オドメーターの数字が5000を超えたばかりなのに鈴鹿、阿讃に次いで3つ目のサーキット、筑波サーキットコース1000を走った。その時の動画がこれ。
YRS筑波サーキットドライビングスクールの昼休みに走ったので時間は限られていた。だから、回す気にはなっていたけれどルーテシアRSの性格をつかむところまではいかなかった。懐の深い足回りの入り口ぐらいまでは体験できたけど。
振り回せばもっと速く走ることもできると思うのだが、それは主義ではないし、タイヤのコンタクトパッチの形状をできるだけ変えずに走りたいのでもう少し走りこむ必要がある。
個人的にもユイレーシングスクールとしても、クルマに負担をかけて速く走ろうとするのには賛成しかねる。
例えば、FF車にその傾向が強いのだが、前輪のショルダーまで使ってコーナリングすることだ。ショルダーを使うほど攻めたって気持ちにはなるかもしれないけど、それで速く走れるかというとむしろ逆だ。荷重がアウト側前輪だけにかかった状態ではクルマが前に進まない。
大切なのは、それなりに走ることだ。今回もショルダーを痛めない範囲で、どれだけ短い時間でルーテシアRSの特性をつかみ、前後のスリップアングルを均等にしながら走れるかをテーマにした。だから、ショルダーが巻き込みそうな時は何もしない時間を作った。
それでも合計8周した前輪のトレッドには、アウトに逃げた形跡があった。右も左もだ。悔しいけど、まだリアタイヤが使えていない証拠。ただ、どうすればいいかはわかったので次回に試してみたい。クルマに負担をかけなくても、速さを追求する方法はいくらでもあるのだから。
写真は走行後のタイヤ
ルーテシアⅣRSには、中低速の回り込んだコーナーが多いサーキットより、高速コーナーや短いコーナーのあるサーキットが似合いそうなの雰囲気なので、機会を見つけて4つ目のサーキットを走ってみたいと思う。
GD1フィットをそう呼ぶのには異論があるだろうが、1.3リッターSOHCエンジンにCVTの動力性能であっても自分にとってはまぎれもないホットハッチだった。
移動の道具として、機材を運ぶ手段として、現在の日本の交通事情を考えて、なおかつ燃費とか税金とかを含めた効率を考慮に入れればクルマとして十分な価値を備えていた。しかも、9万キロ余りドライビングスクールを支えてくれたのだからお互いに良い出会いだったと思う。
最後に撮った写真 タイヤは14インチのスタッドレス
そんなGD1フィットなのだが、最初に乗った時には少しばかり戸惑ったことがある。減速中に停止寸前の速度になると、フットブレーキ以上の減速度が立ち上がるのだ。CVTの構造からしておおよその想像はついたが、どう踏力を変えてもその性癖は治まらなかった。
技術的に確かめたわけではないのだが、おそらくある一定の速度まで減速するとドライブ側のプーリー径が機械的(電気的?)に小さくなる設定なのだろう。それで、車速に忠実なドリブン側のプーリーの回転に抵抗が生じて急激なエンジンブレーキがかかったような速度の落ち方をしたのだろう。特に減速の直前までしっかり加速をしていた時にその傾向が強かった。
そんなCVTだったが、非力な1.3リッターエンジンを補う活躍をしてくれたのも事実。これがGD1フィットをホットハッチだらしめた大きな理由でもある。
CVTとしては初期のデザインに属するのだろう、急加速が必要な時にスロットルを開けてもエンジン回転が上がるだけで車速が伸びない。スロットルを開けても、まるで駆動力が必要だと判断されたかのようにドライブ側のプーリーが小さくなる、当然ギア比(?)が大きいままなので加速しない、そんな感じだ。
そこで一計を案じた。急加速が必要な場合にはローレンジにダウンシフトする。当然エンジン回転はそれ相応に上昇する。それを待って、少しばかりスロットルを開ける。開け続けても車速は伸びないので、ある程度開けたところで止める。セレクタをドライブレンジに戻してから、今度はスロットルをゆっくり少しずつ戻す。すると、GD1フィットは2クラス上のセダン並みの加速をしてみせる。
ストットルを開けてもドリブン側のプーリーが小さくならないようなので、エンジン回転を下げることでドライブ側のプーリーが大きくならないかなと考えたのだ。
そんな使い方が正しいのかどうかわからないが、時たまそんな使い方をしながらもエアコンのコンプレッサー以外に不具合もなく走り回ってくれた。
なにしろ全くのノーマルで乗り続けていたのだが、重い機材を乗せて走っていると踏ん張りが足りないと思っていた。それで、純正のタイヤの溝が少なくなってきたのを期に、タイヤとホイールを換えることにした。
ホイールは純正の5.5Jx14のスチールから6.0Jx13のアルミホイールに。オフセットは15mm小さくした。タイヤは純正の175/65R14からごくふつうのBSスニーカーの185/60R13に換えた。
これが大当たり。踏ん張りがきくようになり、ごくわずかな舵角でも前輪にかかる応力が診てとれるようになった。もっとも、ハイトが高くなった分だけほんの少しだけ応答性は悪くなったが、そこはそれ、操作の開始を手前にもってくることでなんなく修正した。
コーナーの続く道ではサスペンションに手を入れたロードスターになんなくついていけたほどにロードホールディングが高まり、タイヤ幅の増加に合わせて空気圧を5%ほど高めていたから、燃費はついぞ16キロを割ることはなかった。
結局、オイル交換以外はエアコンのガスを1度、ブレーキパッドとブレーキシューを1度交換しただけ。タイヤとホイール以外はショールームストックの状態での9万キロだから、クルマの使い方としてはそれほど悪くはなかったかなぁ、と思っている。
ホットハッチ考 続く
鈴鹿サーキット国際南コースでドライビングスクールを開催した。
もともとはカートコースとして作られた通称南コース。全長は1,264mで、筑波サーキットのコース1000(1,039m)や富士スピードウエイのショートサーキット(ユイレーシングスクールが使用しているレイアウトは880m)よりは長い。
しかしカートレースを前提としたレイアウトなので、ここを4輪で走るとなるとかなり忙しい。ひとつひとつのコーナーは単純な形だから理論通りに走ればいいはずなのだが、特に前半のテクニカル部分ではコーナーが連続しているので最適な走り方を探すのが難しい。だから練習しがいがある。
速いクルマでも平均速度が70キロ/時にやっと届くぐらいだから絶対的な速度は速くない。速く走るためには『加速できない』区間であるコーナーをいかに速度を乗せて走るかが肝心なので、加速から減速、そしてターンインへの流れの中で、その時の状況に合わせ、かつ速度を高く維持するための操作を見つけ出す必要がある。その意味でドライビングスクールを開催するにはうってつけのレイアウトだ。
で、午前中が雨、午後が晴れという理想的なコンディションで開催できた今年のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクール南。参加者が走るセッションの合間にビデオの撮影をした。
今回のテーマは動く足。ほんとうはサスペンションアームの動きを撮りたいのだが小さいトゥィンゴにはカメラを収めるスペースがない。それで前輪の動きから想像してみることにした。
結果はと言うと想像通り。縁石に乗るとかの大きな入力を受けない限り、そしてトランジッションを意識して走る限り、バウンドもリバウンドも最小限。足を締め上げたルノー・スポールだからとも言えるが、上屋を支える足が安定している様は感動モノ。
やっぱり、クルマはスムーズに、途切れなく走らせることが大切なのだなと。
同じラップの外撮り、車載、前輪アップをまとめた動画がこれ
※今だからこそドライビングスクールにうってつけだと思えるけれど、来日中の1989年7月に南コースのオープンに招待されて鈴鹿サーキットが用意したノーマルのシビックで走った時には奥のヘアピンがいやでいやで仕方なかった。なんのことはない。当時は単に低速コーナーが嫌いなだけ!?だったみたい。そんなことを思い出しながらの撮影だった。
※外撮りの動画は東京から参加された中沢 隆さんが撮影してくれました。
※カット写真は大阪から参加された目代英一郎さんが撮影してくれました。
クルマは4本のタイヤでしか地面に接してはいない。
つまり、クルマの性能はタイヤを介してしか発揮することはできない。
と言うことは、人間の行う操作もタイヤを通じてしかクルマに伝わらないということでもある。
だから、タイヤの使い方はクルマを動かす上では非常に大切だ。
クルマの性能が高くてもタイヤの使い方が間違っていればその恩恵にあずかることはできない。
逆に、タイヤのグリップがそこそこでもキチンと使いさえすればクルマはその性能をフルに発揮することができる。
な~んてことを考えているからタイヤがどんな具合に働いているのかをいつも知りたい。なかなかこれといったアングルにたどり着かないのだけれど、今回はタイヤを正面からとらえてみた。
今いちばんの夢。コーナリング中にタイヤのコンタクトパッチがどう変形するか動画で見ること。もちろん不可能な話だろうけど。
すごく感じのいいお店だった
トゥィンゴ ゴルディーニ スノー・スポールのオドメーターが31,000キロを超えた。
先代のトゥィンゴGT同様、スクールの機材を積んで飛び回り、カメラカーとして活躍したり、ビデオの題材になったり、デモランで使ったり大車輪の活躍。まさに、これだけ使い倒せばクルマさんも幸せだろう状態が続いた。
もちろんその間、トラブルは皆無。4,500回転を超えてからの吹き上がりは今もってするどくなりつつある。
しかし、サーキットを含め一般のユーザーよりずっと速いペースで走ることが多かったからだろう、タイヤの硬さが気になってきた。トレッドの溝はあるしスリップサインが出るまでには今までと同じ距離を走れると思うのだが、トレッドの硬さがサスペンションに直接的な衝撃を与えているような気がしてタイヤを交換することにした。
まだ溝は十分残っているのだが
タイヤのイン側とアウト側の減り方が違う
アウト側のエッヂ部分の磨耗が激しい
トゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールが履いているタイヤは、コンチネンタル製のコンチスポーツコンタクト3でサイズは195/40R17であちこち探してみた。
で、BSにプレイズ、ヨコハマにSドライブというこのサイズのタイヤがあることは突き止めたのだが、ふと思いついて、最近YRSスクールレース参加者に評判のアジアンタイヤを試してみることにした。
結局、いわゆるハイグリップタイヤと呼ばれるものには興味はないが、トレッドエッジが立っているタイヤが好みなので、ある通販サイトで見つけたインドネシアで作られているPINSOのKスピードというタイヤにした。価格は1本5,290円。これに1本1,050円の送料が加わりタイヤ代は25,360円。
卒業生に通販でタイヤを買いましたと聞いても、そうなるとどこかに持ち込んで組んでもらわなければならないのではと少しばかり気が重かったのだが、この通販サイトでは持ち込みタイヤを組んでくれる全国の整備工場やガソリンスタンドが紹介されていたから大助かり。しかも事前に連絡さえしておけばその店舗にタイヤを送ってくれるという。新しい物流の形なのかなと感心した。
最も近い仰木にあるガゾリンスタンドを指定し、結局、予約した日にクルマを持って行くだけですむことになった。
こんな荷姿でタイヤは届いていた
Kスピードのサイドウォールとトレッドデザイン
リフトアップされ新しい靴を待つ
ボルト装着のホイール脱着の常套手段
扁平率が小さいタイヤは組むのにコツがいるようで作業は小1時間。事前に聞いていた作業工賃15,120円の内訳は、タイヤ組み込み料が8,400円、バランス取りが4,200円、廃タイヤの処分費が2,520円。タイヤを買ったお店で組んでもらうのよりも工賃自体は高めだが、どんなタイヤでも組んでもらえるという利点を考えればむしろ合理的かなと。
最終的に40,480円の出費でトゥィンゴ ゴルディーニ ルノー・スポールに新しい靴を履かせることができた。
出発準備完了
春の予感がする来週からはスクールが続く。人生初のアジアンタイヤがどんな振る舞いをするか、機会があれば報告したい。
鈴鹿サーキットや富士スピードウエイといった大きなサーキットでドライビングスクールをやってほしいという要望が前々からあった。
長いストレートならクルマの最高速付近のスピードを体験できるから走っても気持ちがいいに違いない。ドライビングテクニックにしても、高速コーナーや長いストレートの後のブレーキングで正確な操作ができて初めて本物と言えるのも間違いではない。
しかし、ユイレーシングスクールは小さなサーキットや駐車場に設けたコースでドライビングスクールを開催し続けてきた。それは第一義に反復練習の回数が多ければ多いほど練習になると考えているのと、高速で走らなくても基本的な操作は十分に習得できると思うからだ。
と言うのも、高速で走ると単位時間あたりの移動量が大きくなるから、操作の間違いは増幅されて結果に表れる。それは、慣れるまでは危険につながるし、「とにかく速くなくてもいいですから再現性のある操作を身につけて下さい」というユイレーシングスクールのポリシーにも反することになる。もちろん、教える立場からも1周にかかる時間が短いほうがアドバイスしやすい事情もある。
それでも、スピードを出したいという誘惑もわからないでもないので、今年は富士スピードウエイのレーシングコースでドライビングスクールを行うことにした。事前に参加者に配る資料を作っているのだが、その一部を先行公開。クルマが速く走ると、速くなればなるほど不安定になることを知ってもらうための表だ。
人間にしてみれば単にスロットルを開けるだけで達成できることなのだが、タイヤのコンタクトパッチでしか路面と接していないクルマにとって、高速で走る時になぜ繊細さが必要かという数字だ。少しばかり想像すると、なぜ高速域でクルマを安定させることが難しいのかがわかる。
とまぁ、それはそれとして、富士スピードウエイのレーシングコースでドライビングスクールをやるのだからコースを知らないではすまされない。トゥィンゴ ゴルディーニRSを連れ出してある走行会で初体験した時の動画がこれ。『いやぁ、広すぎてどこを走っていいのかわからない』の巻。
※30分のセッションの2周目以降を収めてあるので長編です。
小学校の時は品川区に住んでいた。その頃の、遠い遠い昔の、記憶の片隅にぶら下がっているようでいて、今なおクルマを動かす時の原点みたいになっている話。
何年生の時だったか定かではないが多分高学年のある時。作文コンクールがあった。それで、「タイヤさんはかわいそう」というような作文を書いた。当時はそれほどクルマが走り回っていたわけではないはずなのだが、今にして思えば、クルマにあこがれる少年はクルマをよくよく観察していたのだろう。
地面に接している面は平らになっていて、タイヤが回転しても地面に接した瞬間にその部分が『ひしゃげる』。
次々に形を変えながらクルマを動かすそれを「クルマを動かすタイヤさんはかわいそう」と表現したのだが、内容は忘れた。当然その作文は入選はおろか佳作にも選ばれなかった。どんな作文が選ばれたのか全く記憶にないし、小学生らしい内容のものだったことは想像に難くない。
別に選ばれることを目的に書いたわけではなかったろうからそれはそれでいいのだが、先生が「よく気がついたね」とほめてくれたことが、入選するよりも嬉しかったことは今でも覚えている。
そんなことを思い出しながら編集したビデオがこれ。題して『タイヤは耐える』。
で、やっぱりタイヤさんに気を配って動かさないと悪いな、と思ってタイヤさんの動きを強調したのがこれ。題して『タイヤは耐える その2』
アップしたビデオを確認しながら、こんなことも思い浮かべた。
時は過ぎ少年は成人し、小学生のころまで可愛がってくれた祖母の法事の席。誰からともなく「ともちゃんはほんとにクルマが好きだったからな。循環バスに乗って何周したんだっけ」と振られ、「おばあちゃんはよく乗りにつれていってたもんな」と続き、「だからクルマ関係の仕事をするようになったのね」と落ち着いた。
そんな記憶が確かにある。幼稚園か小学校低学年か、当時、大井町駅から原町、荏原町を通り大井町駅に一周して戻る循環バスがあった。まだトラクターヘッドで牽引するトレーラーバスというシロモノもあった頃。トレーラーバスの場合は最前部に、ボンネットバスの場合は運転席の真後ろに座ってクルマを味わうのが至高のひと時だったのを覚えている。
大らかな時代だったのだろう。一回の乗車賃で何周もするボクとおばあちゃんがとがめられたという記憶は、ない。