三好 礼子ブログ


富士宮の地震影響…。。。

まだ10日とちょっとしか経っていないなんて、なんだか信じられません。この間、日本中のみならず、世界中の人たちが「TOHOKU」や「KANTO」を見守っていたのではないでしょうか。吹雪の中で家族を捜し続ける被災者。暖房のない状況を耐えて忍ぶ人々。届かぬ歯痒さもありますが、支援の手もどんどん送られています。

23日朝も強い地震がありましたが(大丈夫だったのかな)、原発のことや放射能影響のこともあり、課題は山積み。まだまだ予断は許しません。それにしても流される家や車など「暮らし」の象徴だったもの、破壊されるライフラインを見るにつけ、私たちの暮らしは何だったのかと問わずにはいられません。

戦後、あれだけ頑張って蘇った日本だったのに、今回の広がりで壊れてみれば、昔よりも全てがフクザツになっていて、なかなか簡単にはいきません。情報網のお陰で生存者を確認できたこともあるようですが、住民台帳もなくなってしまうなんて、誰が思ったでしょう。「何が大切だったのか」の答えは一人一人違うかもしれませんが、私は「命」「絆」でした。「アナタは私。地球はひとつの生命体!」とガイア論を掲げていましたが、「やっぱり!」と再確認。

実は東北関東大震災のあと3/15に、我が富士宮を震源地とする震度6強の地震が起きました。朝霧高原は揺れたものの被害は少なかったのですが、町中に降りてみれば、「ひえーーーっ!!こんなことになっていたとは」。活断層とも思われるラインの家々は、ことごとく屋根瓦が落ち(知り合いの家は全壊でした)、家の中は崩れ落ち、大型店舗の壁やガラスは割れ、まさに地獄図。人命には影響なかったものの、「地球はひとつ」でした。

私は林道の地盤調査を頼まれたので、震源地近くの山々を歩き回りましたが、こちらもびっくりの連続。これは道路? アスファルトが剥がれ、土砂崩れが押し寄せ、クラックの入った道を行くと、これまた様々な事を思いました。ふう。実は私のゆるい肩書き「自然回帰型生活びと」にも関係あるのですが、これはまたの機会にじっくりと…。とにもかくにも、今なお大変な日々を送る被災された方たち、応援&支援者の方たち、すべての関係者たちに思いを込めて。「今日もよき一日でありますように」。


まだ雪多き2/15。“のほほん”の朝霧です。オニオングラタンスープみたいなトゥインゴちゃん。


2/24。のほほんとルノー横浜青葉にお出掛けです。
実は、生まれて初めて前の車からの飛び石でフロントガラスにヒビが!
むむむ。これは何かの前兆…。


だったようです。これは、道路です。富士宮の地震のあとに発見。


2キロに渡ってこんな感じでした。この林道を直すのに、どれだけ時間がかかるのだろう。


地元の方たちは、ひたすら屋根の瓦を処理していました。
「あともうちょっと長かったら、全滅だったよ」。


林道にはスイセンが、里には桜も咲き始めた静岡。ガンバッテと聞こえたのでした。
3/22より、全国のルノー正規代理店でも募金活動を始めたそうです♪