トム ヨシダブログ


第63回 必要にして十分

東名鮎沢SAからの富士山

昔も今も「羊の皮をかぶった狼」と形容されるクルマが好きだ。
軽自動車免許を取って公に運転できるようになってからまもなく48年になるが、その間、乗用車を手に入れるなら絶対に羊の皮をかぶった狼のようなクルマにしたいと思い続けてきた。

小山町からの富士山

初めてそのフレーズを目にしたのは、免許年齢前のこと。自動車雑誌を読みながら妄想にふけっていたころ。確か、英国フォードが作っていたフツーのセダンのコルチナにツインカムエンジンを搭載し、レースやラリーで大排気量のクルマを相手に奮闘していたことから形容されたと記憶する。なんてことのない外観をしながら内に秘めた実力は本物。いざという時には身の丈を超えた力を発揮する。そんなクルマに憧れていた。

誤解のないように付け加えよう。羊の皮をかぶった狼的なクルマが好きなのは、それを手に入れれば自分が狼になれるからではないし、狼になりたいと思っているわけでもない。まして、狼になることを羊の皮をかぶることで正当化しようとしているのでもない。それはさておき、

小山町からの富士山

昔、八重洲出版が発行するドライバー誌の嘱託をしていた頃の話。カローラレビンが憧れだった。初代の27レビンだ。そのレビンがモデルチェンジをして37になった時、試乗して大いにがっかりしたことが記憶の片隅にある。試乗記の担当ではなかったので原稿にはしなかったが、編集部で「これは改悪だな」ともらしたものだから大論争になったことがあった。
確かに37レビンは27に比べて高級感が漂うクルマに仕上がっていた。しかし大きくなって重くなりバネ下がドタバタする37は自分の尺度で測ると、二歩も三歩も憧れの存在から遠のいてしまっていた。
ところが、編集部では37レビンの評価が高かった。クルマの進化はかくあるべし、という論調が多数を占めていた。硬めのサスペンションで乗り手に「クルマに合わせろよ」と強いていた27から、「あなたにも乗れますよ」ともみ手しているような37になったというのに、だ。
「だったらレビンである必要はないだろ」と心の中で軟派な編集部員達に毒づいたものだ。それはさておき、

小山町にて

ユイレーシングスクールを始めるために日本に来た1999年。足がないと困るだろと、某自動車雑誌の編集長がサーブ900をくれた。サンルーフ付きのマニュアル。かなりくたびれてはいたが、ターボチャージャーで過給されていたし、屏風のようなウインドシールドのおかげ(?)で、それなりに羊の皮をかぶった狼的ではあった。それはさておき、

富士スピードウエイで

日本に来てからしばらくは、ユイレーシングスクールと掛け持ちで茨城県にあるカート場でモータースポーツファンを増やすことに没頭していた。そのカート場には軽トラックがあって、これが楽しくてしかたがなかった。カート場の周囲は田んぼであぜ道というか簡易アスファルトの細い道が縦横に走っていた。ここを軽トラックで走るのは本当に気持ちが良かった。
なにしろ空荷だと極端なフロントヘビー。そこにオーバーハングするように運転者が乗るものだから、右前輪の過重は増えるばかり。あぜ道を快適に走ろうとすると正確な姿勢制御が必要だった。幸いリアがソリッドアクスルで常に対地キャンバーが不変だったから、ひんしゅくをかわない速度でも面白いようにスリップアングルをコントロールできた。

軽トラックは軽トラックで狼が中に住んでいるわけではない。しかし荷物を満載しても走るように作られた軽トラックは、空荷の時ならば乗り方によって羊の皮をかぶった狼の息子ぐらいに変貌した。

余談ながら、そのカート場にはラジコンカー用のオーバルコースがあった。カート2台を横に並べればあまり余裕のないコース幅ではあったが、そこを使ってレンタルカートでレースをやった。「こんなところで抜けるわけがない」、「レースにはならない」との声をよそに、オーバルレースの走り方を説明しながらカートではベテランの連中に試してもらったら、見事レースになった。追い抜きにはみんなが歓声を上げた。残念なことにかなりのスキルがないとレースにならずパレードになってしまい、日本初のグラスルーツオーバルレースがお蔵入りになってしまったのが悔やまれる。それはさておき、

琵琶湖を背景にマキノ町で

2010年の春だったか、エンジンドライビングレッスンにルノー ルーテシアRSで参加された方がいた。不明にも、その時までその存在を知らなかった。しかし聞けば、リッターあたり100馬力で車重1.2トンちょっと。この日はルーテシアRSの同乗走行をする機会がなかったから、結局その走りを体験することはできなかった。

それでも、『その匂い』がプンプンするルーテシアRSの魅力には勝てず、その日のうちに購入を決めた。まだ乗ってもいないのに、だ。自分用に買った人生2台目の乗用車が終生の伴侶となった。それはさておき、

マキノ町ではこんな低いところに虹が

クルマを選ぶ時はそんなもんだ。理屈はいらない。要は、自分の主張に合うクルマに出会うことができるかどうかだ。その意味では、あの日ルーテシアRSでエンジンドライビングレッスンに参加してくれたIさんに感謝しなければならない。それはさておき、

もっと緑が濃くなるころに来たいマキノ町で

筑波サーキットでルノー トゥィンゴ ゴルディーニRSを受け取った帰り道。兄貴より小さくて力もないけど、その勝るとも劣らない狼度を満喫しながら670キロを走った。

もちろん個人的な気持ちではあるのだが、ルーテシアRSを所有していながら弟に惚れた。確かに長距離を走るのならばルーテシアRSのほうが楽ではある。歳を考えればルーテシアRSのほうが似合っているかも知れない。絶対的な性能も弟を上回るのも事実。

しかし選んだクルマがそういうものだと覚悟を決めれば、弟ではいけない理由はなくなる。大きさもいい。足もよく動く。第一、4,000回転回っていれば自分の気持ちを抑えることが必要になるエンジンがいい。

どんなクルマでも性能を『満喫する過程』が楽しいものだ。絶対的な速さと快適さ同時に求めるのならばそれに応えてくれるクルマはたくさんある。でも、大切なのは等身大の自分を表現できるクルマに出会うことだ。

それは、数値には表れない感覚的なもの。自分が使いきれるか使い切れないかのギリギリで操ることができるクルマに乗りたい。
それは、クルマを走らせる時、常にクルマに対する畏怖の念を抱いていたいからなのだと思う。


第57回 疎通知遠 ユイレーシングスクール始動

大事な大事な大事な宝物

新しいパソコンを追加したのでファイルを整理していたら、懐かしいテキストファイルを見つけた。
当時、5年勤めたツインリンクもてぎ北米代表の委託契約を更新をしないことに決めてからというもの、なんとかして日本のモータースポーツを活性化できないかと考える毎日を送っていた。キーボードアレルギーではあるけれど、我慢しながらモニターに向かっていたある日、クルマ好きが集うメーリングリストを見つけた。
クルマの運転について、あるいはサーキットの走り方、あるいは改造について意見が飛び交うメーリングリストだった。

以下の文章はそのメンバーだった久我さんが投稿したものだ。時は1999年。その後、久我さんはユイレーシングスクールの発起人にもなってくれ、スタッフとしてもユイレーシングスクールの活動を支えてくれた
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□ 山梨のミニサーキットで 久我昌文

20世紀も終わりに近づいた年の春、ボクは「クルマの楽しみ推進委員会」というメーリングリストに参加した。名前からしてわかるように、「クルマをもっと楽しもう」というテーマで集まったコミュニティだった。主催者の中村竜志氏は、「人とクルマの関わりあい方」について常に問題提起して、「今のクルマ社会って、不自由じゃない?一人一人の意識を行動に移して変えていこうよ」と呼びかけていた。

メーリングリストに参加してから数ヵ月後、中村氏からアメリカで暮らすモータージャーナリストのトム・ヨシダなる人物が新たに参加すると紹介があった。たしかその名前は何度かクルマ雑誌で目にしたことがあった。インターネットはたしかに人と人の「距離」をないものにする。日本の片田舎に居ながら、海の向こうのプロのジャーナリストと「会話」するなどということが現実に起こるのだった。
実際、そのトム・ヨシダ氏は「ホンモノ」で、ボクが思っていたよりも、もっと日本やアメリカのモータースポーツに深く関わっている人だった。トム氏の展開する豊富なレース経験や知識、日本ではほとんど紹介されたことのないアメリカのモータースポーツの話題は、すぐにメーリングリストのメンバーを魅了していった。

そして、その年の夏。走行会で知り合った友人からメールで、「山梨のミニサーキットに行ってみないか」、と誘いを受けた。このコースは、クルマ雑誌でよく紹介されていていたが、未だ走ったことのないサーキットだったので、すぐにOKの返事を出した。このことを「クルマの楽しみ...」で話すと、何とアメリカ在住のトム氏がスケジュールを合わせて山梨までやってくる、というではないか。しかも、コースを走るわけではなく「キミたちが走っているのを見たいから」という理由だった。そう言えば、トム氏の経歴の中にジムラッセルレーシングスクールのインストラクターを務めていたとあった。レーシングスクールがどういうものか知らなかったが、きっと速く走るためのコツを教えてくれるのだ、と思った。誘ってくれた友人にこのことを話すと、学生時代にダート走行をやっていた彼は喜んだ。

中村氏もこのことを歓迎してくれ、「オフミーティングをしませんか?」とメーリングリストで呼びかけてくれた。
「山梨のミニサーキットに集合っ!」。コンピュータネットワーク上での会話だけのつきあいは、一気に現実の出逢いへと移行して行った。
あっ、という間に夏は過ぎ、初秋の山梨。朝早い時間からボクらは山間のミニサーキットへと集まった。アップダウンに富んだそのコースは、幅も狭く、峠道そのものといった印象だった。山の朝のひんやりとした空気を吸いながら、ボクらは挨拶を交わした。トム氏とはもちろん、中村氏とも初めて顔を会わせたのだった。

ボクらの中で、コースを走るクルマは5台だった。FRターボ車、4WDターボ、FFライトウェイトスポーツ、AT車と車種もバラバラだった。走行時間は1つのセションが30分、セション毎にチケットを買って走るのだった。
トム氏はボクらが走るのをコース脇から見ていてくれる、という。「何周か走ったらピットに入ってきて下さい」と言われた。自分が走っているのを見てもらって、その都度アドバイスを受ける、とういうのは初めてのことだった。最初に、「テーマを持って走ったほうがいいですよ」といわれても、「そんなの速く走ることに決まっているじゃん」と思った。ホントにバカである。でも、アドバイスしてくれるトム氏はそんなことはもちろん言わず、笑顔を絶やさず、易しく丁寧に教えてくれた。他のメンバーに対しても同様だった。
その当時のボクは「ブレーキはコーナーに入るギリギリまでガマンするもの」と思っていた。今でもユイレーシングスクールの教科書に書かれている勘違いの例は、そのままボクの走り方に当て嵌まった。ガソリンをいくら使っても、頭を使わなければ速く走れない。
結局、30分の走行セションを2回行って走行を終えた。「クルマさんともっとなかよしになったほうがいいよ」。トム氏の言っていることは一見簡単なようでいて、実践するのはとても難しかった。メーリングリストで繰り返し言われていたこの言葉の中に、たくさんのメッセージが込められていたことに、ようやく気がついたのだった。

中村氏はメーリングリストメンバーのオフミーティングというレポートで、アドバイスを受けたボクらの姿を、すぐさまWebサイトにアップしてくれた。ご丁寧に最終コーナーの動画つきである。走りはじめてすぐの映像だろう、下りストレートからのターンインで外側のフロントタイヤにだけ負担がかかっているのが写っていた。「自分は未だクルマの性能を出し切っていない」「どうすればもっとクルマとなかよしになれるのだろう」「何とかもう一度アドバイスを受けられないだろうか」という思いは、日に日に大きくなるのだった。

山梨での走行会から2ヶ月ほど後、ボクは一通のダイレクトメールを受け取った。そこには、ユイレーシングスクールの日本で最初のドライビングワークショップが、桶川スポーツランドで開催されることが記されていた。チーフインストラクターにはトム・ヨシダの名前が記されていた。わざわざ山梨までトム氏が来たのも、日本でレーシングスクール開校の可能性を探しに来ていたのだった。開催場所は違ったが、それでもこのメールはボクにとって待ち望んでいたものだった。師走の平日が開催日だったが、すぐさま受講を申し込んだ。

そして、12月の寒い朝。眠い目を擦りながら、桶川のコースに辿り着くと、山梨で出会った優しい笑顔が、集まったもっと多くの生徒たちに向けられていた。
「クルマをもっと楽しもうよ」。この日から、ネット上でのバーチャルな呼びかけは、現実化へと向かったのだった。<了>

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日本で最初のドライビングスクールを終えてメーリングリストに掲載したのが以下の文。

◇ 第一回ドライビングワークショップを終えて トムヨシダ

9月のスポーツランド山梨に始まり、11月の桶川、そして12月のドライビングワークショップと皆さんの走りを見させてもらった感想です。

結論を先に言うと、次の3点が気になりました。
1)クルマの高性能化が運転技術をかなりスポイルしていること
2)情報の取りこみが不足していること
3)クルマさんとの対話が十分ではないこと

1)に関しては、特にサスペンションを固めてあるクルマに慣れている人に見られたのですが、一言で言うと「クルマの性能に頼った運転」をしています。逆の言い方をすれば、もしクルマの性能が低ければ間違いなく危ない状態に陥るような運転です。おそらく、ふだんの運転でもクルマが自分の思う通りに動くものだと確信しているのだと思いますが、これは極めて危険な考えです。クルマは人間からの入力がなければ動きもしないただの機械ですが、入力次第によっては人間の想像をはるかに超えた動きを見せます。

クルマを安全に走らせるのにはスムーズにクルマを走らせることが必要です。速く走らせるのにもスムースに運転することが必要です。目的は違っても、クルマと言う「人間能力拡大器」を扱う最低限のルールはスムースな操作です。速く走りたいとか、前のクルマに追いつきたいといった、人間の感情が入り込んだ情緒的な操作ではクルマは正確に走りません。

もし今まで事故もなく、そこそこ満足できる走りができていたとしたら、その方達は幸いにもクルマさんの性能に助けられて無事だったので、運転が理にかなっていたからだとは思えません。

2)に関しては、走行会でアドバイスした時もワークショップでブレーキングやコーナリングの繰り返し練習をした時にも感じたのですが、ブレーキングやターンインのポイントを指摘してもそこにクルマを持っていけない人が多く見られたのがひとつの例です。

コース際には何かしら目印になるものがあるはずですし、ワークショップでは要所にコーンを立てています。しかし多くの方が、基本となるラインをトレースできません。といっても、見ていないわけではなく、顔の動きから想像するに見てはいるのです。

ところが、実際にはポイントを逃す結果になっている。

おそらく、目から情報は入っているのでしょうが、その扱い方(重要な情報を選択し、どうでもいい情報は瞬時に捨てる)がチグハグなのかも知れません。あるいはトンネルビジョンになっていて、物が近づくほどに前後関係が曖昧になるのかも知れません。

速く走ればそれだけ多くの情報の中を通過することになります。必用な情報の取りこみが重要なことは言うまでもありませんが、多くの情報の取捨選択も必要です。

3)どの場合でも、一人の例外を除いてはふだん使っている自分の車を運転されていました。ところが、サーキットで走るとクルマさんとの関係がギクシャクしているように映るのです。

サーキットという特殊な場所で走るというのも関係しているのでしょうが、走っている速度域は高速道路で体験済みの範囲に過ぎません。
サーキットを走るという非日常の昂揚感が慣れ親しんだクルマの操作にすら影響を与えている、と思えなくもありませんが、実際のところは本人にもわからないでしょう。

ただ、基本的にはどんな情況であろうとクルマの運転は普遍であると思いますし、クルマの動きに対応して走らなければならないという決まり、「Do not anticipate, Do react!」は同じはずです。

皆さんの走行を見せていただくたびに、私自身が多くのことを学ぶことができます。この点は感謝してもしきれないものです。

まだ始まったばかりのユイレーシングスクール日本ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

ルーテシアRSの足は最高

3月9、10日に開催するYRSツーデースクールにまだ余裕があります。時間の許す方はぜひご参加下さい。
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