指導経験から組み立てられた内容や、受講者に繰り返される熱血指導を体感し、特に2日目には『ルノーでサーキットを思い切り走る』という願いも実現できました。2日間の短い時間でしたが充実した内容に大変満足しています。

また性能が良くていい車だと思っていても、一般道路では性能の一部しか感じることは出来ませんでしたが、駐車場やサーキットで思い切り車を走らせた事で、ルノーが素晴らしい車だと言う事も実感、ルノーにして良かったと思いました。ルノーはサーキットイベントやユーザー同士の交流会等も開催していますが、今後は機会があったら参加したいと思います。

高齢者が年甲斐もなく、サーキットを走りたいと思ったのは、これまで様々なスポーツを経験し楽しんできましたが、加齢と共に体力の限界を感じ始めて来たからです。2日間の初挑戦を終えてからは、『まだまだやりたい事がある!』と挑戦する課題を見つけて、前向きな自分を発見しました。

今後も愛車ルノーで、練習を重ね、新しいカーライフを楽しみたいと思います。


第132回 鈴鹿ツインサーキット

131-1久しぶりにレブリミットまで回した

131-2
鈴鹿ツインサーキットGコースはこんなレイアウト

筑波サーキットと富士スピードウエイで開催しているいろいろなカリキュラムを関西でも展開したくて候補地を探していたけど、クルマを動かす基本操作を練習するYRSドライビングワークショップを鈴鹿ツインサーキットGコースで開催することにした。

4月2日(木)に開催するのは、全長1,750mのフルコースの半分を使うGコース。とにかく運転の上達には反復練習が欠かせないので1周40数秒で周回できるのが嬉しい。
と言っても、長さは960mあるし直線は280mもある。コーナーの数は12でコース幅は最低でも10mある。練習にはうってつけ。特にストレートを使ったスレッシュホールドブレーキングの練習は期待大。

クルマの基本的な動かし方、と言っても教習所のそれとは異なり高いレベルでのだが、を体験してみたい方はぜひ参加してみてほしい。
・YRSドライビングワークショップ鈴鹿 開催案内

冬場はほとんど乗らない愛車を引っ張り出して、タイヤのショルダーのイボイボが削れない範囲で走った時の動画がこれ。

ルノー・スポールが作るクルマはやっぱりいい。もっと評価されてしかるべきだと思う。

※動画の中でナビがしゃべっていますが聞き流して下さい。


第130回 Kさん レースデ ビュー


RSはサーキットが似合う

ルノー・ジャポンのブログでユイレーシングスクールのことを知ったKさん。昨年3月に愛車ルーテシアRSとともにYRSオーバルスクールに参加してくれた。
その後、YRSドライビングワークアウトやYRSトライオーバルスクールなど昨年中に4回、今年に入ってYRSオーバルスクールにも参加してくれた。

Kさんがサーキット走行を楽しまれていることは知っていたから、ことあるごとに「YRSのスクールレースに出ると運転の幅が広がるしスクール以上の効果がありまっせ」とささやき続けたのが功を奏したのだろう、2月のYRSスプリントレースに参加してくれた。

レースと言っても、ドライビングスクールの一環として行なっている卒業生を対象としたスクールのようなもの。一度でもYRSのドライビングスクールを受ければ参加する資格はあるし、クルマにも特別な準備をする必要はない。とにかく、とかく敷居の高い日本のモータースポーツ界にあって、少しでも多くの人にヨーイドンの醍醐味を味わってもらいたいと思って始めたのがYRSスプリントレースとYRSエンデューロレース。
だから、レースでの走り方も教えるしレーシングマナーも教える。サーキットを走ったことがあって、YRS流のクルマを意のままにコントロールする方法を知ってもらった人は誰でも参加できる。

と言っても、レース内容もそれなりかというとそうではない。続けて参加している人のレベルはかなりのもので、彼らが公式なレースに出ようと決心さえすれば上位に食い込むのも難しくはない。
実際、Kさんが今回参加してくれたYRSスプリントレースを卒業してライセンスを必要とするレースに参加し、優勝したりシリーズチャンピオンになった人が何人もいる。

さて、サーキットを走ることには慣れていたKさん。初めてのヨーイドンでどんな振る舞いをするか興味深く見させてもらった。
結果は上出来。結果は別としてしっかりとレースをしていた。

8月に行なうYRSスプリントレースにも参加してくれるそうだし、その前にYRSオーバルスクールにも来てくれるそうだから、その時にでもあと1、2台を食う方法をアドバイスしようと思っている。

後日初めてのYRSスプリントの感想を求めたら、 Kさん自身のブログ にまとめましたと返信があったのを付け加えておこう。


ローリングスタートからヨーイドン
気持ちのいい瞬間


コーナリングスピードに勝るツーシーターを追いかける
気分が透明になったかな?


追って追われて
だけど2台とも突っ込みすぎ!


レース中何を考えているのか?
いや、何も考えてはいないはず


勝とうと思ってレースを走って、レースに勝った人はいない


最初にやるべきことは自分がミスなく走り続けることだ


レース中のラップタイムを見ながら
「フムフム、悪くないんじゃない」

photo:YRS + Rumi Masuda


第63回 必要にして十分

東名鮎沢SAからの富士山

昔も今も「羊の皮をかぶった狼」と形容されるクルマが好きだ。
軽自動車免許を取って公に運転できるようになってからまもなく48年になるが、その間、乗用車を手に入れるなら絶対に羊の皮をかぶった狼のようなクルマにしたいと思い続けてきた。

小山町からの富士山

初めてそのフレーズを目にしたのは、免許年齢前のこと。自動車雑誌を読みながら妄想にふけっていたころ。確か、英国フォードが作っていたフツーのセダンのコルチナにツインカムエンジンを搭載し、レースやラリーで大排気量のクルマを相手に奮闘していたことから形容されたと記憶する。なんてことのない外観をしながら内に秘めた実力は本物。いざという時には身の丈を超えた力を発揮する。そんなクルマに憧れていた。

誤解のないように付け加えよう。羊の皮をかぶった狼的なクルマが好きなのは、それを手に入れれば自分が狼になれるからではないし、狼になりたいと思っているわけでもない。まして、狼になることを羊の皮をかぶることで正当化しようとしているのでもない。それはさておき、

小山町からの富士山

昔、八重洲出版が発行するドライバー誌の嘱託をしていた頃の話。カローラレビンが憧れだった。初代の27レビンだ。そのレビンがモデルチェンジをして37になった時、試乗して大いにがっかりしたことが記憶の片隅にある。試乗記の担当ではなかったので原稿にはしなかったが、編集部で「これは改悪だな」ともらしたものだから大論争になったことがあった。
確かに37レビンは27に比べて高級感が漂うクルマに仕上がっていた。しかし大きくなって重くなりバネ下がドタバタする37は自分の尺度で測ると、二歩も三歩も憧れの存在から遠のいてしまっていた。
ところが、編集部では37レビンの評価が高かった。クルマの進化はかくあるべし、という論調が多数を占めていた。硬めのサスペンションで乗り手に「クルマに合わせろよ」と強いていた27から、「あなたにも乗れますよ」ともみ手しているような37になったというのに、だ。
「だったらレビンである必要はないだろ」と心の中で軟派な編集部員達に毒づいたものだ。それはさておき、

小山町にて

ユイレーシングスクールを始めるために日本に来た1999年。足がないと困るだろと、某自動車雑誌の編集長がサーブ900をくれた。サンルーフ付きのマニュアル。かなりくたびれてはいたが、ターボチャージャーで過給されていたし、屏風のようなウインドシールドのおかげ(?)で、それなりに羊の皮をかぶった狼的ではあった。それはさておき、

富士スピードウエイで

日本に来てからしばらくは、ユイレーシングスクールと掛け持ちで茨城県にあるカート場でモータースポーツファンを増やすことに没頭していた。そのカート場には軽トラックがあって、これが楽しくてしかたがなかった。カート場の周囲は田んぼであぜ道というか簡易アスファルトの細い道が縦横に走っていた。ここを軽トラックで走るのは本当に気持ちが良かった。
なにしろ空荷だと極端なフロントヘビー。そこにオーバーハングするように運転者が乗るものだから、右前輪の過重は増えるばかり。あぜ道を快適に走ろうとすると正確な姿勢制御が必要だった。幸いリアがソリッドアクスルで常に対地キャンバーが不変だったから、ひんしゅくをかわない速度でも面白いようにスリップアングルをコントロールできた。

軽トラックは軽トラックで狼が中に住んでいるわけではない。しかし荷物を満載しても走るように作られた軽トラックは、空荷の時ならば乗り方によって羊の皮をかぶった狼の息子ぐらいに変貌した。

余談ながら、そのカート場にはラジコンカー用のオーバルコースがあった。カート2台を横に並べればあまり余裕のないコース幅ではあったが、そこを使ってレンタルカートでレースをやった。「こんなところで抜けるわけがない」、「レースにはならない」との声をよそに、オーバルレースの走り方を説明しながらカートではベテランの連中に試してもらったら、見事レースになった。追い抜きにはみんなが歓声を上げた。残念なことにかなりのスキルがないとレースにならずパレードになってしまい、日本初のグラスルーツオーバルレースがお蔵入りになってしまったのが悔やまれる。それはさておき、

琵琶湖を背景にマキノ町で

2010年の春だったか、エンジンドライビングレッスンにルノー ルーテシアRSで参加された方がいた。不明にも、その時までその存在を知らなかった。しかし聞けば、リッターあたり100馬力で車重1.2トンちょっと。この日はルーテシアRSの同乗走行をする機会がなかったから、結局その走りを体験することはできなかった。

それでも、『その匂い』がプンプンするルーテシアRSの魅力には勝てず、その日のうちに購入を決めた。まだ乗ってもいないのに、だ。自分用に買った人生2台目の乗用車が終生の伴侶となった。それはさておき、

マキノ町ではこんな低いところに虹が

クルマを選ぶ時はそんなもんだ。理屈はいらない。要は、自分の主張に合うクルマに出会うことができるかどうかだ。その意味では、あの日ルーテシアRSでエンジンドライビングレッスンに参加してくれたIさんに感謝しなければならない。それはさておき、

もっと緑が濃くなるころに来たいマキノ町で

筑波サーキットでルノー トゥィンゴ ゴルディーニRSを受け取った帰り道。兄貴より小さくて力もないけど、その勝るとも劣らない狼度を満喫しながら670キロを走った。

もちろん個人的な気持ちではあるのだが、ルーテシアRSを所有していながら弟に惚れた。確かに長距離を走るのならばルーテシアRSのほうが楽ではある。歳を考えればルーテシアRSのほうが似合っているかも知れない。絶対的な性能も弟を上回るのも事実。

しかし選んだクルマがそういうものだと覚悟を決めれば、弟ではいけない理由はなくなる。大きさもいい。足もよく動く。第一、4,000回転回っていれば自分の気持ちを抑えることが必要になるエンジンがいい。

どんなクルマでも性能を『満喫する過程』が楽しいものだ。絶対的な速さと快適さ同時に求めるのならばそれに応えてくれるクルマはたくさんある。でも、大切なのは等身大の自分を表現できるクルマに出会うことだ。

それは、数値には表れない感覚的なもの。自分が使いきれるか使い切れないかのギリギリで操ることができるクルマに乗りたい。
それは、クルマを走らせる時、常にクルマに対する畏怖の念を抱いていたいからなのだと思う。


第57回 疎通知遠 ユイレーシングスクール始動

大事な大事な大事な宝物

新しいパソコンを追加したのでファイルを整理していたら、懐かしいテキストファイルを見つけた。
当時、5年勤めたツインリンクもてぎ北米代表の委託契約を更新をしないことに決めてからというもの、なんとかして日本のモータースポーツを活性化できないかと考える毎日を送っていた。キーボードアレルギーではあるけれど、我慢しながらモニターに向かっていたある日、クルマ好きが集うメーリングリストを見つけた。
クルマの運転について、あるいはサーキットの走り方、あるいは改造について意見が飛び交うメーリングリストだった。

以下の文章はそのメンバーだった久我さんが投稿したものだ。時は1999年。その後、久我さんはユイレーシングスクールの発起人にもなってくれ、スタッフとしてもユイレーシングスクールの活動を支えてくれた
——————————————————————————————————————————————————————————

□ 山梨のミニサーキットで 久我昌文

20世紀も終わりに近づいた年の春、ボクは「クルマの楽しみ推進委員会」というメーリングリストに参加した。名前からしてわかるように、「クルマをもっと楽しもう」というテーマで集まったコミュニティだった。主催者の中村竜志氏は、「人とクルマの関わりあい方」について常に問題提起して、「今のクルマ社会って、不自由じゃない?一人一人の意識を行動に移して変えていこうよ」と呼びかけていた。

メーリングリストに参加してから数ヵ月後、中村氏からアメリカで暮らすモータージャーナリストのトム・ヨシダなる人物が新たに参加すると紹介があった。たしかその名前は何度かクルマ雑誌で目にしたことがあった。インターネットはたしかに人と人の「距離」をないものにする。日本の片田舎に居ながら、海の向こうのプロのジャーナリストと「会話」するなどということが現実に起こるのだった。
実際、そのトム・ヨシダ氏は「ホンモノ」で、ボクが思っていたよりも、もっと日本やアメリカのモータースポーツに深く関わっている人だった。トム氏の展開する豊富なレース経験や知識、日本ではほとんど紹介されたことのないアメリカのモータースポーツの話題は、すぐにメーリングリストのメンバーを魅了していった。

そして、その年の夏。走行会で知り合った友人からメールで、「山梨のミニサーキットに行ってみないか」、と誘いを受けた。このコースは、クルマ雑誌でよく紹介されていていたが、未だ走ったことのないサーキットだったので、すぐにOKの返事を出した。このことを「クルマの楽しみ...」で話すと、何とアメリカ在住のトム氏がスケジュールを合わせて山梨までやってくる、というではないか。しかも、コースを走るわけではなく「キミたちが走っているのを見たいから」という理由だった。そう言えば、トム氏の経歴の中にジムラッセルレーシングスクールのインストラクターを務めていたとあった。レーシングスクールがどういうものか知らなかったが、きっと速く走るためのコツを教えてくれるのだ、と思った。誘ってくれた友人にこのことを話すと、学生時代にダート走行をやっていた彼は喜んだ。

中村氏もこのことを歓迎してくれ、「オフミーティングをしませんか?」とメーリングリストで呼びかけてくれた。
「山梨のミニサーキットに集合っ!」。コンピュータネットワーク上での会話だけのつきあいは、一気に現実の出逢いへと移行して行った。
あっ、という間に夏は過ぎ、初秋の山梨。朝早い時間からボクらは山間のミニサーキットへと集まった。アップダウンに富んだそのコースは、幅も狭く、峠道そのものといった印象だった。山の朝のひんやりとした空気を吸いながら、ボクらは挨拶を交わした。トム氏とはもちろん、中村氏とも初めて顔を会わせたのだった。

ボクらの中で、コースを走るクルマは5台だった。FRターボ車、4WDターボ、FFライトウェイトスポーツ、AT車と車種もバラバラだった。走行時間は1つのセションが30分、セション毎にチケットを買って走るのだった。
トム氏はボクらが走るのをコース脇から見ていてくれる、という。「何周か走ったらピットに入ってきて下さい」と言われた。自分が走っているのを見てもらって、その都度アドバイスを受ける、とういうのは初めてのことだった。最初に、「テーマを持って走ったほうがいいですよ」といわれても、「そんなの速く走ることに決まっているじゃん」と思った。ホントにバカである。でも、アドバイスしてくれるトム氏はそんなことはもちろん言わず、笑顔を絶やさず、易しく丁寧に教えてくれた。他のメンバーに対しても同様だった。
その当時のボクは「ブレーキはコーナーに入るギリギリまでガマンするもの」と思っていた。今でもユイレーシングスクールの教科書に書かれている勘違いの例は、そのままボクの走り方に当て嵌まった。ガソリンをいくら使っても、頭を使わなければ速く走れない。
結局、30分の走行セションを2回行って走行を終えた。「クルマさんともっとなかよしになったほうがいいよ」。トム氏の言っていることは一見簡単なようでいて、実践するのはとても難しかった。メーリングリストで繰り返し言われていたこの言葉の中に、たくさんのメッセージが込められていたことに、ようやく気がついたのだった。

中村氏はメーリングリストメンバーのオフミーティングというレポートで、アドバイスを受けたボクらの姿を、すぐさまWebサイトにアップしてくれた。ご丁寧に最終コーナーの動画つきである。走りはじめてすぐの映像だろう、下りストレートからのターンインで外側のフロントタイヤにだけ負担がかかっているのが写っていた。「自分は未だクルマの性能を出し切っていない」「どうすればもっとクルマとなかよしになれるのだろう」「何とかもう一度アドバイスを受けられないだろうか」という思いは、日に日に大きくなるのだった。

山梨での走行会から2ヶ月ほど後、ボクは一通のダイレクトメールを受け取った。そこには、ユイレーシングスクールの日本で最初のドライビングワークショップが、桶川スポーツランドで開催されることが記されていた。チーフインストラクターにはトム・ヨシダの名前が記されていた。わざわざ山梨までトム氏が来たのも、日本でレーシングスクール開校の可能性を探しに来ていたのだった。開催場所は違ったが、それでもこのメールはボクにとって待ち望んでいたものだった。師走の平日が開催日だったが、すぐさま受講を申し込んだ。

そして、12月の寒い朝。眠い目を擦りながら、桶川のコースに辿り着くと、山梨で出会った優しい笑顔が、集まったもっと多くの生徒たちに向けられていた。
「クルマをもっと楽しもうよ」。この日から、ネット上でのバーチャルな呼びかけは、現実化へと向かったのだった。<了>

——————————————————————————————————————————————————————————

日本で最初のドライビングスクールを終えてメーリングリストに掲載したのが以下の文。

◇ 第一回ドライビングワークショップを終えて トムヨシダ

9月のスポーツランド山梨に始まり、11月の桶川、そして12月のドライビングワークショップと皆さんの走りを見させてもらった感想です。

結論を先に言うと、次の3点が気になりました。
1)クルマの高性能化が運転技術をかなりスポイルしていること
2)情報の取りこみが不足していること
3)クルマさんとの対話が十分ではないこと

1)に関しては、特にサスペンションを固めてあるクルマに慣れている人に見られたのですが、一言で言うと「クルマの性能に頼った運転」をしています。逆の言い方をすれば、もしクルマの性能が低ければ間違いなく危ない状態に陥るような運転です。おそらく、ふだんの運転でもクルマが自分の思う通りに動くものだと確信しているのだと思いますが、これは極めて危険な考えです。クルマは人間からの入力がなければ動きもしないただの機械ですが、入力次第によっては人間の想像をはるかに超えた動きを見せます。

クルマを安全に走らせるのにはスムーズにクルマを走らせることが必要です。速く走らせるのにもスムースに運転することが必要です。目的は違っても、クルマと言う「人間能力拡大器」を扱う最低限のルールはスムースな操作です。速く走りたいとか、前のクルマに追いつきたいといった、人間の感情が入り込んだ情緒的な操作ではクルマは正確に走りません。

もし今まで事故もなく、そこそこ満足できる走りができていたとしたら、その方達は幸いにもクルマさんの性能に助けられて無事だったので、運転が理にかなっていたからだとは思えません。

2)に関しては、走行会でアドバイスした時もワークショップでブレーキングやコーナリングの繰り返し練習をした時にも感じたのですが、ブレーキングやターンインのポイントを指摘してもそこにクルマを持っていけない人が多く見られたのがひとつの例です。

コース際には何かしら目印になるものがあるはずですし、ワークショップでは要所にコーンを立てています。しかし多くの方が、基本となるラインをトレースできません。といっても、見ていないわけではなく、顔の動きから想像するに見てはいるのです。

ところが、実際にはポイントを逃す結果になっている。

おそらく、目から情報は入っているのでしょうが、その扱い方(重要な情報を選択し、どうでもいい情報は瞬時に捨てる)がチグハグなのかも知れません。あるいはトンネルビジョンになっていて、物が近づくほどに前後関係が曖昧になるのかも知れません。

速く走ればそれだけ多くの情報の中を通過することになります。必用な情報の取りこみが重要なことは言うまでもありませんが、多くの情報の取捨選択も必要です。

3)どの場合でも、一人の例外を除いてはふだん使っている自分の車を運転されていました。ところが、サーキットで走るとクルマさんとの関係がギクシャクしているように映るのです。

サーキットという特殊な場所で走るというのも関係しているのでしょうが、走っている速度域は高速道路で体験済みの範囲に過ぎません。
サーキットを走るという非日常の昂揚感が慣れ親しんだクルマの操作にすら影響を与えている、と思えなくもありませんが、実際のところは本人にもわからないでしょう。

ただ、基本的にはどんな情況であろうとクルマの運転は普遍であると思いますし、クルマの動きに対応して走らなければならないという決まり、「Do not anticipate, Do react!」は同じはずです。

皆さんの走行を見せていただくたびに、私自身が多くのことを学ぶことができます。この点は感謝してもしきれないものです。

まだ始まったばかりのユイレーシングスクール日本ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

ルーテシアRSの足は最高

3月9、10日に開催するYRSツーデースクールにまだ余裕があります。時間の許す方はぜひご参加下さい。
・YRSツーデースクール開催案内&申込みフォーム