トム ヨシダブログ


第253回 9140万4412分の985だけど重い

昨年、我が国には原付から普通自動車から特殊用途自動車までありとあらゆる種類を含めると9140万4412台の自動車が走っていた。少子化が叫ばれる中でも増え続ける免許人口は8220万5911人になった。

そんなとてつもなく大きな交通の流れの中で、道路環境の整備が進んだのか、自動車技術が進歩したからなのか、はたまた交通取締りが功を奏したのか、交通事故件数が35年ぶりに5千件を下回った。
と言っても、当時の自動車保有台数は5522万8364台、免許人口が4497万3064人の時代だから同列には比較できないけれど。

交通事故も社会的費用に含まれるはずだから、起きなければそれに越したことはない。だから、交通事故の減少は大いに歓迎すべきことなのだろうが、実は見過ごせない数字もある。

表を見てもらえばおわかりいただけると思うが、近年、交通事故件数、単独交通事故件数、死亡事故件数、交通事故死者数が減少傾向にあるのに、交通死亡事故件数に対する単独交通事故件数の割り合いは増加、もしくは高止まりという。

2017-01
交通事故は人対車両、車両相互、車両単独に3分類される
交通事故総件数499201件のうち単独事故件数13781件
交通事故の2.76%が単独事故
死亡事故件数3790件のうち単独死亡事故件数985件
死亡事故の25.98%が単独事故によるもの


例えて言うならば、100件の交通事故が起きるとほとんどが相手のある事故で、運転者が避けようと思えば、あるいは避ける術があれば避けられたと思われる単独事故はわずか3件にも満たない。しかし、100件の死亡事故が起きるとそのうちの26件は運転者が避けようと思えば避けられたであろう独り相撲が原因だったという、いささか残念な結果が見える。

もっとも、車社会が今ほど成熟していなかった1981年。交通事故総件数485,578件、単独交通事故総件数27,618件で単独事故の占める割合が5.69%。死亡事故総件数が8,278件でそのうち単独死亡事故件数が2,086件で25.20%という数字が残っているから、言葉は悪いが自爆による交通事故の割合は当時と変わっていない。

2017-02
単独事故を類型別に見るとある傾向がうかがわれる
電柱、標識、家屋、塀、橋梁、橋脚などが含まれるその他工作物を除くと
転倒、路外逸脱、防護柵衝突が単独事故のワースト3


ここでは単独事故がなぜ起きるかというメカニズムを解明するつもりはない。ただ。2輪を含め自動車が高性能になってきた近年、自動車を動かす時にはいっそうの注意が必要だろう。何かあった時の速度、イコール慣性力は思いの他高いかも知れない。安全運転技術が発達してもそれらが人間にとって代わってくれるわけではなく、人間が操っている以上機械への依存度を高めることは「隙」を作ることになりかねず、引き続き運転する時の意識を高く保つ努力が必要だろう。集計をしながらそんなことを考える。

2017-03
昨年、985件の単独死亡事故が起きた
ここでもその他工作物を除くと
転倒、路外逸脱、防護柵衝突が単独死亡事故のワースト3


自分ひとりで運転していてなぜ事故を起こすのかを知るよしもないけど、自動車が好きで運転が好きならば事故は起こしてはいけない。運転している時、どこかにある安全と危険の境界線を嗅ぎ分けられるようにならなければならない。

そのためにも、安全運転への第一歩はもっと運転を好きになることだと思う。運転がもっと上手くなりたいという気持ちを持つことだと思う。


第245回 物理はもののことわりです

フェイスブックで以下のような一文に出会った。書かれたのは植松電気の植松 努さん。あの『下町ロケット』のモデルになった人だという話もある。

ロケットをめぐる植松さんの広範囲な活動はそれぞれに検索していただくとして、ここでは、ロケットとクルマを結びつけるのは無理があるけれど、植松さんの考え方を、クルマの運転の上達を目指す人に伝えたくて全文を紹介させてもらうことにします。


『僕の筋肉の絶対量はたいして多くはないと思います。運動能力も低いです。でも、僕は、力仕事は、けっこう得意です。なぜなら、小さい頃から、力仕事をさせられてきたからです。

それは、つらい経験でした。でも、その過程で、力が無い僕は、体の上手な使い方を考えたのだと思います。

相手の重さと、重心と、モーメントを考えます。そして、自分の重さと、速度や力の方向を考えます。そして、相手の重さと自分の重さを、くっつけたり、離したりして、相手を動かします。

小さい頃からの力仕事をさせられた経験で、僕に身に付いたのは、根性や筋力ではなく、論理的に考える力だった気がします。
なにせ、父さん1人の会社ですから、力仕事も、まかされっぱなしです。1人です。だからこそ、ああだこうだ言われないですみました。自分で考えて試せたのがよかったのだと思います。

若い人の中には、いい体格をしていて、運動能力も高いのに、重たいものを動かすのがとても下手な人達がいます。見ていてすぐにわかりますが、俗に言う、「腰が入っていない」状態です。それは、実際には、自分の重心と質量を、相手を動かすために有効に使えていない、という状態です。これは、筋力や根性が足りないのではなく、体の使い方を知らないだけです。与えられた体の使い方しか知らないから、ちがう体の使い方ができないのです。

残念ながら、つらいことや、苦しいことに、耐えることが強さだと思い込んでる人がたくさんいます。だから、子ども達に、過度に苦しい思いをさせる教育者もいます。

「理由なんて考えなくていい!黙って指示されたとおりにやればいいんだ!」でも、こういうことをすると、つらいことに耐える力は身に付きません。自分の感情や心を押し殺してがまんするだけです。それでは限界は低いです。また、命令されないと、指示されないと、何もできない人になるだけです。

僕は、人の限界を高め、能力を発揮させるために大事なのは、つらい経験や苦しい経験ではなく、論理的に考える能力のような気がします。

だから、物理が嫌い、という人が多いのが残念です。物理は、もののことわりです。とても大事な学問だと思います。』


ドライビングスクールでも、『自分で天井を作るのは損です。オーバースピードでターンインした時に何が起きるか試してみて下さい。クルマは物理の法則に従って動きます。オーバースピードでターンインしてもクルマのバランスを崩さない方法はあります。まずそれをイメージして、その通りに操作してみて下さい。高い速度でクルマを曲げてみなければわからないこともあるのですから』と伝えます。

レベルはとんでもなく違うし遠くおよばないことは百も承知だけれど、物事を理詰めで考える機会を創り、人が物理的に考える手伝いをし、人本来の力を信じてやまない植松さんの生き方にに近づけるように、長く長くドライビングスクールを続ける覚悟を改めました。

他にも含蓄に富んだ文章に出会える植松さんのフェイスブック。興味のある方はどうぞ。


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写真は植松電気のホームページから拝借しました
文章の引用も植松さんに許可をいただいています


第228回 Yui Racing School の2

ユイレーシングスクールのYRSオーバルスクールでどんなことを教えているか、その一部が WEB|CARTOP に動画で紹介されています。ご覧下さい。

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※ 他のカリキュラムでも、いかにしてクルマの性能を発揮させるかに焦点をあてたアドバイスをしています。ルノーユーザーの方はぜひ遊びに来てみて下さい。カングーも大歓迎です。


第221回 オーバルコースは楽しい

ファイルを整理していたら出てきた動画をアップした。

ロサンゼルスのダウンタウンから西に1時間。ベンチュラカウンティフェアグラウンドにあるベンチュラレースウエイ。1周400mのダートトラックを13秒で走るミヂェットのレースをご覧あれ。
滑りやすいダートトラックをなぜ速く走れるのか。その秘密はまたの機会に。

オーバルコースは単純なレイアウトに見えるけど、そこを速く走ろうとすると課題満載。クルマと運転を楽しむにはうってつけ。
ユイレーシングスクールのカリキュラムにもコーナリングの練習に特化したYRSオーバルスクールがあります。


第220回 今は昔

つい最近、フェイスブックで次のようなやり取りがあった。

書き出しっぺ(?)は、ボクがアメリカに住んでいた頃に某自動車雑誌の編集長だったSさん。Sさんは今なおクルマを転がすのが好きでたまらないのだけど、そうではない人が増えているのを嘆き、クルマがクルマとして扱われていない現実を憂う。
そして、後から加わった元モータースポーツ誌編集長で現在もモータースポーツ関係のメディアを主宰しているYさん。独自の視点からクルマの運転を軽んじている人にお灸をすえる。 (☉☉)


Sさん: 「ただただ楽しむために走らせる」。これをわかってくれる人がずいぶん減ったようです。いい時代は遠い過去。

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Sさんがコメントとともにアップした写真

 

Mさん:そっと夜分遅くに走るだけのために、車で出かけるような気に成る車が少ないのも残念だとしばしば思うこの頃です。

Sさん: たしかにそうですね。優等生とは遊べないですね。

Mさん:車はちょっと悪めが素敵ですね、元来男は不良っぽいものが好きですから、本能だと思っています。笑

Aさん:そういえば、早朝や夜中走るの減りました。古いクルマは、エンジン音ご近所迷惑かなと。でも新しいクルマではそういう気起きないんです。何でかな?

Sさん:モダーンカーだとテンションなかなか上がりませんよね。

Nさん:エンジン音を聴きながら車とふたり…深夜ドライブ良いですね

Sさん:どんどん自分ひとりの世界に入って、還ってこられなくなりそうです。

Kさん:私の周りにも、楽しむためだけに走ることが理解出来ない人が大多数ですね(T_T)
それだからこそ、ご同類の方々とお話しすることが、より楽しく感じますね(・ω・)ノ

Sさん:おっしゃるとおりです!

Aさん:昔のクルマの計器灯の仄明かりや、塗装の有機溶剤と生ガスの混じった臭いをね、窓を開けた時の夜風がスピードを上げるに連れ引き抜いていって…ブレーキ掛けて止まると、また何処かしら臭いが立ち上がってくる感じとか、、ね。ブリンカー・ベルのカチカチいう音、昼間以上に耳へ届く感じとか……「夜霧よ今夜もありがとう」って気分、素敵

Sさん:そう、そう、そう!

Aさん:裕次郎と浅丘ルリ子よか、二谷英明気取ったりしてね。エースの錠だと格好良すぎて体裁届かない

Kさん:免許取立ての頃は軽トラでも何でも走れば楽しかったです!

Sさん:そうでしたね。ヒール&トウを練習するのもワクワクでした。

Yさん: クルマは人や荷物をA地点からB地点に運ぶもののはずだけど、30年ほど前に初めてフェラーリに乗って気がついた。「どこにもいかなくていい」ってことに。つまり、A地点からB地点に移ることはどうでもよくて、移動していることそれじたいが楽しい。
で、気づいたのは、自動車レースって、どこにもいかないってこと。必ずスタート地点に戻ってくる。それどころか、同じところをグルグルまわっているだけだな、と。
だからヒール&トーの練習が楽しいのは、どこかに行くためじゃなくて、動くことが楽しいからだね。なんか、嬉しいぞ(^^ゞ 。

Sさん: クルマを楽しむ。それはモータースポーツそのものですね。あっ、Yさんにとっては釈迦に説法でした。m(_ _)m

Yさん: 私が勝手にでっち上げているモータースポーツの概念はもうちっと違ってます、ってこれこそ釈迦に説法だけど(^^ゞ 。
例えば、「スポーツ」と一般に誰でも認めるテニスは、テニスコートに行かなくちゃできない。
でも、モータースポーツは、町中でもできる。と言っても、スピードを出すんじゃなくて、すでに自動車は動かしている時点で、四肢も五感も使うスポーツになっているということで。
じゃ、レースはどうなるのかといえば、それはモータースポーツの中でも“モーターレーシング”というジャンル、ってことかなと。

T:激しく同感です。同じようなことを受講生に話しています。Yさん、モータースポーツの定義として大いに広めて下さい。

Uさん:良くわかります。そんな気分でいつもこの辺りを、この先をちょっと曲がったところに住んでいたので、なおさら。懐かしすぎます。

Mさん:楽しそうですね! 左のシートには文系女史かな?

Sさん:私ひとり。

Hさん:私もよくやります~(笑)

Sさん:そうですよね。(^_^)

Nさん: Sさん、おはよう御座います。「車に乗るために」目的は、後からついて来るのですよね!でも、そういう気にさせる車が少なくなりましたね。

Iさん:皆さんのお話し伺ってて、昔のピュアな自分思い出しました。6Vバッテリーのビートルはエアコンもなく、ライトは暗い。カーオーディオは家のラジカセ持ち込み、オネーサンが可愛いと乗ってくれたけど、10分後には用があると去って行った。でも エンジン音と なんとも扱い難いクラッチペダル 自分としてはポルシェ乗ってる気分でした。今思うと 車と いやモノとの関わりの原点だったような気がします。

Sさん:「クルマ命」、そんな時代もありました。

Yさん: その言葉、これからの人生を楽しむキイワード(キイフレーズ?)として使えそうW’僕もよく晴れた日にSMを駆って田舎道を楽しんでます。

Sさん:お互い楽しみましょう!


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38年間乗っているSさんの愛車
※写真は全てSさんのフェイスブックから承諾を得てお借りしました

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Sさんの足


『 あなたはクルマの運転を楽しんでいますか? 』


第207回 恵みの雨

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10月のYRSドライビングワークアウトは朝から雨

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そのうえ霧までわいてきて

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待ってもキリがないから全開で走りに走って

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雨でも霧でも躊躇しないと上手くなるから

晴れ男を自認していたのだけれど、今年は降られることが多かった。特に10月は。

もっとも、ユイレーシングスクールが目指す『上手い運転』は、根底にある『どんな状況でもクルマの性能を引き出せる運転』 がはずせないわけで、ウエット路面での練習は大いに歓迎すべきもの。散水車をレンタルする必要もないし。準備と後片付けはつらいけどね。

雨が降ると参加者に「今日はラッキーですね」、「今日はお日柄もよく」といつも言うものだから、常連はもちろん初めて受講する人もウエット路面に対する抵抗感は少ない。せっかく練習するのだから、操作が正しいかどうかはっきり結果の出る雨は願ったりかなったりではないか。

たまに、雨だと滑るとかたくなに思い込んでいてうかぬ顔をしている人がいるけど、雨だから滑るのではなくて、厳密に言えばクルマは絶えず滑りながら動いているものであって、雨だとドライ路面に比べて滑り方が違うだけだ、滑る量が増えて滑る速度が速くなるだけだ、と説明する。
滑る表現すると違和感を感じるかも知れないけれど、実際問題クルマは路面に張り付いて走っているわけではない。タイヤは路面に対して常にズレながら、つまり実際はごくわずかにこすれながらクルマを動かしている。でなければ、走行距離を刻んだタイヤが減るわけがないではないか。タイヤが路面とこすれるからグリップが生まれる。消しゴムのように。

だから、タイヤが路面とズレる状態を滑ると解釈すればいい。『滑りにくいはずのドライ路面』でも、ズレすぎないようにムズムズしていたフロントタイヤが堰を切ったように滑り出せばアンダーステアになって曲がらないし、遠心力を必死になってこらえていたリアタイヤがズレすぎて突然大きく滑ればスピンもする。

クルマ側から見ると、アンダーステアもオーバーステアもなんらかの操作をした結果であって、運転しているクルマが自然にそうなった、ということはありえない。

結局、『そうなりやすいウエット路面』が敬遠され、あるいは雨イコール滑りやすいと思い込まれているのだろうけど、実際は極端に操縦性が変化するわけではない。クルマの限界というものは我々が考えるところよりずっと上にある。
クルマの性能はそれまでと同じなのだけど、タイヤが接している路面のほうの摩擦係数が小さくなるので、タイヤが路面をつかむ力は低くなるし限界を超えた時の挙動も唐突になるのは事実ではある。だけど、短絡的に雨は危ないと決めつけて消極的になり、ウエット路面での操作を積極的に学ぼうとしない人が多いのはドライビングスクール主宰者としては残念だ。

結論を言えば、タイヤがグリップを損なわないように走れば雨でもドライの時に近い走りができるし、そういう操作ができることが安全につながり、サーキットでは速さを生む。そして、そういう操作は練習すれば誰にでもできるものだ。

考えればわかる。アンダーステアもオーバーステアも前輪か後輪の2本しか滑ってないではないか。クルマは自分の重さやとてつもなく大きな慣性力を4本のタイヤで支えながら走っているのに、『運転手の手違い』で前か後ろの1本だけ、あるいは2本に負担を集中させることになればタイヤが悲鳴を上げるのは当然だろう。そんな操作をすればドライ路面でも何かが起きる可能性があるのだから、ウエット路面なら目も当てられたものじゃない。

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全開で走っているうちに霧がはけ

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さらにドライになってペースが上がる

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最後には虹が参加者の頑張りを称えてくれて


では、どうすればウエット路面を克服することができるか?

タイヤが滑るのであれば4本が滑るような操作をすればいい。エネルギーが同じだと仮定すれば、2本だとこらえられない場面でも4本ならこらえられる可能性が高まる。2本だと滑る速さも速く、滑る量も大きくクルマがバランスを崩すかも知れないけれど、4本なら滑らないかも知れない。例え滑っても、それは穏やかなはずだから、大事には至らない場合が多いはずだ。ひょっとすると、滑ったこと自体気がつかないかも知れない。

だから、4本のタイヤをキチンと使ってあげるのが運転の基本だ。
そんな、タイヤ4本を使った走り方を身につけるお手伝いをするのがユイレーシングスクールのカリキュラム。

そういう走り方をイメージすることができて、実行する意思があれば、ウエット路面ほど楽しくて効果的な練習環境はない。
だから雨が降りそうな時こそ、ユイレーシングスクールに参加することをお勧めしたい。


◎ 翌日のYRSオーバルスクールも雨   雨なら雨でそれなりに

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冠水してたってタイヤが回っていればクルマは前に進む

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視界だけ確保しておけばクルマにまかせればいい

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次の日のYRSオーバルスクールでも虹をくぐって

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参加した人全員が大いにウエット路面を存分に堪能した2日間


第198回 規制の背景には合理性が必要

我々はさまざまな交通規制の中で自動車を走らせている。

膨大な数の人が操る、ありとあらゆる自動車が同じ空間を共有するのだから、自動車がそれぞれに本来の目的を達成するためには一定の秩序が必要だ。そのより所になるのが交通規制だ。そして交通規制のあり方は交通社会の成熟度を示す。

交通規制がしかれる背景にはそれなりの理由があるのだろう。主に安全面から見て規制したほうが良い、ということになって実施されるのだと想像する。

しかし、中には「こうするほうが理屈にあうのにね」とか、「そうする理由がわからないね」と思える規制があるのも事実。おそらく規制の仕方にはある種のガイドラインがあって、それに従った結果なのだろうが、もっと柔軟に運用すれば交通規制の本来の目的である『危険の防止と安全確保、円滑な交通の確保』に沿うのに、そして自動車が本来の機能を発揮するのに、という場面が少なくない。ひらたく言えば、この国の交通規制は合理性を感じられないことのほうが多い。

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志賀付近の湖西道路(Google Mapから)

30数年のアメリカ生活を経て日本に戻ってきてから、そんな気になる光景がそこかしこに。今回は居住地の近くを通る湖西道路の話。

大津市荒川から坂本まで、東岸と違って山々がせり出している琵琶湖の西岸を走る湖西道路は、湖畔よりもかなり高いところを通る。そのため、北から順に志賀、和迩、真野、仰木雄琴のインターチェンジがあるのだが、和迩を除いて本線への合流車線がかなり長く急な登り勾配になっている。

で、朝のラッシュ時には合流車線を起点に長い渋滞が起きる。一定数以上の本線走行車両に一定数以上の車両が合流すると渋滞が発生する。本線の流量が急激に増えるので流れがよどみ、しかも合流の仕方がドライバーによってまちまちで全体として画一的ではないから、双方が速度を極端に落とさざるを得ず、結果としてストップアンドゴーの繰り返しなんて悲惨な状態にもなる。その上、湖西道路の場合は本線と合流車線のどちらも 『速度の調整が難しい、かなりの登り勾配』 なのが渋滞に拍車をかける。

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A 志賀インターチェンジの合流車線にかなり入った所

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B 志賀インターチェンジの合流車線に入ってさらに進んだ所

ま、インターチェンジの構造的な理由もあるし、「自分さえ良ければいいと」いう人が後を絶たないから渋滞が増幅するわけで、ラッシュ時の渋滞はこの際おいておく。

気になるのは合流車線の制限速度が解除される地点。

合流車線に入ってから速度制限の標識はないから、それ以前の40キロ制限が合流車線にも適用されるのだと解釈して。ならば、制限速度が60キロで、実際には70キロプラスから80キロで流れている本線に『安全かつ円滑に』合流するのには、40キロ制限が解除される地点が合流地点に近すぎない? そんな先まで延々と40キロで走らせる根拠は何? という話。

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C ようやく40キロ制限が解除されて
※ この手前の勾配が最もきつく速度が落ちやすい

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1 本線もずっと登り坂

3つのインターチェンジの合流車線は勾配を緩くするためなのだろう、実に長い。それでいて、勾配は決して緩くない。にも関わらず、「はい。ここから本線に合流するために速度を上げていいですよ」という地点が、本線にかなり近いところにあって、かつその地点が結構な登り坂なのだ。

もし仮に、40キロ制限解除の地点まで5速とかDレンジで制限速度を守って走ってきた自動車が合流地点までに60キロ、あるいは80キロまで加速しようとすると、一般の人がふだんは経験しないと思われるほどスロットルを踏み込む必要がある。そういう加速ができる人はまれだ。
合流するまでの距離が短く登ってもいるのだから、結果的に本線の流れの速度に達する前に合流する可能性く速度差のある合流が生じる可能性が高いのに、滋賀県公安委員会はそのあたりを考慮しないのだろうか。

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D 加速を開始すると間もなく本線

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2 本線も勾配がきつくなってきて

第一、合流車線に入ってからかなりの距離を40キロで走るのは、個人的には合理的ではないと思う。合流車線は自動車専用道に含まないのかも知れないが、合流車線に入ってしまえばそこには歩行者がいるわけもなく、減速する必要があるはずもなく、するべきことは合流だけなのだから、もっと早い地点で40キロ制限を解除しない理由が見つからない。
※ △地点から合流地点まで見通しはすこぶる良い

多くの人が速度制限が解除される前に速度を上げていると思われるし、たぶん公安委員会もそれは知っていて、だけど中には60キロに達しないまま合流しようとする「わかってない人」がいて誰かにブレーキを踏ませているのだけど、運転する人の教育には時間も手間もかかって不可能だから、とりあえず40キロ制限解除の標識は撤廃して、インターチェンジの合流車線に入ってしばらくしたらさっさと《 最低速度60キロの標識 》を立てるのがこの状況での合理性ではなかろうか。

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E 合流地点

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3 本線も登り坂が延々と続く

実情にそぐわない規制は、そのうち規制される側が規制そのものを軽んじることになるから、なんのために規制するのかがあいまいになり規制が形骸化する。規制はされているのに秩序が保てないという不合理が起きる。と、個人的には思う。




≪独白≫
アメリカに行く前も日本の交通規制っておせっかいだな、みんなはそう思わないのかなと思っていたけど、アメリカに行ったらそれが確信に変わった。

例えば、アメリカの自宅近くのフリーウエイ405号線南行きにブルックハーストストリートから入る右270度の下りコーナーの入り口には、制限速度35マイルの標識が立っている。35マイルというと時速56.326キロなのだが、このコーナーをこの速度で回れるにはかなり腕に自信がなければならない。コーナーは下っているし曲率が変化する。ここだけではなく、基本的に、アメリカのコーナーでの制限速度はそれに近づかないほうがいいよ、と呼びかけるものだ。
他の規制標識もそうだけど、ほとんどが「掛け値なし」、つまり合理的で白黒がはっきりしている。だから、規制を規制として受け入れやすい。
クルマの運転は、運転そのものが目的にはならない。何かのために運転するのだから、運転する時の 『より所』 は単純で明快なほうがいいはずなのだが。


第196回 交通統計から見える現実

毎年購入している交通統計の平成27年度版が発売されたので、手に入れてユイレーシングスクール独自のデータに加筆した。

わが国を走る原動機付きの乗り物の総数はまだ増え続けていて、昨年4月1日現在で9,133万台にのぼる。
少子化がニュースになることが多いのに、なにがしかの運転免許を持っている人の数もまだまだ増え続けていて、昨年12月末の時点で8,215万人を数える。

日本の人口が1997年あたりから1億2千7百万人あたりで推移しているのに対し、このふたつの数字は交通統計に数字のある1966年以降増加の一途をたどっている(免許人口は2015年が最多ではあった)。年を追うごとに、社会が自由に走り回れる自動車への依存度を、今もなお増しているのは間違いない。

しかし、どんなに自動車が増えても、どんなに自動車技術が進歩しても、自動車を動かすのはしょせん人間。自動車が、いわばなくてはならないものの時代に、人間は自動車とどう向き合っているのだろうか。
運転免許さえあれば誰でもどこへでも走らせることができる自動車を、いったい、人はどう操っているのだろうか。

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昨年の類型別交通事故件数を見てみると、警察庁が分類する人対車両、車両相互、車両単独の全ての数字が減っている。中でも車両単独の事故が交通事故全体に占める割合は過去最低の3.02%までになった。乱暴な言い方になるけれど、独り相撲を取る人が減ったね、と思ったら怒られるだろうか。

だがしかし、車両単独で事故を起こした場合に死にいたる割合は相変わらず高く23.78%。一時期ほどではないものの、ここ3年ほど死亡事故件数全体の4分の1になんなんとしている。

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それが2輪車であれ4輪車であれ、業務なのか趣味なのかを問わず、自動車を動かすことができる人が82,150,008人もいるのだから、中には自動車に裏切られるような運転をする人、自動車の運転をなめている人がいるのはしかたがないことなのかも知れない。

ユイレーシングスクールが望むところではないけれど。


第184回 事故を起こしてはだめだ

ブログにふさわしい話題かどうか迷ったのだが。

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筑波サーキットでドライビングスクールを開催した帰り道で事故に遭遇した。

深夜1時過ぎ。東名高速大井松田IC手前にある電光掲示板に「右ルート事故」の表示。事故で渋滞している可能性もあるし左ルートを選ぶこともできたけど、日本に戻ってから一度もトラックの多い左ルートを使ったことがないのと大急ぎで帰らなければならないわけではないので迷わず右ルートへ向かった。

右ルートに入ってから10分ほど。右300R、左600Rと東名高速にしてはきつめのコーナーを抜け、続くブラインドコーナーの左320Rを抜けるころ視界の左隅に燃え盛るクルマが飛び込んできた。「これか!」
ガソリンに引火しているようで火の手は大きく周囲は昼間のように明るい。とっさに状況を確認すると燃えるクルマの手前に停まっているクルマが1台、通過しながら確認すると燃えるクルマに乗っていた人らしき姿が見えない。「どういうことだ!」
自分が停まったからといって何かできるとは思えないが、炎を上げて燃えるクルマを横目に乗っていた人の無事を確認しないまま通り過ぎることも難しい。幸いこの場所は昔バス停があったところでたいそう広いスペースが路肩にある。左手の土手にそって停めれば本線までに十分なスペースがあると判断し、十分に距離を置いてからクルマを停める。

クルマを降りて燃えるクルマに向かう。火の暑さをなんとなく感じるところで、立ちつくす2人のシルエットが浮かび上がった。「大丈夫ですか?」声をかける。近寄ると男性と女性。ふたりとも立っていられるほどだからそれほどの負傷はしていない様子。男性は頭や顔や腕から出血しているけど、女性と会話しているから緊急を要する事態ではないと見た。

「通報はしましたか?救急車は呼びましたか?」そう聞くと、女性が「前に停まってくれた人がしてくれました」。裸足の女性は「ふたりとも携帯がクルマの中で・・・」、「この人を座らせてあげたいんですけど・・・」と続け、男性に「大丈夫だからね、大丈夫だからね」と声をかけている。
ルーテシアRSに取って返し、スクールで使うブルーシートと洗いざらしのタオル数枚、封を切っていなかった500ccの水、ホテルから持ってきた使い捨てのスリッパを抱えて戻る。スミマセンと繰り返す女性。少し興奮気味の男性に横になってもらうことぐらいしか、自分にできることが見つからない苛立ち。

クルマを停めてから5分は立っている。通報はその前にされているという。大井松田の電光掲示板に「右ルート事故」の表示があったのだから、その時点で管理者は事故の発生を認識していたはず。それから10分は走ってきている。パチパチと音を立ててバブルキャブのトラックが燃え続けている。

それにしても、こんなにも救助を待たなければならないのか。119番に電話すればいいものを、こちらも焦っていたのか110番に電話してしまう。「はい。事件ですか事故ですか?」。またか。いつものことだ。

「東名右ルート75.8キロポストあたりでトラックが燃えています。2人が負傷しています。救急車、消防車は出動していますか?確認して下さい。」つい乱暴な口調になる。

手配済みと言われれば待つしかないが、それにしてもこの時間は絶望的だ。

やがて1台のクルマがやってきて火災現場の手前で停車。すでに20分が経過している。道路管理者とおぼしき人が火の勢いの弱まったトラックの横を通りこちらにやってくる。「乗っていたのは?」と聞くから、「このおふたりです」と答えたら、「大丈夫ですね。もうすぐ救急車が来ますから」。たったそれだけ言って戻ろうとするから、「救急車はいつ来るんですか?」と聞くが、「間もなくだと思います」だと。なんなんだ、いったい。

それから5分ほどしてようやく消防車が2台やってきて、その影から救急車が現れた。投光器で現場が照らされ、ようやく男性がストレッチャーに乗せられ救急車の中へ。

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最悪の場合も想定してクルマを停めた。今回はふたりとも軽傷ですんだようだが、どんな理由があるにしろ事故を起こしては絶対にだめだ。
便利な自動車を運転していて怪我をするのも、乗っている人や他人に怪我をさせるのもだめだ。
クルマは人が傷つくためにあるのじゃない。

大げさではなくて、事故を起こしてしまったら誰も助けてくれない、ぐらいの意識を持ってもすぎることはない。

事故を起こさないためにも、もう少し真剣に運転してみてはどうだろう。もう少し運転に集中してみてはどうだろう。事故を起こさないために何をすべきかを考えてみてはおうだろう。

ボクは、『絶対に事故は起こさない』という覚悟を持って運転している。運転中は音楽も聞かない。外の音を聞きたいから雨の日でも窓を少し開ける。周囲の状況にこれでもかと気を配る。自分のことよりも交通の流れを優先する。
自分がクルマを、クルマが自分を裏切る状況におちいりたくないから。


【 追記 】
やってきた救急車と消防車は小田原消防署のものだった。調べてみたら小田原市消防署以下、消防署が1ヵ所、出張所が6ヶ所、分署が2ヶ所ある。大井松田ICのそばには松田分署がある。75.7キロポスト付近の駿東郡小山町は松田分署の管轄に入っていないので、他の消防署か出張所から出動したのだろうか。大井松田ICから事故現場まで18.1キロしかないから、どう考えてもあれだけ時間がかかるとは思えないが、消防の都合でそうなったのだろう。
しかし、もしあの事故が一刻を争う事態にあったならばと考えると、今さらながらにゾッとするのだ。

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そのコーナーアプローチ

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そのコーナー立ち上がり

※写真は2枚ともGoogle Earthから借用

実はこのコーナー、以前にも2回事故を目撃している。1回目は雨の日にスポーツカーがひっくりかえっていた。2回目は雨でもないのに軽トラックが横転していた。どちらも救急車は来ていなかったが、すでに何台ものクルマが停まっていて、何人もの人が立っていたから自分の出る幕ではないと判断して通過したことがある。


第178回 急がば…回せ

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とある右折車線がある片側1車線の交差点。同じく右折車線がある片側1車線の道路と斜めに交わっている。この交差点を右折する場合にはかなり鋭角に曲がらなければならない。高速道路に乗る前に使ういつもの道なのだが、いつも疑問に思うことがある。

かなり往来があるので右折可の矢印が出てから右折することになるのだが、前のクルマについて右折していくと、ほとんどのクルマが交差する道路の右折車線を「踏んで」右折していく。「踏まない」のは交差する道路の右折斜線に、「右折するのを待っているクルマがいる時」だけだ、と言っても過言ではない。

交差道路の右折車線を「踏むこと」が違反にあたるかどうかは別として、疑問に思うのは彼ら(彼女ら)がどんな意識でステアリング操作をしているか、だ。

あくまでも推測の域をでないのだが、行われている操作は「ステアリングをある舵角がつくまで一気に回してそこで手を止めて、右折してからもう一度切り足す」のではないのだろうか。

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別に右折車線にクルマがいなければかまわないではないかという意見もあるだろうけど、自分の運転と比較しての話だが、それだと右折を終わる頃に最も舵角を大きくして方向を変えなければならないはずなのだ。つまり、コーナリングの半径が最も、かつ必要以上に小さくなるのが右折して直進に移る地点の寸前になる。ということは、結構な高さのある歩道と車道を分ける縁石に向かう角度が深くなるし、右折を終わってからステアリングを戻す量が大きくならざるを得ない。つまり、右折の最終段階でも運転手の目線はまだ外側に向いているはずで、進行方向の遠くを見通せる情況ではない。それでもいいの?という話。

一気に舵角を与えればそれだけ内輪差が大きくなるから、前輪が大きく向きを変えるのと同時に後輪は前輪のはるか内側を通ることになる。
結果として、直線的にコーナリングしてしまうと立ち上がりでのクルマの向きが十分に変わっておらず、従ってエネルギーの方向もクルマの向きよりも外側にある可能性が高い。なのに…。

ここに、、彼ら(彼女ら)の運転に対する意識がうかがえると言ったら言い過ぎか。

もちろん安全に右折できれば、それはそれでかまわないのだろう。しかしどんな状況であろうと、ある操作の結果どういうことが起きるか想像しながら運転している自分にはできないね、と。

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同じようなことがドライビングスクールでも見られる。例えばオーバルスクール。ふたつの同じ曲率の180度コーナーを直線で結んだ楕円形のコース。受講者一人ひとりの操作を見直すことが目的だから、最初はイーブンスロットルでブレーキは使わずに走ってもらう。

半径22mのコーナーは時速45キロだとどんなクルマでもパイロンに沿って走ることができる。ところが、「それでは50キロにペースを上げて下さい」と言うと、何人かがパイロンに沿って走ろうとしているのにパイロンから離れるようになる。「次に55キロまで加速してみましょう」と言うと、かなりの人がパイロンに沿って走ることができなくなる。パイロンを後輪で踏んづけて倒す人が出てくるのが、「あと2、3キロ速く走ってみましょうか」と言う頃だ。そう、おわかりだろう。ステアリングを「バキッ」と切っているのだ。内輪差などおかまいなしに。

この時の受講生の操作は、鋭角の交差点を曲がる彼ら(彼女ら)のステアリングの回し方に近い。
最初に大きな舵角を与えるものだから、前輪にだけスリップアングルが生じ、後輪はただ前輪の軌跡の内側をたどることになる。ペースを上げてエネルギーが大きくなればなるほど、前輪は外に逃げようとするし、無意識のうちに逃げるのがわかるからさらにステアリングを切り足すようになる。

YRSオーバルスクールではパイロンを15度ごとに置いてある。コーナーの始まりと終わり、それと頂点に緑のパイロン。その間に5本の赤いパイロン。

見ていると、パイロンから遠ざかる人は赤いパイロンの2本目か3本目でステアリングを回す手が止まっている。止まっている位置、つまり舵角も、既にそのコーナーの最終舵角ほどに大きい。それでは高い速度で自分が思い描いた軌跡にクルマを持っていくことは難しい。速度が低ければ何も起こらずにすむかも知れないが、思い描いたところにクルマを持っていくのが難しい状況にあることには変わりない。低い速度だったとしても、晴れなら大丈夫で雨ならだめかも知れない。

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だから、ユイレーシングスクールでは受講生に煙たがられるのを覚悟でこんなアドバイスをしている。

「クルマが抱えるエネルギーは速度の二乗に比例して増減する。45キロから50キロに10%ペースを上げたとしたら、クルマを真っ直ぐに進ませようとするエネルギーは20%増えているんですよ」、「最初の舵角が大きくなる原因は近くを見て操作しているからで、自分の行きたいところに目線を動かしていないからです」、「クルマにとってコーナリングはストレスになります。ストレスを大きくしないためにも、ステアリング操作の最初はゆっくりと、コーナリング中も手を止めることなくコーナーから次の直線が見えるようになるまでゆっくりと回し続けたほうがクルマさんは喜んでくれます」、と。

さて、あなたはごんな運転をしていますか?