トム ヨシダブログ


第653回 今日の1枚

5月15日。日曜日。曇り。
今年3回目のYRSオーバルスクールFSWに集うルノー仲間。

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第651回 鈴鹿サーキット

今年のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールには鈴鹿サーキットを走ったことがない方が5名参加。クルマの動かし方には過去に参加してくれたYRSツーデースクールやYRSオーバルスクールで慣れてはいると思うけれど、速度域が高くレイアウトも複雑な鈴鹿サーキットをぶっつけ本番で、しかもできるだけ速いペースで走って日本のモータースポーツの聖地を楽しんで下さい、と言うのは少しばかり無理があるかなと。それに今回は雨。ウエット。
というわけで、鈴鹿サーキットを占有走行する時の決まり事でもあるセッション開始時の完熟走行をユイレーシングスクールに任せてもらって、メガーヌRSトロフィーをリードカーに。初体験組の5名に真後ろに連なってもらい「車両間隔はクルマ3台分まで。リードカーはペースのいかんに関わらず走行ラインを含めてその地点でやるべきことをやりますから、全員その真似をします。リードカーと違うことをやると後ろのクルマに間違ったことが伝わりますから何も考えずに集中して前のクルマの真似だけをして下さい。1周目はストレートを通過します。2周目にピットインをしますからピットロードを含めてコースレイアウトを頭に入れて下さい」とミーティングで確認。
完熟走行は何周やってもいいのだけど、自分のできる範囲を確認しながらペースアップしていってほしいから、みんなの走行時間を増やすために2周のみ。あとは参加者が慎重に探りながら、それでいてメリハリのある運転をしてほしいと念じつつピット前を通過する1台1台を目で追う。

ゆっくり走っていては完熟走行にならないし後ろがついてこれない速度で走っては意味がないし、リアビューミラーとにらめっこをしながら踏むところは踏んで走ったのが次の動画。ご覧いただければウエット時にどこに川ができるかとか、現在の鈴鹿サーキットのコースレイアウトがわかります。

毎年1回ユイレーシングスクール卒業生を対象に開催しているYRS鈴鹿サーキットドライビングスクール。2年続けてウエットコンディションでシケインのオーバーランや軽微なコースアウトはあったものの1時間x2回のセッションは無事終了。最後の総括で、朝のミーティングの時の緊張気味の顔とは異なり、参加者全員の満ち足りた顔を見ることができたのが大収穫。最年長77歳のYさん、次回もぜひ参加して下さいね。

閑話休題。鈴鹿サーキットに対する思いです。

※ 以下長文ですが文末に鈴鹿サーキットのオリジナルレイアウトを走っている車載動画があります。

中学生の時、立てた教科書の手前に隠して自動車雑誌を読んでいた。クルマそのものにももちろん興味があったけれど、いつも後ろのほうに載っていたモータースポーツの頁が好きだった。かっこいいと思った。漠然と将来レーシングドライバーになりたいと思っていた。

今から51年前の3月6日。鈴鹿サーキットで初めて旗を振った。自動車レースの近くにいたかったという動機。
旗を振る、とはレースの予選や決勝の時にコーナーポストから走行中のドライバーに旗で合図を送ることだ。ポストの先でアクシデントがあれば黄旗。コース上にオイルが出ている場合は赤黄縦じまのオイル旗。救急車などの低速走行車があれば白旗、等々。
以後、1979年9月に拠点をアメリカに移すまで鈴鹿サーキットレーシングコースで行われたレースには1度も欠かさず旗を振りに行った。そしてそれが後に自分がレースに出る段になって大きなアドバンテージになり、さらにドライビングスクールを主宰する上でも大いに役立っているという話。

ちなみにコースオフィシャルとして鈴鹿サーキットに通っていた頃はまだオリジナルレイアウトのままだった。安全性の向上を図りF1GPを開催するためにグレード1を得るためのコース改修は80年代に入ってからになる。
速度を落とすためのシケインはまだ設けられておらず最終コーナーはひとつの大きな下りのコーナーだった。100Rの1コーナーから先は70Rの2コーナーまで明確な直線があり60Rの3コーナーに続いていた(現在は100Rの1コーナーと60Rの2コーナーをごく短い直線でむすんでいる)。S字の逆バンク手前の左コーナーの曲率は現在よりきつく、ダンロップコーナーは現在よりかなり外側を通っていた。現在ふたつのコーナーからなるデグナーカーブは80Rの行けども行けども先の見えないひとつのコーナーだった。今より大幅に外側を外側を通っていたスプーンカーブ手前には今より長い直線がありスプーンの進入には大幅な減速が必要だった。スプーンの1個目と2個目の間にもフル加速できるほどの直線があった。現在は85Rと340Rの複合コーナーである130Rは、左手の山が迫っていて出口がなかなか見えない半径130mのひとつのコーナーだった。デグナーも130Rも直線が直接円弧につながる、つまり入り口にも出口にも緩和曲線のないずっと横Gがかかり続けるコーナーだった。当時のコース全長は6004m(現在は5807m)。130Rでちょいとブレーキングするだけでスプーン立ち上がりから1コーナーまで全開も可能というとんでもないダイナミックなコースだった。

コースオフィシャルとしてあちこちのポストで旗を振った。それはそれは得難い体験だった。目の前を走るクルマも最高速度270Kmのレーシングカーだったり、足を固めただけエンジンノーマルのセダンだったり、ウェーバーキャブの吸気音がたまらない高度にチューニングされた特殊ツーリングカーだったり。それらを操るドライバーも多彩。慣れてくるとドライバーそれぞれの癖がわかるようになった。さらに予選結果と照らし合わせると、速いドライバーの運転の仕方と速くないドライバーの運転の仕方に違いがあることを見つけた。とにかくポストによっては10m先をレーシングカーが全開で駆け抜けていくという体験をした。走行ラインによってスロットルを開ける位置が異なるのを知った。ターンインの位置とイニシャルのステアリングでこのマシンはコースアウトするな、と予測できるようになった。クルマの動きを見て、こういう操作をしているのだろうなと想像できるようになった。

旗を振っていた日々。目の前を、いったい何台のクルマが全開で限界ぎりぎりで駆け抜けていったことか。結果的に、旗を振り続けたことが自分の運転に対する観察眼を養うのに役立ったのは間違いない。今にして思えば、他人の走りを観察しているうちに『運転という行為』そのものを俯瞰することが無意識にできるようになったのではないかと。

役務態度が良かったとかで数年したら1コーナー入り口に位置する4番ポストの箱長(ポスト主任)が定位置になった。雨のレースで1コーナーからコースアウトしていたフォーミュラカーを押そうとしていたら続いてコースアウトしてきたマシンにひかれそうになったとか、FJ1300レースで2台がクラッシュ炎上してドライバーが火だるまになって逃げるのを消火器を持って追いかけたとか、そんな断片的な思い出もあるけれど、それよりも、当時国内最高峰のだったF2000レースで顔見知りになった優勝経験もあるドライバーのTさんから「吉田君、今回も見ていてくれた?ボクはどこでアクセル放してる?〇君とどっちが奥?」なんて聞かれることになって少し得意だったのを覚えている。自分の観察眼が役に立っていると思うから、ますます耳をそばだて目を凝らしたものだ。基本的にオフィシャルは有志の集まりではあるけれど、モータースポーツのこっち側にいるんだという意識は得難いものだった。

アメリカに居を構えてからもけっこう頻繁に日本に1時帰国をした。自分の中では1979年9月にジャーナリストとして初めて自動車輸出専用船で千葉からポートランドまで太平洋を渡ったのが貴重な体験だけど、パスポートを見返してみると2017年まででちょうど日米を100回も往復していた。
で、1981年に1時帰国した時にホンダの販売店をやっていたオフィシャル仲間のYさんが「クルマ貸すからレースに出てみない」と誘ってくれた。この頃にはアメリカでレースを始めることが視野に入っていたから出てみるのも悪くないと、急いでA級ライセンスを取ってレーシングギアを用意して鈴鹿に駆け付けた。出場したレースは1月11日に開催された新春鈴鹿300キロ自動車レース。シビックのワンメイクレース。ドライバーは2名なのでYさんチームのレギュラードライバーのOさんと組むことになった。慌ただしくも車検を通過してさあ予選というところで、それまで鈴鹿レーシングコースを自分の運転では走ったことがないことを再認識した無謀ぶり。
コースオフィシャルはタワー(管制塔)横から各ポストにマイクロバスで送られ、予選なりレースが終わるとまたマイクロバスが拾いにきてくれるから1回のレースで4周はコースを回ることになるけど自分で走ったことは皆無。それでもなぜか焦ってはいなかった、と思う。30分の予選をOさんが最初に走り途中交代して初めて自分で運転してレーシングコースに乗り入れた。確か35台出走で予選落ちが出るくらいだからたいそうな台数がコース上にいてもまれながらの走行だったような気がする。1コーナーから3コーナー、S字を登って逆バンク。初めて自分でクルマを操ってコースを走るのに妙に落ち着いていたような記憶がかすかに残る。10数分足らず。間違いなく最短の練習時間でレースに参加したドライバーというのが誇りでもある。

予選はもちろんOさんのタイムで15番手だったか。翌日の決勝レースのスタートドライバーもOさん。途中で交代する作戦。Oさんが、確か数台を抜いてピットインしてきて慌ただしく交代してコースイン。ピットアウトする時、3~4台が団子でストレートを駆け抜けていった。この時のことをすぐにでも感想文にでもしておけば良かったと思うほど、初めてのレースとは思えないほど順調にレースの流れに没頭できたと記憶する。

しばらくすると前を行く3台の集団に追いつく。3台は3台で牽制しあっているからペースが上がらず、3台の最後尾の真後ろまで追いつく。なにしろスプーンカーブを立ち上がると130Rで軽いブレーキングはするけど1コーナーまでは全開。下りの最終コーナーなんて全開なのにお尻が出たがる。10周もしていないサーキットでそんな走りができたのも、あちこちのポストで他人の走りを観察してきたからかなと考えていた。ダンロップの上りでスリップが効いているのはわかるけど、前のクルマのイン側にいたほうが効きがいいのか外側にかくれたほうがいいのか違う走行ラインを試した記憶がある。冷静だった。
とにかく、シビックのスリップストリームが効くのに驚いた。ホームストレートは下りだからかあまり効果がなかったけど、下ってからかなりの上りになる裏のストレートではスロットルを緩めないと前のクルマに追突しそう。で、坂を上り切ったあたりで前のクルマの横に出る。そのままスロットルを開けていると追越しちゃうから、『スリップを抜けると加速しないね』と嘘ぶいてスロットルを抜きながら、首を傾げて悔しがるふりをしつつ後ろに戻る。なにしろ3台の後ろでゴールすればポジションを守ったことになるから上出来。欲張る必要はない。

そして確かフィニッシュまで4周だったか。130R手前の24番ポストでイエロー1本の振動が25番ポストでイエロー2本の振動が出ている。見ると25番ポスト先のアウト側で1台のシビックが転倒している。レース規則では黄旗が出ているポストから事故現場まで追越し禁止。鈴鹿の場合、事故が大きければ直前のポストで黄旗の2本振動、その手前のポストで1本振動、その手前で1本静止を提示するローカルルールがあった。黄旗が振られている時にはペースも落とさなければならない。頭の中にコース図が浮かぶ。24番で1本振動ということは裏のストレートの中間、ストレートが上りにさしかかるところにある23番で黄旗の静止がでる可能性がある。するとそこから130Rまで追越し禁止になる。次の周に確認する。出ていない。追越し禁止は立体交差の先にある24番からだ。ヨシ。できるかどうか、最終ラップに勝負してみよう!
それまでのように3台の後ろでスプーンを立ち上がりスリップストリームに入る。前のクルマに近づく。微妙に操作し、ついていける範囲でスロットルをできるだけ緩める。立体交差はまだずっと先。横には出ない。前の3台が130Rに対してアウト側にラインを変える。わずかにステアリングを左に動かしながらスロットルを床まで踏み込む。130Rに吸い寄せられるように1台、2台を抜いて立体交差。最後の1台のイン側に並んだところで24番ポスト。黄旗区間。抜き返されることはない。『これは権利だからね』と意図的にペースを落とす自分を正当化しつつ、いつもより遅い速度で130Rのインにつく。当然後ろには抜いた3台が連なる。事故現場を過ぎる瞬間にスロットルをベタ踏み。後続も加速をしているのがルームミラーで確認できるものの、スリップストリームを使うには130Rで速度を落としすぎたのか、間隔が空いている。そのまま全開で最終コーナーに飛び込み3台の前でチェッカー。
※以前はJAFのサイトのこの頁にシビックレースの結果も掲載されていて自慢できたのだが、モータースポーツサイトのリニュアルで掲載対象が全日本選手権とそれに準じるレース、インターナショナルシリーズ等の一部のみになったため現在はお見せすることができないのが残念。

コースオフィシャルをやるようになってからレース関係のいろいろな情報に接することになり、モータースポーツ関係の仕事に携わることも増えてきた。70年代、唯一メーカー系でないJAF公認クラブだったレーシングクォータリークラブ(RQC)の最後の事務局長を務めた(RQCはその後VICICと名前を変えて活動)。日本オフロードレース協会の事務局も預かった。日本テレビの木曜スペシャルの企画もやった。筑波サーキットでプロのレーシングドライバーと本職のドライバーに3軸のダンプトラックでレースをしてもらったこともある。本職のドライバーが桑島さん、津々見さんより速かったのには驚いた。

アメリカに渡った目的の中には自動車レースにへの参加もあったけれど、レースデビューを日本でするとは正直思ってはいなかった。そのアメリカでは1982年11月にリバーサイド6時間レースでレース活動を開始。1987年にレース活動を中止するまでに走ったサーキットはリバーサイドインターナショナルレースウエイ(CA)、ウィロースプリングスレースウエイ(CA)、カールスバッドレースウエイ(CA)、ホルタビルレースウエイ(CA)、ラグナセカレースウエイ(CA)、シアーズポイントレースウエイ(CA)、フェニックスインターナショナルレースウエイ(AZ)、ポートランドレースウエイ(OR)、ロードアトランタレースウエイ(GA)。アメリカのサーキットも80年代後半になると安全面とか興行面から、どちらかと言うと危なくないストップアンドゴー的なレイアウトに変貌をとげた。だから、そうなる前のドライバーに挑むようなオリジナルコースを走れたのは幸せだった。
アメリカのサーキットには日本のように時間単位で走れるスポーツ走行なる走行時間帯はない。レース以外に走ろうと思えば貸切る以外に方法はない。なので初めてのサーキットはレースウィークで初めて走ることになるのだけど、そこでもコースオフィシャル時代の経験が役に立った。

SCCAのクラブレースは当時、ツーデーレースで土曜が練習と予選で日曜がウォームアップと決勝という流れだった。練習、予選とも確か30分が割り振られていたと記憶するけど、初めてのコースでもタイヤを温存したかったから最大5周しかしなかった。その代わりコースのあちこちに行って人の走りを見ることにしていた。サーキット攻略のセオリーは長い直線に続くコーナーの立ち上がり速度を上げることと高速コーナーを速く走ること。コース図を見てカギとなるコーナーで他人の走りを目に焼き付けた。スロットルを開けるのが早くても立ち上がり速度は速くない例。突っ込み過ぎてブレーキングでタイヤがロックしてラインから外れる例。注意深く見ていると、どこでどうすべきかのイメージを作ることができた。セダンクラスだけでなくフォーミュラカーでもレーシングカーのクラスでも運転手が何をしているかを想像しながら見ていると大いに参考になった。
GT5スターレットは6Jのホイールに9.5インチのスリックタイヤを履いていた。当時で1本100ドルちょっとだったと記憶する。タイヤサービスをしていたファイアストーンのジョーは2レースでの交換を勧めていたけど、我がチームの予算では4レース使わざるを得ない状況だった。だから、もちろんタイヤをこじることはご法度。コースインしてもタイヤを温めるためのウィービングはしなかった。アウトラップでは長い加速と長い減速を繰り返しタイヤが温まってくれるのを期待していた。コントロールラインを通過したら1周目より2周目、2周目より3周目が速くなるように走った。ペースを上げる時にはブレーキングポイントを遅らせるのではなく、むしろ気持ちブレーキをかける位置を手前に持ってきてブレーキの量を少なく、ターンインの速度を上げることを目指した。他人の走りを見ていてタイムを稼ごうとブレーキを遅らせる>強いブレーキをかける>アンダーステアが出る=失速、という例をいやというほど見せつけられていたし、なによりも1度速度を落とすと回復するのが簡単ではないことをコースオフィシャル時代に見抜いていたから。
ローリングスタートからグリーンフラッグになっても、毎周ラップタイムを少しでも更新できるように走った。ライバルの後ろにつくことができても最終ラップの1周前までは抜かなかった。リバーサイドのダブルエッセスやウィロースプリングスの5速全開のターン8ではスリップストリームが強烈に効くから追い抜くことはできたが、スロットルを戻してその時を待った。抜いた後は1周だけタイヤライフを無視して走った。ライバルはあっけにとられていたと思う。
ジョーは使うのを反対したけど、カーカスが出たタイヤでレースに勝ったこともあった。とにかく接地面の形が変わらないような運転を心がけていた。ウィロースプリングスで急な雨に降られ他のドライバーがレインタイヤに履き替える中、ジョーに借りたグルービングアイアンでスリックタイヤに泣く泣く溝を掘り、そのタイヤで勝ったこともあった。そのスリックはそこで寿命となってしまったけれど。

振り返ればあれだけ少ない予算でよくやったと思う。逆に予算が少なかったのが良かったとも思う。足りない分は自分でなんとかしてやろうという意識が非常に強かった。
スクールでモータースポーツは世界中で最も不公平なスポーツだと話す。ハード(クルマ、タイヤ等など)にしろソフト(練習、シュミレーション等など)にしろお金がかかる。だから基本的には予算の多寡で序列ができる。モータースポーツの楽しみ方は、相応の序列の中で自分の知恵なり工夫で次の段階に上がる努力をする過程にあり、上がれるかどうかよりも努力を続けられるかどうかにあると信じてきた。
スポーツドライビングもそうだ。やみくもに速さを追いかける必要はないと話す。それよりも、その時点での速さをいかに楽に、いかにクルマに負担をかけないで実現できるかに発想を転換し知識を総動員して工夫すれば、その時に初めて次の速さが見えてくると思っている。
工夫には自分の中に蓄積されているものを活用する。蓄積されているモノが多ければそれだけ引き出しも増える。蓄積されているモノを充実させるためにはいろいろなものを取り込まなければならない。取り込んだモノの質を高めるためには、有用なモノとそうでないモノを見分ける目が大切だ。自分の場合はコースオフィシャルをしていた時期にモノを見る目を養えたのが幸いだった。だから、ある意味で運転は五感を使った情報収集作業でもあるとも話す。

【鈴鹿サーキットオリジナルレイアウト】 1981年全日本F2選手権第4戦鈴鹿のサポートイベントとして開催されたシビックレースに参加した津々見選手の車載映像。鈴鹿サーキットのオリジナルレイアウトがわかる。上の変更点の記述を参考に冒頭の映像と見比べてみてはいかがだろう。

自分の経験を伝えたいと思ってユイレーシングスクールを始めた。そして自分の経験の土台になった鈴鹿サーキットだから、クルマ好き運転好きの人には1度は鈴鹿サーキットを走って類まれなロードコースのなんたるかを知り、経験として蓄積してほしいと思うからYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを続けている。



第650回 YRS鈴鹿サーキットドライビングスクール

年に一度、ユイレーシングスクールのいずれかのカリキュラムを受講された方を対象にYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールを開催している。
一般的な走行会ならば不特定多数の参加者を募集するところだろうけれど、鈴鹿のレーシングコースは速いしレイアウトが独特なのである程度クルマの扱いを知っていないと危ないし、走っても楽しくないというのが理由。

今年は目まぐるしく変わる天気予報に一喜一憂しながら迎えた当日。やはり雨。ユイレーシングスクールならではの1時間走ってインターバルをはさんで1時間走る両セッションとも雨。それでも参加した全員が文字通り水を得たように走り回っていました。

今回5名の方が鈴鹿サーキットを初めて走りましたが、結果を見る限り雨にも関わらず十二分な速さを見せていました。速さはあくまでもどのように操作したかの結果です。クルマを動かす手順さえ身につけていればどんな状況でもそれなりに走ることができるという証左です。

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朝一番のミーティングで、
「恵みの雨です。練習にはうってつけです。
いつもよりトランジッションを長めにとって、
とにかくクルマをフラットな状態にしてから操作を開始します。
ただし速度は落とさないこと。それが秘訣です」

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ルノー・ジャポンが新たに提供してくれたメガーヌRSトロフィー
最初のセッションの完熟走行のリードカーを務めます

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下っているストレートはまだしも
S字やヘアピン立ち上がりスプーン手前には川が流れていて
一瞬クルマが浮きます
雨量が増えた2回目のセッションではストレートを走っていても
ハイドロプレーニングを起こすクルマが

 

今回もルノー仲間が参加してくれました。

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Oさん@メガーヌⅢRSトロフィー

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Oさん@メガーヌⅢRSトロフィー

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Nさん@ルーテシアⅣRSトロフィー

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Yさん@ルーテシアⅢRS



第649回 71回目のエンジンドライビングレッスン

2003年晩夏の暑い日。『所有欲から使用欲への転換』と題した企画書を携えて訪れた神楽坂のエンジン編集部。クルマをもっと楽しんでもらいましょうヨ、と訴えて始まったエンジンドライビングレッスン。あれから19年。昨日は71回目の大人の運転教室でした。

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村上編集長の挨拶
「運転が上手くなればクルマがもっと楽しくなります」
「免許を手にして以来、改めて運転を教わってみませんか」

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今日はもつかなとの願いも虚しく最後のセッションは結構な雨
そのためいつもの集合写真はありません

 

・この日の参加者は22歳から71歳まで平均年齢46歳の青年と淑女。
・午前中に筑波サーキットジムカーナ場でオーバルレッスン。午後は場所をコース1000に移してサーキット走行。
・エンジンドライビングレッスン初参加の方が9名。サーキットを走ったことがない方が3名。
・この日のベストタイムはシビックタイプRに乗るSさんの43秒033でなんとウエットのセッションでマーク。
・この日筑波サーキットコース1000を走った25名の総周回数は1,104周。ひとり平均44周。
・全員で延べ1,147.2Kmを走って、それでスピンが2回だけ。
・ユイレーシングスクールの教え方のたまものです。
・クルマを思い通りに動かしたい。粋にクルマを走らせたい。今だからこそ運転をスープアップするいい機会です。
・今年2回目のエンジンドライビングレッスンは10月6日(木)に開催。お問い合わせはエンジン編集部へ。

今回のエンジンドライビングレッスンに参加してくれたルノー仲間は、YRSツーデースクールFSWに参加してくれたOさん(OさんはYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールにも参加してくれます)と、ポルシェ911からNAロードスターへそしてルーテシア2RSに乗り換えた根っからの運転好きのUさん。

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Oさんと愛車メガーヌ3RSトロフィー
当日の写真がないので
2020年10月17日開催のYRSツーデースクールFSWに参加してくれた時のカット

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Uさんと愛車ルーテシア2RS
当日の写真がないので
昨年9月20日開催の筑波サーキットドライビングスクールに参加してくれた時のカット



第647回 Sさんの場合

申し込みフォームのコメント欄に、

「4月2日、3日両方とも参加させて頂きます。以前はデミオディーゼルでサーキット走行していましたがもっと速い車が欲しくなり前から好きだったメガーヌを購入しました。せっかく格好良い車を購入したので腕が伴っていないとなと思い参加を決めました。よろしくお願いいたします」

と書いて申し込んでくれたSさん。YRSオーバルスクールFSWとYRSドライビングワークショップFSWに2日連続で参加してくれた。お願いした感想文からは、ブレーキング、スラローム、オーバルを 『できるだけ速くコンスタントに』 走ってもらった効果があったように感じられます。

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半径22m直線130mのYRSオーバルFSWの
上のコーナーを立ち上がるSさん

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下のコーナーにトレイルブレーキングで進入するSさん

 

4月2日オーバルスクール、4月3日ドライビングワークショップに参加させて頂きましたSです。

最初はオーバルをグルグル回るだけでしょと若干舐めていた部分があったのですが実際に走行してみると自分のイメージ通りに車が動いてくれない事に驚きました。また同じコースをドライ、ウエット路面で走行できたのですがドライではタイヤがグリップしてくれたお陰で走れていたコースもウエットでは速度域が低いのにも関わらずタイヤがズルズル滑ってしまい腕の未熟さが露呈してしまいました。ウエットだと誤魔化しが効かない事を痛感しました。

サーキットではブレーキはガツンと踏むものと思い込んでいたのですが踏み方やコントロールのやり方など教えて頂き、また実際に体感出来たので普段の運転時も意識して練習してみようと思います。

シンプルなオーバルコースを回るのでやるべき事、やった方が良い事、やってはいけない事が段々と分かってくるのでシンプルだけど奥が深いんだなと思いました。私は2日間通して参加したので「あっ!この練習はこういう風に車を動かすためだったんだ」等気付いた事が多々あり、非常に収穫が多かった内容でした。と同時に課題もしっかりと頂きましたので普段から意識と目標を持って運転を楽しみたいと思います。せっかく格好良い車を購入できたのでスマートに運転したいですからね。

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Sさん また遊びに来て下さいね



第646回 YRSドライビングワークショップFSW

今年からブレーキング練習に新しいカリキュラムを組んだYRSドライビングワークショップFSW。天気予報が大外れで終日たいそうな雨。ブレーキング1、ブレーキング2,スラローム、オーバルとズルズルだから練習には大いになったけれど。

そんなYRSドライビングワークショップFSWのルノー仲間。

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写真右から
初めてユイレーシングスクールに参加してくれた湖西市からSさん
ワタクシは大津市から
メガーヌエステートGTからメガーヌRSに乗り換えた浜松市からAさん
新しいブレーキング練習に挑戦しにきた狭山市からSさん

※ Sさんゴメンナサイ。ヘッドライトのこと伝えるの忘れてました。



第645回 YRSツーデースクールFSWの2889分の3

今年1回目のYRSツーデースクールFSWは両日とも午後から雨。天気予報が当たらないね、とため息をつきながらの2日間。

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2日目午前中最後のセッションの終盤。21名の参加者全員のクルマをコース上に並べて記念撮影。クルマを並べている間にポツリ、ポツリと。

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※ 表の見方

この日、朝9時から午後5時まで33歳から74歳までの運転好きがFSWショートコースを走りっぱなし。Nさんの走行距離は148キロだったらしいけれど、いちばんたくさん走ったのはメガーヌ3RSのOさんとルーテシア4RSトロフィーのWさんで、走りに走って計157周。

家族サービスがあるのでと早退した人もいたけど、なんだかなんだで全員の周回数を合計すると2,889周。で、今回は残念ながらスピンが3回。昨年の秋のYRSツーデースクールFSWはスピン無しだったのだけどねぇ。ユイレーシングスクールの面目躍如にあと一歩。

 

[追記]今回のYRSツーデースクールFSWでサーキットデビューした豊橋のOさんが、4月2日のYRSオーバルスクールFSWと4月18日のYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールに申し込んでくれた。嬉しいかぎり。



第644回 Nさんの場合

今年1回目のYRSツーデースクールFSW。神戸にお住いのNさんが初めてのユイレーシングスクールに参加してくれた。当日お話を聞くと、ルーテシアRSを通じて知り合った同じ神戸に住むKさんに受講を勧められたらしい。
Kさんは去年のYRSツーデースクールFSWやYRS鈴鹿サーキットドライビングスクールにも参加してくれた常連。そしたら、スクール2日目昼頃に深谷市に行ってきたというKさんがひょっこり。今回のルノー仲間全員とは顔見知りで、スクール終了まで運転とルノーの話題で盛り上がってました。

で、初参加のNさんに感想文をお願いした次第。

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FSWショートコース最終コーナーを回るNさん

 

3月19日20日の2日間富士スピードウェイにて、YRSツーデースクールFSWに参加しました。

一番印象に残っているのが、クルマは物理の法則に支配されており、クルマを動かすには理論に基づいてクルマに動いてもらう必要があるということです。そのための知識をこの2日間で非常に濃い内容を教えていただきました。

1日目は、パート毎にクルマに動いてもらうための理論を学んだ。午前中に、ブレーキング・スラローム・8の字をグループに分かれてトレーニングを行う。
ブレーキングでは、いかに効率よく最大グリップを発揮させて停止する技術をトレーニング。事前課題でだされた雑巾を絞るようにペダルを踏みこむこと。結果、最大荷重を前輪にかけてタイヤをつぶすことにより、タイヤサイズ以上のグリップが得られる。 
もう一つは、ブレーキペダルの踏み方の学び。アクセルペダルを離すとすぐにブレーキペダルを踏み込むのでは無く、一度間をおいてブレーキペダルを踏み込む技術を学ぶ。結果、荷重の移動の感じ方と過度のローターの発熱をコントロールする方法を学んだ。
スラロームでは、従来の荷重を左右に移動するスラロームでは無く、可能な限りストレートで加速させるハンドリングとアクセルワークを学んだ。荷重が均等であればあるほど安定した加速が得られることを実感した。
8の字では、従来の外側に荷重をかけたままでの8の字では無く、定常円旋回からの逆定常円旋回へつなぎ方に、ストレートで走行する方法を学んだ。つなぎをストレートで走るためには、なるべく早くハンドルを早く戻すこと、切り方は慎重に戻すときは素早く、加速は車体がまっすぐにストレート状態で安定した加速を得る。

すでにここで、自身のドライビングテクニックの常識が覆っている。

昼食休憩をはさんで午後のトレーニングに入る。午後は、オーバルコーストレーニング。日本ではインディ500マイルレースくらいしか馴染みのないオーバルコースであるが、米国ではメジャーなレーシングコースレイアウトだそうです。
一般的な定常円旋回のトレーニングでは無く、オーバルコースはストレートと円で構成されており、ストレート加速・ブレーキング減速・コーナリング・立ち上がり加速の組み合わせでトレーニングを行う。このトレーニングで、クルマの荷重移動を感じタイヤのグリップを最大化することを学んだ。
オーバルコースは、なかなか手ごわい。何度かスピンをする、理由はわかってはいるが満足できる走りがなかなかできない。オーバルコースでレースを行っている米国クルマ文化を尊敬する。サンデーレースは、オーバルコースのレースが多いのであろうが、相手を抜かす方法がわからない。今度、米国のレースを参考にしてみよう。

一日目で、クルマの動かす理論の基本を学ぶことができた。明日からは今日学んだことを自分なりに生かすトレーニングとなる。本日の走行距離 95kmなり。

二日目 富士スピードウェイショートコースでのトレーニング関谷正則氏が監修したショートサーキットとのこと、下り5%上り8%の勾配レイアウトのレイアウトサーキット。一日目にトレーニングした技術を用いてのサーキットトレーニングを行う。

最初は、全員でコース歩行を行ってコースの攻略方法のレクを受ける。勾配のあるコースなので、減速・加速・荷重のかけ方等、昨日教えてもらったことを考えながらコースの走り方を考える。なるべくストレートを最大限にとれるように走ろうと考える。
そのあとは、ヨシダ先生にリードフォローを行ってもらい、走行ラインとペースを学ぶ。先生、速いです。 と言いながら必死についていく。そのあとは、グループ毎ににラッピングを行って各自のレベルアップを行う。
都度休憩時に先生からのアドバイスがあり、再度ラップを重ねていく。メインストレートからのブレーキングで注意されるが、走り始めると頑張ってしまいなかなかブレーキングがうまくいかない。反省である。
午後からは、雨が降ってきてウエットコンディションとなり、更に難しいトレーニングとなったが、より一層荷重移動でのクルマの動きがはっきりわかることとなりいいトレーニングになったと思う。

2日目は17:00に終了 本日の走行距離148km

2日間のスクールを終え総走行距離243km あっという間の2日間であった。クルマを動かすための理論を学んだが、実行するにはまだまだトレーニングが必要というのも分かった。
スクール後に本日クルマを運転し、一般道を走りながらでも加速・ブレーキング・荷重を考えながら運転している。確実にスクール受講の成果はでていると思う。まだまだ書きたいことは多いのですが、スクールには機会があれば次回も参加したいと思っています。まだまだ自分の成長を確認したい、クルマの運転は本当に楽しい。

是非、ヨシダ先生にはいつまでもお元気でスクールの開催をお願いしたいと思っています。

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Nさんと愛車のルーテシアRSトロフィー・シャーシカップ


Nさん。感想文ありがとうございました。ドライビングスクールを長く続けられるよう健康に留意します。ぜひまた遊びに来て下さい。今年2回目のYRSツーデースクールは10月15/16日(土日)に開催予定です。

 

※ Nさんがオーバルコースでスピンしたと書かれている。路面が濡れている上に「あと5キロ速い速度からターンインしてみて下さい」と走行中にFMラジオで指示するものだから、オーバル走行が初めての人はオーバーステアになりがちで、Nさんが下手なのではありません。
スピンはオーバーステアが瞬間的に起きた結果だから、その手前でリアのグリップが足りなくなるような操作をしたのが原因ではあるけれど、スピンしなければわからないことがあるのも事実。だから、YRSオーバルFSWはイン側とアウト側のパイロンの間隔を14mにしている。つまり幅員14mの走路。車線を分ける線が描いてないから想像しにくいけど、高速道路の3車線より広いのだからYRSオーバルでスピンしても危なくはない。安心してタイヤと自分の(!)限界を試すことができる。タイヤは減るかも知れないけれど。



第641回 2022YRSツーデースクールFSW Rd.1

2022年第1回YRSツーデースクールFSWは天気予報が大外れで1日目、2日目とも雨。
それはともかくこの週末大いに走り回ったルノー仲間と記念撮影。

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前列右から、
YRS初参加でルーテシア4RSトロフィーに乗るNさんは神戸市から
メガーヌ4RSのワタクシは大津市から
FSWは初めてのルーテシア4RSトロフィー乗りTさんはさいたま市から
2列目右から
ショートストロークシフター装備のメガーヌ3RSのOさんは伊那市から
エキゾーストノートがステキな黒のルーテシア4RSに乗るWさんは甲賀市から
ノーマルのメガーヌ3RSのOさんは東京都から
3列目右から
YRS常連でメガーヌ3RSのHさんは安房郡から
ルーテシア3RSに乗るスタッフYは伊賀市から
ノーマルのメガーヌ3RSに乗るOさんは秦野市から



第640回 ドライビングスクールのすすめ

1999年12月にユイレーシングスクールとして埼玉県の小さなカート場でドライビングスクールを始めてからずいぶんと時間が経った。昨年末までのドライビングスクール開催数は922回。延べ受講者は17,554名にのぼる。商業的背景を持たないドライビングスクールとしては誇らしい数字ではあるし、ここ10年ぐらいはリピーター率が95%を超えるのでジムラッセルレーシングスクールから受け継いだカリキュラムが功をなしているに違いない。もっとも、そう聞くと初めてユイレーシングスクール参加を考えられている方は二の足を踏むかも知れないけれど。
ドライビングスクールの中には雑誌やカークラブの依頼で開催したものもいくつかあるし現在進行形のものもある。「所有欲から使用欲への変換」と題した企画書から始まったYRS+エンジンドライビングレッスンももちろん含まれる。

『車は所有するだけでも楽しいけれど運転してこそ本当の楽しみに出会える。そしてうまく運転できればもっと楽しい。うまくなるためにも、もっと車を楽しむためにも一度運転を習ったほうがいい。ですからこれからもエンジンドライビングレッスンを続けていこうと思います』とは村上エンジン編集長の言葉。

その通りだと思う。クルマは道具だから使い方がある。使い方を知れば知るほどクルマを思い通りに動かせるようになる。クルマの運転で楽しいのは速く走らせることだけではない。思い通りに動かせてこそクルマの本当の価値に触れることができる。クルマに頼らず自分自身が能動的にクルマを動かしていることを実感することで、運転がさらにもっと楽しくなる。

2003年からブレずに運転の楽しさを追い求め通算72回目。4月14日(木)開催の2022年最初のエンジンドライビングレッスンの申し込み受けけが始まっている。

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2021年2回目のエンジンドライビングレッスン
参加者全員の笑顔で記念撮影

 

今回30回目を数える『1回の受講で10回分の収穫のあるドライビングスクール』がうたい文句で3月19、20日(土日)開催のYRSツーデースクールFSWも参加申し込み受付け中だ。現在申し込まれた方16名。うち2名がユイレーシングスクール初参加。

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2021年2回目のYRSドライビングスクールFSW
2日間どっぷりクルマの運転に浸かり
達成感いっぱいで記念撮影
 

 

今、自動車は100年に一度の大改革の時代を迎えていると言われている。あとほんの何年かすると内燃機関の爆発力を味わうことができなくなる日が来るかも知れない。運転だけを純粋に楽しむためにクルマを動かすことが否定される日が来てしまうかも知れない。だから今、経験の多寡に関わらず理論的にクルマの動かし方を学べ、理論を実践に移すことのできるドライビングスクールの受講を検討してみてはいかがだろう。

クルマの運転に正面から向き合い自分のポテンシャルを掘り下げようとする方々の力になりたい。ユイレーシングスクール無二の方針だ。